これまでのあれこれ

 

 幼い頃から人の感情に敏感で、エネルギー的な影響も受けやすく、多感な少女時代を過ごしてきました。いわゆる超自然、目に見えない存在を確かに感じながら過ごしていました。しかし、そういうことを他の人達も皆同じように感じているわけではなく、口に出すと笑われたり、奇異な目で見られることもあることを知ってからは、自分が本当に感じていることや思っていることを言葉に出すことをためらうようになり、そして更には自分自身でも自分の感覚を疑うようにさえなっていきました。

 そんな状態でしたから、自分の軸が定まるまで、あちらこちらに引っ張られ、影響を受け、自分を見失い、自信を持つことができずにいました。本当は、心のどこかで「何かが違うぞ」と思っていても、そこに自信が持てずにいたので、結局(自分にとって)強い人の言うことに流されてしまう、ということを繰り返してきました。

 

 それと同時に、物心ついた時から、世の中で起こっている様々な出来事、特に民族同士の争いや差別、貧富の差、悲劇的な事件などが、なぜ起こるのか、ずっと疑問に思ってきました。生まれた国や肌の色、文化が違うだけで、なぜ人は争ったり、嫌悪したり、傷つけあったりするのか。”たまたま”その場所に、その親の元に生まれただけなのに。それから、どうして一部の人はあり余るほどお金があって、一部の人は全く持っていないのだろう。これほどまでの差が起こるのは、何かがおかしくないか。お金をたくさん持っている人達が特別な存在のようにも思えなかったし、お金がない人達が「悪い」とか「お金を持つに値しない」ようにも見えませんでした。どうして、人を傷つけたり殺したり、平気でできる人がいるのだろう。何もしていないのに、傷つけられたり殺される人も、なぜいるのだろう。世の中で起きている、理解できないたくさんのことを、考えれば考えるほど、答えが知りたくなりました。

 私は、少しでも自分の中の疑問を解消せんがため、答え探しの旅を始めました。小学生になった頃から、本屋さんと図書館に通うようになり、様々な本を読み漁りました。歴史や伝記、ノンフィクション、物語など手あたり次第に読みました。特に、戦時中など、ハードな時代を生きた人の自伝的小説などは、夢中で読みました。そうした本は、とても”生きて”いるように感じました。自分が実際に体験しなくても、一緒に体験して学んだような気持になれたからです。

 生きた時代や場所によって、人の考えや生活も全く違います。そもそも、同じ時代や場所にいても、その人によってまた考えや生き方が違います。違う、違う、違う、そう、みんな”違う”のです。私が数多くの本を読んで学んだことは、この、人生全てが”違う”ということです。それと同時に、それぞれの人生の根底に流れる、何か大きな「波」というか、「うねり」、「大きな動かしがたい力」のようなものも感じ取るようになりました。全く時代や国も違う人の人生でも、大きな波でとらえると、何か共通した流れのようなものを感じるのです。

 

 中学・高校とそれなりに普通の生活を送り、この辺りは省きますが、それなりに色々と経験しました。この頃も、当然まだ答え探しの旅は続いていました。大学に行けば、私の中の疑問が解決するかもしれない、そんな期待もあり、人文学系が学べる大学を受験しました。

 大学生活はとても楽しく過ごしました。たくさんの個性的な人との出会いがあり、多くを学びました。しかし、ここにも私が探し求めていた”答え”はありませんでした。宗教学や心理学、歴史学などのいわゆる”学問”は、物事を体系的に学び、頭を整理するにはとても役に立ちます。実際、大学で学んだ実学的な勉強は、大変貴重なものでしたし、今でも大きな財産となっています。しかし、私が本当に知りたいのは、体系的な知識だけではなく、その根底にある、大きな力、フォースの方なのです。この世の中、宇宙を動かしている根本的な力は何なのか。アカデミックな世界では、そういったことは全く教えてくれないのです。

 物理学だって結局、起きている現象を理屈で説明しているだけです。計算して説明できれば、はいおしまい、これが答えです、となります。しかしそれでは、その起きている現象の大元、根本的な力、フォース、源が一体何なのか、という説明にはなりません。脳科学者は脳が意識を作っていると言います。私にはそうは思えません。逆に、意識が脳を動かしているのではないかと思います。生物学者は、DNAが人の人生を決定づけているといいます。そんなはずがあるでしょうか。DNAの配列だって、大きな力が働けば簡単に変わってしまうと思います。そもそも、意識とは何なのでしょうか。どこからやってくるのでしょうか。この宇宙を動かしている存在とは、何なのでしょうか。私たちは何のために生き、どこからやってきて、そしてどこへ向かっていくのでしょうか。

