☆ブログ移転のお知らせ☆

 サロンうぶすなのブログに遊びに来て下さり、ありがとうございますm(__)m


今後、ブログはこちらのサイトに書くことにしました↓

http://ameblo.jp/salon-ubusuna/


もしよろしければ、これからもお時間ある時にでも遊びに来て頂けたら嬉しいです。

皆様からの暖かい励ましとメッセージが、いつも何よりも嬉しいです。


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アロマの精油で楽しくお掃除

 最近、アロマセラピーの人気がますます高まってきているようで、店頭でも数々のアロマグッズが並んでいるのをよく見かけます。

 「アロマ」と表記されているものでも、よく見ると天然の精油ではなく、化学合成された成分で香りづけされているものもありますので、商品の裏ラベルはチェックするようにしています。


 一般的に、化学合成成分が多いものは値段が安く(大量生産できるため)、天然成分の分量が多ければ多いほど、お値段も張ります。「天然100%精油(エッセンシャルオイル)入り」と書かれているものは、洗剤1つをとっても1000円近かったりと、かなりお高めの印象です。日用品でこれだけのお値段だと、なかなかリピート買いするのも難しいかと思います。そこで私は、無香料・(化学合成成分)無添加の洗剤と精油を別々に買い、自分でミックスするという方法をとっています。植物性成分のみで作られている無香料無添加系の洗剤は、近くのドラッグストア等で手に入ります(お安いもので十分です)。天然100%の精油は、良質なものを安価で販売している良心的なネットショップがいくつかありますので、そちらで購入しています。

 精油には、抗菌・殺菌効果の高いものがいくつもあり、化学合成洗剤と違って人体に悪影響がありませんので、小さなお子さんがいるご家庭や、化学物質に敏感な方にとてもお勧めです。また、油を分解する能力が高く洗剤に向いている柑橘系の精油は、フラワリー系の精油と比べて値段もお安いものが多いです(15mlでも数百円程度で購入可能)。いくつか家庭に常備してあると、様々な用途に使えてとても便利です。


 ☆洗剤に入れるのにお勧めの精油をいくつか挙げておきます☆


♡レモン

 浄化し、菌を殺す効果が高い。ジフテリアの菌も20分で殺してしまうほど。また香りは爽快でリフレッシュ効果があり、生命エネルギーを高めてくれる。トイレや除菌をしたい場所のお掃除にお勧め。


♡スウィートオレンジ

 殺菌、消臭効果がある。オレンジ精油に入っているリモネンという成分は、油を分解し、汚れを落としやすくするという効果がある。発砲スチロールを溶かす程の分解力がある。キッチンの油汚れや、浴室のお掃除に向いている。


♡グレープフルーツ

 オレンジ同様、油汚れに強い。抗菌、抗ウイルス、消臭効果。スプレーにして体臭予防のデオドラントスプレーとしても使うのもお勧め。また香りには、気分が落ち込んでいたりイライラしている時、気持ちを静めて緊張を解きほぐしてくれる作用がある。


♡ラベンダー

 これ一本あるだけでかなり重宝する万能精油。抗菌、抗ウイルス、抗真菌効果があり、カビ防止にも使える。かつて医療用に用いられた程、殺菌や消毒効果に優れているが、未希釈のまま使っても問題はない程安全で、子供にも安心して使える。また香りには、高ぶった神経をなだめると同時に、鬱症状を和らげるという効果もある。


♡ティートゥリー

 殺菌効果が高く、カビ対策にも絶大な効果を発揮する。拭き掃除に使えば、カビ防止・ダニ予防に。抗感染作用にも優れ、風邪やインフルエンザ予防としても役立つ。ラベンダーと並んで家庭に常備してあると大変便利。


♡ユーカリ

 殺菌・洗浄力に優れている。洗濯の際に洗濯機の中に数滴垂らすと汚れが落ちやすくなり、生乾きの嫌な臭いを抑えてくれる。消臭効果もあり、掃除用として使えば空気までも爽やかに洗浄してくれる。また防虫効果にも優れ、蚊よけスプレーとして用いても効果は大。


ペパーミント 

 強い殺菌作用と抗真菌作用がある。O157殺菌にも有効であることが確認されているほど。消毒薬しても役立ち、キッチンやまな板、排水口等の消毒・抗菌にも使える。害虫予防にもなるので、拭き掃除をするとゴキブリなどが寄り付かないと言われている。



 以上、比較的安価で手に入りやすい精油をいくつかご紹介しました。これらの精油をいくつか組み合わせて使うと、相乗効果が得られますので、お好きにブレンドしてみてください。分量の目安は、洗剤10mlに対して精油2滴です。400mlの洗剤であれば、80滴程入れるようにしています。

 精油入りの植物性洗剤でお掃除をすれば、マスクを着用する必要はありませんし、それどころか芳香浴も一緒にできてしまうので、気分もスッキリ、楽しくお掃除ができます。洗い上がりも、化学成分の洗剤で洗った時とは異なる空気の清涼感があります。


 私は、精油を洗剤に入れて使うだけでなく、無香料天然系シャンプーやボディーソープ、ハンドソープ等にも入れています。殺菌・抗菌効果だけでなく、リフレッシュ効果も得られるので、家族にも好評です(^^)

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プチ鬱かな?と感じた時に飲むフラワーエッセンス

 やりたいこと、やらなければいけないことがあるのに、なかなか体が動かなかったり、家に閉じこもりがちになってしまう時。「あの時、もしかしたら私はプチ鬱状態だったのかな?」と気づくのは、大抵その状態から抜け出してしばらく時間が経ってからです。

 

 不思議なことに、人は一番助けを必要としている時程、助けを求めないという傾向があるようです。サロンにいらっしゃったり、お電話をくださるお客様も、「一番つらい時期は終わりました」というタイミングで連絡を頂くことが多いです。本当は、フラワーエッセンスも、一番辛い時にこそよく効いてくれるものなのですが・・・苦しみのどん底にいる時というのは、外に助けを求めることすら難しいのかもしれません。


 私にもそういった経験があるので、何となくわかります。とても動揺が激しい時、バッチの”レスキュー”は心を静める特効薬として本当に素晴らしい効果を発揮してくれるのですが、今まで何度か、「あ、あの時使えばよかった!」と終わった後に気づいたことがあります。ショックなことが起こったり激しく驚いたりして、心臓がバクバクいっているような状態の時は、その激しい感情の波に飲まれてしまって、すぐそばにあるエッセンスに手を伸ばす心のゆとりがないものなのです。



 この時期は、寒くてつい家に閉じこもりがちになるので、プチ鬱(もしくは本格的な鬱)になりやすいそうです。「冬季鬱」と呼ばれています。

 フラワーエッセンスには、暗くふさいだ気持ちを明るく切り替えてくれるものがいろいろありますので、その中からいくつか選んでご紹介します。



♡ホーンビーム(バッチ)

 心が疲れたように感じ、やらなければいけないことがあるのに、なかなか重い腰が上がらない時。やるべきことをつい後回しにしてしまい、取り掛かることができません。→優先順位をたてて物事に取り掛かることができるように。フットワークも軽くなり、今まで先延ばしにしていたことにも気持ちよく着手できます。


♡マスタード(バッチ)

 理由もないのに気持ちが暗く沈み、落ち込んだり、悲観的になって動くことすら億劫に感じられるような時。→霧が晴れたように明るい気分を取り戻し、モヤモヤと暗くのしかかっていた心の重みが取り払われます。心に太陽の日差しが差し込んだような、ポジティブな明るさがやってきます。


♡ワイルドローズ(バッチ)

 物事をこれ以上良くしようとも思わず、良くなるであろうという前向きな展望さえ描けないような、無気力状態の時に。→魂に希望の光が宿り、人生に情熱とやる気を取り戻します。空の巣症候群や、退職後などの空虚な心に再び火を灯してくれます。


♡オリーブ(バッチ)

 心も体も疲弊し、エネルギーが枯渇してしまったような時に。どうしようもないくらいの疲労感で、体を動かすことすらできないように感じられる時。→魂の底からエネルギーが湧いてくるような感覚で、力の源泉からパワーをもらうことができます。どんなに疲労している時でも、不思議と動けるようになります。


♡インディアンペイントブラシ(パワーオブフラワー)

 主に創作活動や、クリエイティブな活動をする人に。創造力がなくなってしまったかのように感じられる時、再びエネルギッシュに創作活動に取り掛かれるように、創造性を花開かせてくれます。閉じてしまったエネルギーの回路を開き、刺激を与えてくれます。


♡セントジョンズワート(FES)

 傷つきやすく、繊細な人に。心がもろく、エネルギーに敏感な為によく落ち込んだり、ふさぎ込んだりしてしまうような場合、このエッセンスが大きな助けとなってくれます。心に灯が宿り、常に希望の光を持ってそれを拠り所として過ごしていけるように。


♡Rejuvenation(アンジェリック)

 蘇り。緊張を和らげ、深いところから私達を蘇らせてくれます。強いストレスを感じ、休息を必要としている人に。ピュアでパワフルな新しいエネルギーが湧きだし、平安、リラックス、明晰さをもたらします。若返りに。肉体レベルの癒しをもたらす、解り易いエッセンスです。このエッセンスを飲んでリューマチが治ったという方の話を、創設者のルースさんが話してくれました。



 我が家に常備してある「やる気が出ない時」ブレンドにも、この中の数種類が入っています。何となく体が重いなと感じる時や、沈んだ気分になりがちな時にこのブレンドを飲むと、急にシャキッとして体が軽くなり、スパスパと動けるようになります。物事を楽観的に捉えることができるようになり、不安よりも希望や明るい未来に視野を向けられるようになります。そして、しばらく前の気持ちがふさいだ状態を思い返し、「ああ、私は恐れに飲まれていたんだな」といったように、冷静に捉えることができるのです。

 前向きな気持ちは、前向きな未来へとつなげていってくれます。

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変革期に生きる私達

 数年程前から、私達の住む社会が大きく変化してきていることは、多くの方もお気づきかと思います。今まで闇に埋もれていた不正が日の元に晒され、世間の厳しい追及を受ける状況に陥っている人や団体、企業などが次々と現れています。私達の集合意識がネガティブからポジティブに傾いてきているため、世の中に放出されるエネルギーの質が変わり、今まで水面下に隠れていた”闇”の部分があぶり出されて、表面化してきているのです。

 旧態依然とした古い因習を打ち砕く人々が増え、今までの生き方を見直して自分らしさを取り戻したり、勇気をもって真実を発言したり、やりたかったことに思い切ってチャレンジしたり、「ワクワク」を体現している姿も多く見かけるようになりました。


 ネガティブエネルギーは収縮する性質があるのに対し、ポジティブエネルギーというのは、拡大していく性質があります。ですので、これからますますネガティブエネルギーを凌駕して、世の中にポジティブエネルギーがどんどん広がっていくだろうと思います。このような時期には、社会を揺るがすような事件や天災、異常気象といった現象が起こりやすくなりますが、これらは皆私達の意識の変革を投影して起きているものです。世の中を軌道修正するために、膿み出しが行われているのです。


 ポジティブエネルギーによる”闇”の部分のあぶり出しは、社会全体だけでなく私達一人一人にも影響していることです。これまで自分に嘘をついて生きてきた人には、もっと自分に素直になるようにと「気づき」を与えるような出来事が、何かしらの形で身に降りかかってきていると思います。体の痛みや心の痛み、病気、怪我、事故、身内のトラブル、別れ、喪失、といった出来事の多くは、その人に生き方や信念を変えるようにというメッセージとして起こっています。お子さんがいらっしゃる方は、お子さんの状態にそれが現れていることもあります。子供は、身を犠牲にして親に大切なレッスンを教えてくれることがあるのです。


 もうすぐ2014年が終わりますが、2015年以降、エネルギーの波はますます大きくなり、私達の意識を揺るがしていくでしょう。古いパターンにしがみつこうとする人と、意識の変革に立ち向かおうとする人と、二極化が進んでいくかもしれません。

 年運数でいうと、2014年は「7」の年でした。「7」とは、『内面を見つめる』という数字です。多くの方が、自分の中を内観して、生き方を見直したり必要のないものを手放したり、心のお掃除をしたようです。映画『アナと雪の女王』の挿入歌"Let it Go(ありのままで)"があそこまでヒットしたのも、「自分の足かせとなっているものは手放し、あるがままの自分の姿で生きよう」という人々の潜在意識の叫びが、歌に共鳴したからではないでしょうか。


 2015年の年運数は「8」。『それまでの積み重ねが現象として表れる』年です。「1」でスタートした1つの周期が、いよいよ集大成を迎えます。私達の想念が形作っているこの世の中。どのような世界を造っていくのか、望むにしろ望まないにしろ、私達一人一人が関係しています。

 幸い、自分らしく生きようと決意した人は、様々な所からサポートが受けやすい環境が整ってきています。より自分らしい生き方を望むのであれば、とにかく瞑想をして一度頭のおしゃべりから解放され、ご自身の心の内と向き合ってみてください。きっと、何かしらのヒントや答えがやってくるはずです。

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ポジティブな波動、ネガティブな波動

 この世に存在するあらゆる物質(生き物、静物問わず)は特定の波動を帯びています。私達人間もその例外ではなく、生まれた時からずっとその人特有の波動を発してきましたし、今現在も発し続けています。

 

  人が出す波動というのは、刻一刻と変化しています。例えば、何かネガティブな感情を抱いている時は波動が下がり、反対にポジティブな感情で満たされている時は、波動が高まっています。

 私達が出す波動が最も高まる時というのは、その人が「本来のその人らしく輝いている時」です。それはどういう時かというと、私達が心の底から「ワクワク」「ウキウキ」「楽しい!」を感じている時です。

 このような状態でいる時、人は最も波動が高まりますので、自分にとって望ましい出来事や人、チャンス、情報、物、環境を引き寄せます。そうすることによって更に人生がポジティブに変化していき、また波動が高まる・・という好循環が生まれます。


 自分が今どのような波動を出しているのかということを知る1つの手段として、最近自分の元にやってくる人達を分析してみる、という方法があります。大抵、自分の波動が落ちている時というのは、自分にとってあまり望ましくない人を呼び寄せてしまうものです。類は友を呼ぶの法則で、自分が発しているエネルギーと似たようなエネルギーを持つ人が、自然と引きつけられてくるのです。逆に日々ポジティブに過ごし、心が平穏な状態でいる時というのは、一緒にいて楽しく、心穏やかでいられるような人々がやってきます。たとえ一緒にいて不快に思うような人が近づいてきたとしても、すぐに去っていきます。波長があまりにも合わない者同士は、ずっと一緒にいられないのです。

 

  大好きな歌手のコンサートに行く時、仲の良い友達との集いに行く時、楽しみにしていた映画を観に行く時など、心は浮き浮きと盛り上がり、自然とテンションが上がります。そんな時、ずっとなくしたと思っていた物が見つかったり、街を歩いていたら自分が求めていた情報が載った看板がパッと目に入ってきたり、素敵なお店の前を偶然通りかかったり、芸能人(波動が高い人が多い)とばったり出会ったり、とこうした”ラッキー”な出来事が向こうからやってきた、という経験はないでしょうか。

  うきうきワクワクしている時、人は高い波動を発しているので、その波動に引き寄せられて更に「うきうきワクワク」させてくれるような出来事がやってくるのです。


 ですので、もし人生を好転させて自分にとって望ましい状況にしたかったら、とにかく「うきうき」「ワクワク」「楽しい!」と感じる時間を長くすることです。今自分が置かれている状況がそれとは程遠いように感じる場合でも、その中でもできる限りの「うきうき」「ワクワク」「楽しい!」を見つけてください。仕事の合間に気の合う仲間と楽しい話題で盛り上がる、好きなお茶を入れてホッと一息入れる、憧れの俳優が出ているドラマを見てときめく、やりたかった習い事を思い切って始めてみる、美術館に行って波動の高い作品に触れる、お気に入りの音楽を聴く、etc...いくらでも、工夫次第で日々の生活に「楽しみ」を取り入れられると思います。

 一日のうちたとえわずかでも、ポジティブな状態でいられる時間を作るようにすれば、それが次のポジティブへと繋がっていき、次第にポジティブでいられる時間が長くなっていくでしょう。


 毎日やりたくないことを嫌々やり続けていると、いつの間にかそれが自然な事のように思えてきて、そこに安住しようとする心の声(自我)を聞いてしまうことがあります。けれど本当の心の声(真我)は、それを望んではいないはずなのです。そのシグナルが、「楽しくない」「つまらない」「辛い」といったネガティブな感情です。人が本来の生き生きした輝きを放っている時には、決してこのような感情が湧いてきません。

 世の中では、まだまだ「お楽しみ」を味わうことが特別なことであるかのようにとられることが多く、自分が本当に楽しいと思えることを目いっぱい楽しむことに罪悪感を感じたり、そのように生きている人が非難の目を向けられることすらあります。けれど、人が本来あるべき姿は、「人生を苦しむ」生き方ではなく、「人生を楽しむ」生き方なのではないかなと思います。

 今、そのように生きると決意した人が、良い流れに乗って望む方向に軌道修正していけるようなエネルギーが、私達の元にたくさん流れ込んできています。人生をポジティブに変える大きなチャンスがやってきているのです。チャンスの波に乗るか今まで通り停滞した人生を送るのか、自分で決定する選択権が私達に与えられています。 

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挨拶の魔法

 挨拶には、魔を祓う力があるといいます。


「おはようございます」

「こんにちは」

「こんばんは」

「さようなら」


といった挨拶は、元々『本日はお早いうちからお疲れ様でございます』『今日(こんにち)は良い日でございますね』『今晩は良い夜でございますね』『左様であれば私はこれにて失礼させて頂きます』

