惹かれ合う関係

 昔あんなに気が合って毎日何時間でも一緒にいられたのに、久しぶりに会ってみたら、昔とはなんだか感覚が違っていた。話もなんとなくかみ合わないし、お互いの価値観のズレを感じる。何より、かつてのような響き合うワクワク感が全くない。

 

 こんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか。私たち人間は常に変化し続けている存在です。波動も変化しています。けれど人によってそのスピードはまちまちだったり、変化の種類や大小も異なります。だから、かつては波長がとても合ってビリビリ共鳴し合っていた関係でも、時間がたってお互いの波動が大きく変化した後に会ってみると、かつてと同じような共鳴が感じられないことは当然ありえます。

 

 誰かと大変親しい関係性でいる時や、「離れたくても離れられない」関係性(共依存)の時というのは、お互いの波長が強力に引き合っているものです。時として、それぞれの人間の”傷”を映し合い、”傷”によって引き寄せられている関係性であることもあります。

 似たような”傷”を持つ同士が、説明のつかないような魅力を相手に感じ、お互いその”傷”を投影し合う。友人、恋人、夫婦、家族、時には芸能人やスターのような存在にもその”傷”を見出すことがあります。”傷”によって引き寄せられている時というのは、不思議な安堵感と守られている感覚があり、孤独感が緩和されるので居心地が良く感じるものです。

 

 けれど本当の意味で人が孤独でなくなる時というのは、「誰かがいてくれるから大丈夫」という他者ありきの状態ではなくて、「私は誰かに依存しなくても生きていける」という絶対的な安心感を持てている時です。

 

 依存的な関係性はみせかけの安心感は与えてくれるかもしれませんが、どこか不安定で、それ故に恐れも伴っています。その人がいなくなったら、その人に裏切られたら、1人になったら私は弱い存在になってしまう、そんな不安感が常について回ります。

 

 ある段階で、1人が自分の弱さを乗り越えて、長年持ち続けてきた傷を手放す決心をしたとします。私は弱い人間ではないのだと気づき、意思の力でもって、新しい生き方をしようと心に決めたとします。私には、傷を映し合い、傷をなめ合い、傷を温め合う関係はもう必要ないのだということに気づき、そんな関係を終わりにしたいと感じます。そして、恐れの代わりにやってきた強さと勇気を武器に、新しい生き方に従事し始めます。少しずつ変わっていくその人のエネルギーフィールドが、もう今までのような依存的な関係性を必要としなくなっていきます。それまで惹かれ合っていた人と波長が合わなくなっていきます。一緒にいて違和感を感じるようになり、距離を置きたいと思うようになります。

 

 自分が変わっていくタイミングで相手も変わることは稀です。相手にしてみれば、「なぜこの人は急に素っ気なくなってしまったんだろう」と、戸惑いを覚えるだけかもしれません。何が起こったのかがわからないからです。「私、何も悪いことしていないのに!」と憤りさえ覚えるかもしれません。相手に、自分と別れる心の準備ができていないのであれば、関係を引き留めようと様々な手段を用いてくることもあるでしょう。物や奉仕をチラつかせてきたり、高圧的な態度もしくは感情に訴えて、罪悪感に付け込んでくるかもしれません。自分が弱い存在だと思っている人にとっては、傷を埋め合う関係を失うことは恐怖でしかないのです。

 

 けれど、一度波長が合わなくなった相手と、以前のように共鳴し合うことはもう無理です。別れるタイミングだったのだと、受け入れるしかありません。かつての関係性から、私も相手も何かを学んだはずです。どんなに過去に親しかったからといって、この先も同じような関係性を続けなければいけない義務なんて本来ありません。終わりにしたければ、いつだって終わりにできます。感謝して手放せばいいだけです。名残惜しい気持ちに引っ張られたり、相手に気を遣って偽りの自分を演じ続けていても、苦痛を感じるだけで得るものはありません。相手だって本当は違和感を感じています。無理して会っていても、焦りと苛立ちだけが募っていきます。そんな関係性、誰が得するでしょうか。

 

 

 そもそも、常に変わらない、永遠に続く関係を求めるなんて、『万物は常に変化し続ける』というこの宇宙全体を支配している法則に抗うことでもあり、幻想です。変化を受け入れ、変化に柔軟に対応できる自分になった方が、よほど宇宙に調和して生きていけるので楽です。