春先の決断

 だいぶ春らしくなってきました。春を学年の区切りとしている日本は、春が切り替えの時期であることを昔から感じ取ってきたのでしょうか。

 毎年節分を皮切りに、空気感が変わっていくのを体感してきました。本格的な春を迎える前のこの時期に、新しい一年に古いものを持ち越さないよう、個人的に”清算”を行う方も多いようです。春先は、気づきや浄化が起こりやすい時期です。具体的な行動に結びつけられたら、変革と軌道修正が一気に進むことでしょう。

 

 問題の多い娘の部活は、この半年の間で3人もの退部者が出ているのですが(その他休部者が1名)、先日私が用事で娘の中学校を訪れた際、辞めた3人の子のうちの1人が、私の姿を見つけてわざわざ声をかけてきてくれました。「部活辞めました!」とハッキリした声で伝えたその表情は、生き生きと輝いていました。思わず私も、

 

「そうなのね。おめでとう!」

 

 と言っていました。一般的には、部活を辞めたということはネガティブに取られることなのかもしれませんが、私は様々な事情を知っているので、勇気を出して辞める選択をしたその子の決断力を褒めてあげたかったのです。部活を続けるのが良いとか辞めるのが良いとかいう問題ではなく、この場合、周囲の声に惑わされず、心の声に従って、自分の信じる道を選んだことが素晴らしいと思いました。辞めてスッキリした、何かが取れました、と笑顔で話すその子の表情は、本当に明るく見えました。きっと、これから希望に満ちた新しい道が用意されていることでしょう。

 

 

 世の中が変革期を迎えている中、これまでの古い体制が、今という時代と今の子供達に合わなくなっているという事態は、様々な分野で起こっていることです。誰かが勇気を出して声を上げたり、行動を起こすことで、世の中の人々の意識が喚起され、気づきが促されていきます。そうすることで、社会が動き、システムが変わり、常識が変わっていきます。

 

 変化が起こる際には、必ず抵抗が生じます。個人的に変革を起こそうとした時に、何かしらの妨害が入るのは、ごく自然なことです。それは内なる声だったり、物理的な障害だったり、周囲の意見だったりすることでしょう。けれど一番大きな抵抗は、自分の中にある恐れであることがほとんどです。自分がこの決断をしたら、何かを失うかもしれない。周りから攻撃されるかもしれない。そんな恐れが根底にあるものです。

 

 変化を起こすためには、まずは内なる恐れに打ち勝たなくてはならないため、勇気と決断力とエネルギーがいります。私は、強い意志でもって行動を起こす人を見ると、心からエールを送りたくなりますし、常々そういう人を応援しています。内なる恐れに打ち勝つことほど困難なことはありませんし、更に行動に繋げるにはもう一歩進む必要がありますから、パワーがいります。

 世の中を変えてきたのは、こうした1つ1つの勇気と行動であり、これからもそうであろうと思います。人間の行動には波及効果がありますから、どこかで変化が起こると、更にその変化の波が広がっていきます。

 

 誰かの勇気ある決断と行動を見ると、嬉しくなります。

 

繊細な人の宿命

 エネルギーに敏感な方は、知らず知らずのうちに自分がスポンジのようになってしまい、種々雑多なものを一度に吸収し、どっと疲れたり、他のものの影響を強く受けて自分を見失ったり、ということが起こりがちです。そういう方ほど、本当はきちんと意識してバリアーを張り、他人との境界線をきちんと保つ必要があるのですが、なかなかそれが上手くいかないことが多いようです。

 というのも、エネルギーに敏感体質の人(エンパスとも言う。最近はHSP=Highly Sensitive Personなどという表現も出てきました)は、心優しく繊細なタイプが多く、他者に共感し、痛みを分かち合おうとする気質が生まれつき備わっているからなのです。それは、その人の持って生まれた能力でもあり、宿命でもあるのですが、だからといっていつも無防備でいては、自分がやられてしまいます。

