モーツァルトと「父」

 音楽家モーツァルトを描いた映画『アマデウス』では、成人した後も「父」の幻影と影響力に怯え、父が死んだ後さえもその存在による精神的な支配に苦しむ、一人の人間の姿が描かれていました。

 

 神童であったモーツァルトは、幼い頃、姉と父と三人で旅暮らしの生活を送っていました(母親はずっと家にいたようです)。一か所に長くいることがなかったため、音楽はもちろんのこと、読み書きや算数といった勉強に始まり、その他生活術や処世術などあらゆる教育は、父であるレオポルトが全て引き受けていました。早い段階からモーツァルトが天才であることを見抜いていたレオポルトは、息子を一流の音楽家に育て上げることが自分の天命だと信じ、自身のキャリアや生活を犠牲にしながらも、モーツァルトの教育とプロデュースに全力を注いだのでした。

 

 モーツァルトにとって、長いこと父レオポルトは「神様の次の存在」でした。幼い頃は、父の指示や方針に盲目的に従っていたモーツァルトでしたが、成長していくにつれ、徐々に反抗期が訪れます。恋に落ちた女性との関係を許さなかったり、そりが合わない雇い主との決別を選択した時も、父レオポルトに強く反対されました。そんな父親に対してモーツァルトは次第に抵抗を感じるようになったのでしょう、連絡を取ることが減り、距離を置き始めます。

 

  モーツァルトが生きていた時代、音楽家というものは、今と異なり社会的地位がさほど高いものではありませんでした。宮廷や権力者などに召し抱えられ、その庇護の下で活動するのが一般的で、扱いとしては召使のような立場だったようです。当然、雇い主であるパトロンの希望や命令に背くことは許されず、作曲活動や演奏活動も、制限がつきものでした。

 そんな環境を、モーツァルトは息苦しく感じたのでしょうか。彼は当時としては珍しい、フリーの音楽家という選択をします。ここで感じ取れるのは、モーツァルトが強く”自由”を求めていたということです。幼い頃から支配的な父親の管理下で過ごしてきた彼は、自由を渇望し、何かに縛られている環境を脱したかったのでしょう。

 

 成長してからは、長い事父親と物理的な距離を置いていたモーツァルトでしたが、本当の意味で父親から精神的に自立できていたかどうかはわかりません。映画では、死の直前まで”父”の影に怯え、肉体と精神を消耗させていく姿が描かれていました。

 父レオポルトは、モーツァルトが31歳の年、67歳で亡くなっています。モーツァルトは、幼い頃あれほど密な関係を築いた父親の葬儀に出席せず、墓参りもしなかったといわれています。

 父が死んだ後、35歳で亡くなるまで、モーツァルトは最後の精力的な作曲活動を行います。三大交響曲と称される39番、40番、41番(ジュピター)や、オペラ『魔笛』、クラリネット協奏曲、レクイエムなどは、この時期に作られています。

 

 

 支配的な父親もしくは母親の存在に成人後も影響を受け続け、決別を目指して抵抗を試みた人、抵抗してはみたものの葛藤に苦しんだ人、抵抗しつつもその偉大さに圧倒され劣等感を抱き続けた人、反動で自由奔放に弾けてしまった人、もしくは初めから抵抗を諦め生涯従順な僕として自分を押し殺す道を選んだ人など、歴史的にみてもそんな事例がたくさん目につきます。

 モーツァルトの例は一つとして、他にもマリア・テレジアとマリー・アントワネット、オーストリア大公妃ゾフィーとフランツ・ヨーゼフ、茶々と秀頼、等々。

 

 

 歴史上の人物に限らず、今現在でも、「父」もしくは「母」の幻影に引っ張られたまま人生を生きている人はかなり多いのではないでしょうか。ほとんどは無意識かもしれません。人によって程度の差もあると思います。親からの精神的支配から脱却しようと試みるのであれば、そもそも自分が精神的な支配下にあることを認識できていなければ始まりません。気づくことがスタート地点です。

 ちなみに、親自身がもう既に亡くなっていたとしても、エネルギー的な繋がりは消えずに残りますから、存命しているかいないかは関係ありません。肉親との強いエネルギー的な繋がりは、もちろん必要な時期にはなくてはならないものですが、成長していく過程でうまく切り離していくことが、本当の意味で自由を得、自分の人生を謳歌するためには必要なことでもあるのです。

 自分が厳しく管理された環境下で育ち、絶対的な両親(もしくはどちらかの親)の影響を強く受けたと感じる人は、親の価値観や生き方、様々な物事に対する反応など、多くの思考や信念をそのまま受け継いでいることが多いです。あまりにも当たり前のこととして思考パターンに組み込まれていたりするので、疑うことさえしないかもしれません。

 

 様々な条件付けや、固定化した価値基準、制限されたものの考え方、特定の信念に縛られている状態、こうしたことは皆、柔軟に人生を歩んでいく妨げとなります。人生のどこかの段階で、膠着した信念が邪魔をして、自分の行く手をふさぐことになるかもしれません。もう既に、行き詰っているかもしれません。

 

 親から受け継いだもので、自分にとって今でもプラスになっているなと思われるものは残し、必要ないなと感じるものは、どんどん手放していきましょう。自分の人生にそぐわないものまで継承する必要はないのです。自分の人生は、何物にも邪魔されず、その人が自由に描く権利があります。罪悪感など感じる必要はありません。本当の意味でその人らしく生きることが、結果的に周りも幸せにするのですから。

 人生の流れを変えるには、勇気とエネルギーがいります。まずは、自分の人生を歩むということを強く心に決めること。(ここに至るまでが大変なのですが・・)

 決心したら、後は自然に任せていれば、ちゃんとサポートがやってきます。意思の力が人生を変えていきます。あとは波に乗るように、柔軟にやっていきましょう。