といった意味合いが込められているそうです。


 つまり、これらの言葉は相手を気遣い、思いやりの気持ちを伝えるための言葉であるわけです。ポジティブな意味合いを持つ言葉の波動は高く、言霊(エネルギー)となって相手の波動領域に浸透していきます。そんなわけで、挨拶の言葉を相手にかけるということは、相手のエネルギーを高めることになり、その結果魔を祓う(=低いエネルギーを排除する)といった効果があるのだろうと思います。


 先日、子供が通っている小学校のPTAの当番で、朝校門の前に立ち、登校してくる子ども達に「おはよう」と声をかけるという機会がありました。次々とやってくる子ども達一人一人に、できるだけ顔を見ながら笑顔で「おはよう」と声をかけていました。本当に次から次へとやって来るので、ひたすら「おはよう」の連続で息継ぎをする間もないほどです。最後の1人が登校し終わった頃には、声もかれそうでした。


 ほんの15分足らずの間に何百回と「おはよう」を唱えたわけですが、私は「おはよう」を言いながら、自分のエネルギーがどんどん高まっていくのがわかりました。自分が発した言葉のエネルギーは、何倍にもなって返ってくるものなので、ポジティブな言霊を連続して唱えたことによって、私自身の波動も高まったようです。その日は睡眠不足気味で少々疲れていたのですが、挨拶当番が終わった頃にはすっかり元気になり、その日一日エネルギーに満たされた状態で過ごすことができました。


 挨拶は、言われた方も何となくスッキリと良い気分になるものですが、言う方はもしかしたらもっと多くのパワーを得るものなのではないかと思います。いつも多くの人に挨拶をしている方は、はつらつとしていてとてもエネルギッシュです。相手のためを想って、相手のためにかける言葉は、自分自身をも元気にしてくれるものなのだなあと思いました。

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親の望みと子供の習い事

 あるお母さんと話をしていた時のこと。幼稚園に通う娘さんが、今習っているバレエをやめたいと言いだした、と話してくれました。なんでも、バレエではなくサッカーがやりたいのだそうです。そのお母さんは、娘さんにはどうしてもバレエを続けさせたいので、何度も「やめたい」と訴えてくる娘さんの強い気持ちとの間で葛藤されているようでした。

「どうしてサッカーではダメなの?」と聞くと、

「だって女の子だし、サッカーなんて・・。バレエは姿勢も良くなるし、私も本当はやりたかったの

とおっしゃいました。


 それを聞いて私は、自分にも似たような経験があるなあ、と昔を思い出しました。実は私も、娘が小さい頃少しだけバレエを習わせていたことがあったのです。習わせた動機は、そのお母さんと同じで『姿勢が良くなりそう』とか『女の子らしさが身につきそう』いったものでした。

 幼い娘は何の疑問を抱くこともなく、言われるがまま教室に通っていました。しかし1年くらい経った辺りで、私は何となく、「娘は心から楽しんでバレエをやっているわけではなさそうだ」ということに気がつきました。本当にバレエが大好きで、自分から望んで通っている子供を見ていると、表情が生き生きとしていてはじけるような楽しさが伝わってくるのです(そしてそういうお子さんは上達も大変早い)。けれど、娘にはそれが感じられませんでした。私は次第に、バレエ教室に通うことに対して何かモヤモヤした思いを抱くようになりました。このモヤモヤは何だろう。何かが違うと言っている。それを知りたいと思った時、私はハッと気づきました。


 私が娘にバレエを習わせたかった本当の理由は、『自分が子供の頃本当はバレエを習いたかったのに、習わせてもらえなかった』という、心の奥底にあった不満であったことに。


 ちょうどその頃、娘はある別の習い事に興味を示していました。私は試しに娘に聞いてみました。

 「バレエか〇〇を選ぶとしたら、どっちがやりたい?」

娘は、即答で「〇〇!」とその習い事の名前を挙げました。その明確な答えを聞いて、私は心が決まりました。子供に、自分の望みを投影させてはいけないと。バレエをやめて、その新しい習い事をさせることに決めたら、ずっとモヤモヤしていた心のつかえがスーッと消えてなくなるのがわかりました。

 娘は今、いくつかの習い事をしていますが、どれも皆自分から「習いたい」と言ってきたものです。本当にやりたくてやっていることなので、生き生きと楽しそうに通っています。私だったら絶対にやりたいと思わなかったであろう習い事にも通っていますが、私と娘は違うので、そんなこともあって当然なのかもしれません。


 子供は素直なので、お父さんやお母さんが「やりなさい」と言ったことは、たとえやりたくないことであっても、文句も言わずにやることがあります。だからこそ、本当にその子が望んでいることなのか、それとも親である自分の満たされていない部分を穴埋めさせるために、子供にそれをさせようとしているのか、見極めなければいけないと思っています。かつての自分もそうでしたが、今周囲を見回してみても、親の思いが先立って、子供がやりたくもないことを無理やりさせられている構図をよく見かけます。そんな姿を見ると、私は胸が痛くなります。親のために犠牲になる子供が、できるだけ少なくなればいいなと願っています。


 バレエ教室の体験は、私に大きな教訓を与えてくれました。たとえ反省すべき体験だったとしても、何かしら意味があり、そこから学ぶことがあるから起こったことなのだろうとポジティブにとらえています。ちなみに、そのバレエ教室で知り合ったあるお母さんが教えてくれたおかげで、私は気功治療の存在を知ることになりました。そしてそこからエネルギーワークや波動療法の世界へと広がっていき、今の私に至っています。ですので、やはり自分の身に起こっていることは何一つ無駄なことはなく、全てが繋がっているのだなと思います。

ポジティブな感情がもたらすもの

 今まで主にネガティブな感情に焦点を当ててみてきましたが、では「楽しい」「幸せ」「ワクワクする」といったポジティブな感情は、私達に何を教えてくれるのでしょうか。


 例えば、あなたが憧れている人や、見ているだけで元気がもらえるような人(芸能人でも知っている人でも誰でも構いません)を思い浮かべてみてください。

 あなたがその人を見てそのように感じるということは、その人は、あなたが最もあなたらしく輝いている時の姿を体現しているということです。自分の中にも実はその人と同じような要素があって、もしかしたらそれはまだ眠っている状態かもしれませんが、今か今かと花が開くのを待っています。

 誰かを見て魅力的に感じるということは、『そのようになりたい』という魂の望みがあるからです。そして、魂がそのように望んでいる姿こそが、あなたが最もなりたい自分であり、あなたが最も自然体でいる時の姿なのです。

 自分が、憧れのあの人のような姿になったら、と考えただけでワクワクしてきませんか。

 いつでもそのようになれることを、あなたは本当は知っているはずです。



 また、何かをしている時に、「楽しい!」「嬉しい!」「幸せ!」というハッピーな感情が湧き起ってきたら、それはあなたが望ましい方向に進んでいますよ、と魂がメッセージを送ってきているということです。本来、あなたはこのようなポジティブな感情を抱きながら人生を送ることを望んでいます。人はハッピーな気持ちで過ごしている時、生きている感覚を最もリアルに味わうことができます。そしてそのように生きることが、本来の目的だったはずです。

 本当は他にやりたいことがあるのに我慢をしていたり、「~のためだからしょうがない」と無理やり自分を納得させようとしたり、自分にはその価値がないと思い込んでいたり、何らかの理由をつけて本来の自分らしく生きていない時、人は生きている感覚から遠ざかり、喜びの少ない人生を送ることになります。

 「楽しい」「嬉しい」「幸せ」といったポジティブな感情は、喜びに満ちた人生を送るための道しるべです。あなたが最もあなたらしさを発揮して、生まれてきた目的を果たしながら、周囲にも幸せをもたらす道を歩んでいる時、あなたは心からの喜びに包まれて、「生きていてよかった」と感じるでしょう。ワクワクする”感じ”は、そのような道を進んでいく時の指標になります。「こっちでいいんだよ」と魂が教えてくれているのです。その時その時で自分が最もワクワクする選択をし、喜びを感じる道をたどっていけば、あなた本来の目的に沿った人生へと繋がっていくことでしょう。ワクワクが感じられない状態をキープしたまま本当の幸せを感じることは、決してありません。


 ポジティブな感情は、自分を肯定している時に湧き起るものです。その反対が、恐れや罪悪感といった負の感情です。自分の中の負の感情をできるだけなくしていき、心の中がポジティブな状態に切り替わっていけばいくほど、あなたの波動は上がり、周囲に散らばっているポジティブな事象を引き寄せることになります。


 今現在、あなたの周りにはポジティブな出来事もネガティブな出来事も、両方転がっています。自分の波動がどちらかを引き寄せるのです。あなたが喜びに満たされて過ごしていれば、高い波動が放出され、たとえネガティブまみれの環境に身を置いていたとしても、あなたの元には決して”悪い”出来事はやってきません。逆に同じものは引き寄せ合うという物理の法則が働いて、望ましい事象が必ずどこかからやってきます。一見そのように見えないからといって、決してあきらめないでください。宇宙は私達が頭で考えられるような範疇をはるかに超えた可能性で溢れているのです。

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自分を認めて他人を許す

 自分も含め、あらゆる人々をあるがままの姿で受け入れられていれば、どんな人が目の前に現れようと、腹が立ったりイライラすることはありません。この「自分も含め」という部分がポイントで、自分で自分を認められていない間は、いくら他人を受け入れようと努力してもまず難しいと思います。

 なぜなら自分で自分を許せない部分があると、必ずそれを他者に投影させて見るようになり、その投影を見ることで、怒りやいらだちといったストレスを感じるようになるからです。自分の内面にある許しがたい側面を、他人という姿に映し出して見ているわけです。そうした投影は、その許しがたい側面を自分が認めて受け入れることでしか終わらせることはできません。

 

 ですので、もしあらゆる人をあるがままに受け入れられるようになりたければ、相手を見るより自分の内面に向き合うことを優先させた方が断然近道です。


 私は何を手放したがっているのだろう。

 どのような思い込みが、本当の私らしさから遠ざけているのだろう。

 私を縛っている信念はなんだろう。

 何がなくなれば、私が私らしく伸び伸びと生きられるだろう。


 こうしたことを、一つ一つ解きほぐしていきます。特にどのような時に自分はストレスを感じやすいか、そしてどのようなタイプの人を見た時に最もネガティブな感情が湧き起るのか、そういったことを手掛かりに考えると、自分の中にある信念が浮かび上がってくると思います。


 わがままで、常に相手を思い通りにさせようとする人を見るとイライラするのであれば、自分にも周囲をコントロールしようとする部分があるのかもしれません。そして、そのようにコントロールしようとする生き方を本当は窮屈に感じており、もうそこを手放したいと心の奥底では望んでいるのかもしれません。

 自分が心から楽しいと感じることを仕事にして生き生きと輝いている人を見ると、嫉妬心を感じてしまうという場合は、自分も本当はそのように生きたいのだけれど、そうした願望を押し殺そうとする縛りがどこかにあるのかもしれません。自分らしく生きることを阻害する縛りを自らが生み出しているために、”どうせ自分にはできない””自分には無理だ”といった思いを抱くようになり、ますます願望から遠ざかる状況を造り出すことになります。あの人にはできて、自分にはできないという思いが強ければ強い程、「できて」いる人を見た時に虚しさや羨望・嫉妬を感じやすくなります。

 自分よりも物質的に恵まれた暮らしをしている人を見るといらだちが起こるのであれば、もうそのような物質的な豊かさにとらわれない生き方をしたいと、本当は望んでいるのかもしれません。物質的な豊かさをいくら追求しても、それだけで本当の心の充足感は味わえません。そのことにどこかで気づいてはいるのだけれど認めたくない自分の思いが、”豊か”に見える他人を映し出し、いらだちという反応をしているのかもしれません。


 自分の中にある、もう必要のない古い信念に気づき、それを手放していくと、心がどんどん軽くなり、今まで自分を縛っていた束縛から自由になります。縛りがなくなり、自分は本当は限りなく自由で制限のない存在でいられるのだということに気づくと、自分を否定的に見ることが減り、他人と比べて劣った人間だという認識がなくなっていきます。そうして自分を受け入れられるようになっていけば、今までよりもずっと、他者を寛容な視線で見ている自分に気づくでしょう。他人に自分を投影して見ることが減るので、否定的な感情を抱くことがなくなっていきます。

 たとえどんなにネガティブに見えるような行動をとっている人を見ても、自分もそのような経験を経て気づきを得たことを知っているので、「ああ、今あの方は学びの最中なのだな」と受け入れて流すことができます。


 そもそも、自分を肯定して生きられるようになれば、グンと波動も上がり、”嫌な人”を身近に引き寄せること自体が減っていきます。自分の波動領域から極端に離れている人は、決して近づくことができないのです。そして反対に、波動が上がったことで、自分にとって望ましい人や出来事がやってくることになり、人生はますます好転していくことでしょう。


 このように、「感情が湧き起る→自分の中の何が反応しているかを知る→受け入れて手放す」というステップを地道にコツコツと繰り返していけば、気づいた時には少し前の自分と全く違う自分に変わっていることに驚くと思います。誰かが代わりにやってくれることができない孤独な作業ですが、自分を束縛して制限をかけているのも自分であれば、その鎖を外すのも自分でしかないことにどうぞ気づいてください。

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「嫌な相手」に出会ったら

 自分の知っている人が、ある人を非難しているのを耳にしたとします。話を聞いているうちに、その知り合いが怒りを抱いているある人のある一面について、実はその知り合いにも似たような部分があるなと感じたことはないでしょうか。

 

 「あの人はだらしがない」「あの人は八方美人だ」「あの人は時間にルーズだ」「あの人はきどっている」・・・人のある一面がどうしてもネガティブに強調されて見えてしまうのは、自分自身にも同じような側面があり、そのことを自分で認めたくない状況だということです。

  大抵、自分が目にして不快に思う人や、イライラしたり文句を言いたくなったり、「変わってほしい」と願う相手というのは、自分の内面で自分が許せないと感じている部分を、極端な形で見せてくれています。

 お金にだらしがない人を見るとイライラするとしたら、自分にも実はお金に無頓着な所があって、本当はそこを何とかしたいけれど、敢えて向き合わないようにしていたりします。いつも威張っていて偉そうな人を許せないと感じているとしたら、自分も家では家族に対してそのような態度でいることがあり、それをどこかで感じているのだけれど、そこもまた見ないようにしていたりします。

 

 もし、自分の中に同じような側面がなかったり、あったとしても自分でそれを受け入れられているのであれば、そのような人にお目にかかることがないか、出会ったとしても全く気にならないはずです。

 誰か他の人を強烈に非難している人がいたとしても、自分はその人が思うように批判的に見ていなかったり、「なぜそのように悪く見えるのだろう」と疑問に思ったりすることがあると思います。それは、他人のことは、人それぞれ自分の内面というフィルターを通した目で見ているからです。人それぞれ異なる内面を持っているので、誰かを見る時にそれぞれ違った観点で見ることになり、その結果様々な評価や判断がなされるわけです。ある人がAさんのことを「冷たい人だ」とネガティブに評価しているとしても、あなたにとってはAさんが「落ち着いている人だ」と肯定的に見えたりします。

 

 自分の身に降りかかる事は全て、起こるべくして起こり、出会う人は全て、出会うべくして出会っています。

 

 自分に不快感を与える人が身近にいる場合、イライラが募ったり、相手に何とか変わってほしいとか、早く離れたいと願うものです。けれど、そのような相手こそ、意味あって自分の近辺に引き寄せられていることが多いです。ある特徴的な性格やパターンをその人が表面化して見せることで、そのような一面が自分にもあることに気づかせてもらえるのです。

 相手をネガティブに見ている時に、自分が相手のどの部分に最も反応しているかということを分析してみると、自分でも気づかなかった自分の一側面が見えてくると思います。本当は自分自身が最も手放したいと願っている、けれどずっと認めることを阻んできた、内面のある部分に気づいたりします。そこを手放せばもっと楽になりますよ、もっとあなたらしく伸び伸び生きることができますよ、とお知らせしてくれるシグナルが、”他人を見て湧き上がるネガティブな感情”なのです。

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他人を責めれば、自らも責めることになる

 新約聖書の中に、イエス様がおっしゃったといわれる次のような言葉があります。

 

『汝、人を裁くことなかれ。しからば汝らも裁かれざらん』

 

 最近のテレビ番組を見ていると、辛口コメンテーターと言われる人や、他人の欠点をあげつらって笑いを取る芸風の方がもてはやされているように感じます。世間のニーズと合致している部分があるのだろうと思います。

 

 他者を批判することが習慣づいている方々は、きっととても苦しいだろうなと思います。なぜなら、他者を批判的にみればみるほど、人としての在り方や生き方の幅を自ら狭めていくことになるからです。

 

 例えば、「子供を産んだ後にも仕事を続ける女性」を良く思っていない人がいたとします。そのように捉えていると、もし自分や自分の配偶者が子供を産んだ後に仕事がしたくなった時、「子供を産んだ女性が働くことはよくない」という信念を自分で自分に植え付けてしまっているので、葛藤が生まれて苦しむことになります。

 「同性愛者」に対して批判的な目を向けている人がいたとします。同性愛者に対して非難の目を向けているので、いざ自分の身内やとても身近な人に同性愛者が現れた際、その方を受け入れたいのに受け入れられないことに苦しむことになるでしょう。また同時に、世間的にマイノリティーになることを恐れて生きるようにもなります。自分がそういう人々を非難するように、自分もまた世間に非難されるだろうと考えるからです。