 

 そういう方は通常、他者の痛みを感じ取り、それを癒したり、愛に変換する使命があって、この世にやってきているのですが、その使命を果たす前に自分が倒れてしまっては、道半ばで折れてしまうことになります。繊細で敏感な方は、持って生まれた繊細さを活かすためにも、強くなければいけません。繊細で敏感だから弱い、と消極的になるのではなく、繊細で敏感であるけれど強い、という強気の状態に持っていくことが大切かと思います。そのためには、ある程度意思を強く持つことと、自分を守る努力が必要です。

 

 繊細で敏感な人が、強さを手に入れたら、ブレることなく、他者をサポートすることができます。持って生まれた能力を活かしながら、自分の使命を果たすことができます。

 そのためにも、一度自分のエネルギーフィールドがどうなっているのか、チェックしてみた方が良いかもしれません。自分以外のエネルギーに浸食されていないか、誰かに自分を乗っ取られていないか、ちゃんと自分の軸を保てているかどうか。芯を保っていないと、敏感なだけに、簡単に他人のエネルギーを自分のフィールドに招き入れてしまうことになります。

 エッセンスにも、バリアーを張ってくれるものや、邪悪なエネルギーを跳ね返してくれるものがいろいろあります。アンジェリックで人気なのが、「Creative Healthy Boundaries(健全な境界線を引く)」です。「Angelic Lance(天使の槍)」や「Archangel Michael(大天使ミカエル)」もお勧めです。

 それから、定期的に(できれば毎日)自分のエネルギーフィールドをお掃除する努力をした方が良いです。海塩を入れたお風呂に浸かるのが簡単で効果的ですが、その他にもパワーストーンやセージといった浄化グッズの力を借りるのも手です。私はもちろん、エッセンスの力にも頼ります。それから、祈りの力も大変強力です。

 

 私自身、最初から自分の軸を保てていたわけでも、他人との境界線を意識していたわけでもありません。特に思春期辺りからは、何が自分で何が自分のものではないのか、よくわからなくなって様々なものの影響を強く受け過ぎてしまい、混乱したり、不安定になったり、周囲に引っ張られて流されて・・ということをずっと繰り返してきました。長い長い漂流生活を経て、今やっと地に足を着けて自分の意思をきちんと保てるようになってきました。

 

 思春期というのは、特にバリアーが薄くなるのか、急速に他人、それも同世代の人の影響力を強く受けやすくなるようです。この時期に自分をしっかり保つというのは、特に敏感体質の人には難しいのかもしれません。それでも、自分の経験からすると、どこかで自分の芯というか、信じる気持ちがコアの部分に保てていれば、多少周囲に流されたり、自分を見失ったりしたとしても、再び戻ってくる時期が来ると思います。

 この、思春期特有の流される時期に、いくら周りの大人達がうるさく言ったとしても、本人だってどうしようもなくてそうなっているのだから、うるさい、と思われても仕方ないかもしれません。おそらく人間は、一度自分を見失う経験をすることで、本当の自分というものを発見していくのではないでしょうか。

 

 ですから、人生で起こったことに何一つ無駄なんてなく、流されて自分を見失った経験さえも、愛して受け入れてあげてもいいのではないかと思います。ただ、もう大人になったのであれば、いつまでも漂流生活を続けるのはやめて、きちんと現実と自分に向き合う努力をした方が良いかもしれません。おそらく、その時期がきていれば、なんらかのサインを受け取っているはずです。もしくは、今までの生き方がどうにもうまくいかなくなったり、それまで仲良くやっていた人たちに違和感を覚えるようになっていったりしているはずです。

 

 意思の力と勇気を使って、バリアーと浄化を心がけながら、周囲に必要以上に振り回されることなく、自分の道を歩むこと。難しいことかもしれませんが、信じて進むときっと良い事があります。

 

自分にとっての真実とは

 アンジェリックの「Living One's Truth(リビングワンズトゥルース)」。

 