 神とは何か、世界は何でできているのか、人の心とは、意識とはそもそも何なのか。私達の認知を超えた存在について議論をすることは、今のアカデミアではタブーなのです。アカデミアでは、理論的に説明できること、科学的に実証できること、証拠が示せること、しか認められません。それ以外のアプローチをすれば、相手にもされず、下手をすれば学会から追放されます。「神」というワードを使っただけで、嘲笑されてしまうような世界なのです。

 

 この現実を知った私は、アカデミックな世界だけでは、限定された知識しか学べないな、と思い、独自路線で勉強をしていくことにしました。

 

 そして、古今東西ありとあらゆる「神」「エネルギー」「見えない世界」を語った本を読み漁りました。古典・聖典から、最新の科学的視点も交えた分野まで、ジャンルを問わず、インスピレーションを頼りに掘り下げていきました。いつも、これが知りたい、と思っていると、自然とその答えが書かれた書物が目の前に現れるのです。

 それと同時に、元々好きだった歴史の分野も開拓していきました。アカデミアにおける歴史学も御多分に漏れず、遺跡などの具体的な物証がなかったり、資料がなければ、「なかったこと」になっています。例えば、今知られている古代文明以前にも、人類は文明社会を築いていたと私は信じていますが、そうしたことも、物質的な証拠がないために、ただの夢物語、絵空事とされてしまっています。その絵空事とされている歴史を真面目に研究し、主張している人は、学者どころか変人扱いです。人類の祖先だって、今現在たまたまどこかで見つかった古い骨々を分析し、そこから点と点をつなげて推測してわかったことのみが、”事実”とされています。見つかっていないものは、存在しないことになっており、説明がつかないことは、話すこと自体がご法度になっています。実際は、これまで具体的に見つかっているものより、見つかっていないものの方が、はるかに多いわけですから、物的実証性しか信頼されない学問の世界が、いかに限定されてしまっているか、説明するまでもないと思います。

 もちろん、物的証拠も大事ですし、それが教えてくれることも多いです。アカデミックな視点で書かれた書籍もちゃんと参考にします。しかし、アカデミックな視点のみで説明を行うことは、そもそも限界があるものだという認識の下で読むようにしています。その出来事の背景にある大きな流れや、文字では表されない存在、力、などを意識しつつ、直観とインスピレーションを働かせながら、自分なりに解釈するようにしています。

 

 倫理学や宗教学でさえ、三次元的な知識に縛られてしまっているので、この宇宙の壮大な仕組みを説明することはできていないと思います。とにかく、「学問」となった時点で、制限が生まれてしまうのが悲しい所です。理論的な説明がつかなければ、学問とみなされなくなるものなのです。学者という立場の方は、制限がとても多くて気の毒になります。学者先生の中でも、どこかで深い真理に目覚めている人はいると思いますが、本当に思っていることを話したら今の立場が危うくなることもおそらくわかっているでしょうから、そうしたことに関しては、あえて口をつぐんでいるのだろうと思います。

 

 私たちの本質はそもそも、多次元にまたがったエネルギー体です。多次元の影響を受けつつ、こちらからも影響を与えている存在です。それなのに、この三次元に縛られた考えで全てをとらえようとすれば、当然限界があり、説明がつかずに行き詰ってしまいます。それではなぜ、私達が多次元の存在であるということを、多くの人が表立って話さないのでしょうか。それは、ここで具体的に説明をするととてつもなく長くなるので省略します。とにかく、この世の中に流れている情報の中で、本質・真理にもとづいたものは非常に少ないのが現状です。真理により近い情報ほど、隠され、それを広めようとした人が抹殺されてきた歴史があります。だいぶ弱まってきたとはいえ、今現在もその妨害の力が働いています。

 

 ですから、世の真理に目覚め、純粋な気持ちで、本当に人類の役にたつメッセージを流そうとしている人ほど、慎重です。社会の表舞台にはあえて立たないようにしていますし、わかる人にだけわかるような方法で情報を流しています。また、比較的自由が与えられている芸術という分野で、メッセージを伝えてきた人々もいます。明確な表現を避け、暗号や隠喩で表現してきた人も、古今東西たくさんいます。イエス様やお釈迦様なども、よくたとえを用いました。このことでかえって、後々の時代において、わかる人にはより強烈に伝わるようになっています。

