スピリチュアルと現実問題

 30年以上、著名なスピリチュアルティーチャーとして活躍し、多くの本も出版しているあるアメリカ人女性の本を読んでいました。国内外で数々のワークショップを主催し、何千人ものカウンセリングを行ってきた経験を持つ、ベテランです。

 その方(A女史とします)に、ある時実の弟と父親を立て続けに亡くすという不幸が襲います。更に、その出来事がきっかけで、以前からギクシャクしていた夫との関係も悪化し、ほどなく離婚をしてしまったのだそうです。絶望とショックに打ちひしがれ、憤りとやりきれない感情に支配されて自分を見失いそうになった時、それまで自分が信望してきた、『許しなさい』『ジャッジしてはいけません』『これはカルマなのだから仕方ないのです』といった”スピリチュアリスト”的なセリフは、ただ自分の中の怒りを増長させるだけだった、と書かれてありました。『無条件の愛』だとか『赦し』『スピリットガイドの助け』『直観を信じる』といったツールも、”これっぽちも役に立たなかった”、と吐き捨てるように書かれてあり、思わず読んで苦笑してしまいました。

 スピリチュアルティーチャーとして第一線で活躍する自分が、夫との関係がこじれ、離婚し、そのことで打ちひしがれてどうにもならない状態に陥っていること自体が、そもそも恥ずかしく、他人が知ったらどう言われるだろう、とも思ったとのこと。複雑な関係性だった父親と弟を亡くしたことで、自分の中のインナーチャイルドがまだまだ癒されていないことにも気づきました。

 その後、A女史は全てを投げ出し("Surrender"です)、祈りを捧げ、神に自分を委ねることにしました。そして間もなく、「巡礼の旅に1人で出る」という啓示を受け、それを実行に移します。

 

 

 そんなものなのかもしれないなあ、と思いました。私自身も、10年前くらいに、憑りつかれるようにスピリチュアル関連の本を読み漁った時期がありました。もともと天使とか霊界とかいう話は大好きでしたから、水を得た魚のように、嬉々として”そちら”の世界にどっぷりと浸かっていました。

 

 けれど、いくら意識をそちらに持って行ったとしても、しょせん今の自分が直面しているのは、この現実世界なのでした。現実世界に身を置き、現実生活を送り、現実問題に向き合う。そういう毎日でした。そして、現実問題に向き合うためには、実際は、”スピリチュアル”な助けよりも、現実的で具体的な助けの方が、はるかに役に立ったのです。”スピリット”の声も時には助けてくれましたが、具体的に問題を解決してくれたのは、生身の人間や、実質的な体験でした。

 

 最近は、実践的なカウンセリングの本や、臨床に基づいた心理学の本、様々な心の問題を経験した人の生の声が載っている書籍など、より現実的な内容の本を多く読むことが多いです。心が苦しくて助けを求めている人は、精神世界の話よりも、具体的な解決策を求めていることに気づいたからです。

 そして私自身も、日々の現実生活を送る上で、三次元的な問題に具体的に向き合うために学んだノウハウに、とても助けられています。ちょっとした考え方や思考の切り替え、テクニックが、本当に役に立ってくれるのです。

 もちろん、スピリットの世界を信じなくなったとか、霊的な世界との繋がりを絶ったというわけではありません。むしろ、自分が現実に真摯に向き合い、地に足の着いた生活を送るようになってからの方が、スピリットの世界との繋がりを強く感じるようになったように思います。この世界を動かしている大きな力に対する信頼感も、以前より増しています。スピリチュアルに没頭していた時期は、そうした大いなる力(宇宙、神、呼び方はなんでも)と、そこに自分が繋がっているのだという感覚が足りなかったために、不安が強かったのかもしれません。

 

 

 

 

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感情との向き合い方

 フラワーエッセンスを飲んでいる方からはよく、

 

「エッセンスを飲むようになってから、感情が次々出てくるようになりました」

 

 というご報告を頂きます。フラワーエッセンスは、その人が前に進むための障害となっているものを、優しく引きはがしてくれる作用があります。

 長年埋もれていた感情や、封印していた過去の傷などは、ポジティブな自分でいるためには一度浄化する必要があるものです。癒されない状態でいつまでもそこにあると、何かきっかけとなるような出来事が起こる度に、ネガティブな思考や感情が湧き出してきて、潜在意識を汚すことになります。

  フラワーエッセンスは、その人本来のクリアーな状態まで導いてくれるものですから、もうその人にとって必要のない、古い傷に気づかせて、そこを癒すことを促してくれるのです。忘れていた昔の記憶が蘇ったり、幼い頃の感情が今頃になって出てきたりするのは、”傷”の存在に気づかせるために起こっている現象なのです。

 

 もし、そのような形で古い感情が湧き出してきたら、素直に、ただ素直に、それを感じてみてください。否定したり、追いやったり、やり過ごそうと気づかないふりをしても、いずれ再び浮上してくることになります。お掃除を先延ばしにしていつまでも心に闇を抱き続けるか、「今」きれいにして自由になるか。どちらが楽でしょう。

  フラワーエッセンスは、こうした心のお掃除が大得意です。感情に気づかせることを助けてくれるだけでなく、手放しや浄化のスピードも高めてくれます。また、感情に飲み込まれるのではなく、客観的に自分を観察する冷静な視点も授けてくれます。感情のお掃除にお勧めなのは、

「クラブアップル」「アップルブロッサム」「セージブラッシュ」「フクシア」「イブニングプリムローズ」「イルカ」「Release」「Purification」「Releasing Resentment」辺りです。(これ以外にもたくさんあります)

 

 

 昔の古い傷のお掃除をする一方で、今現在、毎日を過ごす上でも、感情をため込まないということは大きなポイントです。私たちは人間なので、感情とは一生縁が切れることはありません。まずそこを認めて受け入れましょう。感情は、私達の魂の望みを教えてくれる指針となってくれるものですから、本来味方でもあるのです。それが敵のように見えてしまうのは、無理やり押し殺した感情が、歪んだ形で浮上している状態の時です。

 空気がパンパンに詰まった、丸い大きなビーチボールを思い浮かべてみてください。それを力づくで水の中に押し込めようとします。深く沈めようとすればするほど、それは上に上がろうと抵抗する力が働きます。それでも無理やり水中深くに沈めようとします。ある瞬間にパッと手を離すと、ビーチボールはとても大きな力でポンッと水中から表に飛び出すでしょう。

 押し殺した感情も、このように作用します。押し殺して封印したかのように見えても、実は心の奥深くに居座り続けているのです。そして、何かのきっかけがあった時に、ポンッと表面に出てきます。最初に抱いた時よりもはるかに大きなエネルギーを伴って。

 また、抑圧された感情は肉体にもたまります。それがどんどん蓄積され、何十年もたってから病気という形で表面化することもあります。

 

 そうならないためにも、自分が抱く感情には、いつも正直であってください。ただ否定さえしなければいいのです。そもそも、感情に良いも悪いもありません。ジャッジしているのは私達の頭(エゴ)です。誰かに対して負の感情が湧いてきたら、ただその感情があるということを認めてください。感じてみてください。相手に直接感情をぶつける必要はありません。感情は武器ではなく、己を知るための羅針盤です。

 怒りが爆発しそうだったら、すぐに1人になれる場所に行って、吐き出してください。泣いてもわめいても大丈夫です。ただ、誰も傷つかない場所でやってください(信頼できる友人やカウンセラーなどがいれば、聞いてもらうのもいいかもしれません)。紙に書くのも良いです。出てきた感情をそのままただ書いて書いて、そして破って捨ててください。

 悲しかったら思い切り泣いてください。声を出して、涙を流し、気が済むまで悲しんでください。涙が枯れるころには、浄化され、それまで見えていなかった希望の光が、ぽっと心に灯っていることに気づくと思います。

 

 

 フラワーエッセンスには、傷ついた心の穴を埋めてくれるものもたくさんあります。感情を出すお手伝いをしてくれるもの、リリースを助けてくれるものを飲んだら、次はぽっかりと空いた心の穴を埋めるお手伝いをしてくれるものを飲むのがお勧めです。

 

 

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共感が心を開く

 パワーオブフラワーの創設者であるイーシャ・ラーナーさんは、3人の娘さんをお育てになった経験から、ワークショップで思春期の子供のことを、次のようにお話されていました。

 

『思春期の子供というのは、親から離れたいという気持ちが強くなります。けれど一方で、実は親をとても必要としているのです』

 

 少し前に、小6の娘の家での様子がいつもと違うなと感じた時、真っ先にこの言葉が浮かびました。

 

 弟や私に対する態度がとげとげしかったり、必要以上にイライラしている時は、大体学校で何かあった時です。けれど、いくら「何かあったの?」と聞いても「何もない!」の一点張り、しまいには部屋に閉じこもって電気も消し、布団を頭からかぶって丸まってしまいました。夫がいくら話しかけても無言。「俺にはムリ」と下に降りてきたところでバトンタッチ。初めは私にも無言を貫いていましたが、「じゃあ、もう行くね。話したくないんだよね」と言って出て行こうとすると、布団の下から「そんなこと言ってない!」・・・

 これがイーシャさんの言っていた、”遠ざけたいんだけど、必要としている”状況かあ、と1人納得してしまいました。

 

 私は、自分自身が娘くらいの年齢だった時のことを思い出しました。あの頃は、上から目線で命令してくるような大人が大嫌いでした。こちらがまだ半人前だと思って、自分の価値観を当然のように押し付けてくるような大人です。子供でも、純粋に助けたいという気持ちで言っているのか、それとも己のエゴを満足させるために発言しているのか、そんなことくらい感じ取っていました。

 

 私は、布団の中の娘に向かって、こう言ってみました。

 

「お母さんも、○○くらいの頃、お友達関係でいろんなことがあったよ。いろんな問題があった。いろんな子がいたし・・。しかもお母さんは、その時の担任の先生が鬼みたいな人だったから、本当につらかった。誰にも助けてもらえなかったんだよ。でも、なんとか乗り越えられた。だから、経験者として、もしかしたら○○にアドバイスできることがあるかもしれない。こうしなさいとか、偉そうに命令するつもりなんか全然ないよ。ただ本当に、助けてあげたいと思っているだけ。お母さんだって、長く生きている分、いろんなことがあったんだからね」

 

 そのように話したら、布団の中の雰囲気がスーッと変わるのを感じました。しばらくの沈黙の後、

 

「・・・わかった。お風呂に入ってから話す」

 

 そう言って、いきなり娘は布団から出、さっさとお風呂に入り、スッキリと浄化された様子で顔つきも変わって出てきました。そして部屋に戻ると、先ほどとは打って変わった素直な態度で、学校でのお友達問題について話し始めたのです。

 

 

 人が心を開くきっかけというのは、相手も自分と同じ苦しみを知っている、つまり共感できる部分があることを知った時なのかもしれません。自分を苦しみから救ってくれるのは、自分の苦しみを理解してくれる人。本能的に、そう感じるものなのかもしれません。

 子供だったらなおさら、親が自分のことをわかってくれないと踏んだら、貝のように口を閉ざしてしまうでしょう。それに、親として偉そうに命令されたらたまったものではありません。

 

 

 私が思春期真っ只中の時、周りには相談できるような大人がいませんでした。今思えば、あれこれと悩んでいる時に、私が求めていたのは、「こうすればいいんじゃない」といった解決策ではなくて、「そうか、それは嫌だよね」とか「それは苦しいね」といった、共感だったように思います。そもそも、どうすればいいのかなんて、自分でもわかっていました。それができないから悩んでいたのです。答えではなくて、共感。答えなんか、もともとないのかもしれません。

 

 

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境界線を引く

 最近うぶすなにやってきたエッセンスその3。アンジェリックの"Creating Healthy Boundaries"(健全な境界線を引く)です。

 

〈解説↓〉

『私達は皆、健康と幸福を維持するために、人生で境界線を保つ必要があります。このエッセンスは、私達が人生のあらゆる側面において、健全な境界線を引くことを助けてくれます。私たちは、生活上、仕事上、その他様々な制約の中において、特定の人々との間で健全な境界線を引くことが困難な場合があります。そのために、こうしたサポートが必要なのです。このエッセンスは、私達がより自分を大切にし、充足感を得、そして健康的で調和のとれた人生を送ることを可能にしてくれるでしょう。』

 

(原文)

”We all need to have boundaries in our life in order to maintain health and well-being.  This essence supports us in creating healthy boundaries in all aspects of our life.  Because it can be difficult to have healthy boundaries with some people in our lives or our work and other obligations, we need this support.   We do this for greater self-care, satisfaction and a healthy, balanced life.  ”

~"Angelic Essences"のサイトより引用

 

 

 

 他者との間に、健康的な形で境界線を引き、自分の領域を守ることを助けてくれます。私のこれまでの人生の様々な側面において、このエッセンスがあればどれほど助かっただろうか、と思うことがあれこれ思い浮かばれます。

 他人のエネルギーに振り回され、必要以上に影響を受け、自分のものなのか相手のものなのか混乱したまま翻弄され、自分を見失う経験を数多く経てきました。

 

 

 思春期に突入した娘が、早速このエッセンスの恩恵にあずかっています。小学校高学年辺りから始まる、様々な「女の子問題」。クラス内がいくつかの仲良しグループに分かれることから生じる、制約された人間関係の窮屈さや、周りに気を遣って自分らしく振る舞えないことへの鬱憤など、ストレスを感じることも増えてきます。また、自我が芽生えてくる時期でもあるので、仲良し同士でもお互いを意識しあったり、ライバル視したり、また逆に自分がどう見られているかということを気にし始めます。

 

 娘は、学年が始まって間もない頃仲良くしていたグループがあったのですが、2学期過ぎた頃から、別のグループの女子達に誘われることが増え、今度はそっちのグループの子達と仲良くすることが増えていました。けれど、しばらくしてから、やっぱり自分は元の仲良しグループに戻りたいと感じるようになったそうです。居心地の悪さを感じながらも、今いるグループの子達に気兼ねして、なかなか戻れない状況が続き、苦しんでいました。波長が合わない人と一緒にいるのは、しんどいものです。

 明らかにストレスを抱えている様子に私が気づいたので聞いてみると、重い口を開いて話してくれました。それでこのエッセンスと、"Worthiness(自己価値を高める)"、"Angelic Lance(天使の槍。自分に属さなくなった人や場所から遠ざける)"、"Confidence(自信)"をブレンドしたものをしばらく飲んでもらうことにしました。

 数日後、「お母さん、エッセンスすごい!効いてる!」と顔を輝かせて娘が報告してくれました。飲み始めて間もなく、今いるグループの子達から距離を置くことが自然な形でできるようになったのだそうです。それと同時に、以前仲良くしていた子達が声をかけてきてくれるようになったとのこと。彼女達も、今までは、なんとなく遠慮して声をかけにくかったようです。

 

 

 女子特有の人間関係は、大人になってからも続くことでしょう。娘にとっても、良い勉強になったのではないでしょうか。

 

 私達は常に変化し続けているので、今まで居心地が良いと感じていた場所や人も、ある時からなんとなく違和感を感じるようになり、エネルギー的な不調和を起こすことがあります。波長が合わないところに無理やり居続けると、心だけでなく体にも異変が生じる場合だってあります。一方で、心がどんなに「ここから離れたい!」と叫んでいても、しがらみや体裁を気にしたり、相手に気を遣ったりしていると、なかなか距離を置くことが難しくなります。自分が悪く思われることを恐れたり、離れた後に失うものを想像して、「自分が我慢すればいいのだから」と、そこに居続ける選択をしがちかもしれません。

 けれど、実は、自分が一番心地良いと感じる道へ進む決心をすると、事がスムーズに進むことになっています。なぜなら、その人の魂が望む、その人にとって最高最善の道に進むことが、自然な道だからです。あれこれと気にしたり、恐れがあるのは、その人のエゴが邪魔をするからです。私達が魂の声に耳を傾け、その声の通りに行動すれば、自然とうまくいくことになっているのです。

 

 頭のおしゃべりを優先するのではなく、心の声に従って思い切って行動を起こしてみれば、導かれるように道が開け、自分が抱いていた不安や心配が、いかに不要なものだったかということに気づくでしょう。

 

 

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罪悪感よ、さようなら

 うぶすなに最近入ってきた新しいエッセンスその2。

アンジェリックの「Guilt Be Gone」です。日本語でいうと、「罪悪感との決別」。

 

 説明書きには次のようにあります↓

 

 『罪悪感は、心の重荷です。私達を膠着状態に置き、同じ行動を繰り返し、そしてそれについて言い訳をさせます。罪悪感とはかつて、私達が変わりたくないのだけれども、自分を良い人だと思いたい時に抱くものだといわれていました。罪の意識は生産的なものではありませんし、他人や自分自身との誠実な、満たされた関係を築く妨げとなるものです。

 罪悪感から自由になるということは、より深淵な真理、受容、そして愛とつながることでもあります。罪の意識がなくなった時に、私達は自由と真の充足感を味わうことができるのです。』

 

(原文)

  "Guilt is a weight.  It keeps us stuck.  It keeps us repeating behaviour and making excuses about it.  It was once explained that guilt is what we choose when we do not wish to change, but want to think of ourselves as a good person.  The experience of guilt is not productive and gets in the way of having a true and satisfying connection with others and with ourselves.  To be free of guilt is to be aligned with the greater truth, with acceptance, with love.  We experience freedom and greater fulfillment when we are guilt free."

~Angelic Essencesのサイトより引用

 

 罪悪感というものは、上記にあるように、本当に心の重荷となるものです。先日お話した自己価値の問題とも密接に関係しています。私達が前に進もうとしている時に、それを押しとどめ、妨害となり、古いパターンから抜け出すことを阻みます。

 

 特に罪悪感は、”過去に起こった出来事”に絡んで抱いていることが多いです。かつて、誰かに対してこう言ってしまった、もしくは言うことができなかった、あんなことをしてしまった、もしくはすることができなかった、期待に沿うことができなかった、満足のいく結果を残せなかった、etc...

 また、具体的な行為や言動だけでなく、自分が抱いている”感情”に対して罪悪感を抱くこともあります。例えば、ある人に対して自分が嫉妬をしている時や、誰かを見下している自分に気づいた時。自分が「本当は抱くべきじゃないのだけれど、そう感じてしまっている」時などにも、この罪悪感というものは心に重くのしかかり、自己非難を続けます。

 

 

 罪悪感から解放されるためには、まずは自分が罪悪感を抱いていることに気づくこと。気づくことから全てが始まります。逆に、気づくことができなければ、いつまでもそこに捕らわれ続けます。

 気づいたら、今自分が抱いている罪悪感を、きちんと検証してみましょう。もし過去に自分がした具体的な行為について罪悪感を抱いているのでしたら、「あの時にあのように行動したこと」は、「あの時のあの状況を考えたら、いたしかたなかったこと」なのか、それとも「とるべき行動ではなかった」のか。落ち着いて、冷静に見つめてみてください。

 「いたしかたなかった」、つまり自分のとった行動は正しかったのにもかかわらず、いつまでも自分を責め、罪の意識を感じているのだとしたら、何か特定の「~べき」という考えにとらわれているということです。自分がとらわれている特定の信念があることに気づき、そこを解放してあげましょう。そして、「あの時のあの状況の中では、自分がとった行動はベストな選択だったのだ」と、自分に言い聞かせてください。その時に、世の中の常識とか誰それがこう言っているだとかみんなそうしているだとか、そういった固定観念は一切排除して考えるのがポイントです。

 

 もし、「とるべき行動ではなかった」のであれば、そこに関わった人に対して素直に自分の非を認め、謝ることが、解放の鍵となります。直接その人に合って謝ることが理想ですが、もし、今会うことが難しい人であれば、心の中にその人を呼び出して、向き合い、誠実な言葉で謝りましょう。「ごめんなさい、許してください」。言葉のエネルギーは強力なので、心のつかえや過去のわだかまりも、言葉の力で浄化されていきます。誰かが自分にしたことに怒りを感じていた時、その人から直接「ごめんなさい」という言葉を言われた瞬間、自分の中の怒りがスーッと溶けていくのを経験したことはないでしょうか。

 

 私もかつて、ある人に対して自分がしてしまったことが、ずっと心に引っかかっていたことがありました。その人とはその後も何事もなかったかのように関係が続いていたのですが、お互いなんとなくギクシャクして、素直な心で向き合うことができていませんでした。私は、過去に自分がしてしまったあのことが原因でそうなっているということに、どこかで気づいていました。そして、自分の中で、その人にきちんと謝っていないことが、心のつっかえとなっていました。

 それである時、丁度話しやすい機会が訪れた際、私は思い切って過去の自分の非を詫びました。心から、「本当にごめんなさい。私が未熟でした」と謝りました。するとその瞬間、その人と私との間にあった、モヤモヤとした黒い塊のようなものが、スッと消えてなくなるのを感じました。その人は黙っていましたが、驚いているようでした。

 その時から、その人の顔は以前よりも柔和になり、私と話す時に笑顔が増えました。自分の気持ちを素直に話してくれるようになりました。私も、ずっと抱いていた罪悪感がなくなり、その人に対して素の自分を出すことに抵抗がなくなりました。たった一言二言の言葉で、人の心と心の間にあったわだかまりの壁が、一気に崩壊したのです。

 

 過去に起こった出来事は変えることができません。けれど、起こったことに対する自分の向き合い方を変えることはできます。そして、起こった出来事に対する向き合い方こそが、今の自分の心の状態と、充足感、人との健康的な関係、そして自由な生き方を決定づけるものだと思います。

 

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自己価値のエッセンス

 最近うぶすなにやってきたエッセンスに、"Worthiness"というものがあります。自己価値の問題を抱えている方にお勧めのエッセンスです。

 

エッセンスの説明書きには次のようにあります。

 

『このエッセンスは、自己価値の感覚をもたらしてくれます。あなたが貴重で、価値ある存在であるということに気づかせてくれます。人生の恩恵を受けるために、自己価値の感覚は必要不可欠です。私達が癒され、人生に愛をもたらし、豊かさと繁栄を得るためには、自分が価値ある存在であるという感覚がなければいけないのです。満たされた人生を送るために、自己価値は鍵となります。』

(原文↓)

 This essence is for the experience of worthiness. It is for recognizing that you are valuable, that you are worthy.  A feeling of worthiness is necessary in order to accept life's blessings.  We must feel worthy in order to heal, in order to have love in our lives, in order to have abundance and prosperity.  Worthiness is key to living a fulfilled life.