 「周囲を気にせず趣味に没頭する人」を快く思っていない人がいたとしたら、その方は自分が夢中になる何かを見つけるチャンスを、自らの信念によって遠ざけることになります。もし夢中になる何かが見つかったとしても、それに「没頭する自分」をどこかで認めることができずにいるので、心の底から楽しむことは難しいでしょう。

 他人の欠点を逐一責めるクセがついている人は、自分が何か失敗した時に自分を責めることになります。「完璧」でない自分を許すことができず、いつまでも自分を完全に受け入れることができないままでいることでしょう。なぜなら、「完璧」でない人は非難されるべきだという価値判断を抱いているからです。


 

 人を裁く、人を非難するということは、自分の世界にどんどん制限を生み出し、自由の範囲を自ら狭めていくことになります。他人を責めているようで、実は自分自身を苦しめています。「こうあるべき」「こうあってはいけない」という固定観念を作りだせば出すほど、自分自身がその観念に縛られ、窮屈になっていきます。心は本当は自由を求めているのに、それとは反対の意識が生まれていきます。

 自らが生み出した制限によって、自分の世界が狭くなっていく。「汝、人を裁くことなかれ。しからば汝らも裁かれざらん」というイエス様の言葉は、そうした因果関係を表しているのではないかな、と最近思うようになりました。

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過去の心の傷やトラウマを癒すエッセンス

 過去に受けた心の傷がとても深い時や、ショックな体験の記憶がなかなかぬぐえずにいる時、フラワーエッセンスは大きな助けとなってくれます。傷を傷としていつまでも心に残しておくか、ネガティブなイメージを手放して過去の記憶を新しい自分への糧とするか、決めるのは自分自身です。フラワーエッセンスは、心の中に迷いがある時や、手放したいけれど何かがそれを止めていると感じている時、その人にとってより良い方向に進んでいくよう、優しくいざなってくれます。迷いが吹っ切れたり、とらわれをなくしてくれたり、物事を見る視点をクリアーにしてくれるので、自分にとって不必要な思い込みやパターンが、自然と剥がれ落ちていくようになります。

 

 いくつか、心の傷やトラウマを癒すエッセンスを挙げておきます。

 

♡スターオブベツレヘム(バッチ)

 心理的・肉体的ショックの後遺症や、トラウマ、PTSDなどに使われます。大切な人を亡くしたり、事故やショッキングな出来事に遭遇したり目撃した後などに。過去に受けた心の傷が、今の自分に影響を及ぼして足を引っ張ったり、時々思い出しては気持ちが沈んでしまう時など、その傷を和らげて癒してくれます。過去に体験した出来事に対するネガティブな思いが和らぐことで、その出来事をポジティブに受け入れることができるようになり、その体験があったからこそ今の自分があるのだと、肯定的に受け止められるようになります。

 

♡ヒーリングザハートオブザソウル "Healing the Heart of the Soul"

(アンジェリック)

 魂の核の部分を癒してくれます。過去の古い傷(覚えていないくらい古いものも)が、望ましくないパターンを生じてしまっている時などに。前世、今世、来世、全ての人生を通して魂を癒すことができます。数々の経験によって磨かれたハートが、本来の力強さを取り戻し、より深い愛を感じ、広めることができるように。過去の経験を生かし、これからをたくましく生きていきたい人にお勧めのエッセンスです。辛い体験は、その人のハートを強化し、障害に打ち勝つ強い意思を育みます。

 

♡ヒーリングイモーショナルトラウマ "Healing Emotional Trauma"

(アンジェリック)

 あらゆる種類のトラウマを癒します。トラウマは感情レベルと肉体レベルに蓄積してしまいます。このエッセンスは感情面でのトラウマを癒し、肉体の癒しが楽に進行するよう作用します。このエッセンスは日本で起こった2011年3月の大震災での被災者の方々をサポートするために作られました。あらゆる形のトラウマを癒すサポートをし、感情とそれに関わる肉体面のトラウマも癒します。

 自分の身に降りかかった出来事を嘆き悲しんでいる人を、包み込むように癒します。その人が本来の力強さと生きる気力を取り戻すまで、傍らで天使が優しく寄り添っていてくれるでしょう。

 

♡ブリーディングハート "Bleeding Heart"(パワーオブフラワー)

 心に受けた痛みを無条件の愛に変えてくれるエッセンス。離婚や愛する人の死、大切なことの喪失、トラウマ的なストレスなど、あらゆる形の危機的状況に。痛みを取り除くというより、私達に状況を理解させ、それを受け入れて安らかな心を取り戻す助けとなってくれます。痛みを体の中に押し込めるのではなく、受容できるようになると、重苦しかったハートはどんどん軽くなっていきます。

 

 

 

 

 パワーオブフラワーの講座を受けていた時、エッセンスの作り手であるイーシャさんは、受講者たちを前にこのようにおっしゃいました。

 

「ここにいる皆さんは、傷ついたヒーラーです」

 

 私はその言葉を聞いた時、なんだかつかえていた心の重荷が取れたような気がしました。それまで私は、人を癒すためには自分が心に傷を抱えたままでいてはいけないのではないか、心に傷がある状態で他人を癒すことなんてできないのではないか、とどこかで思っていました。けれどよく考えてみたら、心に傷を受けたことのない人なんて、どこにもいないはずなのです。どんな人でも、この世に生を受けたその瞬間から、様々な出会いと経験を通して悲しい思いをしたり、辛い思いを耐え忍んできたり、言いようのない感情に苛まされたりしてきたわけです。

 イーシャさんの言葉を聞いて、「それでいいんだ」と素直に思えるようになりました。むしろ、たくさんの辛い体験を経ることによって、人の痛みも理解できるし、様々な状況にいる人に共感できるようになっていくのだと思います。何も感じない、何も思わないというロボットのような人間だったら、傷ついた人に寄り添ってその人を癒すことなどできないはずです。そのように考えれば、今まで自分の中の「負」の要素だとばかり思い込んでいた心の傷も、何か勲章のような、心強い存在にも見えてきました。これからは、自分が受けてきた心の痛みを、大切に生かしていこうと思えるようになりました。



 「思い」というものは、実態がないようですがエネルギーとして存在しています。「念」という言い方をした方が、そのようにとらえやすいかもしれません。過去に経験したことに対する念エネルギーがネガティブであればあるほど、心の中がネガティブエネルギーでどんどん浸食されていくことになります。心の中をポジティブな状態にしておきたいのであれば、まずは自分がネガティブな目線で見ている過去の出来事を一度受け入れて、ポジティブな思いへと変換させていくのが良いと思います。どんな出来事も、捉え方1つで心の状態が変わっていきます。高い波動を放出して明るい現実を創造していくためにも、過去の傷を癒し、心のポジティブな領域をどんどん増やしていくことをお勧めします。

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過去生(前世)からの記憶

 人と話をしている時やセッションをしている時、その方に「自分でもどうしてなのかわからないけれど、なぜかそのように考えてしまう」という”思いグセ”があることに気づくことがあります(ご本人は気づかれていていないことが多いようです)。それは、その方が生まれてから両親や先生といった身近な人々からの影響を受けて形作られてきたり、成長過程の環境がそうさせていることもあります。しかし時として、もっとずっと昔の記憶を引きずっているのではないかと感じることもあります。いわゆる過去生の記憶です。

 セッション中など誰かと対面している時、今のその方と全く異なる昔の人物のビジョンが見えてくることがあります。初めは、自分が白昼夢か何かを見ているのかと思っていたのですが、ある時、その映像はその方の過去生の姿なのではないかと気づきました。姿形は違っていても、エネルギー(波動)が似ているのです。ずっと気のせいだと思い込んでいたのですが、あまりにもハッキリ見えたことがあって、思い切って自分が見えているものをそのままお伝えすると、その方は「ハッ」とされて「そうなのではないかと思います」とおっしゃいました。

 過去生での経験や、その人生で強く感じた想念、やり残したこと、次の生(今生)に持ち越した課題などを感じるがままにお伝えすると、腑に落ちたような反応をされることが多いです。転生とは、何十回、何百回、何千回と繰り返しているものなので、ある過去生での出来事だけが全てということはありません。数多くの人生で体験したことが、複雑に絡み合って今の状況に影響を与えていると思います。ですので私は、あるビジョンが見えてきた時、今その方が取り組もうとされている課題に向き合うタイミングで、私という媒介を通じ、今のその方に最も影響を与えている過去生での経験を参考までに教えられているのかな、くらいに捉えています。

 例えば、今夫婦関係になっている方が、ある過去生においては兄弟同士で、弟の方(今生では夫)が非常に自由奔放に気ままな暮らしをしていたのを兄は快く思っていなかったとします。今生においてなぜか妻は、自分の夫が趣味に走ることを許すことができず、もっと私に目を向けてほしいと強く望んでいたりします。また、ある過去生で趣味を延長させたような芸術活動をしながら優雅に独身生活を送っていた僧侶であった人が、今生においては家庭を持ち、複数の人と共同生活をすることで自由な時間がとれず強いストレスを感じていたりします。前者の場合は、夫(弟)の方は家族をもっと気遣い、自分勝手な行動を慎んでコミュニケーションをはかることを今生での課題にしているようです。同時に妻(兄)の方は、夫の足りない部分を非難するのではなく受け入れて、夫の人間的成長を暖かく見守ることを課題にしているようです。そして後者の方は、家族という共同体の中で、協調性を学びながら自分らしさを伸ばしていくことを課題にしているようです。

 

 こういったことは、特に知らなかったとしても、現在取り組もうとしている課題にきちんと向き合いさえすれば、何の問題もないと思います。過去生で何があったかなど、知っても知らなくてもどちらでも良いのだろうと思います。大事に取り組むべきなのは、今のこの人生です。

 けれど私自身のこれまでの経験からすると、「自分でも理由がわからない思いグセ」が過去生からの影響を強く受けている場合、少しヒントとなるような情報を与えられると、スッキリして「なあんだ、そんなことだったのか」と納得することが多いようです。そして、理由が分かると人は安心して、もうそのとらわれを手放そうという気持ちになっていくようです。

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過去の記憶の書き換え

 誰しもが、思い出したくもないような過去、消し去りたい記憶を持っていることと思います。もう自分の中から出ていってほしいと望んでいるのに、そうした記憶はいつまでも心の奥底に居座り続け、罪悪感や後悔の念を作りだす要因となっています。

 

 消してしまいたい、なかったことにしてしまいたい。そのような記憶は、文字通り「消してしまう」「なかったことにする」ことができます。

 

 というのも、先日書いたように、過去(の記憶)というものは全てだからです。幻は実態のないものです。実態のないものですから、変幻自在に形を変えることができます。

 実際、過去に起こった出来事に対する記憶が、自分の中で少しずつ形を変えていくことはよくあることです。また同じ出来事が複数の人に起こっても、受け取る側によって反応が異なるために、その出来事に対する印象や記憶の内容が人それぞれ異なったりもします。過去の記憶とは、そもそも曖昧で変わりやすいものなのです。

 

 せっかくなら、ネガティブな記憶としていつまでも自分の中に後生大事にしまっておくよりは、ポジティブな記憶としてそれを有効利用してしまった方が得策ではないでしょうか。過去の記憶の書き換えを行うのです。過去のネガティブな記憶とそれに伴うマイナス感情は、意識の中で暗い層となり、ハッピーな未来の行く手をいつまでも阻むことになります。記憶も感情も自由自在に変えることができるものなのですから、自分でポジティブな内容に変更して、意識のポジティブな領域をできるだけ増やしていくのが良いと思います。

 

 そんなことができるわけない、と思うかもしれません。「できない」という思い込みはいつまでも「できない」状況を生み続けますので、もし疑いの気持ちが強いようでしたら、まず「できない」から「できる」という信念に持っていくことから始めてください。

 

 やり方は至って簡単。いつでもどこでもできます。過去の”嫌な”記憶が出てきた時や、ネガティブな印象がぬぐいきれない過去がある場合、頭の中で一度その出来事が起こる少し前に戻ってみます。そして、その出来事が、自分にとって最高最善の形で進んでいったバージョンを思い描きます。思い描いたら、その最高最善バージョンをポジティブな気持ちと共に味わいます。自分はもちろん、そこに関わっている人が皆笑顔で、ハッピーな結末であることがポイントです。先日お伝えした、『過去のネガティブな感情を手放すワーク』とセットで行うのが良いと思います。

 これは、NLP(神経言語プログラミング)の手法にもあるテクニックで、繰り返し行っていくうちに、本当に過去の記憶が変わっていき、とらわれがどんどん剥がれていくのが体感できると思います。一度で書き換えが上手くいくこともありますが、念が強い場合は何度も行う必要があるかもしれません。その記憶を思い出した時に、過去の自分が笑顔になっている姿がパッと浮かぶようになれば、書き換えが無事終了したと考えて良いと思います。

 書き換えを行っている間に、自分が負の定義づけをしていた過去の印象が、少しずつ変わっていくことを経験するかもしれません。そして、過去の出来事が自分に何をもたらしてくれたのか、その出来事から自分は何を学び、何を教訓とすれば良いのか等、様々な気づきが起こったりもします。それまで目をそむけて見ないようにしていた過去に、きちんと向き合おうとする姿勢に変わったことで、今まで見えていなかった、「どうしてそのような出来事が起こったのか」という隠れた意義に気づくようになるのです。

 そのような気づきを得て、マイナス感情しか抱けなかった過去に対しても、愛と感謝の気持ちが生まれてくるようになれば、魂の成長が一段と進み、進化の階段を一気に上ることになります。

 

 

 なぜこのような書き換えが可能かというと、ポジティブなエネルギーというものは、ネガティブなエネルギーよりも強いからです。ネガティブエネルギーは、ポジティブエネルギーに覆われたら太刀打ち出来ないので、引っ込むしかありません。ポジティブな意識をもって、ポジティブなイメージを思い描けば、ネガティブな記憶はあっけなく退散していくことでしょう。

 

 たとえネガティブな記憶が大変強烈で、いつまでも自分の中から出て行ってくれないと感じているとしても、手放すのを拒んでいるのは実は自分自身でしかありません。自分の意識がそうさせているのです。過去のとらわれから自由になりたいと心の底から望めば、いつでも解放されることが可能です。

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過去のとらわれから自分を解放する方法

 過去に起こったことを後悔している場合によく聞かれるのが、「あの時~すればよかった」とか、「あの時~しなければよかった」「あの時~さえなければ」といったセリフです。今の自分を愛していないと、不満が生じて更にその矛先が過去の自分に向けられることになります。

 

 今の自分が愛せないということは、今の自分を100%受け入れられていないということです。あるがままの姿を認めたくないのです。主に目に見えるにこだわると、そのような見方になってしまいがちです。容姿、住まい、財産、仕事、etc...

 人生の目標やゴールを、そういったに設定してしまうと、それを今手に入れていない自分は不完全で、欠けている存在だと感じるでしょう。本当はもっと違う人間であるはずなのに、とか、本当はもっと違う暮らしを送っているはずなのに、といった感覚をいつも抱きながら過ごすことになります。

 

 人生はプロセスを楽しむものであって、常に学びの過程にいると考えれば、特定の形あるゴールに必要以上にとらわれることもないのではないでしょうか。終わりのない旅だと考えるのです。1つのステップとして、形あるゴールを定めることは楽しいかもしれません。けれど、その目標が達成された後でも、人生は続いていきます。形あるゴールに全てを注いで生きていたら、あっけなく達成された後に、どこかむなしさを感じるのではないでしょうか。心の充足感は、形あるものだけでは得られないからです。

 

 それから、自分にとって起こる必要のないことは決して起こらないものです。どんな出来事も、起こるべくして起こっています。過去に自分の身に降りかかった全ての出来事、自分がとった行動は、その都度自分を気づかせ成長させてくれるための、学びでした。たとえ思い出したくもないような辛い出来事だったとしても、それがあったからこそ、そこから何かを学び取り、今の自分に生かされているのではないでしょうか。

 過去の全ての出来事を意味ある大切な宝物と定義し直して、愛と感謝の気持ちで暖かく包み込んでみてください。全ての過去を含む、今ある自分を100%受け入れられたら、不満も後悔もなくなると思います。

 

 

 もし、過去のネガティブな出来事や自分がとった行動・言動、そしてそこに抱く感情にどうしても引っ張られてしまうのであれば、その状況はもう手放すと決意してください。過去の縛りは、考えているよりも簡単に解放することができます。自分にとって必要のないものは、手放す意思さえ持てば、あっけなく自分の元を去って行ってくれるものです。そこに縛りつけているものは、他でもない自分の意思です。過去を手放すのではなく、過去に縛られている自分を手放しましょう。

 

 その時に、大切なプロセスがあります。それは、とらわれている過去の自分に一度戻ってみるということです。辛い出来事だったりした場合、二度と同じ思いをしたくないという信念があるので、つい目を背けたくなったり、向き合うことを避けてしまいがちです。けれど、そこにネガティブな感情を抱き続けているから、いつまでも自分はそこから抜け出せられないのです。ネガティブな感情を解放したければ、一度その感情を味わってみる必要があります。棘を抜く時に一瞬痛みを感じるようなものです。

 一瞬だけ辛い思いをするかもしれませんが、一度味わえばもうその後ずっと苦しめられることがないと考えれば、さほど抵抗はないはずです。今までのような、そこにとらわれて苦しみを引きずっていた状態とさよならできるのです。

 その時の自分に戻り、その時自分が感じた感情を、しっかりと味わいます。涙が出てくるかもしれません。それは浄化の一環だと思ってください。その時の自分を癒すためにも、愛を持って向き合うことが大事です。過去の自分と一体になったと感じたら、過去の自分と今の自分を大きな愛で包み込むイメージで、「私は〇〇という感情(思い)を手放します」と宣言してください。声に出して言ってもいいですし、心の中で唱えても大丈夫です。いくつも感情があるようでしたら、その一つ一つを解き放ってください。恐怖、悲しみ、くやしさ、寂しさ・・どのような感情があるでしょうか。その時のことを考えると常に出てくる感情も、同時に手放します。罪悪感、無力感、恥辱感、怒り、後悔の念、etc...