自己の真実を生きる。個人の力を強めるためのエッセンス。自分にとっての真実とは何かを知り、(たとえ過去世からのトラウマや今生での抑圧によって、その真実から切り離されていたとしても)勇気と確信をもってそれを語り、それに従って生きることができるように助けてくれます。のどの周辺を開き、弁解せずに自己の真実を語ることをサポートします。その結果、自分本来のパワーへとより深く繋がっていけるようになります。このエッセンスは、自分にとっての真実に従う能力を高めます。すべてのチャクラ(特にのどと太陽神経叢)を開き、サトルボディを一時的な整合状態に起きます。』

 

 

 ここ数年の流れとして、社会に埋もれていた闇や不正が次々に表に出て、嘘が暴かれ糾弾される出来事が相次いでいます。また、これまで自分本来の姿を抑圧し、自分や周囲に対し真実を隠してきた人たちが、勇気をもって公の場でカミングアウトすることも増えてきました(例えばLGBTの認知度が数年前と比べて格段に上がってきているのも、こうした人々の勇気ある行動のおかげでしょう)。

 これは、今の地球をとりまくエネルギーの変化に同調して自然に起こっていることで、この流れは今後更に加速していくと思われます。

 つまり、私達は嘘や虚偽がまかり通ってきた(上手くカモフラージュされたり隠すことが可能だった)世界から、虚偽が上手く機能しない世界へと移行しているのであり、これからの世の中では、真実がより強い力を持つことになっていきます。

 嘘と真実とでは、真実の方が力を持つので、嘘は真実に勝つことができません。どんなに上手く弁明しようとしても、世の中の目覚めた人々の目をごまかすことはますます難しくなるでしょうし、嘘そのものがパワーを失っていくので、虚偽や不正を無理やりつき通そうすればするほど、自己破壊の道を歩むことになるでしょう。

 

 これは、社会全体としてもそうですが、私達個人にも当てはまることです。今既にこのエネルギーの波はやってきていますが、これからますます、私達は自分自身に対しても嘘がつけなくなっていきます。つけなくなっていくというより、嘘をつこうとすると、どんどん歯車が狂い、機能不全になっていく、といった方が正しいかもしれません。

 

 私達が自分の真実に目を背け、本当の姿を打ち消し、押し殺そうとすると、あらゆる側面で不調和が生じ、上手く回らなくなっていきます。もう既に、その傾向は表れてきているのではないでしょうか。自分ではなんとかごまかせているように感じていても、自分の本質や、本当の望みに背を向け続けていると、エネルギー的な歪みが生じ、様々な現象として表れてきます。ストレスやイライラといった違和感は最初の兆候で、更に抑圧を続ければ、人間関係のトラブルや経済的困難、怪我、事故、病気といった出来事として現象化することもあります。表れ方は様々ですが、真実を隠そうとすれば最初にエネルギー的な不調和が生じ、それが現象として表れる、という流れは社会全体でも個人でも同じことです。今までも、そうした現象は起こっていましたが、今とこれからの時代は、その表れ方がますますスピーディになり、そして大きな現象として表れやすくなっています。

 

 自分にとっての真実を生きる。これは簡単なようですが、とても勇気のいることです。昔から自分を押し殺して生きるのが普通だった人は特に、長く続いた習性を変えるのに強い意志が必要となります。

 ただ、初めは勇気がいっても、踏み出してみると案外スムーズに事が進んだ、ということはよくあります。何しろ真実の方がパワーを持つので、真実に素直に身を委ねた方が、実は物事はしっくり納まるべき場所に納まるようにできているのです。抵抗しているのは、私達の心に潜む恐れや思い込み、古い習性などであって、環境でも周囲の人々でもありません。恐れに基づいた頑なな心をほぐし、少し勇気をもって行動を起こしてみると、意外なほどにあっさりと変化は訪れるものです。