~Angelic Essencesのサイトより引用~

 

 

 成長の過程において、自分を否定されるような言葉に傷ついてきたり、認めてもらえる機会が少なかったり、いじめや見捨てられた経験がある方などは、特に自己価値の問題を抱えることが多いようです。どんな人でも、多かれ少なかれ何らかの傷つき体験は経てきているものですし、挫折を味わったことのない人などいないでしょう。

 けれど、例えば同じ「挫折」という経験一つをとっても、その悔しさをバネにして次のステップへとつなげていくか、それともその経験をそのまま「自己否定」へとつなげてしまい、人生全般を諦める方向に流れていくのか、対応の仕方がその人の人生の在り方を決めていくように思います。

 

 ウォルト・ディズニーは、事業に2度失敗した経験があるそうです。それにもめげずにカリフォルニアにディズニーランドを建設する計画を立てた際にも、多くの反対に合い、周囲はこのようなものが成功するはずがない、という懐疑的な見方だったとのこと。工事の遅れや、膨れ上がる建設費用の問題などを抱えつつも、なんとかオープンにこぎつけたディズニーランド。オープン初日は、機械の不具合や水道の故障などの混乱の中で来客達は不満タラタラでした。それでもウォルト・ディズニー本人は終始上機嫌で、周りの反応など意にも介していない様子だった、と近親者が回想しています。

 アメリカ第16代大統領のエイブラハム・リンカーンも、若い頃事業に2度失敗し、州議会議員選挙に落選、下院議員選挙に落選、上院議員選挙に落選、副大統領選挙に落選といった数多くの挫折経験があります。それでも、やはりめげずに常に前を向き続けました。

  

 私は宝塚が好きなのですが、人気・実力共に頂点に立つトップスターの中でも、演技・歌・ダンスそのどれをとっても一流のレベルを持っている人というのは、そういないものです。何年かに一度出てくるそのような逸材の方を見てみると、必ずしも若い頃から実力が認められてきたとは限らないということがわかりました。むしろ、音楽学校の受験に何度も失敗してようやく入学できたとか、入った時の成績は下から数えた方が早かったとかいうケースが多いのです。また、そうした方は、下積み経験がとても長くて、もうトップは無理なのかなと周囲も諦めかけた頃にようやくトップ指名の声がかかる、といったパターンも似ています。インタビューなどを拝見していると、彼女達は大変な努力家で粘り強いのだなと感じますし、周りに振り回されない、確固たる自分を持っているのがわかります。

 

 

 そもそも人間に、「価値がある」「価値がない」という区別などもともとないのではないでしょうか。この世に生まれたばかりの赤ん坊を見て、「この赤ちゃんは価値がある」「この赤ちゃんは価値がない」などと思うでしょうか。どの赤ちゃんも、皆同じように価値があり、希望と可能性に満ちた貴重な存在ではないでしょうか。そしてそれは、たとえ成長して大人になったからといって、変わるものではないと思います。

 

 私達が人生のどこかの段階で、自分を「価値のない存在だ」と決めつけてしまうのは、誰かがそうしたのではなく、私達自身が、そのようなレッテルを自分に張り付けることを選んだからです。人生で過酷な出来事が身に降りかかったり、大きな挫折を経験したり、周りに認められない状態が続いた時、だから自分は「価値がない」ととらえて諦めてしまうのか。それとも、過去に起こった出来事や目の前の現状と自分の未来を切り離して、進むべき道を粛々と進むのか。人として意思の強さとぶれない強い心が試されるところだと思います。

 

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クリスマスが近い時期には

 11月もいよいよ終盤、もうすぐ師走がやってきます。この時期になると、街中がクリスマスのイルミネーションで飾られ、一気にクリスマスモードが加速していきます。

 

 一般的にクリスマス(12月25日)はイエス・キリストの誕生を祝う日とされていますが、実際この日にイエス・キリストが生まれたかどうかは定かではないそうです。

 元々、キリスト教がヨーロッパに根付く前から、人々の間で冬至を特別な日として祝う習慣があったり、年末から年始にかけてお祭りを行う種族はあちこちにいました。そうした土着の信仰が、キリスト教のお祝いとドッキングしたものが”クリスマス”となり、現在の形になっていったようです。

 

 由来や形式はともかく、12月下旬頃から1月初旬にかけて、地球上の波動が特別なものになるということを、昔の人々は知っていたのでしょう。私達が普段知覚している3次元の世界と、「見えない」世界との境界線が薄くなり、ガイドやスピリットと最も繋がりやすくなるのが、この時期と言われています。

 

 もうその時期に向けて徐々に波動が変わり始めていますから、今からでも時間を見つけて瞑想をし、ガイドやスピリットとの繋がりを感じてみるのもお勧めです。

 

 私達が普段よく聞いている「頭のおしゃべり」は、そのほとんどが自我意識、つまりエゴの声です。エゴの声は大概騒がしく、絶え間なく続きます。それに比べて、スピリットやガイド、またはハイヤーセルフといった高い次元からやってくる「声」は、意識の深い部分からやってくるもので、エゴのおしゃべりに頭がいっぱいだと、聞き取ることが難しくなります。また、ほんの短いフレームだったり、一つの単語だったり、暗号のような形でやってくることもあり、気のせいかなとやり過ごすことも多かったりします(それでも、メッセージは繰り返し繰り返しやってきます)。

 

 冬は瞑想にもってこいの時期ですから、この時期にぜひ頭のおしゃべりを鎮めて、自分の深い部分からやってくる魂の声に耳を澄ませてみてください。

 

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Surrender, let it go.

 このところ大統領選などで話題が絶えないアメリカですが、スピリチュアルな分野でも世界を先導している国です。アメリカが先導しているというか、パワフルな先導者達がアメリカに集まってきている、という感じです。

 たくさんのメッセージが、そういった方たちを通して世界中の人々に発信されています(もちろんアメリカに限らず、世界中どんな国にもパワフルな指導者達はいますが)。

 アメリカはラジオ放送がとても盛んな国のようで、驚くほど多くのラジオ局と番組があります(インターネットで聴くこともできます)。著名な本の作者がラジオ番組を持っていたり、ゲスト出演したり、ということも多く、もちろんスピリチュアルな世界の分野でも、たくさんの著者がラジオ番組に出演しています。過去に放送された番組は、ポッドキャストなどで聴くこともできますし、お気に入りの放送局があれば、メンバーシップ登録をしてアーカイブスが全て聴けたりもします。かつて著作を読んで大きな刺激を受けた故ウエイン・ダイアー氏やディーパック・チョプラ氏、ルイーズ・ヘイさんなどの声を生で聴いた時には感激しました。

 

 中でも、私が特に気に入って毎日のように聴いている、ある自己啓発系インターネットラジオ番組があるのですが、その中でよくホストの方達が、"surrender"という言葉を用いて話すのを耳にします。"surrender"は日本語に訳すと、「降伏する、明け渡す、身を任せる」といった意味です。例えば、ある悩みを持っている人がいて、自分でもいろいろな努力もしたけれど状況が変わらず、もうにっちもさっちもいかなくなり、行き詰っている、というような時に、アドバイスとしてよくこの"surrender"が登場します。

 

 私は、surrenderの訳語としては前回のブログで書いた「委ねる」という言葉が、なんとなく一番しっくりくるように思っているのですが、英語の"surrender"はもっと思い切って自分の全てを投げ出す、というようなニュアンスも感じます。アメリカはキリスト教の影響が強い国ですから、人知を超えた”神”の存在に身を任せる、という感覚が日本人より強いのかもしれません。

 

 私も、聴いているうちにだんだんとこの"surrender"という言葉の持つ力に影響を受け、日本語の「委ねる」よりもパワフルな力を感じるようになってきました。何かうまくいかないこと、自分の力ではどうしようもないこと、コントロール不可能なこと、などに遭遇した時、自然と心の中で

 

"Surrender..."

 

とつぶやいています。

 

 ちなみに、似たような意味合いで"Let it go"という言葉が使われることも多いです。これはよく、対人関係のお悩みを抱えている人に向けて発せられています。親やわが子、兄弟姉妹、親友、恋人間などで、どうしても受け入れられない行動をとられた時、近しい関係であればあるほど、感情が動きますし、私が何とかしなければ、と思いがちになります。けれどいくら血が繋がっているからといっても、関係が深いといっても、自分以外の人間を変えることはできませんから、望む方向に物事が進まないこともあります。手助けをしたりアドバイスをしたり、自分にできることをやっても相手が変わらないのであれば、

 

"Just let it go!"

 

 というわけです。「手放しなさい」「忘れなさい」といったニュアンスです。私たちはどこかで自分の力の及ばない領域があることを知ってはいるのだけれど、それでもできることは全てやりきらなければいけない、がむしゃらに変える努力をしなければならない、というような認識も同時に持っているように思います。そのような個人的な思いが強くなり、変えることのできないことまで変えようとしてしまう、変えなければいけないと思い込んでしまっている、そんなちょっと頑なな状態に陥ってしまった時に、この"surrender"や"let it go"といった言葉は、柔軟さと受け入れる勇気をもたらしてくれるように感じます。

 

 

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委ねる~Surrender

 『引き寄せの法則』がじわじわとブームになり、それにまつわる様々な書籍や記事が目につくようになった辺りから、私自身も「意図をもって人生を創造していく」ということを意識するようになりました。

 

 実際、波長の法則は物理の原則として間違いなくこの宇宙で機能しているものですし、人間もエネルギーでできている存在であることを考えれば、当然そこから出される波長に合わせたものがやってくる、という説明は理屈でも納得できます。

 

 個人的に『引き寄せの法則』を探求していく過程で、私はある一つの疑問を抱くようになりました。それは、

 

  「引き寄せの法則を用いれば、あらゆることが可能なんだろうか」

 

という疑問です。原理原則にのっとれば、意図がクリアーであればあるほど、実現の可能性が高まり、望みも叶いやすくなります。とすれば、私達が意図したことはたとえどんな内容であれ、制限なく引き寄せることができるのでしょうか。この世に実現不可能なことはないのでしょうか。

 

 なんとなくそのような疑問が湧き出てきた頃、私は”ニーバーの祈り”という名称で知られる、ある祈りの言葉に出会いました。いくつかバージョンがあるようですが、一番シンプルなものがこちらです↓ 

 

 God, grant me the serenity to accept the things I cannot change, 

 Courage to change the things I can,

 And wisdom to know the difference.

 

 神様、私に、変えることのできない物事を受け入れる冷静さと、

 変えることのできる物事を変える勇気、

 そして、その二つを見分ける賢さをお授けください

 

 

 これを目にした時、私は雲がサーっと引いていくように、心のモヤが消えていくのを感じました。心の奥に、ストンと落ちる言葉でした。

 望む人生を創造していく自由はどんな人にも与えられている権利だとは思います。けれど中には、どれほど強く願ったことでも、望んでいた形で応えが返ってこないこともあります。私達の個人的な力の及ばない、人知を超えた”力”が、存在していると思うのです。

 

 そういった大きな”力”(神、創造主、宇宙、ワンネス、大いなるすべて、など様々な呼び方がありますが)が働いて、望んだ通りに物事が運ばなかった時、私は、この祈りの言葉を思い出し、その”力”に委ねることにしています。そして、私が自分の手で変えることが許された範囲で、物事をポジティブに変えていく努力をします。

 

 そんな風にとらえるようになってからは、あまり『引き寄せの法則』にがんじがらめに縛られることもなくなり、なんだか楽になりました。この世には、どうしようもないこともあるんだ、と素直に認めたことで、柔軟さが生まれ、かえって物事がスムーズに進むことさえあります。それは諦めとも違うような気がします。

 

 何か挑戦していることがあったり、夢がある時、自分ができる範囲でできるだけのことをやったら、あとは神様に「委ねる」。結果や具体的なフィードバックに頓着しない。それで、思った形と違う結果がもたらされたとしても、それがきっと私にとってベストな応えなのでしょうから、素直に受け入れます。

 自然災害や、人間の生死に関わること、世界で起こっていることなども、人知を超えた力が働いている部分も大きいので、自分でなんとかコントロールしようとしても、虚しさや無力さを感じるだけでしょう。起こってしまったことは、否定せずに受け入れて、自分ができることをやる。あとのことは、やはり「委ねる」。

 

 自分の力の及ばない範囲で動いている、大きな力に身を任せていれば、自然により良い方向に運ばれていくものだと思っています。 

 

 

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自己価値と社会との関わり

 自己価値。自己受容。自己愛。自分を”唯一無二の価値ある存在”と感じられるか。私という存在を、責めも否定もすることなく、愛をもって受け入れられているか。

 

 望む人生をポジティブに生きられるかどうかというのは、「自分」という存在をポジティブにとらえられているかどうかが鍵となります。それも、表向きではなく、心の底から。

 

 自己愛を巡る問題を抱えている方が、本当に多いと感じます。かくいう私も、ずっとそうでした(今でも完全に自己価値の問題を克服したとは言えないと思いますが、それでも昔に比べればかなり、かなりポジティブになりました)。長い間、自分という存在を「愛しています」だなんて、おこがましいというか、自惚れた自意識過剰の人が考えることだとさえ思っていました。日本人特有の奥ゆかしさとか謙譲の心というものを、自己否定と結び付けてしまっていたのです。

 確かに、肥大化した自意識は不幸を呼びます。けれど、自分を「他者より優れている、特別な存在だ」と思うエゴ的な考え方と、自分を受け入れるということは別なんだな、ということがだんだんわかってきました。それから、他人を幸せにしたい、社会ために自分を役立てたいと思ったら、まずは自分自身を癒し、受け入れ、認めることが先だということも。

 

 自己価値の問題は、生育環境がとても大きく絡んでいます。過去(特に幼少期)に経験した数々の傷つき体験や挫折、失敗、拒絶、否定、こうしたものが未だに私達の深層部分に傷となって残っていると、自己価値を高めよう高めようと思っていても、なかなか次へ進むことができません。フラワーエッセンスの学びの過程で、クライアントさんに一番最初にするべきこととして習ったのは、「まずトゲを抜くこと」。心の傷を癒すことが何よりも優先されるべきだと教わりました。引き寄せだとか、望む人生を創造するだとか、知識やテクニックをどれだけ知っていても、トゲが刺さったままでは中途半端な結果にしかなりません。心の傷が引き金となって、ネガティブな思考や感情が出続け、現実創造の妨げとなるからです。

 

 先日モーツァルトの話を書きましたが、精神的に支配的な傾向のある親の元で、価値観を強要させられるような幼少期を過ごした方は、往々にして自己否定感が強かったり、自分の持つ個性を価値あるものと認めることが難しく感じるようです。自分という存在を、親の考える”枠”の中に収めようとして、個性を押し殺してきた時期が長かったのでしょう。

 あれほど才能に恵まれていたモーツァルトですが、彼の曲が本当に賞賛され、価値ある扱いを受けるようになったのは、死後のことです。生前は、健康問題や金銭問題などを抱え、自分の曲も思ったように受け入れられずに歯がゆい思いをしたことも多かったようです。

 

 自己価値の問題は、そのまま社会との関係に直結していきます。社会的な成功、仕事、経済状況、他者との関係性。自分の内面に抱える問題がそのまま現象として表面化していきますので、心に数多くの問題を抱え、自己価値が低い状態だと、社会に出て行った時、様々なトラブルや障害という形として、目の前に立ちふさがってきます。

 

 自分がもし、様々な条件付けを強く受けて育ったと感じる方は、まずは自分を縛る制限された考え方から、自分を解放してあげてください。いつまでも、遠い過去に誰かから植え付けられた価値観に引きずられる必要はありません。その時のその人にとっては、それが正解だったのでしょう。そして、その時のあなたがその考え方を受け入れたことも、やはり正解だったのです。だから自分を責めないでください。自分の安全を守るため、それがその時にできうる限りのベストな選択だったわけですから。

 

 過去の自分、ずっと引きずってきた制限、こうしたものから自由になっていく過程で、現実も変化していく喜びを味わってください。現実というものは、思っている以上に柔軟で、変幻自在で、制限がないものです。固定化してしまっているように見えているのは、現実が変わるわけないと思い込んでいるその人の心がそう見せているだけであって、実際はどんな形にでも変わりうるものなのです。

 

 

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モーツァルトと「父」

 音楽家モーツァルトを描いた映画『アマデウス』では、成人した後も「父」の幻影と影響力に怯え、父が死んだ後さえもその存在による精神的な支配に苦しむ、一人の人間の姿が描かれていました。

 

 神童であったモーツァルトは、幼い頃、姉と父と三人で旅暮らしの生活を送っていました(母親はずっと家にいたようです)。一か所に長くいることがなかったため、音楽はもちろんのこと、読み書きや算数といった勉強に始まり、その他生活術や処世術などあらゆる教育は、父であるレオポルトが全て引き受けていました。早い段階からモーツァルトが天才であることを見抜いていたレオポルトは、息子を一流の音楽家に育て上げることが自分の天命だと信じ、自身のキャリアや生活を犠牲にしながらも、モーツァルトの教育とプロデュースに全力を注いだのでした。

 

 モーツァルトにとって、長いこと父レオポルトは「神様の次の存在」でした。幼い頃は、父の指示や方針に盲目的に従っていたモーツァルトでしたが、成長していくにつれ、徐々に反抗期が訪れます。恋に落ちた女性との関係を許さなかったり、そりが合わない雇い主との決別を選択した時も、父レオポルトに強く反対されました。そんな父親に対してモーツァルトは次第に抵抗を感じるようになったのでしょう、連絡を取ることが減り、距離を置き始めます。

 

  モーツァルトが生きていた時代、音楽家というものは、今と異なり社会的地位がさほど高いものではありませんでした。宮廷や権力者などに召し抱えられ、その庇護の下で活動するのが一般的で、扱いとしては召使のような立場だったようです。当然、雇い主であるパトロンの希望や命令に背くことは許されず、作曲活動や演奏活動も、制限がつきものでした。

 そんな環境を、モーツァルトは息苦しく感じたのでしょうか。彼は当時としては珍しい、フリーの音楽家という選択をします。ここで感じ取れるのは、モーツァルトが強く”自由”を求めていたということです。幼い頃から支配的な父親の管理下で過ごしてきた彼は、自由を渇望し、何かに縛られている環境を脱したかったのでしょう。

 

 成長してからは、長い事父親と物理的な距離を置いていたモーツァルトでしたが、本当の意味で父親から精神的に自立できていたかどうかはわかりません。映画では、死の直前まで”父”の影に怯え、肉体と精神を消耗させていく姿が描かれていました。

 父レオポルトは、モーツァルトが31歳の年、67歳で亡くなっています。モーツァルトは、幼い頃あれほど密な関係を築いた父親の葬儀に出席せず、墓参りもしなかったといわれています。

 父が死んだ後、35歳で亡くなるまで、モーツァルトは最後の精力的な作曲活動を行います。三大交響曲と称される39番、40番、41番(ジュピター)や、オペラ『魔笛』、クラリネット協奏曲、レクイエムなどは、この時期に作られています。

 

 

 支配的な父親もしくは母親の存在に成人後も影響を受け続け、決別を目指して抵抗を試みた人、抵抗してはみたものの葛藤に苦しんだ人、抵抗しつつもその偉大さに圧倒され劣等感を抱き続けた人、反動で自由奔放に弾けてしまった人、もしくは初めから抵抗を諦め生涯従順な僕として自分を押し殺す道を選んだ人など、歴史的にみてもそんな事例がたくさん目につきます。

 モーツァルトの例は一つとして、他にもマリア・テレジアとマリー・アントワネット、オーストリア大公妃ゾフィーとフランツ・ヨーゼフ、茶々と秀頼、等々。

 

 

 歴史上の人物に限らず、今現在でも、「父」もしくは「母」の幻影に引っ張られたまま人生を生きている人はかなり多いのではないでしょうか。ほとんどは無意識かもしれません。人によって程度の差もあると思います。親からの精神的支配から脱却しようと試みるのであれば、そもそも自分が精神的な支配下にあることを認識できていなければ始まりません。気づくことがスタート地点です。

 ちなみに、親自身がもう既に亡くなっていたとしても、エネルギー的な繋がりは消えずに残りますから、存命しているかいないかは関係ありません。肉親との強いエネルギー的な繋がりは、もちろん必要な時期にはなくてはならないものですが、成長していく過程でうまく切り離していくことが、本当の意味で自由を得、自分の人生を謳歌するためには必要なことでもあるのです。

 自分が厳しく管理された環境下で育ち、絶対的な両親(もしくはどちらかの親)の影響を強く受けたと感じる人は、親の価値観や生き方、様々な物事に対する反応など、多くの思考や信念をそのまま受け継いでいることが多いです。あまりにも当たり前のこととして思考パターンに組み込まれていたりするので、疑うことさえしないかもしれません。

 

 様々な条件付けや、固定化した価値基準、制限されたものの考え方、特定の信念に縛られている状態、こうしたことは皆、柔軟に人生を歩んでいく妨げとなります。人生のどこかの段階で、膠着した信念が邪魔をして、自分の行く手をふさぐことになるかもしれません。もう既に、行き詰っているかもしれません。

 

 親から受け継いだもので、自分にとって今でもプラスになっているなと思われるものは残し、必要ないなと感じるものは、どんどん手放していきましょう。自分の人生にそぐわないものまで継承する必要はないのです。自分の人生は、何物にも邪魔されず、その人が自由に描く権利があります。罪悪感など感じる必要はありません。本当の意味でその人らしく生きることが、結果的に周りも幸せにするのですから。

 人生の流れを変えるには、勇気とエネルギーがいります。まずは、自分の人生を歩むということを強く心に決めること。(ここに至るまでが大変なのですが・・)

 決心したら、後は自然に任せていれば、ちゃんとサポートがやってきます。意思の力が人生を変えていきます。あとは波に乗るように、柔軟にやっていきましょう。

 

 

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スポンジにならないために

 エネルギーに敏感な人は、人混みが苦手という方が多いです。他人のエネルギーを敏感に感じ取ってしまうので、雑多なエネルギーでごった返しているような場所に身を置くと、自分のものではないエネルギーをたくさん吸収して、様々な不調が生じてしまうのです。

 

 私も長いこと、人が大勢集まるような場所から帰ってくると、どっと疲れが出たり、頭痛がしたり、気持ちが悪くなったり、なんとなくだるくなったり、といった症状に悩まされてきました。

 

 また、小さい頃から、誰かと面と向かって話していると、その人の感情や気分の影響を強く受けてしまい、自分も同じ感情に襲われて圧倒されてしまうこともありました。また、考え方や物のとらえ方、話し方なども、目の前にいる人に合わせたものになってしまうことも多く、自分がまるでカメレオンになったかのように、コロコロと状態が変わってしまうのが不思議でした。

 

 今思えば、こうしたことは全て、私がエネルギー的にスポンジのようになっていたから起こっていたことがわかります。なんでも吸収してしまうスポンジのように、周りのエネルギーを自分の領域に無防備に取り込んでいたのです。それで、時々自分のものではないエネルギーの影響を受けて、イライラしたり、不安定になったり、時にはお腹が痛くなったり気分が悪くなったりといった肉体的な症状まで引き起こしていました。

