ミュージカル

 小学生の頃、初めて福島から上京して家族とミュージカルを観に行って以来、ミュージカルは私の心のエネルギー源となっています。学生時代や独身の若い頃はお金もなかったのに、よくもあんなにたくさん観劇に行けたなあと思うくらい、足繁く劇場に通っていました。少しでもお金があったらチケットを買っていたので、毎月ギリギリの生活をしていました。それでも心は満足でした。

 人気の作品は何度も再演されるので、同じ作品を別のキャストで繰り返し観たりもします。良い作品は何度観ても感動しますし、演者によって表現の仕方が異なるので、その違いを感じるのもまた楽しいです。また、年月を経て私自身の内面が変わっていったことにより、同じ作品でも昔と違った視点で眺めている自分に気づいたりもします。

 

 若い頃とてもとても大好きで、観る度に深く感動していた、とある有名作品があります。主人公は、純粋でひたむきな心の持ち主の女性。愛する男性のために身を捧げ、子供も宿しますが、社会的な事情から恋人と引き裂かれてしまいます。会うことが叶わなかった何年もの間、女性はいつか恋人と再会できることを夢見て忠実に待ち続けます。ところが、男性側は途中であきらめてしまい、別の女性と結ばれてしまうのです。主人公がその事実を知り、自分の想いがもはや叶わないことを知った時、絶望して自ら命を絶ってしまいます。

 

 10~20代の頃の私は、主人公の熱いパッションに共感し、純粋でひたむきな思いに心を打たれて毎回涙して観ていました。自分の命をかけてまで愛を貫くって美しい、などと感じていました。

 

 数年前、久しぶりにその作品が上演されることになり、私はチケットを購入しました。またあの感動を味わえる、とワクワク楽しみにしていました。

 ところが、いざ観劇してみると、以前とは感じ方が全く異なっている自分がいました。若かりし頃のように心が動かされていないことに、少なからずショックを受けました。私は鈍感になってしまったのだろうか・・

 主人公がひたむきに1人の男性を愛し、引き離されている間も諦めることなく、熱い情熱を保ち続ける姿に、かつての私は胸を打たれていました。けれどその時の私はふと、

 

――――― あれ、これって、”執着”なんじゃないのかな ―――――――

 

 と思ってしまったのです。現実を受け入れられず、1人の異性に固執し、周りを見ず、更に更に自らの命まで絶ってしまうとは。他にも男性は星の数ほどいるわけだし、1人の人にこだわる必要はないし、もっと広い視野で人生を眺めれば、一度思うようにいかなかったからといってそこでリセットすることもないのでは・・しかも子供もいるのに。現実を見るべきなのではないだろうか。本当の愛って、相手を思いやることではないだろうか。そして人生の流れを受け入れてそれに身を任せることではないだろうか。子供と相手のことを本当に思うなら、自分は潔く身を引いて、その先の人生を前向きに生きればいいんじゃないだろうか。それを拒んで人生を終わりにしようだなんて、自分中心の欲に負けたっていうことじゃないだろうか。

 観ている間にモヤモヤとそんなことを思ってしまっていました。そんな冷めた視点で眺めてしまっている自分が、なんだかすごく年をとってしまったかのように感じました。

 

 同じように、その後間もなく娘と一緒に観に行った「ロミオとジュリエット」も、悲劇の展開にハラハラと涙する娘の隣でやはり、

 

―――――ー あれ、これも”執着”なんじゃないのかな ―――――――

 

 と引いて観てしまった自分がいて愕然としました。恋愛って一見美しいけど、実の所執着なんじゃないか・・周りが見えなくなって盲目になり、1人の人に異常にこだわることは執着というのではないか。恋愛に夢中になっている人って、浮足立って地に足がついていない、冷静さを欠いた視野狭窄状態なんだな・・そんな風に思ってしまいました。もはや、恋愛ものや悲劇を純粋に感動できないのだろうか。私はもう感動する心をなくしてしまったのだろうか、とかなり焦りました。

 

 

 その時から数年経った今、よくあるラブストーリーなどを、それはそれでエンターテイメントとして受け入れられるようになってきたので、ちょっと安心しています。一周回って純粋に楽しめるようになってきた感じです。一度ものすごく冷めた視点で眺めた後、それを普通に楽しもうというゆとりが生まれたような気がします。人間なんだから、この世で生きているんだから、ドラマがあっていい。

 

 ミュージカルを観た後の自分が、若い頃と違うことがもう1つあります。それは、舞台のエネルギーに圧倒され、その波にしばらく飲まれた生活を送ることがなくなったことです。観劇の後、フワフワと別の世界に漂って現実生活にうまく対処できなくなるようなことはなくなり、きちんと地に足の着いた状態に切り替えることができています。

 年をとったせいなのか、自分がエネルギースポンジになることをやめたからなのか、もしくはその両方なのかもしれません。