 もし、誰か人が関係していることであれば、その時のその人に向かって伝えたいことを伝えてください。今はもういない人でも、その方の魂には必ず届きます。愛でもって大きく包んであげてください。その方も同時に癒されます。

 

 最後に、「ありがとうございました」と感謝することも忘れずに。解放のプロセスに導いてくれた全ての存在に感謝します。

 

 一度このワークを行った後、しばらくしてから同じ過去に対して自分がどのようにとらえているか、変化を味わってみてください。きっと、以前と全く違う感情を抱いている自分に驚くと思います。同じパターンを繰り返さなくなったことにも気づくでしょう。

 

 過去のとらわれから自由になると、自分が軽くなったように感じます。あらゆる過去に感謝の気持ちを抱くようになり、全てはつながっているのだという感覚をもつようになります。人生のプロセスを楽しむことができれば、必要以上に過去や未来に引っ張られることなく、今この瞬間にいられることが増えるでしょう。

 

 

過去のとらわれから解放されたい時にお勧めのエッセンス》

 

♡"Letting Go" (アンジェリック) ¥3,240

 

 手放す。手放すことによって、自分を常に囲っている限界の壁から逃れ、可能性へと踏み出します。自由、信頼、想像以上にパワフルな結果がもたらされます。緊張が和らぎ、自然な解放と明晰さが訪れます。

 

 *サロンうぶすなのセッションでも使っているエッセンスです^^

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過去のとらわれから自由になる

 「今この瞬間」にいることを妨害するものの1つが、「過去の記憶」です。過去に自分の身に降りかかった出来事や目撃した光景、体験したこと、聞いたこと、思い出など、私達の頭の中はどれほど多くの「過去」で占められているでしょうか。

 

 この「過去」ですが、実態があるようでいて実はでしかありません。その証拠に、私達は決して「過去」を体験することはできません。「過去」は今どこにあるでしょう。見ることはできますか。どこかに存在していますか。

 

 「写真があるじゃない」と思われるかもしれません。けれどそれは過去に起こった一瞬を画像に焼き付けただけのもので、その一瞬は今現在はどこにも実在していません。実在しているのは、今この瞬間のみです。私達は瞬間瞬間の連続を生きているのです。

 

 もし、自分が必要以上に「過去」にとらわれていると感じているのであれば、「過去」は所詮幻でしかないので、今の自分に直接何かをもたらすことはない、と定義し直すと良いと思います。実態のない幻が、今の自分に一体何ができるでしょうか。幻が、行く手をさえぎったり、邪魔をしたり、また逆に今の自分の代わりに何かをしてくれることがあり得るでしょうか。

 影響を与えているとすれば、それは「過去」そのものではなく、「過去」に何かしらの意味づけを行い、そこに反応している自分の想念です。出来事そのものは関係ありません。”あんなことがあったから自分はこうなった”というのは、自分の中の未解決の問題を、起こった出来事のせいにしているだけです。本当はその時に自分の内面の問題が解決できていれば、同じ想念をずっと引きずることもなかったはずなのですが、その時の自分がそうすることを避ける選択をしたために、「過去」のある時点に自分を置いてきてしまったのです。そのために、未だにそこのエネルギーに引っ張られているのです。

 

 ネガティブな過去(正確に言うと、過去の想念)に縛られている場合、同じような状況が再び目の前に現れた時、かつてと同じように反応してしまう傾向があります。似たようなシチュエーションの出来事が何度も起こり、それに対していつも同じような言動をとってしてしまう、ということを繰り返すのです。本当はその状況自体も、自分に何かを伝えるためにやってきているのですが、そこに気づかずにいると、毎回同じような反応をしてしまい、自分の内面が変わるまで何度も同じような出来事が繰り返されることになります。

 

 もう過去を手放したい、過去のとらわれから自由になりたい、と心から望むのであれば、そのようにすることもできます。ただ、そうしたいと望み、手放す決心をすれば良いだけです。いつまでも過去に起こった出来事が自分の頭の中から離れず、恐怖心を抱いていたり、またその時に自分がとった行動を悔んだり、罪悪感を抱いたまま過ごしていたら、この先前を向いて歩いていくことはできません。

 過去は過去でしかなく、大切なのは今この瞬間を最高にハッピーに生きることです。もし、少しでも自分の足を引っ張る過去があるのでしたら、思い出したくないかもしれませんが、思い切って向き合い、そこから自由になった方が、今この瞬間の幸福度が格段に上がることでしょう。封印よりも解放です。

 

 解放する際に役立つ具体的なやり方については、また次回に述べたいと思います。

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今この瞬間を最大限に楽しむのが幸せの最短距離

 アンジェリックエッセンスの中に、「Be in the Present(今にいること)」というエッセンスがあります。このエッセンスは、とかく”過去”や”未来”に意識が飛びがちな私達を、しっかり”今”に固定させてくれる力があります。エッセンスの解説には、


 『今、この瞬間にいること。今、この瞬間にいるということは、人生に立ち向かう用意があるということです。人生のすべては今この瞬間に起きていますが、多くの時間を私達は未来や過去に意識を向けていて、現在を完全に体験する機会を逃しています。現在のみが人生に影響を与えます。現在においてのみ、明らかにすることができるのです。私達は今にだけ生きることができます。このエッセンスは今の瞬間に生きること、完全に私達の人生を生きることをサポートします。』


 とあります。例えば、たった今この文章を読んでいる時、意識のどれだけが「今」にあるでしょうか。つらつらと文章を読みながらも、頭の片隅には昨日起こった出来事や、この次にしようと思っていること、今日これから行かなければならない場所のこと、今晩食べるごはんの事などがあり、意識はあちこちに向けられているのではないでしょうか。そして更に、日々淡々と生活している中で、どれだけその瞬間瞬間に生きている時間があるでしょうか。何かをしながら、過去の思い出がよみがえってきて、そのことでしばらくの間頭がいっぱいになったり、これから起こるであろう未来のことをあれこれ予想したり期待したりしているうちに、言いようのない不安や恐怖感にとらわれてしまったり、ということを繰り返してはいないでしょうか。


 私はこのエッセンスのエネルギーをより深く理解しようと、ボトルを手に瞑想をしていた所、『”楽しい”という感情は、今この瞬間にしか存在しません』というメッセージを受け取りました。確かに、心の底から「楽しい!」と感じている時というのは、その瞬間を最大限に楽しんでいる時だけであって、過去や未来に意識がありながら「楽しい!」と感じられることはありません。

 「楽しい」と感じているということは、今この瞬間を最高にワクワクしながら生きているということです。そして、ワクワクしているということは、自分を最大限に発揮できているということです。自分の本当の人生を生きている時に、人はワクワクを感じることができるのです。


 私はいつの頃からか、すっかり「楽しむ」ことが苦手な人間になっていました。様々な所から影響を受けていたと思いますが、人生は「楽しむ」ものではなく、「苦しいことを我慢する」ものだと考えるようになっていたからです。自分が本当に楽しいと感じられることをしている時(ex.遊園地に行ったり、ミュージカルを観たり、友達と食事をしたり、温泉に入ったり)にも、心の底から楽しむことはできていませんでした。「こんなに楽しいことは、どうせ長く続かない」という思いがありましたし、「世の中には苦しい思いをしている人がたくさんいるのに、今私がこんなに楽しんでいてもいいのだろうか」という罪悪感や、「自分は人生を楽しむに値しない」といった意識がどこかにあったからです。こうした思いが、人生を最大限に楽しみながら生きることをずっと妨害し続けてきました。就職や趣味の講座を選ぶ時にも、自分が本当に興味がある分野をなぜか避けて選択する癖がついていたように思います。

 しかし、ある時から少しずつ、人生は楽しんでも良いのだという意識に変わっていきました。人の意識が現実を造り出す事実に気づいた辺りからです。不安や苦しみを抱き続けていたら、自分の人生はこの先もずっと不安や苦しみに満ちたものとなっていくだろう。それが嫌だったら、意識を明るいものに塗り替えていかなければならない、と思うようになりました。そして更に、そのように意識がポジティブに変わっていく人が世の中に増えれば増えるほど、集団意識を反映した現象世界がもっと明るくポジティブなものになっていくだろうと考えるようになりました。

 今ではすっかり、人生は楽しむためにあるのだと捉えています。


 「楽しい」「ワクワク」の瞬間は、また次の「楽しい」「ワクワク」につながっていきます。今この瞬間を楽しむことが多くなればなるほど、未来のワクワクが増えていきます。逆に、今現在を完全に楽しむことができていないのに、未来に「楽しい」がやってくることはありません。「今は苦しくて人生がちっとも楽しくないけれど、将来はきっと人生を楽しめる日がくるだろう」という構図はありえません。現在を苦しみながら生きることは、「楽しい」未来を先延ばしにしているだけです。楽しい未来を築きたいのであれば、「今」を最大限に楽しむことが最短の道です。

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感謝の気持ちがポジティブな見方に変える

 誰かに対して批判的な目を向けている時は、大抵そこに『感謝』の気持ちが欠けています。

 

 かつて、私がずっと不信感を抱いていたある人の話をしていた時、別の人がその人のことを、「自分はあの人に感謝している」と言ったことがありました。私はその「感謝」という言葉を聞いた瞬間ハッとなり、自分の中のフィルターが一気に変わったのを感じました。それまでの非難的な目から、感謝の目でその人を見るようになったのです。すると、ずっと忘れていた、その人との良い思い出が急に蘇ってきました。その方から教わったこと、してもらったこと、思いやりをかけてもらったこと、人生に影響を受けたことなど、次々と頭に浮かんできました。

 その方は、ある時心身のバランスを崩して以来、まるで人が変わったように周囲に冷たい態度を取るようになってしまったのでした。そのことにショックを受けた私は、それまでその方が自分達にどれだけのものを与えてくれていたのかをすっかり忘れてしまい、ネガティブな面にばかり目を向けるようになっていたのです。一度そのような視点で人を見るようになると、もはや良い面を見つけることは難しくなってしまいます。その方との良い思い出さえも、すっかりなりを潜めて表に出てこなくなってしまいます。


 私は、そのような批判的な目線から「感謝」の視点にすり替えることで、実際には何も変わっていないある人が、自分の中で180度変わってしまったことに驚きました。それまで冷徹だと思っていたその方の姿が、愛に溢れた暖かい人物に見えてきました。その方の抱える苦しみや悲しみに対する理解も深まっていきました。その方が、いかに多くのことを私に教えてくれたかということにも気づきました。全てが許せるようになりました



 江本勝氏の『水は答えを知っている(サンマーク文庫)』によると、「ありがとう」という言葉をかけ続けた水の結晶は、大変美しい形になるのだそうです。一方で、「ばかやろう」といったネガティブな言葉をかけた水は、結晶が崩れて形をなしません。


 「ありがとう」という言葉は、感謝のエネルギーを含んでいるのだと思います。感謝のエネルギーは、物事をネガティブからポジティブに変える力強さを持っています。昔から「愛と感謝」がいかに大事かということを、なぜ高次の存在達が繰り返し私達に伝えてきたのか、私は身を持って知りました。感謝の心を抱いていれば、どんな状況にも愛を見出すことができます。どんな人にも愛の視線を向けることができます。

 誰かに対して、または何かの状況に対して批判的な気持ちが湧きあがってくる時は、一度その人や状況を「感謝」の目で見てみよう、と自分に言い聞かせてみてください。ただ、そのように見ようと決心するだけで良いのです。それだけで変わります。暖かい何かが自分の中を流れていくのがわかると思います。そうなると、少し前の自分とは全く異なる視点で物事を見ていることに気づくでしょう。



《「感謝」の気持ちを高めてくれるエッセンス》


♡「Gratitude(感謝)」・・・アンジェリック ¥3,240

 私達の感謝の気持ちを深め、強めてくれるエッセンス。感謝を感じると、人のハートは開かれ、エネルギーが整い、抵抗が取り除かれます。エネルギーの流れが良くなり、より多くの祝福がやってきて、受け取ることが増えていきます。何を経験して、何を理解するにしても、そこに感謝を見出せるように。愛と喜びを感じながら人生を歩んでいく助けとなってくれます。


*うぶすなのカウンセリングセッションでも使っています^^

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フラワーエッセンスの様々な使い方

 フラワーエッセンスは基本的に飲むものですが、飲む以外にも様々な利用の仕方があります。


 私がよく行うのは、「お風呂に入れる」方法と、「化粧品に入れる」という使い方です。湯船の中にフラワーエッセンスを入れると浄化と癒しのパワーが高まるので、入った後のスッキリ感が違います。また化粧水や乳液などにフラワーエッセンスを入れて使うと、自分自身も気分が良いですが、肌も喜ぶ感じがします。不思議と肌がきれいになったり、モチモチ肌になった、きめが細かくなった、といった声も聞きます。


 フラワーエッセンスのワークショップに行くと、ユニークな使い方をシェアすることがよくあります。その中で、私が聞いて興味引かれた話をいくつか挙げておきます。


♡靴の中に入れる

 フラワーエッセンスを、家族の靴に数滴落として使っているという方がいました。出張に行く旦那様の靴には、お守り代わりにいつもフラワーエッセンスを垂らしているのだそうです。また、認知症のお母様の介護をしているそうなのですが、お母様の靴の中にフラワーエッセンスを入れてあげると、徘徊しても必ず戻ってくるのだそうです。


♡ハンドソープの中に入れる

 勤めている会社の雰囲気がギスギスしているので、なんとか職場の人たちにフラワーエッセンスを飲んでもらいたい、と思った方がいました。けれど、実際に皆に飲んでもらうのは無理なので、職場に置いてあるハンドソープにエッセンスを入れてみたそうです。そうしたら、少しずつ雰囲気が改善されていき、諍いなどもなくなったとのことです。


♡ペンキの中に入れる

 家の壁を塗り替える時に、塗装液の中にフラワーエッセンスを入れてみたら、家の壁からエッセンスの波動を感じるようになったとのこと。


♡植物にスプレーする

 フラワーエッセンスをスプレーボトルに入れ、育てている花などの植物にスプレーすると、害虫が寄り付かないという話はよく聞きます。実際害虫がついてしまった植物にエッセンスをスプレーしていると、自然と害虫が去って行ったりもします。



 これ以外にも様々な使い方があるでしょうし、基本的にはフラワーエッセンスは自由に使って良いものだと思います。作り手さん達も大体「あなたの直観に従って使ってください」とおっしゃっています。フラワーエッセンスは波動に影響を与えるものです。あらゆる物は波動を帯びているので、どんなものに使ったとしても、波動的な影響を与えることになります。

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料理に「愛」を込めると美味しくなる

 「愛」とは目に見えないものですが、確実に存在しているのだなと実感することは日常でもよくあります。


 赤ちゃんは、「愛」がなければ成長できないのだそうです。


 「愛」を込めて花に水をあげると、花が生き生きします。


 手作りのプレゼントは、「愛」が入っているので暖かく感じます。


 人に淹れてもらったお茶は、自分で淹れるよりも美味しく感じます。(たとえ同じ急須で、同じ茶葉で淹れたとしても)


 「愛」のある眼差しを見ると心が温かくなりますが、「愛」のない眼差しを向けられると、背中が凍りつくような感じがします。



 先日、晩御飯のスープを作っている時に、ふと「この料理に、思いっきり『愛』を入れてみよう」と思いつきました。普段愛情を込めていないというわけではないのですが、今日は特別に「愛」を意識して入れてみようと思ったのです。

 スープに入れる食材を丁寧に扱い、丁寧に洗い、丁寧に切り、心を込めて一つ一つの作業をゆっくり行いました。かき混ぜる時も集中して愛を注ぎ、他のことは考えないようにしました。器によそう時も、愛を込めてよそいました。


 子供にそのスープを出した所、一口すすった息子が「あ、これ美味しい!」と言いました。息子は普段、何を食べても「美味しい」という言葉をほとんど言いません。特別な食材を使ったわけでも、特別な調理法で作ったわけでもありません。何ていうこともない、普段作っているようなシンプルなスープです。

 更に、実は息子はスープがあまり好きではなく、具は食べてもお汁の方はいつも残すのですが、その日のスープはお汁も残らず飲んでくれました。特別に「愛」が入っていると、人は美味しいと感じるものなのだなと思いました。

 

 佐藤初女さんの『おむすびの祈り(集英社文庫)』を以前読んだ時、おむすびを握る時には手から「愛」が出ると書いてあり、確かにその通りだと思いました。機械が作ったおにぎりには、何かが決定的に欠けている感じがします。初女さんは、料理を作る際ゆっくり丁寧に作るそうなのですが、それは「手間をかけるということは、心をかけるということ」だと感じているからなのだそうです。


 普段忙しい中料理の準備をしていると、じっくり心を込めて作ることがなかなか難しいものですが、できる限り「愛」を意識して作ろうと思います。「愛」エネルギーが料理に込められると、それを食べた人にもそのエネルギーが取り込まれるはずです。「愛」のエネルギーは無限なので、使っても使っても尽きることがありません。むしろ、使えば使う程ハートが広がり、自分もその分の「愛」を受け取ることができるようになっていきます。