 

 

 エネルギーのことを学ぶようになってから、私はいかに「自分を守る」ということが大事かということを知りました。エネルギーレベルで、自分のものではない、特にネガティブなものを取り込んでしまうと、私が私らしく生きるための妨げとなります。思考がブレますし、感情も安定せず、明晰さがなくなります。何が自分にとって本当に大事で、どの道を進むべきか、といった決断ができなくなり、どんどん道から外れていきます。

 こうしたことは、ほとんど無意識でした。つまり、気づかずに起こっていました。たいていは、ちょっとしたアクシデントやトラブル、事故、体の不調といった事象が起こって、そうなってからようやく、何かがおかしなことになっていることに気づくのです。

 

 毎日欠かさず瞑想をするようになって、それもできるだけ1日2回以上、可能な限り多くの時間を充てるようになってから、私は自分のエネルギーフィールドに異質なものがあると、それにすぐ気づくようになりました。そして、たとえそうしたものを取り込んでしまったとしても、やはり瞑想をすることによって意識的にクリアーにし、自分の領域をできるだけピュアな状態に保つことができるようになってきました。(フラワーエッセンスも大きな助けとなってくれていると思います。)

 

 瞑想をすると、普段の意識レベルより高い段階に自分の意識をシフトすることができます。思考や感情を超えたレベルにいくと、普段日常生活を送っている時には感じられない、繊細なフィールドから”自分”を眺めることができます。自分の今のマインドレベルがどのような状態で、エネルギーがクリアーかそうではないかということが、より明瞭にわかるのです。そこで、何かいびつな存在を見つければ、それを浄化して解放すればいいですし、祈りの力を借りることもあります。

 

 

 そのように、定期的に自分を浄化するために瞑想は欠かせないものですが、そもそも望ましくないエネルギーをブロックするためには、やはりグラウンディングが不可欠です。グラウンディングができていないと、感情や思考の海にフラフラと流されたまま、あっちにいったりこっちにいったり、自分を取り戻すことが難しくなります。

 そして、他人との関係性を司るエネルギーセンターである、第三チャクラを強化すること。これもエッセンスにもだいぶ助けられましたが、本当の意味で自分という存在を大切に感じられるようにならなければ、ここを強くすることは難しいと思います。自分という存在に価値を置き、自分を大切に思い、自分の力を信頼すること。こうしたことができるようになれば、自然とチャクラも整います。

 

 エゴ的にではなく、自分という存在を価値あるものと認め、必要以上に他人に頼ったり、依存したりしない強い自分になると、ちょっとやそっとのネガティブエネルギーなど跳ね返してしまいます。その人のエネルギーフィールドを守るのは、その人にしかできないのです。

 

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第3チャクラ~確固たる自分

 人生の舵を取るための操縦席には、本来自分が座らなければなりません。私が確固たる自己が確立していなかった時には、自分以外の誰かに操縦を任せてしまうことが度々ありました。時々目の前に影響力の強い人が現れると、ついその人に頼ってしまい、判断を委ねたり、その人の考え方・生き方の影響を必要以上に受けてしまったり。そんな時は、「その人」がどう言っているか、どう考えているかということに引っ張られてしまい、「私」がどうしたいのか、「私」は本当はどう感じているのかということを二の次にしていました。

 そのように依存的・支配的な関係性で繋がってしまっている時というのは、エネルギーレベルでも歪んだ関係性が出来上がっています。他人のエネルギーがスライムのように自分のエネルギーフィールドに浸食していたり(サイキックアタック)、もっとひどい時には、コードで繋がって、そこから自分のエネルギーが奪われていることもあります。洗脳されている状態などはこれに当たると思います。

 

 私は長い間、自信たっぷりで弁がたち、カリスマエネルギーがほとばっしているようなタイプの人が苦手でした。そんな人の前に立つと、自分がまるで小さくなってしまったように感じ、何も言えなくなってしまうのでした。そういう人と面と向かった時、その人の第三チャクラ辺りに大きなボルテックスが渦巻いていて、そこに自分のエネルギーが吸い込まれていくような感覚を味わうこともありました。

 第三チャクラが肥大化している人というのは、他人からエネルギーを奪う傾向があります(無意識だったりもします)。私は反対に第三チャクラが閉じているかバランスを崩しやすいタイプだったので、そういう人とエネルギーを奪い奪われる関係性に陥りがちだったのもわかります。

 

 ちなみに、チャクラというのはどれか一つだけがいびつに大きかったり、逆に小さかったりするのはバランスが崩れている状態です。どのチャクラも均一な大きさで、きれいな円を描いているのが理想です。第三チャクラばかりが異常に大きくて、魂レベルがまだ未熟な人間が、エゴに基づいた行動で多くの人を扇動する悪事が、歴史的に繰り返されてきました。私がこれまで出会ったそういうタイプの人も皆、根拠はないのになぜか自信だけがあり、自分の意見や考えが正しいことを疑わず、他人にも同じ考えを持つことを強要するという特徴がありました。けれど同時に、そういう人には根底にコンプレックスが潜んでいることも感じていました。みせかけの自信で、自分を大きく見せる必要があったのだろうと思います。

 その人に本物の自信があれば、他人にどう思われようと、何を言われようと、揺るがないはずです。揺るがないほど確固たるものであれば、他人に自分の意見を強要する必要もないし、自分が強いとか大きいとか正しいとかいうことをわからせようとする意味もありません。そもそも本物の自信とは、自分を支持してくれる人の数が多いからといって得られるものでもないと思います。自分の軸が定まっていること、天と地としっかり繋がっていること、ハートがオープンになっていること。こうした状況が整えば、自分以外の何物にも依存せずとも必要な情報がちゃんと入ってきますし、自ずと道が拓けていきます。

 魂が成熟している人ほど、他人の考えや周りの反応に頓着しないのは、天とのパイプがしっかりと築かれているからだと思います。周りを巻き込んで自分の個人的な影響力を広げることに執着する人は、まだまだエゴの強い影響下にいるといえます。

 

 

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ネガティブ矯正

 今の自分の姿、生き方、過去に自分がしたこと、言ったこと、これまでの人生・・・諸々含めて、「私」という存在を大切に思うことができない方のお悩みを本当によく聞きます。

 

自分のことが嫌いで、ついつい責めてしまうし、受け入れることができない。

 

 「私」という存在を大切に思うことができずに、自己卑下のような感情をもってしまうと、自分の望む人生を送ることがますます難しくなります。そういう方は、根底に「私には幸せになる価値がない」という意識があります。

 宇宙には無限大のチャンスと可能性があり、それらはあなたに奉仕したくて今か今かと出て行くチャンスを伺っています。けれど、せっかく宇宙が準備して待ち構えていても、あなたから「私には受け取る価値がない」という波長が発せられているために、ギフトがブロックされてしまっているのです。宇宙は100%あなたに忠実なので、あなたが「私は受け取るに値しません」といえば、「そうですか、いらないのですね」と判断します。

 

 世の中で、自分の人生を望むように創造できている方を見ると、基本的に「私」という存在を大切にしているのがわかります。自分を価値ある存在だと認めるだけの心のゆとりがあると、自分はもう十分に豊かで、恵まれていて、愛されている、と感じることができます。感謝の気持ちも自然に湧いてくるでしょう。そうなると、内面からにじみ出てくるハッピーオーラに呼応して、それに見合った豊かさが向こうからやってくるのです。

 

 内側がハッピーな人はますますハッピーな出来事を引き寄せ、内側がネガティブで渦巻いている人は、ますますネガティブな出来事を引き寄せます。

 

 

 どこかに、「私なんて・・」という自己否定的な意識があると、せっかくやりたいことや夢や希望があったとしても、肝心なところでチャンスを逃してしまったり、うまくいきそうなところで失敗したり邪魔が入ったりして、「なぜかいつもうまくいかない」という結果になったりします。それを、神様が私に意地悪をしているのだとか、私は不幸な星の下に生まれてきたのだとか、環境が悪いとか、遺伝のせいだとか、自分以外の何かのせいにするのは簡単かもしれません。でも実は、自分の心の奥を覗いてみた時に、「私なんかがうまくいくはずがない」「私はいつも失敗する」「私には能力がない」といった否定的な想念がとぐろを巻いて居座ってはいないでしょうか。

 否定的な想念は、自分が何かをやろうとした時に、横槍を入れてくる人や足を引っ張る人、批判してくる人といった妨害者を呼び込むこともあります。そんな時も、「あの人がいるからうまくいかない」と考えるのではなくて、”あのような人を引き寄せた私の心”に注目してみてください。もしくは、そういう妨害者に反応している、私の中の”恐れ”を癒すことに注力してください。内側が浄化され、癒されていけば、私の人生を妨害してくる存在も減っていきます。そして、たとえ妨害者が現れたとしても、それを跳ね返すだけの力がついていきます。

 

 

 「私」を大切に思うことが難しいという方は、長年自己否定的な感情を抱き続けてきた場合がほとんどだと思います。物心ついた時から、自分という存在を否定的に見るクセがついてしまっていたり、罪悪感を抱く想念パターンが出来上がっていたり。

 そうした考え方は単なるクセですので、前回も書いたように、少しずつでも意識的に矯正していくのが、ポジティブサイクルに乗るための一番の近道かと思います。

 

 まずは、自分が「できなかったこと」に注目するのではなく、「できたこと」に目を向ける。自分が「できないこと」ではなく、「得意なこと」に目を向ける。たとえ失敗と思えることをやってしまったとしても、とにかく絶対に自分を責めない。失敗を”悪い事”ととらえるのではなく、「学びの材料」ととらえる。そして、その機会を与えてくれた宇宙に感謝をする。どんなことがあっても、人生に何が起こっても、自分は常に進歩し続けているのだ、成長してレベルアップしているのだとポジティブにとらえる。

 

 そんな感じで、一つ一つ、一歩一歩、ネガティブを矯正していってみてください。きっと数か月たった辺りから、目に見える変化が表れていることに気づくと思います。

 

 

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考え癖、思い癖

 前回のブログでアファメーションのことを書きましたが、私自身、「私は~です」といった言葉を実際に声に出すことによって、意識や考え方の癖が変わっていくという経験を何度もしています。

 

「私は~です」の「~」の部分には、こうなりたい自分の在り方や、肯定的なものの考え方などを入れます。

 

 私たちは物心ついた頃からずっと、物事を「良い」か「悪い」かで判断される二元論の世界観にさらされてきました。身近に何事に対しても批判的な大人がいる生育環境で育った場合は特に、善悪二元論的な考え方を強く引き継いでしまっているかもしれません。二元論的な考え方が染み付いていると、他人や周りの状況に対して批判的になるだけでなく、自分自身に対してもシビアなジャッジをくだすことが増えます。そうなると、自分という存在に愛着が持てなくなったり、自己肯定感が弱くなったり、自分の意思を強く持つことが難しくなったりします。

 

 日ごろから自分のしたことや言ったことを振り返って、逐一自分を責めたり、「だから私はダメなんだ」といった自己卑下の気持ちが芽生えたりして、できたことよりもできなかったことに目を向けてはいないでしょうか。

 こうした考え方は、長年の習慣が引き起こしているものです。実際に私達が「ダメ」だとか、「価値がない」というわけではなく、何年も無意識的に自分を批判するクセがついてしまっているために、自分を肯定的に見ることが難しくなってしまっているのです。

 

 

 何事も気づくことから始まります。まずは、自分にそういう傾向があるな、こういう思考パターンや考え癖があるなということに気づいたら、そこから変えていけばいいのです。自分が変わるためには、まずは「変えよう」「変わろう」という意識をもつこと、そして、ちょっとした努力も必要です。

 自分がついつい「ああまたやってしまった。私はダメな人間だ」とか、「なんであんなことを言ってしまったんだろう。まったく私は馬鹿だ」といったように自分を責めていることに気づいたら、すぐにその思考を、自分を肯定する言葉に変えていきましょう。

 

「私は、私の身に起こったことを全て受け入れます」

 「私は、私がしたこと、相手がしたことを認め、受け入れ、肯定します」

「私は、結果そのものではなく、物事が良くなるために行った私の努力と善意に目を向けます」

「この出来事が私を前進させてくれることを信じ、この出来事とそこに関わったすべての人を祝福します」

「私に貴重な経験を与えてくださってありがとうございます。このことから私が学び、成長できることに感謝します」

 

etc... 

 

 肯定的な言葉であれば、なんでもOKです。とにかく、物事を悪い方に悪い方にとるクセがついてしまっているので、それをいちいち矯正していくのです。 長年の思い癖や習慣は一長一短で変わらないかもしれませんが、千里の道も一歩から。コツコツ努力していけば、必ず考え方や意識も変わっていきます。声に出して言ってももちろん良いですが、出さずに心の中で唱えても十分効果があります。

 

 最初はなんとなくしっくりこなくて、居心地の悪い感覚があるかもしれません。長年の習慣というのは、たとえ自分のためにならないものだったとしても、なんとなく安心感があるものです。人が新しいことを始める時には、いつだって勇気とエネルギーがいります。新しいテンプレートに自分を当てはめていく作業は強い意思の力と努力が必要ですが、新しい自分になってみると、もう古い自分には戻れないくらい居心地が良くなっているはずです。 

 

 

 

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アファメーション

 日常生活を送っていて、何かを見たり聞いたりした時、なんとなく「嫌だな」と感じることはよくあると思います。大抵の場合、「なんか嫌だな」と感じたとしても、しばらくそこから離れていればすぐに忘れてしまうものだし、大したことでもないからそのままにしておくのではないでしょうか。

 

 私は、この「嫌だな」と思う感覚を、結構大事にしています。というのは、「嫌だな」と感じたということは、自分の中に未解決の問題があるということだからです。何かを見たり聞いたりしたことで、その問題(心のしこりだったり、昔の傷だったり、トラウマだったり、思い込みだったり)を内包する私のセンサーが反応し、「嫌だな」という感情が沸き起こったわけです。特に、ある特定の人の言動をみる度にこの「嫌だな」が沸き起こっている時には、私がその人を通して、何かを投影してみているということ。私があることに対して強いこだわりを持っている証拠です。私の中で、「こうしてはいけない」「こうあるべき」という思いがあるのです。または、癒されていない過去の記憶があって、その人を見る度にその記憶が浮上してきているということです。

 

 何か(もしくは誰か)に対して「嫌だな」と反応したことで、私は自分の中にある思い込みやこだわり、執着、傷などに気づくことができます。「嫌だな」と思うこと自体は、悪い事でもマイナスでもなく、ただ私に自分の内面をみるきっかけを与えてくれるもの、ととらえています。「嫌だな」と感じたら、そこから派生するいろいろな思いや感情を素直に感じ、心の声に耳を傾けます。すると、私が具体的に何が許せないと思っているのか、何に最も強く反応しているのかが見えてきます。

 それは、私が自分に足りないと感じていることかもしれません。過去にとても嫌な気持ちになった出来事を彷彿とさせるのかもしれません。私が強く望んでいるのに、まだ手に入れていないことが、自分で許せないのかもしれません。「こうあるべき」なのに、そうではないやり方を選んでいる人が許せないのかもしれません。

 

 どんな出来事であっても、どんな人であっても、その出来事自体、人自体に善も悪もありません。物事は全て中立です。ただ私がネガティブな反応をしたり、ポジティブな反応をしているというだけです。

 

 

 ネガティブな感情が湧き出してきて辛い、とおっしゃるお客さんがたくさんいらっしゃいます。ネガティブな感情は、そこに飲み込まれてしまうと確かに苦しいです。けれど、ネガティブな感情を決して悪者にしないでください。否定しないでください。受け入れられずに拒絶すればするほど、それは大きくなります。まずは、そんな感情を抱いている自分を受け入れてください。赦してください。全然悪いことなんかじゃありません。人間として生きている限り、感情は永遠になくならないのです。喜ばしい感情も、そうではない感情も、取りあえず善悪の区別をつけずに、そのまま受け入れてください。感じてみてください。良いも悪いもありません。自分を責めないでください。

 否定せずに受け入れることができれば、決してそこに飲み込まれることはありません。自分を保って見つめることができます。冷静に、自分の感覚を信頼してください。私の神性な感性は、何かに反応しました。私はこの聖なるセンサーを心から信頼しています。私は、一体何が赦せないのでしょうか?

 

 私が何かを赦せていないこと、しがみついていること、こだわっていること。それがどんなにネガティブな思いであっても、私は、こうしたあらゆる思いを抱いている私を認めます

 

 過去に嫌な思いをしたり、傷ついたこと。または、誰かを傷つけたこと。私は、そこに関わった全ての人と、その出来事を体験することを選んだ私を赦します。私の心はその出来事で傷ついたかもしれないけれど、または私のしたことで誰かの心を傷つけたかもしれないけれど、私も相手も、何かのレッスンのためにこの出来事を自分の人生に招き入れました。それは、起こるべくして起こりました。誰も悪くないし、責められる必要もありません。そして、その出来事によって私の魂が傷ついたことはありませんし、これからもそうです。過去に私がどんな体験をしたとしても、私は私を愛しています。

 

 こうしたアファメーションは、ともすれば自分や他人を責めがちな傾向がある時、考え方のベクトルを変えるためにとても有効な方法です。物心ついた頃から自分を責め、罪の意識を感じる生き方に慣れてしまっていると、なかなか自然に「赦す」という感覚が持てないかもしれません。自分を責め、他人を責める思考が強いと感じるようでしたら、このように強制的に自分の思考回路を変えるトレーニングをすることをお勧めします。

 長年の思考癖も、ポジティブなとらえ方をするアファメーションを繰り返し行うことで、徐々に変わっていくはずです。

 

 まずは、どんな感覚でも、自分が抱いた感覚を大事にしてあげてください。

 

 

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自分に嘘をつかない生き方

 心根が優しくて忍耐強い人ほど、他人に合わせて自分の本当の気持ちや望みを抑える傾向があるように思います。そしてそれが、人としての美徳のようにとらえられることも多いようです。

 けれど本当に、自分の気持ちや望みを押し殺して生きていくことが理想のあり方なのだろうかと、私は疑問に思います。

 

 例えば、もし私の身近にそういうタイプの人がいて、本当はこうしたいと思っているのにその気持ちを押し殺して我慢しているとしたら、我慢が生み出すストレスがこちらにも伝わりますし、私までなんとなく窮屈な気持ちになります。自分の気持ちに素直にならないと必ずストレスになりますから、結局ストレスというネガティブな波動が放出されてしまうのは止められないのです。どんなに取り繕っても、どんなに無理やり幸せなフリをしても、自分に嘘をついている人は本当のハッピーオーラは出せないものです。

 

 それから、もし、人がそのようにして自分の気持ちに逆らった生き方を続けていたら、そのうちストレスが臨界点に達して、肉体にまで影響が出てきます。ストレスは病気の最大の原因です。そうなってしまったらもはや、自分だけが我慢していればいいという問題でもなくなるのではないでしょうか。

 

 私自身、過去に何度も、自分の本当の気持ちに蓋をして、他人の望みや考えに無理やり自分を合わせて辛い思いをしたことがあります。自分の本当の気持ちに嘘をつくのは本当に苦しいものです。なぜそんな思いをしてまで自分の気持ちに素直になれなかったかというと、その時は、自分の気持ちに素直になれば、失うものが大きいと思っていたからです。そして、誰かを傷つけることになり、相手も自分も嫌な思いをすることを恐れていたからです。自信もなく、意思力も弱かったのかもしれません。

 けれど実際は、自分の本当の思いに正直になり、自分の生き方、望み、方向性をハッキリと相手にも示すことは、結果的に自分だけでなく相手にとってもプラスになるということがわかりました。最初は驚かれるかもしれませんし、相手にとってはショックなことかもしれませんが、時がたってみると、やはりあの時自分の気持ちに従って行動していてよかったのだな、と思います。人に気を遣って自分を偽っていても、本当の意味では自分も相手も幸せにならないものです。

 

 

 自分の気持ちに素直になるというのは、何もわがまま放題に振る舞うということではありません。私が『今』感じていることに、無抵抗であるということです。感情や気持ちは、自然発生的に出てくるものです。自然に湧き出てきたものを、どうやって抑え込めるのでしょうか。

 感情は、私達が自分の中に抱えている古い傷や思い込み、信念などに反応して湧き出てきます。もう必要のなくなった古い傷や思い込み、信念を手放すヒントとなってくれるものです。悪者なんかではありません。感情や気持ちを無理やり抑えたとしても、大元となっている古い傷や思い込み、信念がいつまでもそこにあり続けるのであれば、繰り返し繰り返し、似たような感情が湧き出てくるでしょうし、むしろより大きく、歪んだ形で表出してくるでしょう。

 

 自分の感情や気持ちに素直になるということは、感情を全部丸出しにするということではなく、その感情がただそこに「ある」ということを認め、受け入れ、肯定してあげることです。否定すればするほど、抵抗は大きくなります。素直に認めてしまった方が、浄化も早いのです。

 

 そのようにして自分の本当の気持ちに嘘をつかず、あらゆる内面の感情を否定せず、自分という存在をあるがままに受け入れられるようになれば、もやがかかっていたような人生が、明るく、透明な一本の道のように見えてくるようになります。それまでは、思考や感情に支配されている状態でした。思考や感情と自分が一体であるかのような幻想を抱いていました。けれど、本当の「私」は、思考や感情が偽りであることを知っています。否定し続けていた頃には理解できなった感覚です。

 否定するのをやめて、素直になること、降伏すること、委ねることを選択するようになれば、視野が広がります。感情や思考に支配されている状態ではなく、それらを無条件に受け入れてより高い見地から眺めていられるようになります。怒りがあったとしても、怒りに自分を乗っ取られるのではなく、怒りを感じている自分を落ち着いて眺めていられるのです。そこに苦しみはありません。

 

 

 感情は、本当の自分を取り戻すために、方向性を示してくれる羅針盤になってくれるものです。自分の奥底から湧き上がってくる思いは、否定をせずに、押し殺さずに、一度素直に向き合ってみるのが良いと思います。私が本当に望んでいることは何なのか、自分に嘘をついているのはなぜなのか、何が邪魔をしているのか、見えてくると思います。

 

 

 

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自分を保つためのエッセンス

 人との関係性とは、それが家族、友人、先生、師弟、恋人、団体、どんなものであっても、お互いのエネルギーフィールドがいびつに共鳴しあうのではなく、健全な境界線を保ち、適度な距離感を持っている状態が望ましい形なのではないかと思います。

 

 自分のフィールドが他者に浸食されると、自分本来の個性を発揮して自由に生きることが難しくなります。

 

 同時に自分自身も、誰かの人生に必要以上に首を突っ込み、その人の自由を奪ったりはしていないか、気を付けなければいけないなと思います。親子の関係では特にそうです。

 

 