 何かを観たり聴いたりした際、この、裏に隠されたメッセージや、奥にある深淵な意味を見出そうと意識を向けるだけで、今までとは違う気づきが得られたりします。偉大な芸術家の中には、目覚めた人が多いので、そういう人たちが生み出したものを、ぜひ第六感を使って感じてみてください。

 

 これまで、日本語で書かれた本だと、かなり限定されてしまうので、英語で書かれた本にも手を広げてきました。これだけで、世界中の膨大な文献にアクセスできるので、知識と視野が一気に広がります。文献に限らず、オンラインで英語で世界中に発信しているメッセンジャーの言葉にも耳を傾けてきました。最近は、一昔前よりも、世の中全体として情報の統制がやや緩くなってきているのを感じます。勇気をもってこれまでタブーとされてきたような情報を流してくれている人々が増えてきています。ただし、そうした人たちがどれだけ目覚め、どれだけ純粋な動機に基づき、そしてどれだけ真理に近い情報を語っているかは、様々です。受け取る側の眼力、そして決意が試されるところです。エゴはエゴに反応する性質があるので、その人がエゴを捨てきれていないと、自分にとって都合の良い情報ばかりを取り入れがちになります。たとえ真理であっても、その人にとって都合が悪ければ、人はあれこれと自分に言い訳をしたり、言いがかりをつけたりして否定するものです。

 

・・・具体的な学びの話になると、また長くなるので、ここでは省略します。もちろん、学ぶと同時に、自分でもあれこれと実践をしてきました。その過程も長くなるので、省略します。

 

 とにかく、学びは今も途上だということだけお伝えしておきます。もちろん、書物だけでなく、様々な形で学びは起こっています。かつては、書物に多くを頼っていた私ですが、最近は、より柔軟になってきました。そして柔軟になればなるほど、バラエティー豊かな形で情報が入ってくるようになりました。間口が広がった感じです。『求めれば与えられる』、これが宇宙の原則です。

 

 

 これまで様々な形で学んできた、智慧や知識、実践的な教えなどは、知りたいと思ったからもたらされたわけですが、そうした情報は全て、自分の中でこれは真理だ、と感じるものほど、自分の奥底で、最初から”知っていた”感覚があります。求めていることの答えは、本当は全て、自分の中にある。私たちは、それを思い出していく作業をしているだけなのです。

 

 「答えは全て自分の中にある」

 

 このことを、私は皆さんにお伝えしたいです。どうぞ、自分の力を信じてください。決して他人に力を委ねないでください。たとえ他人の口から伝えられていることであっても(この文章も含め)、それは本来あなたの中にあったものなのです。ただそれを、自分以外の誰かを経由してもたらされる、という選択をしているだけです。そんな面倒なプロセスは、本当に必要ですか。あなたがこの瞬間、自分の内なる力を信じ、全ての答えは自分の中にある、自分は本当は全て”知っている”のだという事実を受け入れさえすれば、答えを外に求めて、むなしく放浪し続ける旅に終止符を打つことができます。そして、自分の人生を創造しているのは自分自身である、という事実にも気づくことができれば、本当に自分が望む生き方は何なのか、そのためには何を手放す必要があるのか、ということが自然と見えてくるはずです。

 

 私にできることがあるとすれば、こうした事実をお伝えすることと、お掃除のプロセスとちょっとしたコツをお教えすることです。今、この気づきの段階に来ていると感じ、お掃除をする決心がついて、サポートを必要としている方がいれば、私は喜んでお手伝いします。決してグルになるつもりもありませんし、他人からエネルギーを吸い取るようなつまらないゲームにも興味がありませんので、そこはどうぞご安心ください。

 

 

 

自己紹介

YAYOI

 

出身地:福島県

血液型:A型

 

 

 

[略歴]

一橋大学社会学部卒業。数年間の会社勤めの後、結婚・出産を経て、タロットやフラワーエッセンス、アロマセラピー、ヨガ、エネルギーヒーリングなどを学ぶ。1男1女の母。 

日本フラワーレメディセンター公認セラピスト、パワーオブフラワーアドバンスコース修了、JHAS認定実用アロマアドバイザー

 

 趣味は、読書(特に歴史書)、宝塚(ファン歴30年以上)、ダンス

ACCESS

 

サロン うぶすな

 

JR京浜東北線・湘南新宿ライン・高崎線(宇都宮線)浦和駅からバスで10分ほど

 

 

 *JR浦和駅東口改札を出て、バスに10分程乗り、下車後徒歩3分

 

*ご予約頂いたお客様に、場所の詳細をお教えいたします

 

 

*このサイトに使用した写真の一部は、株式会社ネイチャーワールド様より提供して頂きました。ありがとうございます。