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恋愛と本当の愛

 昨日からの流れで、恋愛について考えてみました。


 恋愛を扱った芸術作品は、古今東西数多く作られてきました。それだけ、恋愛とは人のインスピレーションを刺激し、引きつける魔力を持っているのだと思います。今現在も放映されているドラマや映画、本屋さんで売られている小説や漫画など、その多くのテーマが恋愛です。

 

 私は、世間で人気がある恋愛ドラマや映画などは、ほぼ全て①物語が途中で終わっているか、②主人公のどちらかもしくは両方が死ぬか、もしくは③やむを得ぬ事情によって無理やり別れることになるか、この3パターンに分けられることに気づきました。

 ①は、シンデレラや白雪姫などディズニー映画に代表される恋愛の描かれ方です。「こうして、お姫様は王子様と無事結ばれることになりました。めでたしめでたし」と物語が終わるパターンです。ハッピーエンドと言いますが、私はこの手の話は本当は続きがあるのに、2人が結ばれた時点で無理やり”終わり”だと断ち切ってしまっていて中途半端だなあ、と子どもの頃から少々不物足りなさを感じていました。物語の続きはどうなっているのだろう、結ばれた後2人はどのようになっていくのだろう、と気になってしまうのです。

 ②もまた非常に多いパターンなのですが、『ロミオとジュリエット』がその代表格でしょう。恋愛真っ盛りの2人が、死によって分け隔てられてしまう。このようなドラマチックなシチュエーションは他にないかもしれません。死によって2人の恋愛関係は永遠に封印されてしまうわけです。

 ③は、例えば第三者によって無理やり引き離されたり、様々な事情によって結ばれることが許されない2人が、泣く泣く別れるパターンです。ヨン様で有名な『冬のソナタ』などがこれにあたります。


 ①②③のどれも、「恋愛」という魅惑的なエネルギーを特別際立たせるシチュエーションによって、人を引きつける作りになっています。①のパターンなど、私が知りたいと思っている物語の続きを本当に描いてしまったら、途中で恋愛感情から覚めた2人の姿を見ることになり、すっかり作品としての魅力が下がってしまうことでしょう。②も、もし死がなかったとしたら、物語としてさほど盛り上がらないかもしれません。③も、2人が無理やり別れたからこそ、恋愛の要素が際立っているのです。

 恋愛感情というものは本来永遠に続くものではないので、恋愛がいかにも永遠に続くかのように描くためには、盛り上がっている段階で話を終わらせるか、無理やり引き離して未練と執着を残す形にするしかないわけです。


 今流行りの不倫ドラマも、恋愛関係に陥っている2人の間にある「やむを得ない事情」が、物語を盛り上げる役目を果たしています。2人が結ばれることが許されないからこそ、恋愛というエッセンスが強化され、そこだけが盛り上がっているのです。もし、不倫という関係だった2人が離婚した後に正式に結婚したとしましょう。この2人は、不倫関係にあった時と同じような恋愛感情を、その後もずっと持ち続けることができるでしょうか。

 

 このような話をすると、いつも「冷めている」とか「現実的過ぎてつまらない」といった反応を頂いてしまうのですが、本当の愛というものは何だろうと考えると、私には恋愛は愛の入り口段階のように思えるのです。そこから、本当の愛に発展させていくものなのではないかと思うのです。なぜなら、本当の愛というものは永遠で不滅であるはずですが、恋愛は永遠ではないからです。

 人が愛を知るために、神様から与えられた魅惑のエッセンス。魅惑的だからこそ、虜にもなるし、それだけを追い求めてしまうこともあるのでしょう。

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結婚~本当の愛の始まり

 大学時代の後輩の結婚式に呼ばれ、参列してきました。なんちゃってではないホンモノの神父さんが執り行う式にも参列させて頂き、久しぶりに厳粛な空気に触れました。

 

 神父さんは式で、結婚する2人に「これからが本当の愛の始まりです」と話されました。


 トキメキや「好き」といった恋愛感情が永遠に続くことはなく、いずれなくなっていくものです。けれど、そこからいよいよ本当の愛を育む時期に入ることになるのです。

 恋愛というものは、男女が本当の愛に目覚めていくためのきっかけである、とどこかで読んだのを思い出しました。恋愛の発展形が本物の愛というわけです。常にトキメキのみを追い求めるということは、愛の入り口段階をウロウロさまよっている状態と言えるかもしれません。

 

 そして神父さんは、聖書に出てくる通称「愛の賛歌」と呼ばれる、以下の有名な一説を朗読してくださいました。

 

そこで、私はあなた方に最高の道を教えます

 

 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。

 

 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。

 

 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

 

 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。


 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。

 

 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、鏡と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

 

 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。

 

 その中で最も大いなるものは、愛である。

 

(「コリントの信徒への手紙 第12-13章」聖書 新共同訳)』

 

 

 何事にも、何をするにも、何を語ろうとも、根底に愛がなければ意味がなく、ただむなしいだけ。それに対して愛は何にも勝る力強さを持ち、永遠で、真理である。私達は生まれて間もない頃には愛を理解していたけれど、今はもやがかかったようにしか理解していない。そしていずれ魂の世界に戻る頃には、再び愛の真理に気づくであろう。内なる自己を信頼し、希望を捨てず、愛を感じ愛を表現し続けること。あらゆるものの中で愛ほど偉大なものはなく、愛は何よりも尊く、完全である。それ以外のものは愛の一部でしかない。

 

 そのようなメッセージを感じ取りました。

 

 ちなみに、聖書でよく説かれる「信仰を持ちなさい」という教えですが、私は以前これをキリスト教や教会に忠誠を誓うこと、といった意味の「信仰」と捉えていました。けれど最近、イエス様は本当はそういう意味では言っていなかったのではないかと考えるようになりました。イエス様が「信仰を持ちなさい。信仰が何よりも大事です」と言ったのは、自分以外の何かにすがったり頼ったりするのではなく、「自分自身、つまり内なる自己を信頼しなさい」と言いたかったのではないかな、と思っています。

 自分自身を信頼するということは、自分を造った全宇宙、神なる存在を信頼することと同じです。自分も宇宙の一部であり、全体の一部だからです。自分の周りにいる人々を含め、あらゆる存在がそうです。万物は調和がとれていて、欠けている部分や足りない物はなく、無限の可能性を秘めている。全体の一部である自分自身もそうである。そのことをいかに深く信頼することができるかどうか。どれだけ確かに信じることができるか。そこを試されているのかなと思います。

  そして、根底に流れているエネルギーが愛なのです。愛のエネルギーなしでは、私達は学び生きていくことができません。

 

 私はキリスト教徒ではないのですが、聖書の教えには宇宙の真理が散りばめられていると感じることが多いです。一部は歪曲されて伝わった部分もあるように思いますが、神との太いパイプを築くことができていたイエス様やその他の預言者達が言わんとしていたこと、伝えたかったことをくみ取ろうと思って読むと、魂に響いてくるメッセージを感じることができます。 

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とらわれがなくなれば悩みもなくなる

 今から数年程前、当時購読していた新聞に、興味深いお悩み相談コーナーが掲載されていました。確か、「贅沢な悩み相談室」といった感じのタイトルだったと思います。そこは、表題通り一般的には”贅沢な悩み”と思われている悩みを持った人が投稿してくるコーナーでした。例えば、『家がお金持ち過ぎて困っている』『背が高いことで悩んでいる』『美人であることがわずらわしい』『太れない体質を変えたい』etc...

 世間の多くの人にとっては羨ましいと思える状況であるにも関わらず、相談してくる方達は自慢とはとらえておらず、本気で悩み、状況を変えたいと切に願っているのでした。

 

 この記事を読んでいて、人の悩みというものは、状況は関係ないのだなと思ったものです。ある人にとっては夢や願望である状況でも、他の人にとっては煩わしい悩みであったりするのです。同じ状況でも人によって反応が異なるということは、価値観や思い入れが人それぞれ違うからそうなるのでしょう。

 

 30歳を過ぎた辺りから、独身の女友達が口々に結婚に対する焦りの気持ちを表すようになりました。「このままずっと独身だったらどうしよう」「親にうるさく言われる」「負け犬になりたくない」等々、不安や周囲の目を気にした発言をよく聞きました。その一方で、自分が独身であることを全くネガティブに捉えることなく、独身ほど自由で楽しいライフスタイルはない、とシングルライフを謳歌している女友達もいました。

 同じ「30歳を過ぎて独身である」という状況でも、人によってこうも反応が違うのは、その状況に様々な意味づけをしているからです。ある人は、「女性として恥ずかしい」「世間体が悪い」「不安定である」といった意味づけをし、そのように捉えている人は焦りや不安の気持ちを抱いているのでした。またある人は、「自由で楽しい」「仕事に集中できる」「自分の時間がたくさん持てる」といった意味づけをし、独身生活をエンジョイしているのでした。

 そうした意味づけを行う根底には、その人がそれまで得てきた経験や、育った環境で培われた価値観が大きく関わっているのだろうと思います。

 

 

 小学生の頃、テストを返される時には決まって、クラスのあちこちから喜びやら悲嘆やらの声が上がったものです。皆、点数を気にしてのことでした。そんな中で、いつも落ち着いて淡々と答案を受け取っていた男の子がいました。彼は、自分がどんな点数を取ったのか、全く気にしていない様子でした。戻ってきた答案をチラっとみるだけで何の反応もせず、すぐに机の中にしまって後はもう忘れているようでした。他の生徒から点数のこと(大抵は平均点よりも低い点数でした)をからかわれても動じることなく、いつもニコニコと受け流していました。むしろ、答案のことで大騒ぎしている周囲を不思議に感じているようでした。テストの点数が高いか低いかなど、彼にとってはどうでもいい問題だったのです。

 

 私は、その男の子のようになれたら楽だろうなと思いました。

 

 「テストの点数が低かった」という出来事が身に降りかかった時に、がっかりしたり恥ずかしいと思ったり『叱られたらどうしよう』と不安になることがある一方で(大方の反応はこうでしょう)、受け取る側の心持次第では、同じ状況で心の平穏を保つことだってできるのです。テストの点数という変則的な物理的現象にいちいち一喜一憂させられるよりも、どんな点数でも感情的に反応することなく、常に平常心でいられた方が、苦しまなくてすみます。

 

 

 あることが自分の身に起こった時、それに対して何かしらの感情的な反応をしているということは、自分のどこかに特定の思い入れや価値観が存在しているということです。出来事に対する自分の反応が、それらの存在を教えてくれるのです。出来事やシチュエーションは、いつだって100%ニュートラルです。ただ、あなたの中にある思い入れ(とらわれ)に気づいてくださいと、やってきているに過ぎません。それ自体が問題なのではないので、一生懸命出来事や状況を変えようと四苦八苦しても、空回りするだけでしょう。

 起きている状況にばかり目を向けるのではなく、そこに対する自分のあり方を見つめてみると、自分の中にある想念の存在に気づくことができます。そして想念があることに気づいたら、それがもう必要ないのであればどんどん手放していく。そうしていくうちに、自分の身に降りかかってくる出来事や状況も、次第に形を変えていくでしょう。気づきを与えるために降りかかる出来事がなくなっていき、今度は自分が心から望む人生を創造していく段階に入るのです。

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引き寄せの法則:しがみつかない、こだわらない

 「引き寄せがうまくいかない」という理由はいくつかありますが、昨日のブログに書いた「想念が邪魔をしている」という他にもう1つよくあるのが、「引き寄せに執着するあまり、それにしがみついてしまっている」状態です。

 現実化を望むためには、意識の中でまず望むイメージを持つことが大事です。ところが、そのイメージにこだわり過ぎて、”何が何でも実現させてみせる”といった執念を持ってしまうと、その頑なな思いが足かせとなって現実化の妨げとなってしまうことがあります。

 というのは、そのように執着しているということは、宇宙に対して全幅の信頼を置いていないということになるからです。本当に宇宙(または内なる自己)を信頼していたら、願望が叶うことに疑いがないので、必要以上にそこにしがみつくこともないはずです。

 望みを頭の中で思い描き、それを宇宙に向けて放出したら、あとはもう手放して、自分の元にやってくるのをワクワクしながら待つくらいの気持ちでいるのが良いと思います。心の底から信頼しながら。

 よくある話として、長い間不妊治療をしてきた女性が、もう不妊治療に疲れ果てて妊娠を諦めることにし、不妊治療を止めた途端自然妊娠で子供を授かった、という事例があります。”どうしても妊娠したい”という強い気持ちが執着になり、そこにしがみついていた状態から解放されたために、願望成就への回路と繋がった、というパターンです。また、就職活動をいくらし続けても仕事がもらえず、「もうどうにでもなれ!」と投げやりになって放棄した途端、仕事のオファーがやってきた、といった話もあります。

 農薬を使わない『奇跡のリンゴ』を作ることに成功した青森の木村秋則さんは、何をやっても無農薬栽培がうまくいかず、資金も底を尽きて、ある時いよいよ自殺を図ることにしたそうです。首をくくる為のロープを持って自宅近くの山に登り、木にロープを投げかけた所、うまく巻き付かずにロープは地面に落ちてしまいます。そのロープをたどっていくと、たわわに実をつけたドングリの木が目に留まりました。山奥の手つかずの場所で、もちろん農薬も撒かれず、こんなに実をつけているドングリの木・・その木と周辺の土を見て木村さんはハッとします。「これは、リンゴの木でも同じなのではないか!」と。そこから、無農薬リンゴ栽培の成功へと繋がっていったのでした。

 

 

 もう1つ、願望が叶うまでの細かなプロセスに関しては、自分の頭であれこれ考えてしまわない方が良いです。どのような形で願いが叶うのかにはこだわらず、最終的に望みが叶って幸せになっている自分の姿だけにフォーカスしましょう。

 宇宙の可能性は無限大です。人が頭で考えられる範疇を超えています。幸せになるためにどのようなやり方で進んでいくのが良いのかというプロセスは、宇宙の無限の可能性に委ねてしまった方が良いです。

 特定のプロセスに執着してしまうということは、無限の可能性を秘めた宇宙からのギフトを受け取る道を狭めてしまうということです。本当は自分が考えている方法以外に、もっとスムーズに、もっと効率よく願いが叶う道があるかもしれないのに、先に1つのやり方に限定してしまったら、そうした最高最善の道に導かれなくなってしまうことになります。

 

 今まで、自分の望みが叶った体験を思い返してみてください。そこに至るまでの道筋は、予め自分が考えていた通りだったでしょうか?思いもよらないチャンスが飛び込んで来たり、考えもしなかった誰かからの助けがあったりと、予想外の方法で叶ったことが多いのではないでしょうか。そして、そのように予期せぬプロセスを経て願いが叶った時というのは、さほどの労苦もなく、想像以上に簡単に事が進んでいったのではないでしょうか。

 自分の中に「願いを叶えるためには、必死に努力(苦労)をしなければならない」という思い込みがあるなと感じるのであれば、もうそのような古い信念は手放して、「宇宙(内なる自己)を信頼しさえすれば、望みはいとも簡単に叶う」という信念にすり替えてみてください。わざわざハードな道を選びたいという方は、そのような道を選んでももちろん構いません。どのような生き方を選ぶのも、その人の自由です。けれど、幸せな人生というのは、苦労との引き換えでしか得られないと思っているのでしたら、それは全くの認識違いです。実際、”苦労を絵に描いたような人生”を送っている人が、果たしてその分の幸せを得ているといえるでしょうか。反対に人生を目いっぱい楽しみながら幸せに生きている人は、その分「苦しんだ」からそうなっているのでしょうか。

 宇宙の真理は至ってシンプルで、易しいものです。人に労苦を強いるものでは決してありません。本当はもっと楽に、苦しむことなく、誰でも幸せを手に入れることができるのです。 

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引き寄せの法則:現実とのギャップに負けない

 私達が目にしている世界は、私達の観念が「現象」という形で現されているものです。意識の投影が、現実世界というわけです。


 よく言われるのが、映画館で映画を観ているイメージの例えです。映画館で映画を観ている自分がいるとします。目の前のスクリーンに映し出されているのは、映写機が映している映像(現実世界)です。その映写機が、自分の意識ということになります。自分が現実と思って眺めている世界は、実は自分が意識の中で創り出している作品なのです。

 もし、今見ている映像(現実世界)が気に入らなければ、映画の中身を変えることが可能です。映写機のフィルムをすり替えるのです。これが、意識を変えるということです。


 少しトリッキーなのが、このフィルムの書き換えと映像に映し出されるまでの間に、少し時間差が生じるということです。つまり、自分の意識が変わってからすぐにそれが現実となって現れるのではなく、しばらく経ってから現実化することが多いのです。

 ここで陥りやすいのが、「一生懸命引き寄せの法則を実践しているつもりなのに、なかなか現実が思うように変わらない」という心理状態です。せっかく意識を変えようと決心し、実践しているつもりでいるのに、自分が思っていたより現実化するスピードが遅い場合にそうなりがちです。

 実は「なかなか現実が思うようにならない」という意識でいることこそ、「思うようにならない」現実を造り出していることに他なりません。目の前に広がっている現実がどんなに本来の願望とかけ離れていたものだとしても、それに対する自分の反応を変えてください。現実世界が全く思う通りにいっていないとしても、決してがっかりしたり諦めたりせずに、「自分は望む人生を最高にハッピーに生きている」という意識状態を保ち続けるのです。