 誰かに自分の領域を侵されているなと感じたり、見えないコードで望ましくない繋がりができてしまっているなと感じる時に、お勧めのエッセンスがあります。私自身もとてもお世話になり、効果を実感してきたものをいくつか挙げてみます。

 

☆エンジェルソード、ライケン、ボアブ、フリンジドバイオレット(オーストラリアンブッシュ)の組み合わせ

・・・エーテルコードを切ってくれる、傷ついたオーラを修復してくれる、サイキックアタックから身を守ってくれる

 

☆オニキス(アラスカン)

・・・ネガティブエネルギーを寄せ付けない

 

☆Strength(ヒマラヤンエンハンサー)

・・・第三チャクラの強化。第三チャクラが弱いと、外部の影響を簡単に受けやすくなります。

 

☆シャーマニックエクストラクション(アンジェリック)

・・・受けてしまったサイキックアタックを取り除いてくれる

 

 

 これらのエッセンスにもだいぶ助けてもらいましたし、瞑想をしたり、粗塩を入れたお風呂に入って浄化をしたり、コードを切るイメージトレーニングを繰り返したり、いろいろなやり方を試してみました。どれも良かったと思いますが、一番効果があったのは、やはりその人と物理的な距離を置くことです。一定の期間、電話やメールをしたりもせず、会わない時間を作ると、その間に自分を守ることができます。しっかりと境界線を築くためには、物理的な対処も必要なようです。

 

 そして肝心なのは、やはり意思の力です。自分は誰からも強要されず、誰からも威圧されることなく、自分の個性を最大限に発揮して、自分の人生を切り開いていくのだという、確固たる意志を持つこと。これが何にもまして大切ですし、これ以上に強力なものはありません。誰かの影響を受け過ぎて自分本来の生き方ができていないということは、自分の意思の力がそれだけ弱いということです。自分の力を信じること、自分の人生は好きなように選択する自由があるのだと知ること、そうすることが結果的に自分だけでなく周りや社会のためにもなっていくということ。

 周りに振り回され、自分を見失い、そして途中で気づき、自分の足で自分の人生を歩もうと決心するまで、いろんな回り道をしましたが、どれも大切なレッスンだったと思っています。

 

 

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エネルギーバンパイア

 人からエネルギーを奪う、エネルギーバンパイアという存在。こう聞くとなんだかおどろおどろしく、邪悪で悪魔的な人間を想像するかもしれません。けれど、小さなものからカウントすれば、実はこうしたことは頻繁に起こっています。

 

 エネルギーバンパイアは、何も100%悪の心に憑りつかれた、穢れた心の持ち主とは限りません。例えば、子を思う愛情が行き過ぎて過保護になったり、心配のあまり行動を制限してその人の自由を奪う、自分の言うことが正しいことであるかのように無理やり説得するといった行為も、相手の意思力を奪う、エネルギー搾取行為になり得ます。身近であればあるほど、共依存関係にも陥りやすいのです。

 

 

 私のこれまでの経験からいうと、私のエネルギーフィールドが望ましくない形で影響を受けてしまった相手というのは、どの人も皆、どちらかというと良識的なタイプでした。むしろ、人の役に立ちたい、困っている人を助けたいといった、愛情や正義感の強い人が多かったです。だからこそ、最初は私がその志に共感し、「この人から学びたい」という意識が芽生えて尊敬に変わっていったのだろうと思います。

 共感と尊敬。そこで留めていれば、エネルギー的に不自然な繋がりを持つまでには至らなかったかもしれません。これは本当に私に責任があることなのですが、私はどちらかというと昔から簡単に人の言うことを信じるタイプでした。そして、前にも書いたように、長い間自分という核がしっかりと定まっていなかったために、一見自分の理想像を体現しているような人をみると、ついつい軸が「私」ではなく、その相手に移ってしまっていたのです。

 そして、ここからは相手自身の問題も関わってくることなのですが、誰かからエネルギーを奪う人というのは、皆何かしら内面の問題を抱えています。それは恐れだったり、賞賛への渇望だったり、名誉欲だったり。共通しているのは、劣等感と自己顕示欲のような気がします。結局、その人自身も本当の意味では自分を癒せていないのです。過去のトラウマや、人から傷つけられることへの恐れ、そして自信のなさなどがまだ内面にくすぶっているからこそ、自分を無条件で受け入れ賞賛してくれる人を求め、その人を離さないよう、自分の元に引き留めておくよう、無意識レベルの力が働くのだろうと思います。

 そもそも、自分自身の問題が片付いている人ほど、外部からの力には頼らないものです。内なるパワーの強さが備わっているからです。内なるパワーと繋がっている人は、他人からの承認も崇拝も必要ありませんし、地位や名誉、物理的な富にも興味がありません。依存の関係はお互いにとって望ましくないことを知っているので、むしろそのような状況を呼び起こさないようにするでしょう。

 

 エネルギーを奪う、奪われるという関係性は、両者に共通する部分があるから最初に波長が引き合い、そしてお互いがお互いの足りない部分を補い合う関係に発展していきます。

 

 一度瞑想をして、自分のエネルギーフィールドがクリアーになっているかどうか、誰かといびつな関係で繋がっていないかどうか、ぜひチェックしてみてください。

 

 

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見えないコード

 パワーオブフラワーには、繊細なタイプの方にぴったりのエッセンスがいろいろあります。心の傷やトラウマを癒すものや、埋もれていた感情を優しく解放してくれるもの、低い自己価値を高め、自分の本当の望みに繋げてくれるもの、etc...

 

 作り手のイーシャさん自身がとっても繊細で心優しい方ですので、エッセンス自体のエネルギーも優しいと感じています。心の深い部分にそっと語り掛けてくれて、傷やトラウマを穏やかに解きほぐしてくれるような感じです。それでいて効き方は強力で、飲んですぐに明確な変化を感じる方も多いです。

 

 

 エネルギーに敏感で、かつ自分に自信がなかったりすると、往々にして他人に振り回されがちになります。自分の気持ちよりも他人の望みを優先させてしまうからです。特に大人になる前は、周りの大人に頼らなければならない立場ゆえ、本当の自分の思いを押し殺して、親や先生などの言うことを無理やり飲み込んだり、自分に嘘をついて周りに合わせた振る舞いをしたり、周囲の期待に沿うために気持ちとは異なる進路に進んだり、といった経験をされている方が多いのではないでしょうか。

 

 長年の行動パターン、思考パターンというものは、一長一短に変わるものではありません。大人になって、もう自由に行動しても良い状況になっていても、家族の意見や顔色を気にしていたり、自分が本当にやりたいことを『してはいけない』と感じていたり、未だに自分の考えや気持ちを表すのが苦手だったり・・

 なぜだかわからないけれど、本当の自分らしく振る舞えない、周りの反応が気になってしまう、自分は幸せになる資格がないような気がする、という時は、自己肯定感、自分を大事に思う心、自尊心、といったものが総じて低い状態といえます。それは、実際にその人の価値が低いというわけではなく、ただ単に、長年の習慣でそういう思考パターンになっているだけです。

 

 そんな時に、自分よりも何かの分野で秀でていて、かつカリスマ性があったり、自己顕示欲が強いタイプの人に出会ったりすると、知らず知らずのうちにその人に自分のエネルギーが奪われて、必要以上に追従してしまったり、自分を出せなくなったり、極端な場合洗脳されてしまう、ということもあり得ます。自分や自分の感覚に自信がないので、強い意見を持った人や、物事を断定的に話す人、カリスマエネルギーがある人などに明瞭な意見を言われると、その人のパワーに負けてしまい、自分の思いを封印してしまうのです。

 エネルギーバンパイアという言葉が最近は聞かれることが増えてきましたが、実際、他者の存在が自分の個性を押し殺しているような状況というのは、エネルギーフィールドがその人に侵されていたり、見えないコードで繋がっていたりします。

 

 今自分の人生の中に、誰かとても強い影響力を持っていて、その人の言動に自分の行動が左右されているような人(家族でも他人でも)がいたとしたら、エネルギー的に不自然な形で繋がっている可能性があります。以下にいくつか典型的な症状を挙げてみます。

 

★何か行動を起こす時、その人の反応がまず気になる(顔がチラつく)。実際、その人に意見を聞いてしまう

★たとえ自分の意見が本当は違っていたとしても、その人が「正しい」と思ってしまう

★その人の前ではまるで自分が小さくなったかのように委縮してしまう

★その人が機嫌を損ねると、自分が悪かったのだと自分を責めてしまう

★自分の個性を出すよりも、その人のポリシーややり方に、自分が合わせてしまう

★その人のファッションや嗜好に影響を受け、本来の好みとは別のものを選んでしまう

★自分が本当に考えていることよりも、その人が喜ぶこと、その人が満足することを意識した言動をとってしまう

★その人に、お金や物、時間、労力などを貢いでしまう

★他の人も皆、その人を崇拝するべきだと思う(積極的に宣伝したり、周りに勧めたりする)

 

 いくつか当てはまるものがあれば、もしかしたら、その人に自分のエネルギーフィールドが侵されているかもしれません。お互い無意識だったりもします。

 

 

 私自身、幾度もこういった経験をしました。人生において、何度も何度も、他人と不自然な繋がりを持ってしまいました。それはやはり、自分の軸が定まっていなかったからです。

 私が、誰かと自分がいびつなエネルギーコードで繋がっていたことに気づくのは、いつもコードが切れた後のことでした。繋がっている間は、本当に気が付かないのです。目が覚めて、コードが切れた後に振り返ってみた時、自分がいかにその人の意見や生き方に振り回されて、自分を見失っていたかということを改めて知り、愕然としたものです。

 エネルギーについて学ぶようになってからも、そういった経験がありました、途中でハッと気づき、ある人に自分がエネルギーを奪われていることを知った時は、瞑想をして、一生懸命自分のエネルギーからその人を追い出すイメージをしました。第三チャクラがある辺り、太陽神経叢の部分からエネルギーが出て行っているのも感じていました。けれどそれは、気づいて意識しするようになって初めて感じたことで、それまでは全く感じてさえいませんでした。他人にエネルギー領域を侵されている時というのは、感覚も鈍感になるようです。

 また「エネルギーを奪われる」「領域を侵される」と受け身で書いていますが、根本的にそうした状況を呼び起こしていたのは私自身です。私が、自分の感性よりも、誰か他の人の意見や感性が優れていると思い込み、決定権を他人に明け渡してしまっていたのです。自分の感覚や能力、経験、いろいろなことに価値を感じることができていなかったために、自分が足りないと感じている部分を他の人に補ってもらわなければいけないと思っていたのでした。そうして、知らず知らずのうちに他者を頼り、依存してしまうパターンが出来上がっていました。

 

 人生において何度かそういうパターンを繰り返してきましたが、ここ最近ようやく、依存や洗脳、支配といった状況を呼び寄せない強さがついてきたように思います。それは結局、私という存在を大切に思う気持ちが強くなり、自分の感性を信頼できるようになったからです。必要以上に他人に頼ったり、判断をゆだねる必要がなくなってきました。紆余曲折を経てようやく、軸がぶれなくなってきたのかもしれません。

 

 

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集団意識に潜む暗い闇

 悪しき思考や感情の出処となっている、私達の細胞に染み付いた古い価値観や固定観念、偏見、思い込みといったものの多くは、実は遺伝的に代々受け継がれてきたものでもあります。私達が親や先祖から受け継いできたのは、肉体的な要素だけではないのです。価値観や偏見といった、生まれながらにして備わっているスイッチが、物心ついてから経験した出来事や見聞きした情報などの刺激によって「ON」モードになり、より強固な価値観として私達の思考回路に影響を及ぼすようになっていきます。

 

 わかりやすい例でいえば、民族意識や性差別的な思考、人種間の偏見、エリート主義、等々。これらの歪んだ認識は、私達の集合意識の中に存在する暗い一面ですが、長い事世代間で受け継がれてきました。また、その土地固有のエネルギーの影響を受けている場合もあります。直接これらの価値観を「教えられた」わけではなくても、物心ついた頃から自然に共鳴し、引っ張られ、次第に内面深くにまで植え付けられていく、という経験はないでしょうか。自分が抱いている数々の思い込みや偏見が、一体どこからやってきているものなのか、大元を突き止めるのは結構難しいものです。あの時の経験がそうだとか、あの日あの時あの人に言われたから、と思い浮かぶ出来事はあるかもしれませんが、それらはあくまできっかけであって、元々私達の中にあった要素が、そうした出来事によって刺激を受けて表面化した、という感覚がよりしっくりきたりします。

 

 

 我が家の子供たちが小さい頃、昔懐かしいテレビアニメの『世界名作劇場』の再放送がテレビで流れていた時期がありました。かの有名な『母をたずねて三千里』を見ていたある日のこと(懐かしいので私も一緒に見ていました)。主人公のマルコが、電車に乗って移動する場面がありました。その時マルコが乗り込んだ車両は、当時で言う貴族もしくは富裕層専用の豪華な車両。マルコは、自分が乗るべき三等車両ではなく、別の車両に間違えて乗り込んでしまったのです。マルコは、その車両の豪奢な作りや、乗っている人々のリッチな服装、雰囲気などで、自分がいるべきではない車両に来てしまったことに気づくのですが、今でもハッキリと覚えてますが、その場面では一切のセリフもナレーションもなく、マルコが豪華な車両に間違えて乗り込んで、そして「あ、間違えた」という表情を浮かべた、というただそれだけのシーンでした。私は、子供向けのアニメなのに、よくこのような大人の事情ともいえる複雑なシーンを描いたなあ、しかも一切の説明もなしに・・子供が見てこの状況を理解できるのだろうか、と思いました。けれどのその瞬間、隣で見ていた息子(当時3歳になったかならないか位でした)が、なんとその無声のシーンを見て、パッと両手で顔を覆ったのです。彼は、この場面で主人公マルコが身分的に自分が「いるべきでない」車両に来てしまったということを理解し、そしてそれが気まずい状況である、という感覚まで反射的に抱いたようでした。

 まだ言葉もきちんと話せないくらい幼い子供が、誰からも教えられていない、この世に生まれてから実体験をしたわけでもない、「身分」「貧富の差」「階層」といった認識を、一体どうして抱いているのでしょうか。私はその時、子供には生まれながらにして備わっている感覚があるのだ、そして今この場面を見て、その感覚が刺激されたのだな、と思いました。

 

 

 私自身、自分の中にはたくさんの偏見や思い込みがあることに昔から気づいてはいました。本心とは裏腹に、集合意識の暗い部分の影響を少なからず受けてしまっていることもわかっていました。望むと望まざるとにかかわらず、無意識レベルで先祖から受け継いでしまっている傷があれば、それはいずれ何らかの形で表面化してしまうものです。自分本来のものではない、歪んだ認識から早く解放されたいと願うのであれば、それなりのプロセスを踏む必要があります。私の経験から言うと、偏見や思い込みといった不必要な観念は、その出処を探るよりも、ただそこにそれが「ある」ということを認め、そこに光を当てることでより速く解放されていきます。それがあることで自分がどのような痛みを引き起こしているか、素直に感じてみるのです。そして、肝心なのは、そうしたネガティブな観念を抱いている自分を無条件で受け入れること。決して罪悪感を抱いたり、自分を責めたりしてはいけません。それは何のプラス効果も生まない行為です。あらゆる心の傷は、そこに傷があることを認識することから癒しが始まります。気づいたというだけで、もう癒しのプロセスは半分以上終わっているのです。

 

 

 個人的な意識改革は、孤独な作業ではあります。けれど、私達の意識は深い部分でつながっているので、たった一人が起こした意識の変革は、まるで大きな池に投じた小石のように、全体に波紋が広がり、他の人々にも同時に影響を与えていきます。見えないレベルで起こっていることの方が、目に見えている現実よりも大きな力を持っています。

 世界中のほんのわずかな人々が毎日瞑想をするようになれば、この世から戦争がなくなる、といいます。ポジティブなエネルギーはネガティブなエネルギーを凌駕するので、数が少ないからといって希望がないわけではありません。

 個人が起こした内面的な変革が、やがて集団意識をクリアーにするまで広がり、世界全体が浄化されていく日も夢ではないのです。

 

 

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トラウマ解放はライフワーク

 数多くの固定観念やトラウマに縛られていると、そこから派生する膨大なネガティブ思考・感情によってその人のエネルギーレベルが下がります。悪しき観念にとらわれていれば、その人はそれだけネガティブな波長を帯びることになり、それ相応の現実を引き寄せます。今現在抱いている思考が少し先の未来の現実を形作っていくのです。

 多くの人が、わが身に降りかかっている望ましくない現状を嘆くだけで、なぜそうなっているのか、現実が自分に何を伝えているのか、どうしたら現状を打破することかできるのか、元凶を探ることないまま、ただ不満だけを抱いています。

 

 現実を変えたかったら、自分の内面を見つめて内側から変化を起こすしかありません。これ以外の方法はありません。

 

 ということを理屈でわかっていても、今起こっている現実が、実は自分の内側に原因があったなどと、なかなか納得できないのが人間というものなのかもしれません。

 

 それに、何年も何十年も抱き続けてきた信念や思い込みを外すには、結構大きなエネルギーがいります。そもそも、自分がどのような固定観念を抱いているか、客観的にわかっていない場合がほとんどかもしれません。他人に指摘されても、気づかないことが多いでしょう。気づかないふりをしているだけかもしれませんが。もしかしたら、今はまだその時期ではないのかもしれません。

 

 古い観念や悪しき思考パターンを解放するということは、実は私達は自然にやっていることでもあります。病気や怪我、事故、身近な人の死、といった「事件」が起こると、私達の中で何かが壊れたような感覚を味わうことがあります。衝撃的な出来事やショックには、私達のエネルギーフィールドに大きな変革を起こす力があるようです。

 大病や大きな怪我をした後に人が変わったり、人生が大きく動いたりすることがあるのは、こうした事故や事件がショック療法のように、私達の価値観や信念に影響を及ぼすからです。そもそも、病気や怪我などのアクシデントは、私達に古いパターンを手放すようにというメッセージとして起こる場合もあります。私達の内側で調和がとれていない部分があり、それが表面化したのです。私達に気づきを促すために、体が病気や怪我といった現象を起こすことは、実は頻繁に起こっています。

 

 けれど、何もわざわざ病気や怪我、事故といった現象を経験しなくても、ただ平和な日常を送りながら気づきが得られれば、それに越したことはないのではないでしょうか(少なくとも私はそう思います)。

 私は、瞑想を日課にするようになり、フラワーエッセンスなどの波動療法を試みつつ、自分の内面にひたすら向き合って必要のないものは次々に手放すという心のお掃除に従事するようになってから、気づくと病気や怪我、アクシデントなどに遭うことが減っていきました。何かがおかしいなと感じたら即瞑想をし、思考と感情から自分を切り離し、自分の中の何が表に出てきているのか、何に光を当てるべきなのか、どのように思考を変えていくべきなのか、謙虚に向き合います。

 

 アメリカの著名なスピリチュアリストで数多くの啓蒙的な著書があるルイーズ・ヘイさんは、御年90歳になられるそうですが、数年前に撮影されたインタビュー動画で、「今でも毎日過去のトラウマと向き合って手放す作業をしている」と言っていました。彼女は幼い頃は孤児院で過ごし、その後実の母親に引き取られますが、そこで母親や継父から肉体的・精神的虐待を受けるという過酷な少女時代を送っています。幼い頃のトラウマが元で、大人になってから人との関係性を築く際にトラブルが絶えず、大きな病気にも見舞われます。そうなってから自分の思考が現実を引き起こしていることに気づき、徹底的に自分の感情に向き合うという作業を行って、自己変革を起こしていきます。やがて病気も完治し、本の執筆や数々の講演会を開くなど積極的な活動を行うようになり、今では多くのスピリチュアリストやヒーラー達のメンターとしても活躍し、啓蒙世界の先駆者的な存在となっています。そんな彼女でも、未だに自身の遠い過去に受けた傷に向き合い、それを自分で癒す作業をコツコツと行っているのです。

 

 私はルイーズさんのような過酷な幼少時代を送ることなく、恵まれた環境で育ってきたことに感謝しなければいけません。とはいえ、エネルギー的に敏感体質で他人の感情に振り回されがちだった上に、確固たる信念が持てないまま、周りに合わせるように生きてきた時期が長かったために、かなり多くの固定観念や思考パターンに自分が縛られているな、と感じます。今までそれらを引き離す作業をやってきてだいぶクリアーになってきたとは思いますが、ルイーズさんのように、私も心のお掃除はライフワークとしてやっていくことになるのかもしれません。そのくらい、気長に向き合っていこうと思っています。

 

 

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刷り込み解除

 思えばここ5~6年間は、自分が過去に植え付けられた様々な「条件付け」を解除する作業をひたすらやり続けてきたように思います。幼い頃から周囲の大人たちやメディア、書物などから様々な固定観念を刷り込まれ、それが自分自身と一体化してしまっていることに、長い間疑問すら感じていませんでした。

 条件付けは、「こうしなさい」「こうするべきです」といった”教え”を直接受けることによってなされるとは限りません。私は人の考えや感情、場の空気を敏感に読む子供だったので、直接指示されたわけではなくても、自然と周囲が期待していることや当然そうあるべきと考えていることなどを感じ取り、それに自分を合わせてきました。1人1人が考えていることに限らず、例えば世間一般的に良識とされていることや、常識、風習、道徳観念、伝統、といった漠然とした集合意識にも多大に影響を受けてきたように思います。それらのなんとなく「こうあるべき」という考えに縛られて、自分が本当に思っていることややりたいこと、こうありたいという願望をたくさん封印してきました。

 

 もちろん、世間一般的な考え方が全て間違っているわけではないですし、時には合わせて生きることが必要なこともあると思います。問題は、自分以外の考えや期待、「こうあるべき」という常識などを、私の深い部分では、実は受け入れていなかった時です。本当は、私の心は、魂は、そこに縛られることを望んでいないのに、「こうあるべき」に自分を合わせることを優先させて、本当の気持ちや願望を無理やり封じ込める、そして周囲の願望とは異なる思いを抱いている自分を否定してしまう。こうしたことをたくさん繰り返してきました。

 そんな風に、本当の気持ちに蓋をして無理やり偽りの自分を演じていると、不満や怒り、憤りといったネガティブな感情がたくさん湧き出てきます。そうすると、今度はそうした感情を抱いている自分を否定することになります。なぜなら「こうあるべき」に従うのが「正しい」のだから、それに対して不満を抱くなんて、私が間違っている。そうとらえていたからです。否定された感情は、その都度、抑圧され、封じ込められ、蓄積されていきました。

 

 例を挙げてみます。

 