 私達に必要なのは、古い時代、古い生き方と決別する強い意志と、新しい世界へと踏み込む勇気、周囲(特に古い考えに縛られている人々)の視線や言葉をはねつける心、変化を受け入れる柔軟性、そして自分と大いなる力に対する信頼です。

 

 

 私も含め、我が家でも特にここ数か月、様々な変化が起こっていますが、エッセンスにも助けられ、変化に何とか適応し、波に乗ることができています。上手く波に乗ることができると、あとはもう身を委ねて、やってきた出来事に実直に向き合うだけです。私は、人はどんな状況でも、ポジティブに生きることができると信じているので、特に将来に対する恐れや心配は抱いていません。人の幸不幸を決めているのは、起こった出来事ではなく、その出来事に反応している人の心の在り方だと思います。人生に変化はつきものですから、そこにいちいち抵抗していたのでは、心が苦しむだけです。

 今後、更に世の中は変化していき、私達が当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなっていくことがたくさん出てくると思います(良い事も悪いことも含め)。変化に上手に適応し、その都度自分の中のお荷物を手放し、自由に、軽やかに世の中を渡っていけたら、この変革の時代も、喜びと共に、楽しく生きていくことができるのではないでしょうか。

 

 

 自分に嘘をつくのをやめ、自分にとっての真実を生きる決心がついた方は、「Living One's Truth」を試してみることをお勧めします。きっと、たくさんのサポートがやってきて、心の澱をほぐしてくれることでしょう。そして、新しい時代、新しい自分に向き合うことへの抵抗をなくし、スムーズに、たおやかに、変化を受け入れることを助けてくれることでしょう。

 

拒絶したくなった時には

 どうしても苦手だと感じてしまう人と、関わりを持たなければならない場合。バッチの中では、こんな時に対応してくれるものとして「ビーチ」が有名ですが、私はオーストラリアンブッシュの「ボウヒニア」もお勧めしたいです。

 作り手のイアンさんは、アボリジニに案内されてボウヒニアに出会い、エッセンスを作ることにしました。ボウヒニアの下でしばらく瞑想をしていたら、「私を抱きなさい」というメッセージがやってきました。見た目がゴツゴツしていたその樹を、最初は抱く気になれなかったそうです。けれど、そのメッセージが更に強くやってきたので、イアンさんは思い切って抱きしめることにしました。すると、

 

自分が好きではない人も受け入れなさい

 

 という、この花の本当のメッセージがやってきたのだそうです。

 

 私達は、今まで自分が出会ったことのない人や、体験したことのない環境に接した時、最初は抵抗を覚えるものです。人には皆、それぞれ生まれ育った過程で身に着けた固定観念というものが、多かれ少なかれ内在しています。また、変化というものを元々好まないタイプの人もいます。年と共に固定観念がますます強固なものとなり、変化に対する抵抗が強まっていくと、それだけ、新しい概念や人を受け入れることが困難になります。

 ボウヒニアは、そんな状況にいる人に柔軟性をもたらしてくれます。異質なものに接した際のストレスを緩和し、偏見のない心で受け入れることを助けてくれます。

 

 自分と全く生き方が異なっていたり、考え方や行動パターンが理解しがたい人と出会うと、どうしても違和感を感じて拒絶したくなってしまうかもしれません。似たような価値観を持つ人達と一緒にいる方が、はるかに心地良いものです。けれど、もし自分と同じように考え、似たような価値観のもとで似たような発言をする人達ばかりに常に囲まれていたら、どうなるでしょう。おそらく、自分が成長することはあまりないのではないでしょうか。

 

 私達は、他者を見ることで己を知り、自分と異なる人と接することで刺激を受け、成長していくものです。それは、必ずしも自分にとって望ましい人や状況ではないかもしれません。目に優しく、聞こえの良いことだけを提供してくれる人ばかりが、自分にとって最高の教師であるとは限りません。

 