 現実とのギャップに負けることなく、ポジティブな意識を抱き続けることができるかどうかが、創造の鍵となります。


 やがて、最初は少しずつではあるかもしれませんが、自分が意識を変え始めてからポツポツと現実に変化が表れるようになっていきます。”自分の抱いた意識が現実となって現れる”という体験を重ねていくことで、次第に自信も深まっていくでしょう。心のどこかにあった、「そんなの本当なのかな」といった疑いの気持ちや、「失敗したらどうしよう」といった不安、「自分にはできないかもしれない」といった自信のなさなどが少しずつ消えていくにつれ、現実化していくスピードも速まっていきます。時間差がどんどん狭まっていきます。そして、中途半端な夢の叶い方(ex.青いセーターがほしいと望んだのに、グレーのセーターが手元にきた)ではなく、より自分の望みに即した形で夢が叶うようになっていきます。

 焦らず、少しずつステップを踏んで現実化への信頼度を深めていってください。焦らないこと、上手くいかなくても決してがっかりしないこと、これはとても大きなポイントです。いきなり飛躍した現実を望んだり、瞬時に夢が叶うことにこだわってしまうと、それが叶わなかった時にがっかりしてしまうことになり、失望感というネガティブな気持ちが、より願望から自分を遠ざけることになります。


 現実化を邪魔しているのは他でもない、自分自身の想念です。ですから、なかなか望む現実がやってこないと感じているのであれば、まずは心のお掃除をお勧めします。いくらイメージトレーニングを行い、引き寄せの実践を積み重ねても、心の中にたくさんの不要な思い込みや信念が居座っていれば、それらが現実化の足を引っ張ってしまいます。まずは内観してみて、自分の中に恐れや不安、とらわれ等はないだろうかと、くまなく探してみてください。そしてもしそのような観念があるようでしたら、どんどん手放していってください。


 ちなみに、心の中がクリアーであればある程、内なる自分への信頼度が増すので、人は不要な想念に邪魔されることなく、思ったことが瞬時に叶うといった奇跡が起こせるレベルにまで到達することができます。実際、インドやチベットにいる高僧で、「こうなるように」と思った瞬間、現実化することができる人々がいます。例えば、「リンゴがほしい」と思ったらすぐに、手の中にリンゴがあるといったように。こういった方たちは、100%自分の能力を信じているので、意識が現実化するという事実に微塵の疑いもないのです。現実化の妨げとなる、想念のゴミもないのでしょう。聖書にも、イエス・キリストが起こした奇跡の数々が証言として載っていますが、ああいった出来事も、イエス様が意識の力を使って起こしていたのだろうな、と思います。

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子供に優しい万能ハーブ カモミール

 家庭に常備してあると安心できるハーブはいくつかありますが、カモミール(ジャーマン)は間違いなく殿堂入りハーブの一つです。ハーブがよく分からないという方は、とりあえずカモミールを常備しておきさえすれば、日常の大概の事態には対処できます。精油であればラベンダー、ハーブティはカモミール。家庭での二大巨塔です。


 カモミールは遥か4000年も昔から薬草として用いられてきた歴史があり、かのクレオパトラも安眠用として重宝していたのだとか。消化管の健康を維持し、胃粘膜を修復する作用があるので、下痢や胃痛の際に飲むと、痛みが抑えられて消化を優しく促してくれます。発汗・解熱効果もあるので、風邪の初期症状にもとても良いです。ヨーロッパでは『子供の万能薬』として、医療用として処方される所もあります。ドイツなどでは、母乳育児のために病院で出されたり、赤ちゃんの夜泣き防止にも使われるそうです。

 鎮静作用や催眠作用もあるので、神経が高ぶっている時や不眠に悩まされている時にカモミールティを飲めば、精神がなだめられてスーッと深い眠りに入っていくことができます。エジプトでは昔、「怒り」を抑えるために使用されていました。

 抗炎症作用や抗菌作用・整肌効果もあるので、ニキビや吹き出物、火傷や怪我、赤ちゃんのおむつかぶれにも有用です。ハーブティとして飲むだけでなく、美容液や消毒液として用いたり、マウスウォッシュやヘアトニックとして利用する方法もあります。また血行を良くし緊張を和らげる効果もあるので、月経痛や更年期障害にも役立ってくれます。


 まさに万能のハーブカモミール。我が家でも最近、娘がお腹を下して痛みを訴えてき来た際、大変役に立ってくれました。カモミールに粘膜の炎症を抑えるラズベリーリーフ、腸の粘膜を保護するマロウ、消火器の不調を和らげるローズをブレンドしたティーを飲ませ、ラベンダーマンダリンフランキンセンスの精油を入れた植物オイルでお腹周辺を優しくマッサージすると共に、気功でエネルギーバランスを整えました。ハーブティには、寝つきがよくなる通称”安眠”ブレンドのフラワーエッセンスも入れました。ついでにBGMには、免疫力が高まることを期待して、アルファ波が出るリラックス系の癒しミュージックをかけました。

 しばらくすると「あ、お腹痛いの治ってきた」と効果を体感した娘。堅くなっていた表情も次第に和らぎ、さらにしばらくするとスース―と安らかな寝息をたて始めました。次の日の朝には痛みもすっかりとれたようで、「あのハーブティのおかげでものすごく深く眠れた」と感想を述べました。

 その日以来、すっかりカモミールの威力に感服した娘は、寝る前に「今日もハーブティ飲みたい」と言ってくるようになりました。一緒に飲んでいた息子も、次第にハーブティが好きになり、同じようにリクエストするようになってきました。カモミールティを飲ませると、寝つきがとても良くなって「コテッ」と寝てくれるので、私も楽なのです。

 

 ちょっとした体の不調には、わざわざ病院に行って薬を処方してもらわなくても、ハーブの力でも家庭で十分対処ができるものだと思っています。我が家では、自然療法を用いるようになってから、子供が病院のお世話になることがなくなりました。ここ数年、家族の誰も薬を飲んでいません(予防接種も含む)。特に難しいことをしているわけでもなく、ただいくつかのハーブや精油、そして植物オイルを常備してあるだけです。

 そして、子供の体調不良にはメンタルの問題が大きく関わっていることが多いので、フラワーエッセンスも大変役立ってくれています。少し子供の元気がないなと感じた時、エッセンスを飲ませて普段より話をよく聞いてあげたりすると、ポツポツと学校であったことなどを話してくれたりします。元気のない状態を放っておくと、大抵しばらくしてから風邪や腹痛といった体調不良という形で出てくるのですが、体の症状が出る前に気づいて心をケアしてあげると、もうそこで癒されるので、身体症状が出ることはないようです。

 もし体の症状として出てしまった場合でも、ハーブの力で初期段階に対処してあげれば、激しく悪化することはありません。身体的に癒されただけでなく、お母さんに構ってもらえた、愛情を与えてもらったという安心感を得たことも、体が回復に向かう大きな要因になっていると思います。

 

 病気は精神の不調和から起こる、とバッチ博士は言いました。もし全ての人が精神の調和を取り戻したら、この世から病気はなくなるのかもしれないなあ、と思います。

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ネガティブエネルギーに憑依されてしまった時には

 娘のために新しいトリートメントボトルを作りました。まずは自分で選んでもらうことに。ずらりと並んだエッセンスの中から、「どれか飲みたいのある?」と聞くと、しばらくジーッと眺めた後「これ」と、アンジェリックの"Shamanic Extraction"を取り上げました。これは直訳すると「シャーマンの引き抜き」といった意味のボトルです。肉体やサトルボディ(霊体)に刻み込まれたネガティブエネルギーを取り除いてくれる作用があります。

 日常生活を送っていると、知らず知らずのうちに自分にとって望ましくないエネルギーを取り込んでしまうことがあります。人と会ったり話したり、集団生活を送っていれば誰でも他人のエネルギーの影響を受けますし、また場所や建物・空気中にも様々なエネルギーが浮遊しています。時には「憑依」といった形で自分にネガティブエネルギーが取りつくことがありますが、霊体がそうしたエネルギーに浸食されると様々な弊害が現れてきます。本来の自分とは異なる思考や信念が浮かんできてそれに振り回されてしまったり、自分のためにならない選択をしてしまったり。霊体に傷がつくと、徐々にその影響が肉体にも降りてきますので、体のどこか(胃腸や頭、太陽神経叢の場合が多い)が痛くなったりもします。

 "Shamanic Extraction"は、そのようにネガティブエネルギーに浸食されてしまった状態の時、まるでシャーマン(呪術師)が儀式で引っこ抜いてくれるかのように、ヒョイと不要なエネルギーを取り除いてくれます。私自身、これを飲んで腹部の痛みや頭痛がスーッと消えてなくなる経験を何度もしています。

 そこらじゅうに漂っているネガティブエネルギーは、自分が波長を合わせないようにしていれば本来影響は受けないものなのですが、自分のエネルギーが落ちている時や、不安・恐れといったマイナス思考に陥っている時、また好ましくない状況にいる人に同情したりすると、スッと入ってくることがあります。相手の不幸を自分が背負いたいと望めば、その通り自分がしょい込むことになります。それから、誰かから恨みや嫉妬といった感情を抱かれたり、呪詛をかけられることもまれにあります。

 娘もそろそろ高学年に差し掛かる年頃ですし、学校生活で様々な人間関係を経験していることでしょう。そういえば最近、食あたりでもないのに「お腹が痛い」と言ってきたことがあったなあと思い返し、やはり自分に一番必要なエッセンスを選んだのだと思いました。

 

 ちなみに、自分があまり心地よくないと感じるような場所や建物や人には、できるだけ近寄らない方が良いと思います。そのように感じるということは、自分にとって望ましくないマイナスエネルギーがあることを、直観が教えてくれているのです。肝試しのようなことも、なるべくしない方が良いと思います。浮遊霊というのは、この世に執着があって成仏ができていない人の念エネルギーです。そうした念エネルギーが集まって来やすいような場所や時間帯にわざわざ自分から出向いていくことは、そうした低い波動を拾いに行くようなものです。

 ネガティブエネルギーの影響を受けてしまったなと感じた時は、浄化をしたり、波動を上げる努力をしていれば自然と去っていってくれますが、時間がかかることもあります。"Shamanic Extraction"のようなマイナスエネルギー除去作用のあるエッセンスは、時間を置かず瞬時に取り除いてくれるので、常備してあるととても心強いです。

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数秘術における年運数

 宇宙には、全ての現象を司る一定の秩序が存在しているといいます。『フィボナッチ数列』のような黄金律には、そうした秩序が数学的に表れています。宇宙の普遍の秩序を数値化し、人類に及ぼす影響を統計的にまとめたものが、占星術や数秘術といったものだと捉えています。

 「占い」という言葉の響きがどうしても胡散臭いイメージを持たれがちなのですが、本来こうした占術は、宇宙を支配する数学的な秩序を理解した人々が、一定のパターンやサイクルを割り出して、そのデータを未来に活かすツールとして用いてきたものです。


 かくいう私も、自分が実際に数秘術を学ぶまでは、そのような「占い」を信頼していませんでした。けれど、数秘術を学び、それを自分や身近な人々に当てはめて考察してみると、怖いくらいに当たっているので、これは明らかに何かあるという考えに変わっていきました。


 誕生数秘術で最もその人の人生に影響を及ぼすと言われている数字が、「運命数」です。これは、西暦の誕生日の数字を全て足し、二桁になったらそれが一桁になるまで更に足していって導き出された数のことです。

(例:1975年12月6日・・・1+9+7+5+1+2+6=31→3+1=4 運命数は「4」)


 もし、足していった数が「11」「22」「33」のどれかになったら、それ以上は足しません。

(例:1987年6月7日・・・1+9+8+7+6+7=38→3+8=11 運命数は「11」)


 それぞれの運命数は、その数字が持つ独特の波動を帯びており、その人の人生がその影響下に置かれることになります。宇宙全体(天体の位置関係なども含む)の波動が日々特定のパターンで変化しており、その人が生まれたその日の波動が肉体に刻印されるので、数字で表されたその波動が後の人生に大きく関わってくることも理解できます。


 そして、運命数にその年(西暦)の数字を合わせたものを「年運数」と言います。これは、人の人生は大まかに9年のサイクルで一定のパターンを繰り返す、という考え方です。例えば私は運命数が33なので、それに今年2014年の数字を足すと、3+3+2+1+4=13→1+3=4。私の今年の年運数は、「4」ということになります。

 これはどういう数字かというと、大まかにいうと「試練と忍耐」「地道な努力」「基盤を整える」といった数字です。なるほど当たっているなと思います。去年の年運数は「3」でしたが、これは「出会い」「チャレンジ」「遊び心」といった数字です。私にとって去年一年間は、本当に新しい学びがたくさんあった年でした。学生時代に戻ったように、たくさん勉強をした年でした。今年は、去年のような派手さはありませんが、日々コツコツと努力を積み重ねることが大切だなと感じています。

 4年前の年運数は「1」で、これは9年周期の始まりの年です。これもまた怖いくらい当たっています。私の魂の深い学びは、今からちょうど4年前から本格的に始まりました。自分の新たな人生が、その年から始まったような気がします。

 ちなみに来年2015年の年運数は「5」。「変化」「移動」「自由」といった数字です。何か楽しいことが起こる可能性がある年でもあります。この年は非常に流動的で、自分の軸をしっかり保っていないと周囲に流されやすくなる可能性もあるので、しっかり身を引き締めながら過ごすことが肝心です。どんなことが起こるのか、今から楽しみです。

 そして「愛情」「家族や人との絆を深める」「奉仕」「平穏」を表す数字の「6」の年が来て、「内なる自分と向き合う」「精神」「休息」の年「7」、「経済的な充実」「幸運」「願望の実現」の年「8」と続き、9年周期の集大成であり、「それまでの結果が出る」という「9」の年2019年を迎えます。ここで1つの周期が終わるので、この年に何かが切り替わることになります。別れや決別もあるかもしれません。8年間の過ごし方の結果が出るので、良い年になるか悪い年になるかは、それまでの自分次第です。


 運命数や年運数は、あくまで目安として捉え、それに極端に縛られないようにしようとは思っています。けれど、明らかにその年が去年のようにはいかないな、何となく流れが違うなと感じる時は、今年はそういう年なのだなと思えば納得もいきます。無理やり抗おうとするよりも、宇宙の大きな流れに身を任せていた方が、楽に事が進むような気がします。人生の大海原で、大きな波がやって来たらそれに逆らおうとせずに、逆に思い切って身を任せてしまい、その波が連れて行く所に運ばれてしまおうという感覚です。

 もちろん、意思の力で運命を切り拓いていくことも大事ですが、宇宙の普遍の法則の影響下にいる限りは、ある程度はそうした秩序に合わせながら生きていくことも寛容なのかなと考えています。普遍の秩序に抵抗するのではなく、むしろ一定のパターンを上手く利用しつつ、秩序と共存して生きていく、そんな柔軟性を持ちたいです。

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引き寄せにとらわれ過ぎずに生きる

 最近書店に行くと、「引き寄せ」に関する本が少し前と比べてかなり増えており、世間のニーズが高まっているのだなと感じます。世の中の人々が、”意識と現実化”の関係性にだんだん気づいてきて、具体的にどのように意識を活用すれば良いのかが知りたくなってきているのだと思います。

 引き寄せの本は、どのようにしたら自分の望みが叶うのか、細かな方法論について書かれているものがほとんどです。また、各地で引き寄せに関するセミナーや講演会なども行われていますが、同じように具体的なノウハウを教えてくれる内容のものが多いようです。


 私も以前、そのようなセミナーに参加したことがありました。理想の自分になるためにはどのようなイメージングを行うと良いか、どのような思考癖をつけることが有効か、といったテクニック的なことを教えてくれるセミナーでした。そのセミナーの講師の一人は、そうしたテクニックを用いることによっていかに自分が”成功”を収めてきたか、ということを具体的な数字をスクリーンに出して説明してくれました。今までにコンサルタントを行ってきた会社の数、今までで一番稼いだ月収、自分が書いた本の売り上げ数、インターネットの閲覧者数、等々・・自分のコンサルタントを受ければ、あなたもこのような”成功”を手に入れることができますよ。夢が現実になります。素晴らしい人生を送ることができます。


 このように語る講師を見ていて私は、「この方は本当に”幸せ”なのだろうか」と感じました。少なくとも、私もその方のようになりたい、という気持ちにはなりませんでした。


 まだ物理的な世界にいる私達にとって、物質はなくてはならないものです。お金もなければ生活できませんし、望む人生を送るためにもある程度は必要です。決して物質やお金の存在を否定している訳ではないのですが、あまりそこに囚われてしまうと、執着が生まれて本来の”幸せ”から遠ざかってしまうことになるような気がしています。

 魂の学びが深まり、意識の覚醒が進めば進む程、そうした物質的な欲は消えてなくなっていくものと思っています。あらゆる執着がなくなっていくので、何物に対しても囚われなくなりますし、そもそも人は覚醒されると、『自分は全てを持っている』という感覚になるので、物質に囲まれている現象に意味を見出さなくなるようです。

 お釈迦様やイエス様のようなマスター達は、この境地にいた方々なので、物質的な執着がほとんどありませんでした(二人とも質素な身なりをしています)。囚われがなかったために、必要な時に必要な物全てがもたらされたのだと思います。これは一見矛盾しているようですが、何かを求めて必死になるよりも、『必要なものは全て持っている』という感覚でいた方が、より”豊か”に人生を送ることができます。


 この地球上で生きている間、自分が望む人生を送るために当然必要となってくる物質やお金ですが、そこが最終目的となってしまわないよう気を付けなければいけないなと思います。物質的な欲望は、留まるところを知らないからです。物質的な豊かさを本当の”幸せ”だと捉えてしまうと、一体どこまで手に入れたらゴールなのかわからなくなってしまいます。物質的な豊かさを求めてひたすら引き寄せの法則を実践し、”成功”して望むものを手に入れたとしても、果たして自分の心は本当に満たされているかどうかわかりません。魂の充足感は、物質的な世界とは別の次元にあると思うからです。