 私は長い間、「おしゃれをすること」に対して罪悪感を抱いていました。それは、幼い頃、「女の子がおしゃれに関心を持つのは良くない」という条件付けをされたからです。例えば洗面所で髪の毛を一生懸命梳かしていたら、「そんな風に髪の毛をたくさんいじるんじゃない」と注意をされたり、自分の好きな色の髪飾りを選ぼうとしたら、「そんな派手なものつけるんじゃない」と否定されたり。そういうことを何度か言われるうちに、私は両親の、おしゃれにあまり関心を持ってほしくない、着飾ることに夢中になってほしくない、という暗黙の思いを感じ取っていきました。服も、だいぶ大きくなるまで、自分が本当に着たいものを選ばせてもらえませんでした。特に、女の子らしい、フリフリの服やピンクの服などは、私が選ぼうとすると母親があまりいい顔をしないので、次第に自分の希望よりも、母親の趣味趣向に自分を合わせるようになっていきました。

 おそらく両親はさほど意識をすることなくやってきたのだろうと思いますが、私は人の反応を異常に気にするところがあったので、言った本人が考えている以上に、過敏に反応してしまいました。

 また、中学時代という最も多感な時期。学校ではわずかなおしゃれ心も否定されるような状況でした。せめてもの抵抗で制服を密かにアレンジしたり、色付きのゴムで髪の毛を縛ろうものなら、風紀担当の先生達が即座に見つけ、厳しく注意をしてきました。思春期の女の子がファッションに興味を持つのはごく自然な感覚だと思うのですが、明確な理由もなく(勉強に集中できなくなるというようなことを言っていましたが、もちろん因果関係はないと思います)、おしゃれ心を抱くこと、個性を出すことがまるで重大犯罪であるかのように、否定され、ただ罪の意識を刷り込まれていきました。私はそのような大人達の理屈が理解できずに反発を感じていましたが、それでも10代序盤の子供が大人達に威圧的に言われれば、無理やりでも受け入れざるを得ません。今自分が置かれている状況に適応させるため、内側から湧き出る率直な感覚を否定し、抑えることが自然になっていきました。

 

 そんなわけで、大人になってからも、本当に自分が着たい服を着たり、したい恰好をしたり、着飾ったりすることに対して、なぜか抵抗感を感じる自分がいました。自由に服を選んでいる自分に対して、どこか罪悪感がありました。本当はおしゃれもファッションも大好きなのに、それを心から楽しめない自分がいたのです。

 

 そのことに気づいてから、私は自分に刷り込まれた「おしゃれに関心を持つことは良くない」という条件付けを、解除することに決めました。「おしゃれに関心を持つことは良くない」という思い込みを、「私はおしゃれを楽しんでもいい」という発想に意識的に変換するようにしました。お店で好きな服を選び、好きな色を選ぶ時、古い自分の声は「こんな服選んではいけない」とか「もっと地味な色にした方がいい」と言ってくるのですが、その声よりも本当の自分の気持ちを優先させるようにしました。実家の両親の前で、敢えて派手目な恰好をしたり、母親が選ぶ服と真逆のものを選んでみたり、「私とお母さんは趣味が全然違うから!」と宣言してみたりと、リハビリのようなこともいろいろしてみました(ごめんなさい)。

 そのおかげで今は、幼い頃の刷り込みから解放され、罪悪感を抱くことなく自由におしゃれを楽しむことができています。

 

 

 もう一つ、自分が母親になってみて改めて感じたことがあります。私は、女性は子供を持つと、なぜか「母親が人生を楽しんではいけない」とか「自分のやりたいことを我慢しなければならない」といった、自己犠牲的な固定観念に縛られることが多いことに気づきました。子供ができたら、自分のことは二の次にして、子供のため、家族のために尽くすことが美徳であるかのように思われている節があります。それは、直接誰かに言われたわけではなくても、なんとなく世間的にそう信じられていることだったり、映画やドラマなどでもそういう自己犠牲的な母親像が美しく描かれていることなどから、自然とそうした感覚が刷り込まれていくのではないかと思います。また、女性は長い間、自分のことよりも家のことを優先することが当たり前のように生きてきたので、そうした生き方が当たり前のこととして、無意識レベルで代々受け継がれてきたのかもしれません。

 

 私には、多くのストレスを抱えたり、時には健康さえも損なうほど自分を犠牲にして家族のために尽くす母親像が、特別「美しい」とは思えません。むしろ、子供としても、自分の母親が無理をして心にゆとりがなくなったり体を壊すくらいなら、自然体で健康で居続けてほしいと望むでしょうし、我慢して人生をあきらめるより、生き生きと人生を楽しんでいる母親でいてほしいのではないでしょうか。もちろん、子供のお世話や家の用事を放棄してやりたいことを優先させるのが良いとは思いませんが、必要以上に、世間一般的な理想の母親像に縛られているお母さんたちが多いように感じます。

 私は、自分の中にもこうした条件付けがあることにある時気づき、これも解除することに決めました。なぜなら、「こうあるべき」に縛られて生きることは、私自身にとってだけでなく、家族にとってもハッピーな結果にはならないと確信したからです。お母さんがハッピーでなくて、家族がハッピーになることはないと思います。

「お母さんは人生を楽しんでいい」。

そのように発想を転換させて人生を謳歌する母親が増えたら、世の中ももっとハッピーになるのではないかと思います。

 

 

 例えを挙げたらキリがないくらい、私の中には様々な固定観念が刷り込まれていました(今もまだまだあると思います)。細かいものから大きなものまで、とりあえず必要のないものは一掃しようと決め、毎日気づいたらその都度解除するようにしています。

 

 刷り込みから解放されると、心が自由になります。とらわれることなく、自分が本当に選びたい道を選ぶことができたら、調和がとれて、結果的に自分だけでなく周りも幸せになります。

 

 まずは、自分がどんな固定観念に縛られているのか、そこに気づくことから始まります。

 

 

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ドラムの音とグラウンディング

 前回のブログでグラウンディングのことを書きましたが、もう一つ、あるアメリカのヒーラーさんが言っていたグラウンディングの方法があります。それは、

 

ドラムの音を聴くこと」。

 

ドラム(太鼓)の音には、人間の下部チャクラを刺激する働きがあるのだそうです。

 

 それを聞いた時、私は自分の思春期(中~高校時代)を思い出しました。私は兄が聴いていた影響で、中学の終わり頃にヘビメタにハマり、高校卒業するくらいまでずっと聴き続けていた過去があります。通っていた高校は女子高だったので、変人扱いされるのが嫌で、1人ひっそりとヘビメタファンをやっていました。

 当時は、ヘビメタ特有の激しいドラムのビートの音が聴いていて快感で、不思議と気持ちが落ち着いたものです。

 

 思春期というのは、親や身近な大人に依存していた子供時代から、大人として自立していくために体も心も変容していく時期です。変容の時期にはエネルギーバランスが乱れがちなので、気持ちも不安定になります。今思えば、その時私はドラムのビートを聴くことで、なんとかグラウンディングを保とうとしていたのではないかと思います(元々フワフワと気持ちが浮きがちなタイプでした)。

 また、激しくシャウトしながら世の中の不条理を叫ぶヘビメタのエネルギーが、不安や怒りを内側に溜めがちだった当時の私の鬱屈した思いを、上手に外に出すお手伝いをしてくれていたように思います。ヘビメタを聴いていると、自分の内面に渦巻いている激しいパッションが昇華され、モヤモヤが消えてスッキリしたのを思い出します。内側には火のような気性を抱えているのに、それを上手く外に出すことをしなかった私の性格に、ヘビメタが合っていたのだなと思います。

 

 

 高校を卒業した辺りから、ずっとヘビメタから離れていたのですが、最近時々、思い出したように聴くことがあります。グラウンディングの大切さに気付いたためかもしれません。自分がフワフワしていてグラウンディングができていないなと感じると、私はイヤホンで大音量にして、昔聴いていたヘビメタを聴きます。腹の底に浸透していくようなドラムの音は、第一チャクラ周辺のエネルギーを活性化して、アンカリングしてくれるのがわかります。しばらく聴いていると、クラクラめまいがしていたのが治まったり、頭痛が治ったりします。

 

 おそらくドラムの音であれば和太鼓でも何でもいいのだと思いますが、自然の中に出て行って木を抱きしめる余裕がない時などには、音楽を利用するのも便利な方法です。

 

 

 

*ヘビメタにも色々種類があり、私が主に聴いているのは、音と旋律が美しくて汚い言葉などは出てこないタイプのものです*

 

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グラウンディングの大切さ

 私がフラワーエッセンスに出会ったのは、今から約6年前のことでした。子供の頃から、ファンタジーの世界に憧れ、妖精や天使は本当にいると信じている夢見がちな性格でしたから、「天使のエッセンス」などと聞いた瞬間、もうそれはゾクゾクするほどときめいたものです。

 知れば知るほどエッセンスに興味が湧き、次から次へとあれこれ試してみました。

 

 ここで私は、スピリチュアル大好き人間がやりがちなミスを犯してしまいました。

 

 自分が飲むエッセンスを選ぶ時に、最初から「天使の声を聴く」とか、「宇宙とのつながりを高める」「ライトボディへの変容を助ける」etc...といった、主に高いチャクラに働きかけるものばかりを選んでしまったのです。その結果どうなったかというと、私はフワフワと地に足のつかない状態になってしまいました。

 

 頭の上の方に引っ張られる感覚があり、元々興味があったスピリチュアルな世界に没頭することが増えました。そして、高い次元の世界に憧れるあまり、地球に生きることが億劫に感じるようになってしまいました。現実生活に向き合うことがつまらないことのように思えてきたのです。

 

 このような状態の時に最も大切なことは、グラウンディングをすることです。私は、地に足がついていない状態で、天使とか宇宙とか高次元の世界に引っ張られてしまっていたので、物理的現実との折り合いがつきにくくなっていたのだと思います。これは、今思い返してみればそうだったのだとわかるのですが、その時の私は自分がどうしてこうなっているかなど、客観的にわかっていませんでした。地に足がついていない状態だと、自分のことを冷静に眺めることが難しくなります。

 

 

 セッションをお申込みになる方のほとんどは、私のようにもともとスピリチュアルな世界に興味がおありで、もう既にいくつもエッセンスをお試しになっている方も結構いらっしゃいます。このブログを読んでいらっしゃる方も、精神世界に興味があって、いろいろな本などお読みになっていらっしゃる方が多いのではないでしょうか。私は、そういう方にこそ、グラウンディングをしっかりとすることをお勧めします。特に今はいろいろな情報が入ってくるようになってきましたから、スピリチュアルな世界に没頭しようと思えばいくらでも浸っていられますし、そうしている間は現実に向き合わなくて済むので、一時の逃避のように思えるかもしれません。

 けれど忘れてはいけないのは、私たちは自ら選んでこの時代、この国で、今の家族の下で、肉体をまとって生きることを決めてやってきたという事実です。スピリチュアルな世界にあまりひっぱられ過ぎると、物理次元で生きる意味を忘れて、目の当たりにしている現実に嫌気がさし、受け入れられなくなったり、また肉体が重たく感じてしまったりするなど、バランスが取れなくなってしまいます。

 自分がもし精神的に不安定で、しっかりと地球につながっていないなと感じるのであれば、まずは意識的にグラウンディングをしましょう。グラウンディングが確立すると、精神的に落ち着いてきますので、自然と物事を冷静に見ることができるようになります。恐れや不安が渦巻いているという状態は、グラウンディングがしっかりとできていない証拠です。冷静さを取り戻せば、今自分が何をするべきか、どの道に進むのがベストなのか、自然とわかってくると思います。これは私達に元々備わっている能力です。エネルギーバランスが整えば、誰でも、元々備わっている直観力や洞察力・決断力を使って自分にとって正しい道を歩むことができます。

 

 飲むエッセンスを選ぶ時も、最初から高いバイブレーションのものだけをとるのではなく、まずは下部チャクラ(第1,2,3)に働きかけるものから飲み始めるのがお勧めです。もしくは、高いチャクラに働きかけるものを飲む際には、グラウンディングを助けてくれるエッセンスも一緒にとるといいかもしれません。

 

 グラウンディングをする方法は、いろいろとあります。

 

○裸足で土や草の上を歩く(それが難しければ、家の中でもしばらく裸足で過ごしてみる)

○木に触れる(木の下で寝そべったり、木を抱きしめたり、森の中を歩いたり)

○自然の中に身を置く

○ヨガや太極拳をする

○第1チャクラからまっすぐ地球のコアにまでコードが伸びている状態をイメージする

 

などなど。

 

 都会に住んでいるとなかなか自然に触れることも難しいかもしれませんが、都会の中でも木の一本くらいは簡単に見つけることができると思います。木というのは本当に癒しの力が強く、テレパシーで会話をすることもできます。

 

 

 私は今でも時々忙しくなったりすると、頭の方にエネルギーがたまってバランスを崩すことがあります。そんな時こそ、グラウンディングを意識的に行い、地球とのつながりを強化するようにしています。

 

 

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怒りを減らしたい

ヒイラギ
ヒイラギ

 数年前、初めてバッチ博士のフラワーレメディ38種類セットを買った時、

 

「この中で、一番最初になくなるのはどれだろう」

 

と思いました。なくなるのが早いもの、つまり使用頻度が最も高いものはどれなのでしょうか(あくまで私が使う範囲でですが)。

 

 

一番最初になくなったのは、「ホリー」(西洋ヒイラギ)でした。ホリーは、

 

『怒り・イライラ・嫉妬・妬み・恨みといった、ネガティブで攻撃的な感情を和らげる』

 

レメディ(エッセンス)です。ホリーはとげとげした葉っぱの形状からも、ピリピリと外側に向かう攻撃的な感情を彷彿とさせます。

 

 考えてみれば、私もかつてはこのホリーにだいぶお世話になりましたし、家族1人1人に作るボトルにも大体これが入っていますし、お客様にエッセンスを選ぶ時にも、ホリーはよく登場します。日本人は感情を押し殺す傾向があり、特に怒りを表に出すことは幼稚な行為ととらえられるふしがあります。だからでしょうか。一見、怒りを内に秘めているようには見えない方でも、心の内に長年蓄積してきた怒りを抱えていて、他人に批判的だったり、絶え間ない思考のおしゃべりに苦しんでいたりします。自分が怒りを抱いているということを無意識レベルで否定していると、出て行く場所を失った感情が、内面に渦巻いてストレスとなります。

 

 怒りをためやすい方には、完璧主義者が多いようです。また、物事に対して「こうあるべき」とか「こうしなければいけない」といった固定観念が強い方にも多いです。私もかつてはそうでした(今でも少し完璧主義な傾向はありますが)。自分の中に理想像が常にあって、”そこ”にたどり着くために努力をしなければならない、という強迫観念的な思い込みがありました。より高いレベル、より理想に近いレベルまで達成するために最善の努力を尽くすことが、自分に課せられた義務であるかのように感じていました。時には、突っ走り過ぎて周りが見えなくなることもありました。休むことよりも動くことを優先しすぎて体を壊すこともしょっちゅうでした。また、「こうあるべき」「こうしなければいけない」という思い込みが強かったため、そういった考えに縛られて、時には自分の本当の望みや思いに目を背け、本心とは異なる選択をすることも多々ありました。それは、ひどくストレスを感じるものでした。

 

 それから、自分が思い描く理想像や固定観念に執着するあまり、自分とは異なる生き方や考え方を否定する癖がありました。受け入れられない他者の言動を見るにつけ、”怒り”が湧いてきました。また、自分を否定されたときも同じでした。「こんなに頑張っているのに」、「こうあるべきなのに」、どうして認めてくれないのだろう。どうしてこの人はこうしないのだろう。

 他者に対して攻撃的な感情を抱く背景には、そもそも自分が”完璧じゃない”ことに対する罪悪感や、自己否定的な思いがあったりもします。人は、自分が一番気にしていること、自分が最も劣等感を感じている部分、負い目があることなどをズバリ指摘された時ほど、感情的になります。エゴが反応するのです。エゴは、物事に優劣や序列をつけ、そうした観点で人や状況を判断しますから、「自分が他人に比べて劣っている」とか「完璧ではない」という事実を認めたくなくて、代わりに他者を非難したり、見下したり、自分に否定的な意見を拒絶したり、怒りで人を威嚇したり、自己弁護をさせたりします。一種の自己防衛反応です。

 

 

 心のお掃除をコツコツやっていって、自分の中にあった固定観念や思い込み、古い心の傷、抑圧していた感情、トラウマ、こうしたものを一つ一つ解放していくと共に、私は次第に”怒り”を感じることが減っていきました。様々な物事を受け入れられるようになっていったからだと思います。何か一つ手放すと、自分の中の許容量がポンと広がります。そして、今まで許せなかったことが許せるようになります。赦す=受け入れる、ということです。受け入れられる器が広がれば、その分他人や状況に対してネガティブな反応をすることが減っていきます。

 また、それと同時に、自分のこともだいぶ受け入れられるようになってきました。強い自己否定感が和らぐと、いい事があります。それは、現象的に望みが叶いやすくなるということです。私もかつては、自分を否定する癖がありました。望みがあったとしても、それを無意識化でブロックしていたので、なかなかやってこなかったのだと思います。最近は、心から望んだことは本当に叶うのだなあ、と、驚きの体験をたくさんしています。

 

 ホリーを飲むことも、ほとんどなくなりました。時々心がざわつくことがあったら、その時は1人静かなところで、内側に目を向けます。そして、自分の中の何が反応しているのか、じっくりと見つめます。

 

 

 ホリーは、とにかくイライラしている、なぜだかわからないけれどムシャクシャしてしまう、という時に、取りあえず飲んでみるのがお勧めです。感情の一番外側のレイヤーが外れるので、冷静な視点で現状に目を向けることができるようになります。怒りを爆発させて誰かを傷つけたくない、落ち着いて物事に対処したい、けれどイライラが邪魔をしてそれができない、という方にお勧めの一本です。

 

 

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手放し方がわからない時

 フラワーエッセンスを飲まれている方や、ご興味を持たれている方は、もう既にご自身の中にどのような思いや感情があって、どれを手放したいと考えているか、といったところまで気づいていらっしゃる方がほとんどだと思います。

 セッションなどでも時々聞かれるのですが、自分の中に、いろいろな思い癖やトラウマ、しつこい感情などがあるのはわかっているのだけれど、じゃあそれをどうやったら手放すことができるのか、と疑問を持たれている方も多いようです。具体的な手放し方がわからないということです。

 

 

 前に進もうとする自分の前に立ちはだかる、感情のブロックやネガティブな思考パターン、信念などを手放したい時。

 

 あらゆるケースにおいて共通していることは、まず最初に、それらの存在に「気づく」こと。単純なことに思えるかもしれませんが、何よりも重要で大切なステップが、これです。なぜなら、何かを手放したい時、そもそもその存在に気づいていなければ、そこに光を当てることさえできないからです。気づき、気づき、気づき・・

 魂の目覚めは、これの連続に他ならないのではないかとすら思えます。

 

 気づくことは、そこに焦点を当てるということ。そして、自分を客観視していなければ、自分の内面に何があるかなど感じることができませんから、気づいているということは、感情や思考と自分とを切り離してとらえられている、ということです。感情や思考に飲まれている状態、つまりそれらと「自分」が一体化している(と思い込んでいる)状態から一段階進んでいるのです。

 周りを見回してみて、悪しき感情や思考に苦しんでネガティブなループにはまり込んでしまっている人の多くは、自分を苦しめている元凶が自分の中にあるなんて、考えてもいないのではないでしょうか。それで、自分が苦しんでいるのは○○のせいだ、と、自分以外の何かのせいにしているのではないでしょうか。

 残念ながら、そのような心の持ち方であり続けているうちは、その苦しみから解放されることはなく、むしろ苦しみはどんどん大きくなっていくだけです。心のお荷物を外してそこから解放されるためには、まずは自分を縛っているものが何なのかということに気づいて、それを手放そうという意思を持つことが必要になってきます。

 

 そうです、「気づく」という段階が最初のステップだとすれば、次に「手放そう」という意思を持つこと、これが次のステップになります。

 

 これもまた単純なことのように思えるかもしれませんが、私は今まで、自分も含め多くの方がこの段階で躊躇している姿を見てきました。たとえそれが自分を苦しめ続けている元凶だったとしても、長い間自分の中にあって大きな影響力を与え続けてきた思い癖や信念を手放すためには、かなり大きなエネルギー(強い意思)が必要なのです。そこから解放されたら楽になることはわかっているのに、なぜか、それを手放すことをためらってしまうのは、自分の中のどこかに、『現状維持でいることが安全だ』という思いがあるからです。

 過去に、自分が誰かの庇護下にあったり、大きな権限を持つ人に逆らうことができない環境に身を置いていた時には、自分の望みや考えを押し殺して周りに合わせることが、生き残るための最善の策だったかもしれません。そして、いつの間にか自分の本当の気持ちや望み、思いを封印することが当たり前のことになってしまい、そうすることがむしろ正しいことだ、とさえ考えてしまいます。自分以外の誰か(その時強い権限を持っていた人のことが多い)の考えや意見が未だに強い影響力を持っていて、それを無意識レベルで受け入れ、自分と同化してはいないでしょうか。過去においては、自分の心を封印して他人の考えに合わせることが、自分を守るための手段だったかもしれません。けれど、他人から押し付けられた考えが本当に自分にとって「正しい」ものなのでしょうか。むしろそこにとらわれている状態がブロックとなり、本当の自分として生きることを妨げているのではないでしょうか。

 

 私も長い事、身近な大人たちや、自分に強い影響力を持つ人々の思考や感情を拾って、それに合わせて生きてきました。そうすることが必要だった時代もありました。けれどある時、誰かの考えや意見に合わせて生きているうちは、本当の意味で自分が幸せになることはできない、ということに気づいたのです。何かに縛られている状態では、真の自由を感じて生きることなんて無理です。自由になりたい、解放されたい、心の奥からそう叫ぶ声が聞こえてきました。

 この段階が、最初の‘気づき‘です。そこから、「自分を解放する」と本気で意図するまでの間、確か2~3年くらいかかったように思います。それくらい、決心するまでに躊躇していました。それは、自分が自分らしく生きることで、誰かを傷つけてしまうのではないかという思いがあったのと、自分に正直に生きることで、親しかった人が離れていくのではないかという恐れがあったからです。周りから変な目で見られたり、批判されることにも強い恐怖心がありました(この恐れは今でも少しあります)。つまり、葛藤に苦しんでいたのです。

 この葛藤を打ち破って、過去の思い込みから自分を解放することを強く意図できるようになった頃、徐々に様々なところからサポートがやってくるようになりました。自分の中から迷いがなくなっていくのと、自分が解放されていくのと、同じタイミングで起こっていきました。やはり、自分の意思が現実を形作っているのだな、と身をもって感じたものです。

 

 

