寄り道は近道

 上野の国立科学博物館で開催されている『大恐竜展~ゴビ砂漠の脅威』を見に行ってきました。大変な混雑ぶりで、恐竜の骨が入ったショーケースはまともに見ることができないくらいでしたので、主に壁に展示されている説明用のパネルを見て回っていました。

 それによると、ゴビ砂漠で最初に恐竜の骨を発掘したのは、アメリカ人の「ロイ・チャップマン・アンドリュース(1884年1月26~1960年3月11日)」という探検家で、彼はインディ・ジョーンズのモデルにもなった人物なのだそうです。

 興味深かったのは、アンドリュース隊が後に有名になる発掘現場を見つけたのは、ゴビ砂漠から北京へ帰る途中のことで、道に迷った時に偶然巡り合ったのだそうです。この際、「道に迷った」という事象は一見ネガティブなことのように思われますが、結果として大きな発見に結び付いたのですから、本当の意味ではポジティブな出来事だったと言えます。

 

 こうしたことは、日常でもよく起こることだなあと感じました。私は自他共に認める大変な方向音痴なのですが、実はこの方向音痴のおかげで、今までたくさんの「偶然による発見」に出会っています。近所を自転車で走っていても、本当にしょっちゅう、「あれ、ここどこだろう」という状況に陥るのですが、たいていそんな時は直観を頼りに思うがまま動くことにしています。そうすると、今まで気づかなかった新しいお店ができていたり、自分が参考にしたいような素敵な玄関のディスプレイをされているお家を見つけたり、気持ちが癒されるような美しいお庭を見ることができたり・・

 最短経路で一番効率的なルートばかりを通っていたら、このような出会いはなかったわけですから、方向音痴も悪くないな、と思います。

 

 数年前の出来事ですが、今より幼かった子ども2人を連れて、ある場所から駅まで行かなければならないことがありました。大人の足でも歩いて15分はかかる距離だったので、私はバスを使うか、タクシーを呼ぼうと思っていました。ところが、普段歩きたがらない子ども達がその時に限って、なぜか「お母さん、歩こうよ」と言うのです。しかも、「こっち!こっちの道を行こうよ!」と道まで指定してくるのです。その道は、駅までの道としては遠回りの方向でしたので、「え、こっちに行くと駅が遠くなっちゃうよ」と言うと、「いいの、いいの!こっちこっち」と子ども達は2人そろって、なぜかニコニコしながら言いました。私の手を引っ張りながら、こっちに行くの一点張りです。子どもがここまで言うなんて、きっと何かあるに違いないと思って私は歩くことにしました。

 行く道中、すぐに抱っこをせがむ下の息子もとても楽しそうに、コロコロ笑いながら歩いていました。しばらく行くと、小さな教会の前を通りました。その教会の前には掲示板があって、聖書からの古い言葉が書かれていました。そこには、こうありました。

 

『人が愛し合うのは、神が人を愛するがためである』

 

 しばらくその場にたたずんで、これはどういう意味なんだろう、と考え込んでしまいました。子ども達もおとなしくしています。ああ、この言葉を伝えたかったのだな、と思いました。

 今でもこの言葉の意味が完全に理解できているわけではありませんが、ずっと心の奥に刻み込まれています。この言葉との出会いから、人智を超えた深い愛というものが存在するものなのだな、という感覚を抱くようになったように思います。

 

 自分が本当に求めているものというのは、こちらから探しに行くよりも、向こうからやってくるのを待つ方が、案外簡単に見つかるものなのかもしれません。