 今自分が接している、とても苦手な人も、自分の見方が変わることで、180度違う反応が生まれる可能性だってあります。その人そのものは変わらなくても、です。

 

 他人を変えることはできませんが、自分を変えることはできます。人生で出会う人や身に起こる出来事に対して、どんな意味づけをするのかは、自分次第です。拒絶してストレスを感じ、挙句の果てに罵詈雑言を吐き出して自らのエネルギーフィールドを汚すのか。受け入れる覚悟を決め、謙虚な姿勢で状況を眺めてそこにあるレッスンを学び、自分の成長の糧としていくのか。どちらの選択をするのかも、自分次第です。

 

 

愛と感謝のエネルギー

 私達は日々様々な出来事に遭遇し、様々な人々に出会います。時には、自分が関わらなければならない人が、あまり気が合わなかったり、受け入れることに抵抗を感じることもあります。

 

 フラワーエッセンスにも、そんな時に役立ってくれるものがたくさんあります。”心の偏見を癒す”エッセンスや、”自分と異なる概念を受け入れる”エッセンス、”他者のネガティブな側面ではなく、ポジティブな側面に目が行くことを助ける”エッセンス、それから”他者との健全な境界線を築く”エッセンス等々。

 

 私が最近特にお気に入りなのが、オーストラリアンブッシュの、「ピンクフランネルフラワー」です。こちらは、「愛」と「感謝」のエネルギーをもたらしてくれるエッセンスです。この二つは、大変波動の高いエネルギーです。今自分が目にしている状況、接している人、自分の身に降りかかっていること、その全てを、「愛」と「感謝」の目で見ることができたら、私達のハートは癒され、ストレスを減らすことができます。作り手のイアンさんは、このエッセンスは、私達が周りを「ピンク色のメガネで見る」ことができるように助けてくれる、とおっしゃっていました。

 なんとこの花は、2004年に40年ぶりに咲いたのだそうです。その話をしていた時、イアンさんは、「今世紀に生まれた子供達は、この世を癒す目的で来ている」ともおっしゃっていました。

 

 愛と感謝。頭では、この二つが本当に必要で、この二つのエネルギーに満たされたいと望んではいても、なかなか実行することが困難なこともあります。ピンクフランネルフラワーは、飲む人が自然な形で、愛と感謝の観点で物事を眺めることができるように、導いてくれます。人生のあらゆる局面で感謝の気持ちを持つことができたら、日々のどんなに些細な出来事に対しても、喜びを感じることができるようになるでしょう。

 

Acceptance~その2

 前回は、自分以外の誰かの選択を受け入れることについて書きました。

 

 それとは別に、私達は、自分自身の身に降りかかった出来事を受け入れることを、困難に感じることがあります。

 

 この世には、自分で変えられる領域と、変えられない領域とが存在しています。変えられる領域は、意図して行動すれば、変わっていきます。けれど、どうしても変えられない領域については、私達は降伏して受け入れるしかありません。私達が煩悶するのは、大概、変えられない領域のことを諦めることができない場合です。もしくは、変えられる領域に踏み込んでいく勇気がなく、躊躇している場合です。

 

 起こるべくして起こる出来事は、とめられません。この世は変化していくし、私達も変化していきます。不変の法則が働いているので、永遠に同じ状態が続くことなどありえません。変わっていくこと、変わってしまったこと、期待通りに進まなかったこと、失いたくないものを失ったこと、災難が降りかかったこと。変えられない領域で起こった出来事は、神の領域です。悲しいけれど、辛いけれど、受け入れることでしか前に進む術はありません。

 起こった出来事に抵抗して、「こんなこと起こるべきでなかった」とか「どうしてこんなことが私の身に降りかかったのか」といった思考でグルグル回っていると、同じところでストップしたまま、成長もなければ平穏も得られない状態がずっと続きます。

 