 大きな恐怖心を植え付けられる出来事を経験している場合にも、その時恐怖心と同時に抱いた様々な思いが、パターン化して未だに無意識化に巣くっていることがあります。恐怖心とは、権力者がマインドコントロールの手段として用いることがあるように、人をある思いに縛り付けたまま、そこから逃れられない心理状態にさせる力があります。膠着状態をキープさせる糊のような働きをします。

 もし、自分が進みたい方向があるのに、なぜかそれがうまくいかない、何かがブロックしているような気がする、というのであれば、次のように自問してみてください。

 

「あなたが望む現実の妨げとなっている、一番大きな恐れは何ですか?」

 

もしくは、

 

「あなたがそれを手に入れた時に、何を失うのを恐れていますか?」

 

そして、

 

「その恐れは、真実ですか?」

 

 本当はそれを望んでいるのに、何かを恐れているがために、それが現実化するのを邪魔しているのであれば、まず最初にその恐れを手放す必要があります。ここでも、「気づき」そして「意図する」こと。恐れに捕らわれている最中は、その恐れが真実であると思い込んでいるのですが、一度冷静な視点で恐れを見つめてみると、多くは根拠がなく、事実でもないことがほとんどです。

 

 

 私はこれまで自分の中にある様々な恐れやトラウマ、思い込みに向き合い、一つ一つ解放していくという作業を繰り返しやってきました(今でも毎日やっています)が、本当に、一度そこに焦点を当てて自分をそこから解放してみると、「私は一体今までなぜこんなつまらないことに縛られていたのか」と笑ってしまうことがほとんどです。それくらい、思い込みというのは大きいようで、いざ解放されてみると価値がないものばかりで拍子抜けしてしまいます。

 

 本当に、ただそこに気づくだけで自由になれるのかと疑問に思うかもしれませんが、本当です。試しに、自分を一度客観視してみて、今自分が苦しんでいる感情があったとしたら、そこに焦点を当ててみてください。とりあえず、その感情だけにスポットを当ててみるだけで大丈夫です。もしくは、今自分を苦しめている、モヤモヤした思考でもいいです。ただ、「あ、今自分の中にこれがあるな」と認識してみてください。

 そしてしばらくしてから、その感情や思考をもう一度外から眺めてみてください。少なくともそれは、以前に比べてかなり勢力を失っていると思います。いきなり消えてなくならないにしても、最初に感じていた時よりは、小さくなっているはずです。そして、またしばらくしてからもう一度外側から自分を眺めてみたら、また更に小さくなっていると思います。感情や思考は流動的で、行ったり来たり、大きさも変動します。そこに捕らわれ続ければ、火に油を注ぐが如く、肥大化していきます。その反対に小さくしたければ、冷静な視点で眺め、それは「自分ではない」と気づくこと。自分と感情・思考を切り離して考えることがポイントです。

 

 こうした作業に慣れていけば、思考や感情に極端に苦しめられることも減り、だいぶ楽になると思います。そして、そもそも悪しき感情を生み出す元凶となっているものは何なのか、更に踏み込んだステップに進むことができるようになります。作業のやり方は同じです。ただ気づき、手放そうと意図すること。私達の意思の力は絶大なので、ただ意図するだけで、エネルギーがそっちの方向に動き出します。

 恐れや悪しき感情の出どころとなっている根っこの部分が解放されれば、もうそこからネガティブな感情が湧き出てこなくなりますので、精神状態のアップダウンがグンと減っていくことでしょう。

 

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夢の話

よもぎ
よもぎ

 私たちは、寝ている間、アストラル次元に旅をしているといわれています。その間に見聞きしたことが、「夢」という形で記憶に残っていたりするわけなのですが、その夢を通じて、私たちは様々なメッセージを受け取ることができます。

 

 何年か前、意識の目覚めが急速に起こっていた時期、私はいくつかの啓示的な夢を見ました。その夢で聞いた言葉や見たもの、色、匂いなどは、今でも鮮明に思い出すことができます。とてもメッセージ性の強い、魂に直接響くような夢でした。こうした夢は、「明晰夢」と呼ばれます。私たちのガイド(守護してくれている霊的な存在)や、高次の存在達が何かメッセージを伝えたい時、このような形でコンタクトをとってくることがあります。普段目覚めている時より、寝ている時の方が私たちもそうした存在とアクセスしやすくなっているからです。

 

 明晰夢のような非常に明確なメッセージとまではいかなくとも、夢は様々なことを私たちに教えてくれます。例えば、今現在自分にどのような思い癖があるかどうか、ということを、夢を通じて知ることができます。夢で見た状況や出てきた人、セリフ、場所などから、自分が最近どのようなことにとらわれていて、どのような心配事があって、どうしたいと思っているかなどが分析できるのです。顕在意識よりも一段深いレベルの意識の状態が、夢で表されているといえます。

 

 こうした夢からのメッセージを明確に受け取りたいと望む人に、とてもお勧めのエッセンスがあります。それは、「マグワート」(西洋ヨモギ)です。マグワートは、寝る前にハーブティとして煎じて飲んでも同じような効果が得られるそうですが、私たちを明確な夢の世界に誘ってくれます。マグワートは古来より、邪気除けとして用いられてきたハーブです。私達が寝ている間に、低級なエネルギーに邪魔されることなく、純粋な意識の世界へと旅をすることを助けてくれる力があるようです。

 

 私は、ここ最近ハッキリした夢を見ていないなあ、と感じた時に、このマグワートのエッセンスを飲んでみたのですが、飲み始めてから毎晩、様々な映画を見せつけられているように、明瞭な夢をたくさん見ました。その多くは、その時の私の心理状況を端的に表しているものでした。その内容がいいか悪いかということではなく、単純に、私の潜在意識は今このようになっているのだな、ということを教えてもらうことができました。潜在意識がこのようになっているのだから、現実もまたこうなのだ、ということが客観的にわかると、ではどのように意識の持ち方を変えていけばいいのか、というアプローチができるようになります。

 

 その人の思い癖や思考パターンというものは、自分ではなかなかわからないものです。夢が教えてくれるメッセージから、意識の奥底にくすぶっている、私達の現実創造の障害となるような不必要な思い癖に気づき、それに光を当てて手放していくことで、潜在意識のお掃除をまた一段と進めていくことができます。

 

 

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感情を出すことは罪ではない

 テレビで会見などを見ていますと、大勢の人の前で話している方が、途中で感極まったりして泣き出すシーンに出くわすことがよくあります。そのような時、ほとんどの方が、声を詰まらせながら、

 

「すみません・・」

 

と言います。そして、できるだけ涙を抑えながら、極力感情を押し殺しながら、言葉を選んで話そうとします。

 

大人が、人前で湧き出す感情を抑えきれずに涙を流したり、高ぶる感情を表に出すことは、一般的に慎むべき行為とみなされているからでしょうか。

 

セッションでも、話している途中で涙ぐまれたり、意に反して急に涙が溢れてきて慌ててハンカチやティッシュなどで涙を拭きながら「ごめんなさい」と謝るお客様がたくさんいらっしゃいます。

 

そんな時私は、

「謝らなくていいんですよ。涙は浄化です。感情も、どんどん表に出してください」

 

と言っています。

 

また、涙を流すまではいかなくとも、ご自身の内面を言葉で表したり、抱いている感情について話しながら、「ごめんなさい、こんな話をして・・」と謝られる方も多いです。なぜか、そういう行為が「いけないこと」のように感じてしまうのでしょうか。

 

 

 私たちの中には、人前はおろか、自分ひとりの時でも、「感情を出す」という行為に、悪いイメージや罪悪感のようなものが大きく備わっているような気がします。それは主に後天的なもののように思います。生まれたばかりの赤ちゃんや、まだ何も条件付けされていない幼い子供は、感情の赴くままに自分を表現しますし、それに対して何の罪悪感も持ち合わせていません。

 だんだんと成長していくにつれて、周りの大人たちや集合意識の影響を受け、「感情を表に出すことはいけないことだ」「感情は抑えるものだ」といった認識が強くなり、感情がまるで悪者のように扱われるようになっていくのではないでしょうか。

 

 確かに、抱いている感情をいつでもどこでも表に出していたら、周りの迷惑になることもありますから、時と場面をわきまえる必要はあるかもしれません。

 

 けれど、感情そのものが悪のように思われたり、自分が抱いている感情を素直に受け入れられない状態が続くと、次第に心が苦しくなったり、抑圧された感覚が強くなったりして、気持ちにゆとりがなくなっていきます。そもそも感情は何か理由があって生じているのですから、存在そのものを否定していたら、行き場がなくなって心と体の奥底にしまい込まれたまま、蓄積されてしまいます。抑圧された感情は、なくなったわけではないのです。ただ、出ていく場所を失って鬱屈しているだけです。いずれ何等かの形で出してあげなければ、ある時何かのきっかけで、たまった感情が爆発してしまうかもしれません。細胞のひずみとして表面化したり、病的な症状を引き起こすこともあります。

 

 成長過程において抑圧されてきたネガティブな感情をはじめとして、過去に自分が押し殺した数々の感情は、自分の内面に蓄積されたまま解放されるのを待っています。ふとした瞬間に昔の思い出が蘇ったり、何かのきっかけで記憶が戻ったりした時は、その時に自分が感じたことを何も考えずに、ただ素直に感じてみることをお勧めします。それは、「今」、解放されるタイミングなのです。

 特にネガティブな感情は、正面から向き合うことを避けられる傾向があります。けれど、私は自分の経験から強調しておきますが、感情は一度出し切ってしまうと、もう戻ってきません。少なくとも、抑圧していた時と同じような勢力は失っています。しつこいネガティブな感情も、勇気を出して何度も向き合っているうちに、次第に小さくなり、しまいに存在が気にならないほどの規模になっていきます。

 恐る恐る中途半端に感じてみたり、そこにあるのはわかっているんだけど見ないふりをしたり、そのうち自然になくなるだろうと無視しているうちは、永遠に自分の中からなくなりません。繰り返し、悪しき感情に苦しめられるだけです。思い切って向き合ってみると、案外素直に出て行ってくれるものなのです。感情が望むままに、ただ感じてみてください。

 

 人前や、誰かと一緒にいる時に出し(感じ)切れなかった感情でも、家に帰って1人になれた時に、なるべく早く表に出してあげると、スッキリします。お風呂の中でも夜寝る前でも、いつでも、自分1人でできます。もし1人で受け止める自信がなかったら、誰か信頼できる友人などに話を聞いてもらうのもいいかもしれません。(うぶすなももちろんお手伝いします)

 

 

 フラワーエッセンスを飲んでいると、感情がまるで生き物のように感じられることがあります。私は、感情も一つのエネルギーだと感じるようになりました。感情を客観視できるようになると、それに飲まれることがなくなり、自分の中心軸にいたまま、落ち着いて対処できます。

 

 長年蓄積されてきた感情を解放してあげるエッセンスとしては、「フクシア」「パープルクロッカス」「ベビーブルーアイズ」などがお勧めです。また、感情を出すことや、浄化をお手伝いしてくれるのが、「セージブラッシュ」「クラブアップル」「Purification」などです。これらを飲んでいると、感情が湧き出てきたとしてもそれが浄化されるスピードが上がるので、感情に飲まれたり、苦しめられることがなくなり、楽です。

 また、感情に向き合うことや、自分の中に抑圧されてきたものを解放すること自体に抵抗がある場合(無意識的にでも)は、「Release」や「ブラックコホッシュ」などもいいかもしれません。

 

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他人を責めない

 今の世の中では、道徳に反する行為をしてしまった人は、様々な形で処罰を受けるようなシステムになっています。法的な処罰や金銭的な処罰、風評・社会的な制裁、心理的な制裁などなど。

 現世的には、その人が犯した「罪」に見合った分だけ、全ての人が公平な処罰を受けるとは限りません。中には、犯した行為が上手に隠されて、責め苦を受けないまま見過ごされる人もいますし、反対に誤解されたり間違って疑われてしまったために、冤罪で刑罰を受ける人もいます。

 そういう事例を見聞きすると、一見この世は不公平で不条理なようにも思えてきます。けれど、霊的な世界では、人間のあらゆる行為は平等に裁かれ、その人がまいた種は一粒残らずその人が刈り取る仕組みになっています。霊的な裁きは完璧なのです。エネルギーの世界では例外なく、自分が発したエネルギーは何らかの形で、自分の元に帰ってくるようになっています。

 

 例えばAという人が他人を傷つける行為をしたとします。Aはその行為によって責められ、咎められ、刑罰を受けることになりました。Aは処罰が重くなるのを恐れて、実は心の中では何一つ反省していないのに、心を入れ替えたかのように振る舞いました。自らの行為を省みることなく、刑期を終え、晴れ晴れと俗世間に戻り、また元の生活を続けます。

 現世的には、Aは罪を償って許されたかのように見えますが、魂レベルでは何一つ向上していないので、Aはいずれ何らかの形で、自分の犯した行為の結果を受け取ることになります。それは今の人生で生きている間に起こるかもしれませんし、来世に持ち越すかもしれません。いずれにしても、己の行為を省みて心を入れ替える作業が行われないうちは、繰り返し繰り返し、気づきを与えられるような出来事が身に降りかかることになるでしょう。

 

 このように、霊的な裁きは完全完璧だということが理解できると、この世で起きている事象がどんなに不公平に見えたとしても、それは表面的なことでしかないのだなと思えてきます。霊的な世界では誰もが平等に、自分の行為の結果を受け取る仕組みになっているということが分かっていれば、たとえ気に障る行為をした人がいたとしても、自分の手を汚してまで制裁を加える必要はないのだなと落ち着いてとらえられるようになります。わざわざ自分が「教えて」あげなくても、いずれその人が自分で学ぶ日がくるでしょうから、放っておけばいいのです。天の完璧なタイミングに任せておけば、全てがうまくいきます。

 

 

 身近な人との関係でも、自分が傷つけられて怒りが湧いてくると、どうしてもその人を何かしらの形で懲らしめてやりたいとか、同じ目に合わせてやりたい、といった思いを抱いてしまうことがあります。けれど、そのようにして自分も同じような悪しき行為に走ってしまえば、その行為の結果が今度は自分の元に跳ね返ってくることになり、自分自身も恨みを買う羽目になります。

 それよりも、天の裁きは完璧なのだと理解して、その力にゆだねてしまった方が楽だと思います。自分が手を汚して無駄に負のカルマを背負うよりも、怒りは手放して、ただその事象から何が学べるのか、ということに焦点を合わせてみれば、きっと心が救われる道が見えてくると思います。そもそもその人との関係性でお互いが何かしら学ぶべきことがあったからこそ、その出来事が起こったのですから。

 結局は学ぶべきことを学ばない限りは次のステップに進めないので、私だったら、同じ場所に停滞するよりは、自分が次のステージに上がって負の連鎖から脱出する道を選びます。他人が変わろうが変わるまいが、関係ありません。

 

 次のステージに上がるためには、他人を責めず、ただ赦すこと。それしかないと思います。赦すということは、受け入れることです。人を変えようと思う気持ちから離れて、己の心の持ち方を変えれば、コントロールしようがない出来事に一喜一憂することなく、ただ中立に物事を眺められるようになります。他人を責めていても、自分にとってプラスになることなど1ミリもありません。悪しき思いを宇宙に放出し続けるより、起こった出来事を、自分が一つ上の段階に飛躍できるチャンスだととらえましょう。実際、そのようにして一つ一つ赦して手放していけば、魂の成長が進み、もう以前のような災いが身に降りかかることがなくっていくので、結果的に救われることになります。

 

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愛に基づいた行為と愛を求める行為

  "A Course in Miracles"(Dr. Helen Schucman)によると、この世における全ての行為は、二つに分けられるそうです。一つは、”愛に基づく行為”で、もう一つは、”愛を求める行為”。

 

 一見、愛なんかどこにもないんじゃないかと思われるような悪魔的な行為でも、そこには、やはり愛があるのだということがわかります。つまり、愛に”基づいた”ものではなくても、その行為がなされた背景には、”愛”を希求する動機があるのです。自分を愛してほしい、愛がほしい、愛が足りない、そういった渇望があるから、もっと自分に気づいてもらいたくて、もっと自分に注意を向けてほしくて、もっと自分を愛してほしくて、人は時々他人を傷つけるような反社会的な行動に出るのだと思います。

 

 世の中は目をそむけたくなるような犯罪行為や残虐なニュースであふれかえっていますが、その一つ一つを見聞きするたびに絶望的な気持ちになり、当事者を責めるだけでは、私たちの心が参ってしまいます。私は、どんな残虐行為にも、その裏側には愛を求める欲求があって、愛で満たされたいという魂の叫びがあるのを感じます。そして、当事者の行為自体は決して許せるものではなくても、その人の魂が少しでも愛で満たされることを祈るようにしています。

 ただいたずらに責めたてて罰を与えたとしても、その人が愛に飢えた状態でいる限りは、魂が救われることはなく、人を傷つけることで心の穴を埋めようとする負のスパイラルから逃れることが難しいだろうと思うのです。そうして、再び似たような悪魔的な行為に走ったりして、この世を恨み、自分を責め、他人を傷つけるパターンに苦しみ続けるのではないでしょうか。愛に飢えた状態でいる人が存在する限り、そうした人に危害を加えられる被害者も存在し続け、この世から暴力はなくならないわけです。

 

 犯罪などの被害にあった人の心を癒す必要があるのはもちろんのことなのですが、私は、本当にこの世から残虐行為がなくなるためには、愛に飢えた人を作らない環境を作ることが不可欠だと思っています。そして、悪しき行為を犯した人がいたとしても、その人をいかに処罰するかということに力を注ぐことよりも、その人の満たされない心を埋め、愛を与えることにエネルギーを注ぐことも実は大事なのではないかなと思います。「罪を憎んで人を憎まず」です。

 

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他人に人生を明け渡さないために

 世の中の大多数の人より、エネルギー的に敏感で繊細なタイプを、スピリチュアル用語で「エンパス」と言います。10人に1人とか5人に1人ほどの割合でいるそうです(日本人は割合が多い)。

 

 エンパスは、他人が考えていることや感情の動きに敏感なので、先回りして相手の考えに合わせた言動をとったり、相手の感情を逆なでしないように自分を抑えたりと、幼い頃から抑圧経験を重ねてきていることが多いです。

 また、場のエネルギーにも影響を受けやすく、エネルギーが淀んでいたり、ネガティブな気が充満している場所に身を置くと、頭が痛くなったり気持ち悪くなったりするなど、精神だけでなく肉体の調子も悪くなります。

 

 

 日本人に多いといわれるこのエンパスタイプの人は、私自身もそうなのですが、他人のエネルギーに振り回されやすい、という特徴があります。自分をしっかり保っていないと、カリスマ的な力を持った人や、ナルシスト的傾向がある「強い人」に、支配されてしまう恐れがあります。エネルギー的に支配されている時というのは、多くの場合、自覚症状がありません。

 

 精神世界、スピリチュアルな世界には、自身のカリスマエネルギーを使って他人を操作しようとする「師(グル)」が結構存在します。彼らの多くは、サイキックな能力が人より秀でていたり、人間の心理のメカニズムを熟知していたりして、どのようにしたら他人が自分の言うことを聞いて、どのように自分の影響力を大きくすることができるのかを知っています。エネルギーを操るテクニックを上手く利用しているのです。

 そのようにして、自分の信者、自分の主催するコミュニティーをどんどん広げていき、崇められる立場に身を置いた状態をキープすることに力を注ぎます。彼らの多くは、最初は純粋な気持ちで奉仕の世界に飛び込んだのかもしれませんが、自分が影響力を持ち、金銭的にも潤っていく経験を重ねるうちに、次第に神ではなくエゴの声を聴くようになってしまったのだろうと思います。自分がエゴの声を聴いてしまっていることにすら、気づいていないかもしれません。

 

 私はこのような堕ちた天使をたくさん知っています。せっかく天から与えられた才能や、培ってきた能力を、人助けという名の下で、実は自分の虚栄心を満たすために使ってしまう人々です。ある程度までスピリチュアルに開花した人は、どこかの段階で、この試練が与えられるようです。エゴの甘い誘惑に打ち勝ち、神性な道を歩む意思が試されるのです。こうした”お試し”は、人間の進化の過程で必ずやってきます。

 

 

 こうした人が力を持つ背景には、彼らにエネルギーを注いでしまう人々の存在があります。私も、人生において何回か、エネルギー的に誰かに自分を支配されるという経験をしました。精神的に支配されている間は、いつも、自覚がありませんでした。大抵、呪縛が解けてしばらくしてから、自分が洗脳されていたことと、相手のエゴに気づくのです。

 支配される、と表現は受け身ですが、実際は、そのようなシチュエーションを招いたのは私自身の問題です。人生において自分の身に起こることは、全て自分が招いたことです。私が、私の中の何かが、そういう人を人生に呼び込み、精神的に強い影響を受けるという経験をし、自分の意思で決める力を一時的に封印してしまったのです。誰か、自分と神様との間に立ってくれる人がいないと、私は神様と繋がれないと思い込んでいたのです。

 

 人生で、自分を導いてくれる人や、知恵を授けてくれる先生が必要ないとは思いません。自分よりもある分野で多くの経験を積んできた人や、専門家の意見などはとてもありがたいですし、助けとなってくれます。

 けれど、私が自分の失敗から学んだことは、いくら自分よりある分野で能力が長けていると感じる人がいたとしても、その人を自分よりも「上」に置く(反対に「下」に見たりすることも同じ)必要はないということです。他者を上下の見方で見始めると、世の中の不完全性、自分自身の不完全性という二元論の呪縛に自分が苦しむことになります。自分は未完成で、未熟で、能力が低いという思い込みに縛られると、それを補ってくれる「誰か」を求めて依存するようになります。そして、引き寄せの法則が働き、自分に依存してくる人を求めている「先生」が現れます。

 セミナーや講習会などを転々とし、グルを求めてスピリチュアル難民となっている人は、どこかで自分の力を信じることができていないのだろうと思います。そして、自分がグルになりたがっている人の恰好の餌食となってしまうのです。

 

 

 精神世界で大きな影響力を持つ人に限らず、日常的にも、エゴイスティックでナルシストな人たちというのはよくいます。エンパスの人たちは、他人の影響を受けやすいので、自分をしっかり保つ、他人との境界線を引く、ということは意識的に行った方が良いと思います。今まさに、誰かの強いエネルギーに自分の意志力が奪われそうな経験をしている人は、とにかくその人から距離を置くことをお勧めします。物理的な距離を置くということは、エネルギーの世界でも有効です。

 結局は自分の意思が招いている状況なので、自分が強く「この関係性を終わらせる」と念じれば、そのように物事が動いていきます。「こういう人がいるからしょうがない」のではなくて、「こういう人を人生に招かない自分になる」と決めればいいのです。

 

 

