行動を起こすということ

 私が今のような仕事をすることになったきっかけは、一つのテレビ番組でした。

 

 下の子が生まれてまもなく、家事や育児に追われて日々を過ごしていたある時。息子のお昼寝中、一息をつけようと何気なくテレビをつけました。すると、アフリカのとある国に暮らす、大変貧しい5歳の女の子が映し出されました。その少女は、父親はおらず、母親も最近病気で亡くなって、なんとたった一人で暮らしていました。家といっても土を盛って固めたような、とても小さい祠のようなものでしたが、彼女はこの家を丁寧に箒で掃いていました。食べるものはどうしていたかというと、隣近所の人がご飯を差し入れてくれていました。といっても、ただで恵んでもらうのではなく、少女は毎日その家族のために、遠く離れた井戸までいって水を汲んでくるのです。大人が持っても重そうな、大きなカメを頭に乗せ、フラフラになりながらも遠い道のりを往復していました。食べるために、そうしなければならないのです。母親ももういないし、誰も助けてくれないのです。少女の目は、悲しみと絶望のせいか、生気がなく、うつろでした。

 

 ちょうどその頃、上の娘が少女と同じくらいの年齢でしたので、私は途中から辛くて見られなくなってしまいました。この少女の亡くなった母親の気持ちも慮れて、涙が出てきました。そして、遠く離れた日本という国で、住む家もあって食べるものも豊富にあって、恵まれた生活をのほほんと送る自分が歯がゆく思えました。家事や育児に大変などといっても、この少女の過酷な生活に比べたら、なんと生ぬるいものでしょう。それに、私がいくらこの少女がかわいそう、なんとかしてあげたい、と思っても、救ってあげられるわけでもないのです。無力です。専業主婦で仕事もしていませんでしたから、寄付をしようといってもたかが知れています。そもそも、この少女のような貧しい環境で過ごす人々は、世界中にごまんといるのです。その一人一人のために、自分に一体何ができるでしょう。

 

 自分に何ができるだろう。全然わからない。寄付?お金を稼げばいいのだろうか?

 

 ・・・結局、よくわかりませんでした。でも、一つだけハッキリわかったことがありました。「こんな風にモヤモヤ考えているだけでは、何も変わらない」ということです。こんな風に、テレビの前に座って、ただ頭の中でごちゃごちゃと考え、くだをまいているだけでは、何一つ状況を変えられませんし、誰の役に立つこともできません。自分が一体世の中のために何ができるか、どのようなことができるかまだよくわからなくても、少なくとも、ただ座っているだけではダメだ。何かしよう。なんでもいいから行動を起こそう。そう思いました。

 

 一体何をやったらいいのかもわかりませんでしたが、その時パッと思い浮かんだのが、子供の頃から細々と続けていた英語の勉強でした。就職して生活が忙しくなってからパッタリ勉強をしなくなってしまっていたのですが、その時から何かに突き動かされるように、また勉強を始めました。といっても、子育てをしながらなので、ラジオ英会話を聴いてテキストを暗記する程度のことしかできませんでしたが。それでも、「何か行動を起こしている」自分になってからは、今までのように「何もしていない自分」に罪悪感を感じることもなく、進むべき道を進んでいるような、そんな感覚がありました。

 

 そんなことをしているうちに、だんだんと出会うべくして人と出会ったり、良書と巡り合ったり、習い事や講習会の広告が目に入ったりと、自分にとってベストなタイミングで、ベストな情報が入ってくるようになってきました。協力者も現れるようになりました。気功やタロット、アロマ、フラワーエッセンスも、向こうからやってくるような形で出会うことになりました。

 

 ちなみに英語ですが、初めて受けたフラワーエッセンスの講習が、アメリカ人講師でした。通訳もいたのですが、やはりご本人が話される英語で聞いた方が理解が深まりましたし、提出するレポートも英語でした。フラワーエッセンスは英語圏で広がっているものですので、英語が少しでもできることは強みです。そっかー、こういうところに繋がっていたんだな、と今では思います。

 

 とりあえずは今できること、今やるべきことを一歩一歩少しずつでもこなしていけば、必ず道は拓けていくものだし、それこそが自分のやるべきことなんじゃないかと思います。私もまだまだ道半ばですが、これからも頭で考えるよりもまず行動、を心がけていきたいです。

 

 世の中の人みんながそのようにして、それぞれのするべきことを行動していったら、きっと、あのアフリカの少女のような悲しい現実も、なくなっていくのではないかと思います。