 私達は、変えられない領域に対しては無力ですが、変えられない領域で起こったことに対する、自分の見方を変えることはできます。私達の内面の状態は、私達の領域です。自由で、柔軟で、可能性に満ちています。変えられないと思っているのは思い込みで、意地だったり怒りだったり、恐れが邪魔をしているだけで、本当はいくらでも変えることができます。

 それから私達は、変えられない領域で起こった出来事から学び、そこを踏み台にして飛躍することもできます。それには、まず初めに抵抗をやめ、拒絶ではなく受容の状態に自分をもっていかなければいけません。

 

 性暴力のトラウマから立ち直った女性達について、アメリカの心理学博士であるジュディズ・ハーマン女史は、次のように書いています。

 

『しかし、私たちははっきり知っているのである。もっともよく回復する女性とは、個人に降りかかった悲劇という枠を超えてみずからの体験に何かしらの意味をみいだす人たちである。いちばんよくみられるのは、この意味を他の人たちとともに社会運動に加わることにみいだす女性たちである。』

~ジュディズ・L・ハーマン著「心的外傷と回復」みすず書房 より抜粋

 

 どんなに悲劇的な出来事に見舞われても、人は本来、そこから立ち上がる可能性と、パワーと、道を用意されているのではないかと思います。私達は、起こったことを受け入れ、そこから何が学べて自分に何ができるかを判断する、謙虚さと冷静さ、そして柔軟性が求められています。

 

 たくさん泣いて良いと思います。何リットルでもいいから一通り涙を流したら、あとは一度ゼロになってみて、自分がどんな状態で今後の人生を生きていきたいかを考える。そこは、私達に委ねられている領域です。

 

Acceptance

 アンジェリックエッセンスの”Acceptance”。解説には、次のようにあります。

 

『受容。人生をありのままに受け入れる。他者や状況を変えたくなる衝動を解放します。ありのままを十分に受け入れ何も間違ったものなどないのだと気づかせてくれます。何かが間違っていて変える必要があるのだという思い込みを解放します。内なる自由をもたらします。』

 

 この、「受け入れる」というテーマほど、私達が葛藤し、苦悩し、困難に感じるものはないのではないかと思います。受け入れられたら楽なのだろうけれど、それができないから悩むわけだし、苦しいわけです。

 

 特に自分と関係が近かったり、思いを強く抱く相手ほど、自分の理想の姿でいてほしいと望んでしまうものだし、期待と異なる言動をされた時に、動揺したり時には怒りさえ覚えてしまいます。関係が近ければ近いほど、思いが強ければ強いほど、期待も大きくなるし、それと同時に動揺や失望も大きくなります。つまりそれだけ執着が強いから期待というエゴも強くなるわけです。とはいえ、家族のような間柄だったら、執着を完全になくすことは難しいので、期待しないでいるなんてそもそも無理なのかもしれません。

 

 家族や特別な間柄には、その関係性の中に何かテーマがあるものです。お互いが共鳴し、影響し合いながら、学び、気づき、成長していく契約のようなものが事前に定められているようです。そういう関係性であれば、自分が相手に対して負う責任や、なすべき仕事があったりします。大抵、本当に必要な言葉や行為というのは、自然な形で生じるものだし、相手にもストレートに響くものです。なすべき仕事は、自然な形でなされることがほとんどです。

 その一方で、自分が本当に負うべきではない仕事、自分が本来求められていない役割というのは、相手にも受け入れられません。あれこれお世話を焼いたり、アドバイスをしてあげたり、手を貸してあげたくなったとしても、本来自分がやるべき仕事でなければ、それは相手にとって必要なことではないので、拒絶されたり抵抗されたりします。

 

 私達に"Acceptance"が必要なのは、そんな時です。自分がその”仕事”をする立場ではないこと、相手が自分にそれを求めてはいないこと、少なくとも今は、そのタイミングではないこと。そうしたことを受け入れ、身を引く。難しいことですが、自然な形で進まないことは、そこに何か摩擦が生じているのです。

 