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案外困ったことは起こっていない

 以前、娘が友達関係のお悩みを抱えていたことがありました。あるお友達(Aちゃんとします)が、いろいろな人の悪口をあちこちに言いふらしているとのことでした。

 

「みんな、Aちゃんが人の悪口を言うのを聞くのも嫌だし、何て反応したらいいか困っちゃうし、自分も悪口を言われているんじゃないかって気になっちゃう」

 

のだそうです。Aちゃんに「悪口を言うのをやめてほしい」と言いたいところなのだけれど、もしそんなことを言って逆切れされていじめられたらもっと嫌だから言えない。先生に言ったとして、もし先生に言ったことがAちゃんにバレて逆上されたらと思うとそれも怖い。結局、誰もAちゃんにやめてほしいとは言えないままなのだそうです。

 

 「まったく、どうしたらいいんだろうねってお友達と話してるんだよね・・」とため息をつく娘に、私は、

 

「それで、Aちゃんがいろいろな人の悪口を言っているっていうことで、○○(娘の名前)は何か困ることがあるの?」

 

と聞きました。娘は、

 

「え、あるよ!だって、もしかしたら陰で私の悪口言ってるかもしれないじゃん。他の子も、もしかしたら自分の悪口言われてるかもしれないって気にしちゃってるんだよ」

 

「それじゃ、Aちゃんの話って、他の人はどう思って聞いてるの?」

 

「・・・ああ、また言ってるねって感じで聞いてる」

 

「ってことは、Aちゃんの言っていることを周りの人は真に受けていないんだね」

 

「うん」

 

「だったら、たとえAちゃんが○○の悪口を陰で言っていたとしても、それを聞いた他の人は、その話を聞き流すだけなんじゃない?」

 

「・・・」

 

「結局、他の人のあることないことをたくさんしゃべっちゃっているAちゃんは、もう信頼を失っているから、自分が話すことを信じてもらえていないんだよね」

 

「うん、信頼されてない」

 

「それなら、Aちゃんが何を言っていようが、誰も取り合わないわけだし、気にしなくてもいいんじゃない?むしろ、Aちゃんが人の悪口を言えば言うほど、ますます人から信頼されなくなって、困るのはAちゃん自身なんじゃない?他の人が困ることって、特にないんじゃないの?」

 

「・・・確かに、考えてみたら、この件に関して私が困ることってないかもしれない」

 

****************

 

 娘は、そもそも「人の悪口をいつも言いふらしている」というAちゃんの行為が許せないようでした。道徳的ではない行為だし、嫌な思いをしている人がたくさんいるので、なんとかAちゃんにやめてもらいたい、という気持ちが強いようでした。

 

 けれど、実際には、Aちゃんの行為によって何か問題が起こっているかというと、実は「困ったこと」は大してないということに気づいたようでした。Aちゃんの行為の結果を受け取るのは、Aちゃん自身です。他の人は被害を被っているかのように見えても、実はさしたる被害は生じていないのでした。なぜなら、皆Aちゃんはそういう人なんだとわかり始めて、Aちゃんの発言を信じなくなっていたからです。言葉に影響力がないので、何事も起こらないのです。真理が含まれない言葉には、エネルギーがありません。

 

 娘が嫌な思いをしていたのは、「悪口を言うなんて許せない」という自分の「信念」があるからであって、実害からきているわけではありません。実害がないのであれば、ただ流せばいいだけです。けれど、「こうあるべきだ」「こうするべきだ」という、自分の思いが邪魔をして、なかなかAちゃんのことを受け入れられなかったのです。受け入れられずにいるから、モヤモヤが生じているのでした。

 

 

 

 物事はこうあるべきだ、人はこうあるべきだ、といった「~べき」という思いは、そのほとんどがエゴからきています。その思いが強ければ強いほど、「~べき」という状況とは異なる状況に直面した時、「許せない」「信じられない」「なんとかしてほしい(変わってほしい)」という思いが強くなります。けれど、特に相手が人である場合、その人を変えることができるのはその人自身でしかなく、他人にその人を変えることはできません。周りがいくら奮闘しても、わからせようとしても、本人に変わる意思がなければ、絶対に変わることがないのです。そうなると、何も変わらないその人を見て、周りは更に怒りを募らせることになります。

 

 もちろん、その人に対して、関わりがある自分ができることも多少はあるかもしれません。もしその人が求めているとすれば、アドバイスをしたり、助け船を出すこともできます。けれど、自分ができることをできる範囲でやったのに、それでもその人が変わらないとすれば、もうその問題は自分の領域を超えているということです。

 

 自分の領域を超えていることであれば、あとはただ、手放すしかありません。「こうあるべきだ」という思いと、物事を思い通りにしようとする思いと、他人を変えたいという思いを、手放せば良いのです。自分の力の及ばない範囲で物事が解決していくことを理解し、その力に委ねてみるのです。

 

 この世の秩序と、他者の学びを尊重し、自分の思いを手放せば、すべてがあるがままでOKなのだということが、自然に受け入れられるようになっていきます。

 

 

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恐れからの解放~その③

 毎日せっせと心のお掃除に取り組んでいた私ですが、ある時、心の浄化が進んでいくにつれ、身の回りの環境や人間関係などもどんどん変化していっていることに気づきました。内面が整っていくと、目の前に広がる現実も同様に整理されていくようでした。お互いの学びが終わり、もうあまり生産的なお付き合いができなくなった人とは、自然に離れていきました。また逆に、自分に新しい刺激をくれ、必要な学びを得られる人との出会いが舞い込んできました。人に限らず、情報やチャンスなども、必要な時に、必要な分だけ、やってくるようになりました。

 

 何か一つ心の変化が起こると、それからしばらくして、その心の状態を反映したかのような現象が起こるのです。どちらかというと、心の浄化に意識的に取り組み始めた最初の頃は、現実の中でも「捨てる」「別れる」といった、手放し系の出来事が立て続けに起こりました。私のエネルギースペースがクリアーになったことで、私を取り巻く現象世界も自然とクリアーになっていったようでした。人生が、生活が、人間関係が次々清算され、今まで”背負って”いた物事から物理的にも解放されていきました(これは現在進行中のことでもあります)。楽しくて喜ばしい出来事ばかりとは限りませんでしたが、結果的に見てみると、起こったことは全て、私にとってポジティブな結果に結びつくものでした。

 

 現実世界でもとらわれがなくなっていったことは思わぬ副産物でしたが、本当に楽なのは、心のとらわれから解放されることです。何より私の中から「恐れ」がなくなっていったことで、本当に生きやすくなりました。まだ全く恐れがないわけではありませんが、少なくとも、「恐れを恐れる」ことがなくなったので、何か不安材料が出てきたとしても、もうかつての私のように、必要以上に動揺したり、受け入れられずに拒絶したり、ということはありません。恐れとは、向き合った瞬間に恐れではなくなるということを、何度も経験したからです。ただ、向き合えばいいのです。そして受け入れ、解放すればもう私を苦しめることはなくなります。そのことを知っているので、もう今までのように、「~したらどうしよう」と起こってもいない未来のことを心配することもなくなりましたし、周囲の人々が言っていることにも一喜一憂することなく、泰然自若に構えていられるようになりました。他人の恐れに影響を受けることもなくなってきたからです。結局恐れる必要のあることは何もないので、恐れていること自体が無価値なものに感じるのです。

 

 

 心の整理が進んでいくにつれ、今まで「私」だと思い込んでいた数々の思い込みや価値観、生き方、経験、姿かたち、人間関係といったものは皆、本当の「私」ではなかったのだな、と感覚的に思えるようになりました。世の中の肉体を纏って顕現している人々の姿がその人の全て、とも思わなくなりました。とはいえ、肉体としてこの世に存在している物理的な「私」も、紛れもなく「私」の一部ではあります。霊的な世界を重んじるあまり、肉体としての自分を卑下したり、扱いをおろそかにするのも何か違うな、と思います。霊的な世界と、物理的なこの世に片足ずつ突っ込んでいる状態、そんなイメージでいます。

 肉体をクリアーにすれば霊体もある程度はきれいになりますが、どちらかというと、霊体の方を先にクリアーにした方が、結果的に肉体もきれいになっていくようです。

 

 

 

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恐れからの解放~その②

 意識の覚醒が始まってくると、人は否が応でもこの恐れに向き合わざるを得なくなるようです。それは、

 

「自分の心の中を知る恐れ」。

 

それまで、臭いものに蓋をするように、見ないようにしてきた心の中身。そこに本当は何があって、何が主張していて、何が出て行きたがっているのか。

 

自分の内面に潜むトラウマや古い傷、エゴ、恐れ、執着、こういったものに面と向き合って取り組もうという意識に至るだけでも、相当な時間と勇気とエネルギーが必要になります(一度決心してしまえば、あとは自然な流れで浄化が進んでいきます)。

 

大多数の人は、自分の内面に真摯に向き合う前に、身に起こっていることを他人や環境のせいにしたり、「これが運命だから」となどと言って諦めたり、はなから変わることは無理だと信じていたりします。そうして、思考や感情に支配された状態で、納得がいかないまま、自分の心の状態がそのまま反映された現実に住み続けることになります。人生とはそういうものだと自分を無理やり納得させて、思考と感情に自分を同化させた人生をこれからも送り続けるか。それとも、思考と感情にとらわれる生き方から脱皮して真の自由と喜びを感じながら生きるか。

 

 

 私は、とらわれのない真の自由を手に入れるには、心を浄化する必要がある、ということには気づいていました。それで、いろいろな本を読んだり、瞑想をしたり、ヒーリングを受けたり、エッセンスを飲んだり、とにかくあれこれと試してみました。こうした行動は、だいぶ私をエネルギー的にクリアーにしてくれたと思います。けれど、それでもまだ私は逃げていました。自分の心に真正面から向き合う決心がつくまで、外側のツールに頼っていたのです。自分以外の誰か、自分以外の何かが、自分を浄化してくれると思い込んでいました。もちろん、ある程度まではしてくれました。でも、本当に本当に自分がクリアーになって、とらわれから自由になるには、自分が一番知りたくない自分の姿、心の中身を、私自身がまずきちんと知る必要があったのです。結局他人や何かのツールに頼ったとしても、それらは自分の中身を見るためのお手伝いをしてくれるに過ぎず、そこからもう一歩踏み出して、本当の自分を知り、解放していく作業は、自分がやるしかないのです。

 

 自分の内面に向き合うことをずっと避けてきたからこそ、ヒーリングツールや、スピリチュアルな指導者などに頼って、それらが何とかしてくれるだろう、私を救ってくれるだろうと考えていたのです。

 

 精神的なグルを追い求めてあちこちのセミナーを転々としたり、物理的なツールに必要以上に頼ったり、師と仰ぐ人がいないと不安になってしまう人は、まだ自分の力を信じられていないか、恐れを手放せていないのかもしれません。もちろん、ツールや指導者は心強いですし、助けとなってくれることもたくさんあります。けれど、それらがメインではありませんし、必要以上に頼りすぎてしまうと、依存や執着を生み出すことにもなります。結局、自分以外の何かに拠り所を置いているうちは、魂の成長はある程度のところでストップしたままだと思います。誰もが、自分と宇宙(神)との絆を直接感じることができる能力を授かっているのですが、他者に依存していては、その感覚がいつまでも鈍ったままです。

 

 

 ちなみに、あれほど長い間怖くて避けていた(自分が怖がっているということにさえ気づかせなかった)、「自分に向き合う」という作業ですが、勇気を出してやってみると、意外と怖いものではなかったことをぜひともお伝えしておきます。それはまったく、拍子抜けしてしまうほどです。実際にやってみると、まったく怖くなどありませんでした。結局、恐れとは未知なるものに対面した時生じる感情なのだと思います。心の中身が未知なるものであるという思い込みを外して、思い切って向き合ってみようと決心してみた瞬間、それは未知なるものではなくなりました。そして、自然と恐れも消えていきました。

 

 私の場合、一つ一つ、目の前にある「問題」と向き合う形で、自分の中にある思い込みやトラウマなどを見つめ、解放していきました。例えば、誰か強烈な個性を持つ人が目の前に現れて、その人との関係性に悩んでいたとしたら、その人のことを避けたり責めたり攻撃的になったりするのではなく、

 

「私の中の何がこの人を引き寄せたのだろう」

「私はこの人との関係性から、何を学ぶことができるのだろう」

「この人は、鏡となって、私に何を見せてくれているのだろう」

「私は、自分の中の何を解放させたら良いのだろう」

 

と自問していきました。真摯な気持ちで、落ち着いた状態で問いかけてみると、何か深いところから応え(気づき)がやってきます。そして、その応えを受け入れ、愛と共に浄化し、解放していきました。

 

また、子供や友人や外で見かけた誰かの言動に対して、感情が大きく動いたときにも、同じように、

 

「私の中の何がこの感情を引き起こしているのだろう」

「私の中のどんな思いが反応しているのだろう」

「この人の言動は、私の何を鏡として見せてくれているのだろう」

 

といった問いかけをしていきました。

 

 本当に地道な作業ですが、一つ一つ、何か”問題”が生じる度に、真摯に向き合いました。そして、どんどん解放していきました。

 

 

そして、どんどんどんどん心が楽に、軽くなっていきました。

 

 

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恐れからの解放~その①

 最近、引き寄せの法則もだいぶ世の中に広く周知されてきて、多くの方が自分の内面が外側に反映されているという事実に気づいてきているようです。

 

 それでもまだ、そこに気づいているにも関わらず、いざ自分の身にゆゆしき事態が降りかかった時、やはり「〇〇が悪い、自分は悪くない」という発想になって、誰か他の人を責めたり、文句を言ったり、状況のせいにしたりというパターンに陥っていらっしゃる方をよくみかけます。

 

 私も、引き寄せの法則、波長の法則を頭で理解してからも、しばらくこのパターンからなかなか抜け出せずにいました。

 

 それは、人間の中に根本的にある、大きな「恐れ」の影響を強く受けていたからだと思います。その恐れとは、

 

『自分が変わることへの恐れ』

 

『自分が完璧ではないということを認める恐れ』

(*人間の本質は完璧ですが、この世に顕現している姿は、まだまだエゴの虜になっているという事実)

 

そして何より大きいのが、

 

『自分の心の中を知ることへの恐れ』

 

です。

 

 人は他人のことは手に取るように心の中まで見抜くことができても、自分のこととなるとさっぱりわからなくなったりします。それは、実は見えていないのではなくて、「見ないようにしている」からだったりします。知りたくないのです。認めるのが怖いのです。

 

 現状に不満があっても、その原因が自分の内面にあると認めるくらいなら、他人を責めていた方が幾分か楽だったりします。変わるためには大きなエネルギーがいるので、その勇気がないうちは、「このままで良い」「変われっこない」といったエゴの声を聞いてしまったりします。また、敢えて自分にとって耳障りの良いことを言う人の言葉だけを取り入れたりします。

 

 

 私がまず最初に取り組んだのは(10年近く前の話です)、自分が「変わろう!」と強く決心したことでした。その時の私は、自分が大嫌いで、世の中が嫌で、いろんな事から逃れたくて、不満だらけでした。けれどそんな心の状態にもほとほと嫌気がさしていました。いい加減、グチグチと文句を言ったり、世の中で上手くいっている(ように見える)人を羨んだり、自分はダメな人間だと卑下したり、といった状況から抜け出したかったのです。そこである時、自分は変わろう、変われるんだ、と強く意思決定をしてみました。とりあえず、心の中で叫んでみました。

 

 

 強く決心した辺りから、何かが変わり始めました。大々的にすぐに変化が起こったわけではありませんでしたが、少しずつ、サポートのようなものがやってくるようになりました。それは本だったり、気づきだったり、人だったり、チャンスだったり、お金だったりもしました。その時の私に必要なものや情報が、ちょうど良いタイミングでやってきました。なんだかわからないけれど導かれるようにして、学んだり、出かけたり、挑戦してみることにしました。

 1つの学びが終わると、また別の扉が開いて、新たな学びが始まる、そんな流れでした。(その流れは今でも続いています)

 

 学びの過程で、様々な意識改革が起こっていきました。とにかくいろんな所から情報がやってくるのですが、最初の頃は、情報をただインプットするだけで、腑に落ちる所まで理解するのはもっと後になってからでした。

 

 それは私の中に、例の「恐れ」がまだまだ大きく居座っていたからです。

 

自分が完璧ではないということを認める恐れ』。

 

 これがかなり手ごわかったです。当然どこかでは、自分がまだまだ魂の成長過程にいて、学ぶことがたくさんあって、未熟な存在だ(そして学び成長するためにこの世にやってきた)ということは知ってはいるのですが、それを完全に受け入れるには、謙虚であり続けなければいけません。私にはこの謙虚さが足りていませんでした。どこかで、自分は特別な存在だ、自分は他と違う、と思っていたかったのです。また、そのような甘い言葉をささやく人もいました。そういう人の言葉を信じさせるのは、エゴのなせるわざです。

 

 自己啓発系のセミナーなどに行くと、この「自分は特別だ」という思いに支配されている人が驚く程多いことに気づかされます。自分が「選ばれし者」だと思う自己陶酔や、自意識過剰はエゴが肥大化している証拠です。人が意識の覚醒が始まってすぐの段階では、このエゴの虜になりがちなのかもしれません。中には、自分がスピリチュアルな指導者だと勘違いしている、エゴに取りつかれた「先生」もいました。肩書きや財産、権力、知名度、物理的な能力、見た目、儲けなどに固執しているようだったら、まだまだエゴの強い影響下にいるといえます。また、自分の思想を他人(”弟子”)に押し付けたり、徐々に洗脳していき自分の支配下に置く行為もまた、エゴです。真の覚者は、真理を教え広めようとはしますが、それを聞いた人がどうとらえようと気にしませんし、他人が変わろうが変わるまいが、結果や反応には頓着しません。賞賛や報酬も期待しません。受け取ることはあるかもしれませんが、少なくとも賞賛や報酬が目当てでやっているのではなく、奉仕の心が先にきています。

 

 自我意識をできるだけそぎ落として、エゴの支配から逃れることこそが、真の覚醒道なのだなと気づいた辺りで、私はいい加減自分が「完璧」ではないことを認め、謙虚になろうと決心しました。

 

 案外、恐れというのは、一度認めてしまえば後はさほど怖くないものです。なんと皮肉なことに、私はずっと、恐れから逃れることを恐れていただけで、恐れていたことそのものは、実は「怖く」はなかったのです。恐れとは、向き合うのが怖いからそこに在り続けるのであって、正面から向き合ってみると、意外と怖くないものなのです。それどころか、かつて自分が恐れていたことから解放されていくのは、自由を得ていく過程でもありました。自分の中から恐れがなくなっていくのは、何とも心地が良く、私はどんどん楽に、そして軽くなっていきました。

 

 

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全ては内側から

 「夜寝つきが悪い」「眠りが浅く、目が覚めてしまう」「心配事が頭を巡ってなかなか眠れない」といった、不眠にまつわるご相談の時には、必ずといっていいほどバッチの「ホワイトチェストナット」を選びます。これは、頭の中を思考や想念に支配され、バッチ博士曰く「壊れたレコードのように」同じ考えや不安がグルグルと頭の中を回っている、という状態に良いエッセンスです。

 一日の終わり、悪しき想念だらけのまま眠りにつこうとしても、なかなか安らかな眠りには導かれないでしょう。

 

 もう考えるのをやめたいのに、繰り返しやってくるネガティブな想念や思考は、私達のエゴからきています。自我意識が発信源です。

 

 イエス様は、

人の体の外から入って、人をけがし得るものは何もない。人から出るものが、人をけがすのである

人から出るもの、そちらが人をけがす。内から、つまり、人の心からは、邪念が出るからである。すなわち不品行、盗み、人殺し、姦淫、欲張り、悪意、悪巧み、道楽、妬み、悪口、高ぶり、愚かさなど。これらの悪は皆、内から出て人をけがすのである

(塚本虎二訳『新約聖書 福音書』~岩波文庫~より抜粋)

 

とおっしゃいました。イエス様が挙げられた数々の「邪念」はエゴのなせる業です。

 

 

 私達は、嫌なことがあったり、望ましくない出来事に苦しめられたりして、ネガティブな思考や感情が自分の中に充満している時、たいてい自分ではなく他人や環境を責めます。あの人があんなことを言ったから、やったから、あの人が悪い。私が今こんな目に合っているのは〇〇のせいだ。もし~でなければ、私は今こんなに苦しんでいないのに。こうなったのは、△△のせいだ。etc...