 あくまで物質やお金は、自分が魂を磨いていくためのツールでしかないと捉えています。そこが目的になってしまわないよう、時々立ち止まって自分を見つめ直したいものです。

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ラグビースクールで子供の自主性を考える

 小学生の息子が通っているラグビースクールに、久しぶりについて行きました。今日は他のスクールも呼んで、対抗戦が行われる日です。

 ラグビーというスポーツは、ボールを持っている相手を思いっきり倒すタックルというルールがあるので、球技スポーツでありながら格闘技のような激しさがあります。タックルはする方もされる方も大変痛いのだそうで(私は経験したことがないのですが)、痛さと恐怖心に打ち勝つ強い心がなければ、やっていくことができません。ラグビーをやっていた人に打たれ強い人が多いのも、納得がいきます。

 

 小学校低学年の、AチームとBチームの試合を観戦していた時。Aチームのコーチ(4~5人)は、試合中ずっと大きな声で子供達に細かい指示出しをしていたのに対し、Bチームのコーチ達は、全員何も言わず、無言で子供達のプレーを見守っているのに気が付きました。Aチームのコーチ達は、誰がどのように動くべきか、ボールをどのように扱えば良いのか、走り方、声の出し方、パスのタイミング、等々、プレーしている子供達に向かって、それぞれが思うことを休みなしに投げかけています。Aチームの子供達は、心なしか委縮して伸び伸び動けていないように感じました。体の動きに緊張感があり、どことなく硬いのです。

 その一方で、コーチ達に細かい事は何も言われず、ただ見守られているだけのBチームの子供達は、自分達の直観と仲間との連携を上手く生かして、柔軟に動いていました。相手の一瞬の隙をついてボールを奪い、抜け道を見つけサーッと走り抜けてゴールにトライするプレーなど、理屈ではなく感覚で動いているのだなと思いました。

 更に、Bチームの子供達が、試合に出ていないメンバーも一致団結して、試合に出ているメンバーを全力で応援している姿が印象的でした。そして、小さいながらも自分達なりに戦略を練り、お互い檄を飛ばし合い、試合を終えた仲間をねぎらったり、これから試合に出る仲間に声をかけてあげたりと、一体感がありました。自分達の力で、自分達が勝利をつかむのだ、という気迫が感じられました。何より、ラグビーの試合というこの瞬間を、全身で楽しんでいました。

 結果は、Bチームの圧勝でした。

 

 子供は、自由で自主性が重んじられる環境でこそ、最大限の能力が発揮されるのだなあ、と改めて感じました。Bチームのあるお子さんのお母さんは、「うちの息子は、学校の宿題や習い事の課題は真剣にやらないのに、ラグビーのことになると目の色が変わるんです」とおっしゃっていました。こうしなさい、と細かく指示を出されると途端にやる気がなくなってしまうけれど、ラグビーの試合に対する心構えなどは、誰からも言われていないのに丁寧にノートをとったりしているのだそうです。

 

 大人でも、自分が本当に好きなことは、自然と真剣に取り組もうという情熱が湧いてきます。そして、好きなことを自由にやれている時は、ワクワクの波に乗っているので、直観力が冴え、インスピレーションも受け取りやすくなり、上手くいく方法がパッと思いついたり、何も考えなくても自然と体が動いたりします。ワクワクの波に乗ることこそが、宇宙と一番上手につながる方法なので、細かい方法論など本当は必要ないのです。

 Bチームの子供達は、このワクワクの波に、邪魔されることなく上手く乗れていたのだと思います。Aチームの子供達は決して能力が劣っていたというわけではなく、「制限」によって、自分達の直観を最大限に生かしきれていなかっただけなのではないかと思います。

 

 子供はまだ未熟で何も知らないから、大人が全て教えてあげなければいけない、と思われていることが多いのですが、実は子供こそが宇宙と繋がる方法を大人以上に”自然に”わかっていたりします。大人が教えなくても、それ以上の知識を既に持っていることもあります。そして、子供が自由に動ける環境を与えておけば、自分から”自然と”ワクワクの波に乗っていき、自分が何を学び何をするべきなのか、誰からも強要されることなしに”自然に”探求していきます。波に乗れさえすれば、必要なものを必要な時に自分の元に引き寄せるようになるので、大人があれこれお膳立てしようと必死になったり、無理やり探し出そうとしなくても本来大丈夫なのです。

 子供が必要としている時にそっと手を差し伸べてあげ、子供が知りたいと望んでいることを教えてあげ、そして子供が最大限に自分のワクワクを追求できるように、暖かく見守ってあげることが、大人に与えられた役割なのではないかなと思います。そして何より、子供自身が本来持っている、自分で人生を切り拓いていく能力を心から信じてあげることが、最も大切なことなのではないかなと思います。

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愛のソルフェジオ周波数528Hz

 「音」はそれぞれ、特定の周波数を帯びています。その「音」の集まりである音楽もまた、特有の周波数を発しています。聴いて心地よいと感じる音楽は大抵私達の周波数を上げてくれるので、ポジティブな感情に切り替わったり、心の傷が癒されたりします。反対に自分と波長が合わない音楽は耳障りだと感じ、聴いていると何となく落ち着かなくなったり、嫌な感情が湧き起って気持ちが暗くなったりします。


 あらゆる音にそれぞれの周波数がありますが、特に人の意識と感情に強く働きかける周波数があって、『ソルフェジオ周波数』と呼ばれています。その中でも更に特別”奇跡の周波数”と呼ばれるのが、528Hzです。これは宇宙全体に広がる「愛」の周波数で、聴く人に愛の意識と癒しをもたらしてくれます。なんとこの周波数には、壊れたDNAを修復する働きもあるのだそうです。(参照:『ジョン・レノンを殺した狂気の調律A=440Hz』レオナルド・G・ホロウィッツ著、徳間書店)

 ネガティブエネルギーの影響を受けて頭痛がする時や、何となく心がざわつく時などにこの528Hzの周波数を流していると、スーッと頭痛が消え、心が平穏になっていく感覚があります。波が静まって「0」に戻るイメージです。気持ちがシャキッとして、目もパッチリ開いてきます。瞑想した時と同じ効果があるような気がします。

 また、ソルフェジオ周波数の396Hzには「恐怖やトラウマを解放する」という力があるそうなのですが、私が昔から好きだったエンヤの曲には、この396Hzや528Hzの周波数が入っていると聞いて納得がいきました。エンヤの曲を流していると心と空間が浄化されていき、脳波が変わっていくのが実感できます。


 昔から何度も繰り返し演奏され、今も残っている音楽がいわゆる”クラシック”ですが、これは人が聴いて「心地よい」と感じ、何らかの癒し効果を実感しているから、時を経てもなお多くの人々に支持されているのではないかと思います。

 私は最近、電車に乗る時にアイフォンで音楽を聴くようにしているのですが、それはなぜかというと、そうすると今までのように家に帰ってからの頭痛に悩まされることがないと気づいたからです。人混みの中にいると様々なエネルギーの影響を受けるものですが、癒しの音楽を聴いていると、自分の周波数が一定に保たれ、またネガティブなエネルギーを浄化してもらっているようです。


 特に曲の周波数を測ったわけではないのですが、クラシック音楽の中には、こうした「癒し」と「周波数調整力」がひときわ強いと感じる曲がいくつかあります。あくまで私が個人的にそのように感じているというだけですが、参考までに下記に挙げておきます。(私はこれらの曲をアイフォンの『黄金律』フォルダに入れ、電車や家の中で繰り返し聴いています)



*中でも別格だと感じている曲はで表しました


♡「G線上のアリア」 J.S.バッハ

♡「カノン」 パッヘルベル

♡「ピアノ協奏曲 第21番 第2楽章」 モーツァルト

♡「ピアノ五重奏曲”ます” 第4楽章」 シューベルト

♡「主よ、人の望みの喜びよ」 J.S.バッハ

♡「サラバンド」 ヘンデル

♡「”グリーンスリーヴス”幻想曲」 ヴォーン・ウィリアムズ 

♡「交響曲第7番 第2楽章」 ベートーヴェン

♡「カンタータ第140番~シオンは物見らの歌うのを聞いて」 J.S.バッハ

♡「ミゼレーレ」 アレグリ

♡「小フーガ」 J.S.バッハ

♡「平均律クラヴィーア曲集第1巻 1.プレリュードハ長調」 〃

♡「ブランデンブルク協奏曲第4番 1楽章」 〃

♡「オンブラマイフ」 ヘンデル

♡「タイスの瞑想曲」 マスネ

♡「アヴェ・ヴェルム・コルプス K618」 モーツァルト


《番外編》

♡「聖ヨハネ賛歌」

♡「グレゴリオ聖歌」

→これらの古い聖歌には、ソルフェジオ周波数が用いられているそうです。意識を高め、『神』との繋がりをより深く感じるために、昔から教会で歌われてきました。

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人に怒りをぶつけられたら

 先日、息子を後ろに乗せて自転車に乗っていた時のこと。ある狭い通りを走っていたら、向こうから年配の男性が、猛スピードで自転車を走らせてきました。後ろに子供を乗せているので思うようにハンドルが切れず、とりあえずその場に立ち止まるしかなかった私に向かって、すれ違いざまにその男性は舌打ちをし、悪態をついていきました。その男性にしてみれば、自分の行く手を邪魔する私の存在が憎たらしく、怒りの感情が噴出したのでしょう。

 私は一瞬驚き、怒りをぶつけられて悲しい気持ちになりましたが、すぐに感情が落ち着いて、数分後にはその出来事のことを忘れてしまうくらい平常心に戻っていました。一昔前と比べて、こうしたことが起こった時の心の動揺がなんと減ったことか、とつくづく思います。


 今から10年程前の、似たような出来事を思い出しました。当時まだ赤ちゃんだった娘を連れて、私は公営バスに乗ろうと始発の停留所でベビーカーをたたんでいました。ベビーカーと娘を持ち上げてバスに乗り込んだその時、後ろから来た年配の男性が、いきなり私に向かって罵詈雑言を投げつけてきました。言っていることがよく聞きとれなかったのですが、どうやらその男性は、小さい子供を連れて公共の乗り物に乗る母親が許せないと思っているようでした。大きな声でしばらく私を責める言葉を言い続け、全身から怒りを発散させると、その後はずっと空をにらんでいました。

 その時の私は、そんなことを言われたことがただただ悲しく、辛く、今にも泣きそうでした。どうしてそのようなことを自分が言われなければならないのだろうと、憤りを感じていました。その男性に対する怒りの感情も湧き起ってきました。あんなことを言うなんて、なんと冷酷でひどい人なんだろう。自分だって赤ちゃんの頃があったはずなのに、そういうことは考えないのだろうか。私は何か間違ったことをしたのだろうか・・・とても深く傷つき、その日からしばらくはバスに乗るのが怖くなってしまったほどでした。


 その時の自分と今の自分とでは、他人からこうした「攻撃」を受けた時の反応の仕方が全く異なっています。昔の私は、誰かから攻撃的な言葉や態度を投げつけられた時、相手がそうした怒りの感情を発しているのは「私」が悪いからだ、という捉え方をしていました。ですから、やってくる怒りの感情を全面的に受け、傷つき、落ち込みました。

 けれど今の自分は、いかに相手が怒り狂っていようと、その感情は全て相手の内面の問題から発せられている、ということを知っています。私はその人を怒らせるきっかけとなってしまったかもしれませんが、怒りの本質的な原因は私ではありません。怒りを引き起こしているのは私ではなく、相手が抱いている未解決の問題です。自分の中にあるその手放すべき問題から目をそむけようとし、怒りの矛先を私に向けているだけです。自分にとって不愉快なことが起こるのは全て周りが悪いのだと信じきっているので、自分の内側に目を向けようとせず、ひたすら周囲を責め続けているのです。

 自分の身に起こるあらゆる出来事は自分の内面から引き起こされているということを知っている人であれば、何か自分の感情が乱される出来事が起こった時に、決して相手を責めることはしないでしょう。相手を責める代わりに、なぜ自分がこの出来事にこのように反応しているのか、自分の内側に目を向け、そこにある問題を探し出そうとするでしょう。


 こうしたことを知っていると、ネガティブな感情を自分に向かってぶつけてくる人に遭遇しても、さほど動揺することなく流せるようになります。その感情を「私」が受ける必要はないとわかっているからです。その感情を造り出しているのは私ではないのですから。



《外からのネガティブエネルギーから身を守りたい時》


♡ヤロー・エンバイロメンタル・ソリューション(FES) ¥3,888

 人や環境からのネガティブエネルギーから身を守ってくれる、FESの代表的エッセンス。自分の身の周りに結界が張られるイメージ。周囲に振り回されることが減ったり、他者からの攻撃的な被害に逢わなくなります。接客業に携わっている人や、いじめの被害にあっている人、また人混みの中に行く前などに飲むのがお勧めです。スプレー容器に入れて部屋にスプレーすれば、悪いエネルギーがやってこないので、安心感があります。バケツの水に入れて拭き掃除をしても。ヤロウ・ピンクヤロウ・ゴールデンヤロウ・アルニカ・エキナセアのエネルギーが入っています。


♡ガーディアン(アラスカン) ¥2,484

 あなたのオーラにパワフルなプロテクションのエネルギー場を形成します。前向きで調和のとれたエネルギーを呼び起こし、あなた自身のためのエネルギー場をつくったり、グラウンディングを維持したりして、強く健全な境界を感じさせてくれます。安全だという感覚を持ったり安心感を感じたりする必要のある時はいつでも使用することができます。コブライト・デビルズクラブ・ラウンドリーフオーキッド・ストーンサークル・ホワイトヴァイオレット・ヤロウのエネルギーが入っています。


♡プロテクション(アンジェリック) ¥3.240

 全てのレベルにおけるプロテクションに。シールドを張ってくれます。

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インディゴチルドレンとエッセンス

 地球が転換点を迎えている今、これからの世界を支えていくために、多くのスターチルドレン達が生まれてきています。最近地球にやって来ている子供は、ほとんどがこうした「ニュータイプ」の子ども達だと言われています。

 今までの一般的な社会通念や価値観とは相容れない性質を持っているために、ニュータイプの子ども達は物質的生活に対応するのに困難を感じていることが多いようです。そして、そうした子ども達を持つ親もまた、彼らにどのように接したら良いのか、とまどいを感じているようです。いわゆるニュータイプの子ども達のことを、「インディゴチルドレン」や「クリスタルチルドレン」と呼ぶことがあります。アンジェリックエッセンスの創始者であるルース・ジョイさんは、インディゴチルドレンのためのエッセンスをいくつも作っていますが、ルースさんのサイトにこのことを詳しく書いた記事が載っていますので、拙訳で恐縮ですが載せたいと思います。

 

(原文はこちら↓)

http://www.angelicessences.com/understanding-the-indigo-children-and-energies.html

 



『 ”インディゴチルドレンとそのエネルギーを理解するために”

        ――ルース・ジョイ

 

 子ども達は、私達に多くの恩恵と挑戦、そして学びのチャンスを与えてくれる存在です。私達は、子ども達に影響を与え、そして同時に彼らから影響を受けるという素晴らしい機会に恵まれています。私は、全ての子ども達がかけがえのない存在で、それぞれの子どもが私達に学びと成長の機会をユニークな形で提供してくれていると思っています。今私たちの元にやってくる子ども達は、新しいエネルギーと意識を携えてきており、それは現在この地球にいる私達にとって、なくてはならないものです。

 

 数年前、私は「生命の色("Life Colors")」と「インディゴチルドレン」という概念を知り、そして私の3人の息子のうち2人がインディゴのライフカラーを持つということを教えられました。この情報のおかげで、私は彼らの個性と、彼らが教師や親である私に対して投げかけた挑戦が、インディゴチルドレン特有のものであったということに気づき、とても楽になりました。多くの親と同様に、私はできる限り最良の教育環境を探し、両親学級を受講し、カウンセリングを受け、子ども達の活動をサポートし、彼らと私の要求が満たされるようなやり方を模索してきました。けれど、理解できないことがたくさんありました。私は、親としてよく頑張ってきたとは思うのですが、子ども達が幼い頃は、彼らがそれぞれ特定の状況でうまくいくということを知るまでは、ずっと手探り状態でした。事がうまく運んだ時もありましたが、それは直観的な「まぐれ」がもたらした結果でした。ですから、インディゴチルドレンの情報は私にとって大変貴重なもので、親としての理解と認識を持つためにとても参考になりました。

 

 今はもう息子たちも大きくなりましたが、私は、子育てをしている人達が彼らの真の姿に気づかないまま、そしてエッセンスがもたらしてくれる恩恵を知らないまま過ごすことがないよう、この情報をシェアしたいと思います。子ども達の個性を支え、そしてその過程において自分自身を大事にするために、できることはたくさんあります。私も息子たちもよくやってきたと思いますが、今持っている知識をあの時に知っていれば良かった、と強く思います。私も息子たちも、きっととても助けられたことでしょう。

 自分の子供以外のインディゴチルドレン達と触れ合っているうちに、エッセンス『意識の扉/インディゴの光』シリーズが、天使界からもたらされました。彼らは、この地球上にまだ存在していない特別なエネルギーを必要としているのです。そして、こうした子ども達をサポートするため、また彼らと共に暮らしていたり、関わっていたり、もしくは彼らのエネルギーや意識と同調したいと望んでいる人々を助けるために、追加のエッセンスがキットに加えられました。そのうちのいくつかのエッセンスを、この記事で紹介しています。それらは子どもにも、そして親にも使って頂けるものです。

