第3チャクラ~確固たる自分

 人生の舵を取るための操縦席には、本来自分が座らなければなりません。私が確固たる自己が確立していなかった時には、自分以外の誰かに操縦を任せてしまうことが度々ありました。時々目の前に影響力の強い人が現れると、ついその人に頼ってしまい、判断を委ねたり、その人の考え方・生き方の影響を必要以上に受けてしまったり。そんな時は、「その人」がどう言っているか、どう考えているかということに引っ張られてしまい、「私」がどうしたいのか、「私」は本当はどう感じているのかということを二の次にしていました。

 そのように依存的・支配的な関係性で繋がってしまっている時というのは、エネルギーレベルでも歪んだ関係性が出来上がっています。他人のエネルギーがスライムのように自分のエネルギーフィールドに浸食していたり(サイキックアタック)、もっとひどい時には、コードで繋がって、そこから自分のエネルギーが奪われていることもあります。洗脳されている状態などはこれに当たると思います。

 

 私は長い間、自信たっぷりで弁がたち、カリスマエネルギーがほとばっしているようなタイプの人が苦手でした。そんな人の前に立つと、自分がまるで小さくなってしまったように感じ、何も言えなくなってしまうのでした。そういう人と面と向かった時、その人の第三チャクラ辺りに大きなボルテックスが渦巻いていて、そこに自分のエネルギーが吸い込まれていくような感覚を味わうこともありました。

 第三チャクラが肥大化している人というのは、他人からエネルギーを奪う傾向があります(無意識だったりもします)。私は反対に第三チャクラが閉じているかバランスを崩しやすいタイプだったので、そういう人とエネルギーを奪い奪われる関係性に陥りがちだったのもわかります。

 

 ちなみに、チャクラというのはどれか一つだけがいびつに大きかったり、逆に小さかったりするのはバランスが崩れている状態です。どのチャクラも均一な大きさで、きれいな円を描いているのが理想です。第三チャクラばかりが異常に大きくて、魂レベルがまだ未熟な人間が、エゴに基づいた行動で多くの人を扇動する悪事が、歴史的に繰り返されてきました。私がこれまで出会ったそういうタイプの人も皆、根拠はないのになぜか自信だけがあり、自分の意見や考えが正しいことを疑わず、他人にも同じ考えを持つことを強要するという特徴がありました。けれど同時に、そういう人には根底にコンプレックスが潜んでいることも感じていました。みせかけの自信で、自分を大きく見せる必要があったのだろうと思います。

 その人に本物の自信があれば、他人にどう思われようと、何を言われようと、揺るがないはずです。揺るがないほど確固たるものであれば、他人に自分の意見を強要する必要もないし、自分が強いとか大きいとか正しいとかいうことをわからせようとする意味もありません。そもそも本物の自信とは、自分を支持してくれる人の数が多いからといって得られるものでもないと思います。自分の軸が定まっていること、天と地としっかり繋がっていること、ハートがオープンになっていること。こうした状況が整えば、自分以外の何物にも依存せずとも必要な情報がちゃんと入ってきますし、自ずと道が拓けていきます。

 魂が成熟している人ほど、他人の考えや周りの反応に頓着しないのは、天とのパイプがしっかりと築かれているからだと思います。周りを巻き込んで自分の個人的な影響力を広げることに執着する人は、まだまだエゴの強い影響下にいるといえます。