 

自分以外のものに責任をなすりつけたがるのも、エゴの特徴です。

 

どんな言い訳を言ったとしても、イエス様がおっしゃったように、悪の根源は全て私達の内側から来ています。内側にある想念が、現象を引き起こしているからです。自分の身に降りかかるどんな出来事も、実は私達の内面を反映して起こっているに過ぎません。「外」に原因があるわけではないのです。

 

 もし、一日のうちの大半を悪しき想念に支配された状態で過ごしていれば、それに見合った現実を送ることになるでしょう。そして、いつまでも不満を言い続けたくなるような状況を引き寄せ続けます。状況が先に来るのではなく、心の状態が先なのです。

 ですから、現実を変えたかったら内側を変えていくしかありません。今すぐにでも、ネガティブな想念の海から脱出することをお勧めします。

 

 私も長いこと、ネガティブな想念に苦しんできました。そこから少しずつ脱出していくにつれて、自分の身に起こる出来事が変わり、引き寄せる人が変わり、状況が変わっていきました。変わらないだろうと思っていた他人までもが変わっていきました。全て、私の内面の変化に呼応しているのは明らかでした。

 

 想念の支配から逃れるのに、フラワーエッセンスにもだいぶ助けてもらいました。それとは別に、とても大きな効果があったのがやはり瞑想です。瞑想は、内側を一度リセットするのにとても便利です。ゴチャゴチャまとまらない考えが一度の瞑想でスッと解決したり、誰かに対してとげとげしい感情が渦巻いている時でも、瞑想をしているとスーッと消えてなくなっていきます。そして、それらの悪しき感情が自分のどの部分に反応してやってきているのかといった「気づき」が必ず得られるのです。

 

 エゴの声を聞いてしまっているなと感じる時は、とにかく一度自分の中をクリアーにしてみると、自分の本質の部分と再びつながることができます。直観やインスピレーションも受け取りやすくなりますので、望ましい方法や道筋などが閃きやすくなり、問題もスムーズに解決していきます。

 

 

 

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感情を悪者にしないために

 とある人の言動を見ていて、良くも悪くも感情が刺激されることが頻繁に起こるのであれば、その人と自分との波動領域が似ているのだなと思います。人は自分と極端に異なる波動を持つ人に対しては、あまり関心を持ちません。”気になる”ということは、その人の中にどこか自分と似た部分があったり、また逆にその人を見ることで自分の理想の姿を裏返しで見ていたりするのです。

 

 AさんがBさんのことをひどく悪く言っているとします。傍で聞いている分には、Bさんはさほどひどい人でもないんじゃないか、と思ったりします。他人を平気で傷つけるような極悪人というわけでもないのに、なぜAさんがそこまで怒りを感じているかというと、Aが怒りを感じる「何か」の要因をBさんが持っているからです。

 

 身内や家族などは、共通している遺伝的要素が多い上に、抱えている問題やこの世での課題なども似通っていたりするので、赤の他人よりもより”気になる”ことが多くなるし、感情もより動きやすくなるのだと思います。

 

 何にせよ感情は何かを自分に教えてくれる信号であるので、決してそれ自体を悪者にしたり、押さえつけたり、無視したりしない方が良いと思います。その感情が教えてくれることに注目して対処していった方が、結果的に自分が楽になっていきます。感情は、自分の内面が浄化されていくためのツールとなってくれるものです。

 

 感情を無理やり押さえつけようとすると、どんどん体にも溜まっていくし、それがひどくなるとある時を境に病気を発症することもあります。

 

 私達は感情を出すことは良くない、感情をコントロールすることが立派な人間のすることだ、といった教えを長年受けてきました。けれど感情は自然に発生するものですから、本来コントロールできるものではないのではないでしょうか。怒りを感じたら怒りをそのまま感じればいいし(人に当たり散らすこととは違います)、悲しみを感じたらそれを素直に感じてみればいいと思います。そして、その感情の海に溺れるのではなくて、その怒りなり悲しみは一体何がきっかけで生まれてきたのか、そこを探っていくことで、自分の内面を知っていくことができます。そして、自分の中にある傷だったりトラウマだったり思い込み、執着などに気づいていくことで、浄化が進み、心が楽になっていきます。

 そうやってどんどん余計なものを剥がしていくことができたら、もう同じような出来事が起こっても以前ほど負の感情が湧き出てくることもなくなっていきますので、苦しむことが減っていきます。

 

 ただ一時的に感情を抑えたりなかったことにしたとしても、それは根本的な解決にはなっていないので、再び似たような状況が生み出され、似たような感情を繰り返し繰り返し味わうことになるはずです。

 

 まずは、感情を悪いものと捉えるのをやめて、自分に何かを知らせてくれるシグナルだと捉えてみてはいかがでしょうか。本来、悪い感情も良い感情もないのだと思います。ただ波動の違いがあるだけ。そして私達も皆、それぞれ波動が異なるだけで、誰がどうだから良いとか悪いとか、そんなジャッジも必要ないのだと思います。

 

 

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失恋とフラワーエッセンス

 ホメオパシーは、「同種療法」とも呼ばれます。これは、『似たもの(同種)が似たものを治す』という原理に基づいているからです。この考え方は、古今東西様々な民間療法でも用いられてきましたし、医学の祖ヒポクラテスや、中世の錬金術師パラケルススも取り入れていました。

 例えば、赤玉ねぎから作られた「アリウム・セパ」というホメオパシーがあるのですが、これは花粉症や風邪などの時、鼻水が出たり目が赤くなって涙が出てくるような症状の時に対応します。鼻水が出て目が赤くなり涙が出る・・これはまさに、玉ねぎを切った時に出てくる成分に体が反応した時の症状と同じものです。そのような症状が出ている時、このアリウム・セパというホメオパシーを飲むと、そのバイブレーションが体に入り、症状が緩和されるのです。

 

 フラワーエッセンスも、同種療法の原理を取り入れた波動療法と言えます。その花のもつ、ネガティブとポジティブ両方のエネルギーに、ネガティブに傾いている人をポジティブに変換させる作用があるのです。ちなみに不思議なことにその逆が起こることはなく、つまりポジティブな状態の人がその花のエッセンスを飲んでも、ネガティブに傾くことはないのです。例えば、バッチの「ホリー」というエッセンスは、”怒り”に対応するエッセンスです。何かに怒りを感じて攻撃的な感情が渦巻いている人が飲むと、スーッと怒りが取り去られて感情が穏やかになっていきます。一方で、普段怒りっぽい人が穏やかな状態の時にホリーを飲んだとしても、その人が急に怒り出す、ということはありません。ただ何も起こらないだけです。

 

 それぞれの植物が持つ特定のバイブレーションを、そのバイブレーションと似た領域にいる人が取り入れた時、何かの反応が起こり、バランスの取れた状態に戻してくれるようです。

 

 

 私は、この同種療法の原理というのは、人間同士でも起こっていることなのではないかと感じています。同じ傷つき体験をした人同士が集まったり、話をしているだけで、そこに癒しが起こります。過去に自分と同じ悩みを抱えてそれを克服した人と会うと、勇気が湧いてきて「自分も乗り越えられる」と前向きに考えられるようになります。

 その人の持つバイブレーションが、やはり似たバイブレーションを持つ人と反応して、そのような癒しが起こるのではないかと思うのです。

 

 このことを考える時、私は若かりし頃のある1つの思い出がよみがえってきます。

 

 独身時代、私は手痛い失恋を経験したことがありました。何となくこの人とはうまくいかないだろうな、ということはわかっていたので、実際うまくいかなくなった時も、「ああやっぱりね」という感じで、納得できていました。それでも、やはり心は傷ついていたのでしょう。失恋した直後、気晴らしにと友人が誘ってくれたワインパーティに参加している途中、私はそこに参加していた人と話している最中に、突然涙がバーッとあふれ出てきて止まらなくなってしまったのです。自分では「こんなの全然平気」と思っていたのに、押し殺していた感情が急に出てきてしまったようでした。

 慌てて友人がパーティ会場から私を外に連れ出し、近くの喫茶店に連れて行ってくれました。友人は、そこで黙って私の横に座ってくれました。ひたすら泣き続ける私のそばで、何も言わず、ただ自分も同じように涙を流していました。私は、その友人もまた、過去につらい失恋経験があることを知っていました。今思えば、周りの人たちは一体何事だろうと驚いていたのではないかと思うのですが、そんなことにも構わず私達は2人で気が済むまで泣き続けました。友人も、失恋して泣いている私と一緒に泣くことで、もしかしたら自分の傷も癒されていたのかもしれません。

 特に多くの言葉を交わしたわけではないのですが、私はその友人のそばで泣いたことによって、すっかり元気になり、だいぶ気持ちも吹っ切れて、前向きになっていました。自分と同じ傷を負った人に、これほどまで癒しのパワーがあるとは知りませんでした。

 

 

例によって、あの時の自分にエッセンスを選ぶとしたら・・

 

ブリーディングハート

(傷ついたハートを癒す。人との別離、喪失などのストレスやトラウマのケアに)

 

ヌーツカローズ

(ハートチャクラにパワーをもたらす。痛みと悲しみを愛に変換してくれる。)

 

ブラックコホッシュ

(執着や依存を手放す。辛い人間関係の終わりを経験した時に。)

 

アンゼリカ

(グラウンディングを助け、不安や恐れでバランスを崩した状態を安定させる)

 

ボラージュ

(ハートに重苦しさがある時に。元気で軽やかな状態に戻し、スタミナと勇気がもたらされる)

 

フロックス

(魂に平和を呼び込み、穏やかな暖かさで包み込まれるような感覚が得られる。ストレスや

ショックを経験した時や、不安や心配なことがある時などに。)

 

 

あたりでしょうか。

 

 これらは皆パワーオブフラワーのエッセンスですが、こうしてみると、繊細で優しく作用してくれるパワーオブフラワーのエッセンス達は、まさに失恋などの心の痛みにピッタリなものが多いなと感じます。作り手のイーシャさん自身も、とても繊細で優しい女性ですが、作り手さんのキャラクターがエッセンスにも表れているように思います。

 

 ちなみにあの失恋の後、私はすぐに今の夫と出会い、とんとんと結婚が決まりました。そしてあの時一緒に泣いてくれた友人は、なんと私の夫の友人と結婚し、今ではかわいい3人の子供のママさんです。

 

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疲れた時にはチャクラバランス

 夕方。その日の疲れが集中してやってきて、何となくけだるさを感じるこの時間帯は、主婦が一日の内で最も忙しい時間帯でもあります。

 

 下の子供が生まれたばかりの頃、私は毎日孤独に分刻みの生活を送っていました。引っ越したばかりの見知らぬ土地で知り合いもなく、両親は離れた場所に住んでいるため手伝いも頼めず、夫の帰りは遅く、赤ちゃんのお世話もしなければいけないのに上の子にもまだまだ手がかかり・・・何よりも私は性格的に何でも「完璧に」やらなければ気が済まないタイプでした。家が汚れるのも嫌だし、子供の世話もちゃんとしたい。ご飯も三食きちんと作らなければいけない。なおかつ、自分磨きで続けてきた英語の学習も毎日やりたい。サボるのはいけないこと。そのように自分に課し、できないと自分を責めていました。

 一日のうちで、ゆっくりと座ってお茶を飲む余裕すらなく、ずっと頭と体をフル稼働し続けていたように思います。

 

 ある日の夕方。一日の内で一番忙しい時間帯がやってきました。その日はいろいろと立て込んでいて、私は急いで晩御飯の支度に取り掛かっていました。そんな時に限って、下の子の機嫌が悪く、ベビーベッドの上でギャーギャーと泣き騒いでいます。オムツは替えたしおっぱいもあげたはずなのに・・抱っこしてほしいのかもしれない。そして親の状況なんてまだまだ理解できない年頃の上の子も、私に構ってほしくて向こうの部屋から「おかあさーん」と呼んでいます。けれど私は今急いでご飯を作らなければいけない。早くしないと子ども達をお風呂に入れて寝かしつける時間が遅くなってしまいます。もうすぐお風呂が沸こうとしています。お鍋はピーピー言っています。

 「ギャーギャー」「おかあさーん」「ピーピー」、「ギャーギャー」「おかあさーん」「ピーピー」・・・

 

 プツッ

 

 私の中で何かが切れたような感じがしました。その瞬間、私はその場にペタっと座り込み、そこから動けなくなってしまいました。赤ちゃんのお世話も、上の子の相手も、お風呂の準備も晩御飯の支度もしなければいけないのに。この瞬間にやらなければいけないことがたくさんあるのに。

 

 赤ちゃんの泣き声も、上の子の私を呼ぶ声も、お鍋が沸く音も、遠くの方で聞こえているような感覚でした。泣きたいのに涙すら出てきませんでした。

 私は、自分で自分のスイッチを一時的に切ってしまったのかもしれません。逃避のようなものでしょうか。

 

 あの日、その後どのようにしてあの場を乗り切ったのか、なぜだか記憶がなく、全く思い出せません。ただ、一瞬全身から力が抜けたように動けなくなり、一時的に自分が"Off"になったかのようなあの時の感覚だけが、妙にリアルに今でも残っているのです。

 人間自分のキャパを超えると、あのようになるのかもしれません。肉体的な忙しさもあったでしょうが、あの頃の自分は何より気持ちが落ち着く暇がありませんでした。いつも何かに追われているような感覚があり、やってもやってもまだ足りない、まだできる、まだやらなければいけない、とプレッシャーのようなものが覆いかぶさってくるようでした。そして、全て1人でこなさなければいけない、助けてくれる人なんかいない、と思っていました。弱音を吐くことも苦手でした。

 

 

 2人の子供もある程度大きくなった今は、目が回るほどの忙しさを体験することはほとんどなくなりました。あの頃と比べれば、信じられない程ゆったりと過ごせています。適度に手を抜くことも覚えたし、主婦としてのスキルも多少は上がって、昔よりだいぶ要領良くこなせるようになりました。

 そんな今でも、夕方頃になるとワサワサと気ぜわしくなり、子供の相手やら晩御飯の支度やらに追われて時間との勝負になることがあります。また、うぶすなのお仕事があったり出かけたりした日などは、やはり夕方頃に疲労を感じることもあります。

 

 そんな時、私の力強い味方となってくれるのが、やはりフラワーエッセンスです。最近のお気に入りは、ヒマラヤンフラワーエンハンサーのチャクラキットに入っている、『Down to Earth』と『well Being』。それぞれ、第一チャクラと第二チャクラを活性化してくれる作用があります。疲れている時というのは、下の方のチャクラがバランスを崩していることが多いようです。そんな時にこの二つのエッセンスを飲んで下部チャクラをパワーアップさせてあげると、ぐんぐんと活力が舞い戻ってきて、またひと頑張りできるようになるのです。

 私はこの二つに、バッチの『ホワイトチェストナット』と、パワーオブフラワーの『ホワイトマグノリア』を合わせて飲んでいます。ホワイトチェストナットは、頭頂部分に過剰なエネルギーがいっている時、クールダウンしてくれます。下部チャクラを活性化してくれるものと一緒に飲むと、エネルギーの通りが良くなってバランスがとれるようです。また、ホワイトマグノリアも、エネルギーバランスをとる助けとなってくれているように感じます。

 

 

 毎日綱渡りのような生活を送ってアップアップしていたかつての自分が、もしフラワーエッセンスを知っていたら、どんなに救われたかわかりません。あの頃の自分には、この4つのフラワーエッセンスに加えて、

 

エルム

(プレッシャーや、やらなければいけない仕事の量に圧倒されている時に)

オーク

(何でも1人でやらなければと思い、助けを借りずに自分で抱え込んでしまう人に)

オリーブ

(疲労を感じてエネルギーが枯渇しているような時、魂の底から湧きおこるような活力をもたらしてくれる)

ロックウォーター

(何でも完璧にやらなければ気が済まないタイプの人に。自分に課したルールや、1つのやり方にこだわり、柔軟性を欠いている時に)

インパチェンス

(早くしなければと焦ったり、時間に追われているような時に)

 

・・・あたりを処方してあげたいです。バッチが多いということは、人間の基本的な症状に悩まされていたのだなと思います。物理的な忙しさはどうにもならない部分があるかもしれませんが、せめて精神的な疲労感や余裕のなさが少しでも緩和されていたら、心がだいぶ楽になっていたことでしょう。必要な時には誰かにヘルプを求めるとか、つらい気持ちを誰かに聞いてもらうとか、そういった行動もとれていたかもしれません。

 

 

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前世考

 物心ついた頃から、今の肉体は仮住まいであるという感覚がありました。今回の生が終わったとしても、魂が消滅するわけではない。と同時に、今回の生以前にも、私は過去に別の人間として別の場所で生きていたことがある。そういったことも感じていました。

 

 大人になって、スピリチュアルな世界への探求が進んでくると、その感覚は尚更強いものとなっていきました。そういった方々に共通する感覚なのかもしれませんが、私も「前世」に強い関心があった時期があります。

 何となく、自分で「過去にこういう人生を生きていたことがある」といった感覚があったり、夢やビジョンで前世かなと思われる光景を見ることがあったりはしましたが、もっと詳しく、たくさん知りたいと思っていました。

 

 そんな風に思っていたある日、自称前世が見えるという方に、「あなたは過去に~という人生を送っていたことがありますね」と言われたことがありました。確かに言われてみれば自分でもそのような感じがしないでもないな、という内容でした。そしてまた別の日に、霊感があるという別の人からも同じようなことを言われたのです。

 

 その時私が感じたのは、「ふーん・・」という感覚でした。自分で思っていたより、トキメキも驚きもしませんでした。

 

 そもそも、その方々が言っていることが真実かどうかなんて確かめようがありませんし、極端な話、口から出まかせを言っている可能性だってあります。もしくは、確かにその人達の脳内ではそのようなビジョンが見えたのかもしれませんが、それだって、その人が自分の感覚の世界で作り上げ、映し出して見ているだけであって、真実かどうかなんて誰にもわかりません。

 私は別にその人達の言っていることを信じなかったわけではないのですが、その時に、「たとえその話が本当だとしても、それがなんなのだろう」と拍子抜けしてしまったのが事実です。実際、"So what?"だったのです。

 

 その時に言われた前世の生き方は、確かに今の人生とリンクしている部分がありました。おそらく私は、その時の人生でやり残したこと、後悔している部分、物足りなかったことなどを埋めるために、今世生きている面もあるのでしょう。それは何となくわかります。

 けれどそんなことを言ったら、その前の人生からも私はおそらくやり残したことを引き継いできているはずで、更にその前の人生からも、その前からも・・と数えきれない程の人生で得た経験と課題を背負ってきているわけです。連綿と積み重なってきた数々の人生における膨大な時間と学びと関係性が、複雑に絡み合って今の人生に事象として表れてきていると思います。前世1つをとって、更にその一場面だけを切り取ってみたとしても、今の人生の全体像が分かるほどの情報にはならないどころか、1つの側面に縛られて偏見と執着を生み出しかねません。

 私はこれまで、自分の前世が〇〇だった、と知名度の高い歴史上の人物の名前を挙げて自慢してくる方に何度かお会いしたことがありますが、そのようなことを口に出して言っている時点で虚栄心と驕りがある証拠だし、そもそも本当にエゴの影響下にない程進化した魂の持ち主であれば、自分の前世を含む過去に全く縛られていないでしょうから、過去世での自分の姿にも執着がないはずなのです。

 

 前世から引きずる課題が今世でも表面化し、今現在の悩みとして向き合うということはよくあることです。けれどそんな場合でも、焦点を当てるべきは「今」であると思います。過去の人生からどんなものを受け継いできたとしても、それら全てが集結しているのが今の姿です。今の自分は、過去の人生全ての総決算なわけです。過去世に縛られて今目の前に広がる現実を見ないようにしても、問題を先延ばしにするだけで、何の解決にもなりません。ましてや、前世として作り上げた姿(幻)に引っ張られ、本当の私は別のどこかにいるように思って今の自分から逃避していては、魂の成長は得られないままでしょう。

 現実に向き合う=己に向き合う、ということです。前世という言葉からも、なんだかロマンチックでワクワクするような響きが感じられますし、惹きつけられるのもわかります。かつての私もそうでした。けれど、だからこそ自分が今向き合うべき現実から遠ざける逃げの手段にもなり得ると思います。

 前世を否定するわけでも考えてはいけないと思っているわけでもありません。ただ、あまりそちらに引っ張られてしまうと、地に足が着かない考えになったり、今の自分や今の人生、現実生活のことが疎かになってしまう危うさも秘めているようにも思います。

 

 

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自分の直観とインスピレーションで生きていく時代

 何年か前のこと。ある時突然、私は自動書記というものがでるようになっていました。パソコンの前に座ると勝手に手が動き、キーボードを次々とたたくのです。自分の知らない知識や、知らない情報が次から次へとやってきました。初めは驚きましたし気味が悪いとも感じましたが、その時自分が知りたい情報を訪ねるとその答えが返ってきたりしていましたので、単純に便利だなと思いましたし、そんな状況を愉しんでもいました。霊的なガイドやスピリットたちと繋がって、そうした存在達が色々な事を教えてくれていたようです。元々見えない世界に対する興味がとても強かったこともあり、私はようやくこれで自分が”見えない世界”と繋がることができたのだ、と嬉しくもありました。

 

 ところが、しばらくすると、キーボードをたたく手の動きが次第に鈍るようになっていきました。何も考えなくとも勝手に手が動いていたのに、だんだん重たく感じるようになり、終いには無理やり自分で動かしているような感覚になっていきました。そして、打ち込む文章の内容も、なんだか気味が悪いものになっていき、私は「あ、これはもう終わりにする時だな」と察しました。

 

 

あれは一体なんだったんだろう、とずっと考えていました。

 

 今、こうして文章を打っている時は、何となく頭に浮かんでくる言葉を文章にまとめているという感じなのですが、自動書記とは違って、自分の意思がそこにはあります。毎回何となく「こういうことを書こうかなー」という考えが先にあって、パソコンの前に座ると、そのことに関する言葉が次々と浮かんできます。それをそのまま書き起こしています。頭はどちらかというと空っぽにしていた方が、言葉が浮かんできます。自動書記やチャネリングというものとは違うのかもしれませんが、完全に「私」の言葉かというと、そうでもないような気がします。

 自分自身の経験を書くこともありますが、どこかからやってくる情報や言葉を受け取ってそれを書き起こしている、ということも多いです。そんな時「私」は、ただ媒体になっているだけのような感じがします。

 

 セッションをしている時も、最近はどちらかというと頭でいろいろと考えるのをやめて、パッと浮かんできた言葉をそのままお伝えすることが多くなりました。その方が、お客様の反応も大きいように感じます。頭で考えて出した答えより、潜在意識にスコーンと入っていくようです。

 

 セッションに限らず、日常生活を送る中でも、例えば今日の献立は何にしようかとか、どのお店で買い物をしようとか、どの本を読もうとか、そういった一つ一つの小さな選択を行う際にも、最近は頭で考えるのではなく、パッと浮かんだ直観や、「なんとなくこっちだな」といった勘に頼ることが多くなりました。そのようにした方が、結果的に満足のいく結果になることがわかったからです。

 きっと、潜在意識で受け取った答えの方が、私が本質的に必要としている情報により近いのだろうと思います。また、リラックスしている時やボーっとしている時に多いのですが、「ポンッ」と閃き(インスピレーション)がやってくることがあります。それは、ずっと私が知りたかった情報であることもありますし、なぜ今その情報が来たのだろう、と疑問に思う内容であることもあります。けれど、しばらくすると、その時にやってきた情報が今の私にとって必要な情報だったのだなということがわかるようになります。

 あれこれと頭で答えを導こうとするよりも、ベストなタイミングでベストな情報はやってくるものだと信じて、あとは宇宙の采配に身を委ねていた方が何事もうまくいく、と最近は確信しています。

 

 しばらく前までは、いわゆるチャネリング本などを読み漁っていた時期がありましたが、そうした本とも最近は少し距離をおくようになってきました。また、霊能力があると称する人の言葉にも、さほど興味が湧かなくなってきました。そういった他者の口を介して発せられる言葉よりも、私の中にダイレクトに飛び込んでくる、直観やインスピレーションの方が、より私の本質が必要としている答えに近いことがわかってきたからです。

 私達には、宇宙と直接繋がることができる能力が本来備わっているのですから、誰かの手を借りなくても、必要な情報は全て受け取ることができると思います。チャネラーやチャネリング本などの知識も役に立つことはあるのですが、あまり他者に頼り過ぎてしまうと、私達がせっかく持っている、自分で宇宙と直接繋がる能力が鈍ってしまうのではないかとも思います。

 

 これからは、何かの媒体に頼るのではなくて、私達一人一人が、宇宙とのパイプを強くしていく時代になっていくようです。意識が覚醒していく過程においては、他者の力を借りることも必要なのかもしれませんが、あるところまできたら、あとはもう自分が直接繋がる力を磨いていく段階に入っていくのでしょう。

 

 自動書記をしていた一時期よりも、今の私の方が、より宇宙とのパイプの強さを感じています。あの時のあの体験は、もしかしたらそのことを私が学ぶためのものだったのかもしれません。

 

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