 

 インディゴ(藍色)はずっと以前からある色ですが、「ライフカラー」として知られるようになったのは、1970年代後半になってからのことです。今生まれてくる子ども達の90%以上が、インディゴチルドレンです。この色の持つ特徴的な性質や、今や多くの人々がこの色をライフカラーとして持っていることから、社会的な認識も高まってきています。インディゴチルドレンの存在が私達にもたらす恩恵を考えれば、自分達の両親の子育て方法が、必ずしも彼らにとってふさわしいやり方であるとは限らないことに気づくでしょう。こうした子ども達が成長し、学校や組織に入る頃になると、彼らが、私達が築き上げてきた規範やシステムと合わないことが明らかになっていきます。インディゴチルドレンは、こうしたシステムを超越した存在なのです。古いシステムが彼らのニーズを満たさないために、インディゴチルドレンはどんどんフラストレーションがたまっていき、本人達だけでなく、既存の知識で彼らを縛りつけようとする私達もまた、混乱することになります。エッセンス"Entering the Next Dimensional Shift(次の次元へのシフト)"は、私達が古いシステムやパラダイムから脱却するのを助け、インディゴチルドレンや私達自身の目覚めをサポートしてくれます。エッセンス"Letting Go(手放し)"は、私達が高次のエネルギーへと変容していく能力を高めてくれます。より多くの自由、信頼、そして想像以上のパワフルな結果がもたらされるでしょう。

 

 インディゴチルドレンに特徴的なのは、その高い波動と意識、そして進化した魂であるということです。エッセンス"Doorway to Higher Frequencies(より高い周波数への扉)"は、こうした高い周波数が地球に根をおろすのを助け、しっかりとつなぎとめる働きをします。このような新しい周波数に同調することによって、目覚めが促され、意識が拡大し、インディゴチルドレンとの繋がりが深くなっていきます。彼らは、古くて叡智に溢れた魂を持っています。自分たちが何者であり、ここがどういう場所なのか、多くの場合私達よりも深く理解しているのです。エッセンス"Awareness with Love(愛の気づき)"は、私達により高い意識と愛の認識をもたらしてくれます。愛をもってみれば、インディゴチルドレンを受け入れ、そして尊重することができるようになるでしょう。

 ”気づき”によって、「全体」つまり「魂」において私達が一体何者であるのかを理解し、そして思い出すことができます。インディゴチルドレンは、私達とこの地球が、魂の成長において次のステップに進むのを助けるためにやってきました。彼らは霊的能力が高い傾向があり(サイキック)、そして調和と自己愛、協調性、無条件の愛、自己表現と共に生きることを知っています。彼らには、私たちが他者や自分自身をないがしろにすることが、理解できません。彼らは、物事を私たちが認識しているようには捉えていないので、自分がまるで”場違いな人間”であるかのような思いを抱いていたりします。エッセンス"Opening to/Embracing Earth Incarnation(この世への転生を受け入れる)"は、こうした子どもたちが地に足をつけ、肉体を持った人生を受け入れて楽しむことを助けてくれます。

 インディゴチルドレンは、自分たちが箱の中に閉じ込められることを好みません。私達が彼らを”個”として認め、そのように扱うことを求めるでしょう。私達や教師、年配者、友人達が誠実な心でもって、自分を尊重してくれることを望んでいます。こうした子ども達は、非常に成熟した知性を伴ってやってきているので、既存の教育システムにうんざりし、飽き飽きしてしまうことが多々あります。エッセンス"Inspiration(インスピレーション)"は、インディゴチルドレンが高次のインスピレーションの源と繋がるのを助けてくれます。そうすることによって、彼らの知性が活性化され、創造性や情熱が花開き、生き生きとしてくるでしょう。

 

 インディゴチルドレンは、高く微細な波動を帯びているので、肉体的に敏感だったり、特有の情緒的欲求があったりします。エッセンス"Gateway to Truth, Passion, Purpose, Hope(真理、情熱、目的、希望への道)" は、彼らが平安や受け入れられている感覚、深い満足感、希望の中にいられるように助けます。そして感情体が癒されることによって、元々持っている魂のブループリントにつながり、情熱と目的意識を取り戻すことができるのです。

 インディゴチルドレンは、肉体的にもより精巧なシステムとエネルギーを持っているので、従来の医学とは異なる対処が求められます。彼らは、伝統的な教育制度とかみ合わないため、よく誤診されて投薬治療を受けることがあります。多くのインディゴチルドレンが、他とは異なるエネルギーと性質を持っているために、しばしばADD(注意欠陥障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)といった間違った診断をされてしまうのです。私達は、もっと意識を高め、こうした子ども達を育てケアしていくための代替策を考えていかなければなりません。

 エッセンスは、こうした子ども達が問題に向き合うのをエネルギー的にサポートすることによって、代替医療として効果を発揮してきました。エッセンス"Solid Center/Peaceful Heart(軸に留まる/心の平安)"は、地に足をつけながら穏やかにセンタリングすることを助けます。内なる平安と深い安らぎ、そして受け入れる力を促してくれます。

 

 インディゴチルドレンの親として、教師として、そして共同体の一員として、私達はもっと学ぶべきことがあります。私達は、智慧に満ちた存在としての彼らの声に耳を傾ける義務がありますが、同時にこの地上で彼らを優しく導く存在でもなければなりません。インディゴチルドレンは、古い社会構造とかみ合わないので、多くの壁にぶつかったり、彼らを落伍者とみなそうとする人々に出会ったりします。"Freedom from Fear(恐れからの解放)"は、こうした子ども達に対する私達の不安をなだめ、インディゴチルドレンが拒絶されたりジャッジされることを恐れて尻込みすることなく、本当の自分の姿でいられるように助けてくれます。彼らにこの世界のことを教えつつ、インディゴチルドレンが自分らしくいられるよう、手助けをするのが私達の役目です。なぜなら彼らは、来たるべき大きな変革期を導いていく存在となるはずだからです。私達は、彼らの声に耳を傾けなければなりません。子ども達は、私達の理解とサポートを必要とするだけの存在ではないのです。親として、こうしたことを知っておく必要があります。

 

 もう何年も前のことですが、私は、子ども達のためだけでなく、自分のためにも、癒しと気づきに取り組む大切さを知りました。私が自分自身の癒しと成長に主体的に取り組むようになっていくと、息子達も同じように学び、そして成長していくということが解りました。そしてまた、自分の癒されていない感情を、彼らに投影させることも減っていきました。子ども達は、私が癒す必要がある事柄が、自分達とは関係がないことを知っていました。

 親として、面倒を見る立場として、私達は自分の欲求が満たされなければ、他の人の欲求も満たしてあげることはできないのです。自分の欲求が満たされ始めた人は、自分の内面の資質を、より多く他者と分かち合えるようになっていきます。私は、エッセンスを子ども達だけでなく、自分や他の親達、教師、面倒を見ている人をサポートするために使うように、と促されました。エッセンス"Mother Moon/Mother Mary(母なる月/聖母マリア)"は、私達の内側にある、子ども達や自分自身、そして他者に対する思いやりの心を広げます。このエッセンスは私達のハートを開き、愛の視点で経験を積むことができるよう導いてくれます。

 

 インディゴチルドレンは、私達に未来を見せてくれるために今ここにいます。新しい時代へといざなってくれます。子ども達は、私達に与えられた神からの贈り物なのです。命の贈り物です。彼らは、私達と地球に創造主からもたらされる、深淵な愛と支援、献身を体現する存在です。人生、親であること、教えることはやりがいのあることです。私達は、これまでの限界を超え、既存の知識を超越していくことを促すような、様々な出来事に直面しています。私たちの人生にインディゴチルドレンがいることで、私達は自分達をもっと高めていくよう、呼び覚ましてもらっているのです。エッセンス"Gateway of Completion(完成への道)"は、こうした新しいエネルギーや知識を私たちの生活に溶け込ませてくれるので、私達がインディゴチルドレンを導きながら、彼らと共に歩んでいくことができるようになります。

 私たちの文化では、通常と異なる振る舞いや性質をもつ人を見ると、「障害がある」とか「扱いが難しい」といった見方をしてしまいがちです。けれど、彼らはチャンスをもたらしてくれているのです。エッセンス"Joiful Expantion(喜びの拡大)"は、インディゴチルドレンが新しい世界の到来を告げ、私達と地球に希望をもたらしてくれる存在であることを、思い出させてくれます。私達が経験すること全てに、喜びを感じていられるようにします。

 親として、私達は子どもを育てるという責任だけでなく、自分達を出来うる限り最高の状態まで高めていく責任があります。人として、自分を見つめ、何を癒すべきか知ることを求められています。インディゴチルドレンが、自分達の特別なエネルギーや意識によって物理的な利益を得、波動が変わるようなことをする必要はありません。これらのエッセンスは、私達全てのためにあります。』


 

*インディゴチルドレン、クリスタルチルドレンに関する更なる情報を得たい方*

 

『ドリーン・バーチュー女史の日本語公式サイト』

~インディゴチルドレン、クリスタルチルドレンに関するニュースレターのバックナンバーです~

http://doreen.jp/angelguide/007children.html

 

『インディゴ・チルドレン~新しい子どもたちの登場』

(リー・キャロル、ジャン・トーバー著 ナチュラルスピリット) 

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ネガティブな感情とのつき合い方

  日々の生活を送っていると、様々な出来事に遭遇します。自分が見ていることは、意識の反映であることは以前書きました。また一方で、自分の目にしていることに対して自分がどう反応しているかに注目することによって、自分の中にどのような信念があるかということを知ることができます。

 

 私たちは長い間、自分の身に起こることの原因全てが外側にあると思い込んできたので、何か不愉快なことが起こると、つい人のせいにしてしまったり、他人を責めてしまいます。

 例えば、お店で買い物をしている時。店員さんが自分に話しかけてきました。その物言いがとてもぶっきらぼうで、何となくイライラした気持ちになってしまいました。通常であれば、この「イライラ」の原因は不躾な店員にあると思い、店員に対して怒りの感情を抱きます。直接怒りの感情をぶつけてしまうかもしれません。

 でも、あらゆる事象は根本的にはニュートラル(中立)です。この場合も、ただ「店員がぶっきらぼうな物言いで話しかけてきた」という出来事が起こっただけです。そこに対して、「なんて失礼な」「信じられない」「許せない」といった様々な思いを発し、「非常に不愉快でいやな出来事」だと位置づけているのは、自分の反応の部分です。

 こうした時に、例えば怒りの感情が芽生えているのを感じたら、意識のベクトルを相手(店員)ではなく、自分の内側に向けてみます。・・・私は今、怒りの感情を生じている。この怒りは何から来ているのだろう。なぜ自分はこの人に対してイライラしているのか。そういったことを、自分に問いかけてみます。すると、何かしら”答え”が返ってくるはずです。もしかしたら、人から侮辱されることに恐れがあるのかもしれません。または、時々同じようにぶっきらぼうな物言いをしてしまう自分のことを、自分が許せていないのかもしれません。もしくは、幼い頃誰か身近な人に乱暴な物言いをされたことが、未だに心の傷として残っているのかもしれません。

 どのような原因があるにしろ、自分の中にまだ癒しきれていないネガティブな部分があるから、「怒り」といったネガティブな反応をしているのです。もし、自分の中が完全に癒されていたら、店員からぶっきらぼうな物言いをされたとしても、ただ「ああ、ぶっきらぼうな物言いをしているな」と中立に受け取り、そこに特別な反応をすることもなく、すぐに流して忘れてしまうはずです。

 

 日々の生活の中で次々と起こる出来事一つ一つにいちいち負の反応をしていたら、とても疲れてしまいます。マイナスの想念が自分の波動を下げ、更に悪い出来事が引き寄せられてくるという悪循環に陥ることにもなります。

 自分の中で湧き起ってくる感情は、全て自分が抱いている信念を受けての反応であると認識できれば、今度はネガティブな感情を客観的に観察することで、「感情」を自分の中にあるネガティブな想念を特定するためのツールとして用いることができます。怒り、憤り、不信感、悲しみ、嫉妬、恐れ、etc..あらゆる負の感情が出てきた時、そこに関わった人はその感情を与えるきっかけを作ったに過ぎません。そのきっかけを作った相手に向けて怒りの感情をぶつけるのではなく、感情の湧き出ている源に目を向けるのです。例え相手に怒りをぶつけたとしても、一時的に気分はスッキリしたかのように感じるかもしれません。けれど根本的な心は癒されないままなので、何となくモヤモヤしたまま、その後も似たような事象を引き寄せることになるでしょう。そして、他人に怒りをぶつけたという行為が『自分が出した波長は必ず自分の元に戻ってくる』というブーメランの法則の働きにより、いずれ何らかの形で自分に跳ね返ってくるでしょう。

 「感情」を自分の内面を浮き出してくれる便利なツールと捉え、感情が湧き起る度に自分の中にある想念をあぶり出すという作業を何度も繰り返していくと、ネガティブな感情に向き合うことも全く怖くなくなります。最初は抵抗があるかもしれませんが、次第に慣れてくると、ネガティブな感情が出てきた時に「ラッキー!また自分の殻が破れるチャンスがきた」と喜びさえ感じられるようになっていきます。実際、このようにしてどんどん自分にとって必要のない想念が剥がれていくと、心も体も軽くなり、とても生きやすくなります。感情の支配から逃れ、感情を使いこなせるようになるのです。そして殻がどんどん破れて素の自分に戻っていくことによって、次第にネガティブな感情そのものが湧き起らなくなっていきます。また更に、ポジティブでいられる状態が長く続くようになればなる程、自分にとって不都合な行為をしてくる人が寄って来なくなり、ますますポジティブな循環が生まれることになります。

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内なる神性に気づく

 アンジェリックエッセンスのキットの一つに、"Divinity Kit(神性のためのキット)"というものがあります。これは、神なる存在と自分を切り離してしまっている状態の人にお勧めのキットです。神なる存在とのつながりを取り戻すことによって、自らの神性に気づき、人生により多くの恩恵がもたらされるようになっていきます。

 ルースさんはワークショップの中で、「神性」という表現について詳しく説明してくださりました。「神」とは英語に直訳すると"God"ですが、ルースさんは"God "ではなく"the Divine(神なるもの)"という表現を用いていました。それは、日本語の「神」という言葉も同じなのですが、"God"と言うと、歴史的な背景や社会的認識のために、ルースさんが捉えている「神性」というニュアンスと少々異なるイメージがあるからなのだそうです。

 ある受講者の方が、「ルースさんにとって、『天使』と『神なる存在』との違いは何なのですか?」と質問をしました。ルースさんは、「天使というのは、メッセンジャーです。神の使いであり、私の神("My Divine")とのかけ渡しをしてくれる存在です。神なる存在の方がよりパワフルなので、私は内なる質問を投げかける時には、この神なる存在に直接問いかけます」とお答えになりました。

 過去生も含み、数多くの困難と心の傷を経験してきた私たちは、時には怒りを覚えたり、見捨てられたような思いがあったり、神なる存在に対する疑いの気持ちを抱いてきました。神なる存在は常に私達のことを愛している(たとえ絶望のどん底にいる時でさえ、そこには神の愛がある)のですが、私達にはそのことを感じることができないこともあります。それは神が私達から離れていってしまったのではなく、私達の方が神から離れてしまっているのです。

 そして、私たちはつい”神”という存在を外側に求めがちなのですが、実は”神”というものは私達の中に内在しているものです。教会やお寺や神社に行かなければ会えないわけではありません。神なる存在は本当はどんな時でも常に自分の中にいます。いつも自分と共にいるはずの神なる存在のことを忘れてしまうと、私たちは孤独と不安を感じ、本当の意味での幸福感を感じることができなくなります。


 ルースさんは、ある学校の教師の話をしてくれました。この教師はある時、教室で生徒に教えている最中に、自分の中が愛で満たされていくのを感じたそうです。すると、その教室にいた生徒全員にもその愛が伝わったのが分かり、教室の雰囲気がガラリと変わったのだそうです。その経験によって、自分の中の愛が、周りを変えていく力があるということを知ったのでした。


 私達が自らの神性に気づき、神なる存在との繋がりを取り戻すことによって、孤独を感じることがなくなり、プログラミンングが外されていき、問題がなくなり、人生に更なる恩寵がもたらされるようになっていきます。

 ルースさんは、神なる存在と繋がろうとしない人達がいることを知っていますが、それが不思議でならないと言います。自分自身は、神なる存在と繋がることによって多くの恩寵を受けているからなのだそうです。私達の意識が高まると、不要なものが勝手に剥がれ落ちていきます。今抱えている「問題」が自然に片付いていくのです。そしてその度合いはどんどん加速していきます。どんどん自然に剥がれ落ちていきます。周波数レベルが上がっていくので、周波数が低い事象(ex.戦争、災害、事故、病気)は自分の周波数領域と合わなくなり、離れていきます。ですから、いかに意識を高めることが大事かということがわかります。そしてそのためには、内なる神との繋がりをもつことが一番手っ取り早い方法なのです。


 内なる神に語りかけると、そこから返事が返ってきます。日々の生活の中でも、例えば「~はどうしたら良いですか」と質問を投げかけると、答えが返ってきます。すると、多くのプロセスを不必要に経ることなく、1回のプロセスで問題が片付いたりします。神なる存在は、どこかとても遠いところにあるわけではなく、実は最も近い所にいるので、いつでもどこでも助けてもらうことができるのです。

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