 相手の選択を受け入れ、リスペクトする。私だったらこうするのに、というエゴの観点を手放す。葛藤があるかもしれませんが、相手の選択をリスペクトできるようになると、”何も間違ったことなどない”という事実が、染み渡るように理解できるようになります。

 

 自分がなすべきことと、そうではないこと。その違いを賢く見極めることが、受け入れることへの鍵となるように思います。

 

 

新年を迎えて

 新しい年になりました。皆さま今年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年も、多くの方にうぶすなをご利用頂き、ありがたい限りでした。まだまだ未熟者の私ですが、うぶすなをやりながら、自分自身もたくさん学ばせて頂いております。私生活では、反抗期の子供に手を焼く一主婦でもあり、他の方々と同じように悩み、迷い、反省をしながら進む日々です。一生勉強、一生前進をモットーに、今年も謙虚に学び、成長していきたいと思います。

 

 こんなことをやって誰か来てくれる方がいるんだろうか、と思って始めたうぶすなですが、今年でいよいよ5年目になります。この5年の間に、うぶすなを始めなかったら出会っていなかったであろう方々と出会たことは、私にとっても得難い経験でした。

 中には、何年もかけてご利用くださっている方や、何度も何度も足を運んでくださる方もいらっしゃいます。うぶすなを訪ねてくださるお客様が、フラワーエッセンスの力を借りながら、ポジティブに変容されていく姿を見るのは、本当に喜ばしいです。

  そういう方々を拝見して、私は、ポジティブに変わっていく人には共通点があると感じています。それは、「謙虚さ」と「変わろうとする意志」、それから「自分に向き合う勇気」です。特に謙虚さというのは、人が成長するために欠かせない要素だと思います。己の小ささを知り、未熟さを認め、学びの過程にいるということを受け入れることで、今目の前にある課題や、自分が向き合うべき問題が明確になります。謙虚さがなければ、自分が何に向き合えば良いのかが見えてこない(見ようとしないだけなのですが)ので、上手くいかないことやトラブルを他人のせいにしたり、運命を呪ったりすることになりがちです。

 「変わろうとする意志」は、当然ですが、これがなければ物事はなかなか動きません。まずは、「変わろう」と決心することが、変化が起こる原動力になります。そして、受け身の姿勢から「自分次第で変わることができる」と心持が切り替わることで、未来に対する希望が湧いてきます。そうなると自然に、自分が為すべきこと、取るべき行動が明確になります。変わるも変わらないも自分次第、変わろうとして努力すれば、状況はいくらでも変化していく、という真理に確信が持てるようになれば、もうこっちのものです。このからくりを信じることなく、物事は変わることがないと、諦めてしまっている方がとても多いのが残念です。

 それから「自分に向き合う勇気」ですが、これもなかなか難しいことです。謙虚さにも結び付くことですが、今ある苦しみの原因は己にあるということを受け入れるには、最初は抵抗を感じるものです。そして、そこを受け入れた後、誰もが一番見たくない、自分の内側を見つめるという作業が待っています。フラワーエッセンスは、この作業をスムーズに進めるのを助けてくれます。気づきを促し、気づきを加速させ、その時に生じる埃やゴミを素早く浄化してくれます。

 

 難しいことのようですが、上に挙げた3つさえあれば、逆に自分が進むべき道や取るべき行動がクリアーになるので、様々な問題が解決しやすくなります。要は、受け入れられるかどうかだけです。ポジティブに変わっていく方々は、物事や真理を受け入れる許容があり、柔軟性が高いと感じます。そしてとても謙虚です。謙虚だけれど勇気があります。真の強さを持っていらっしゃいます。私の方がパワーを頂いていると感じるくらいです。そういう方は、フラワーエッセンスとの接し方も心得ていらっしゃって、決して全てをエッセンス頼みにはしませんし、上手くいかないこともエッセンスのせいにはしません。高い山に登る時、防具やステッキに助けてもらうように、自分の歩みの支えとなってくれる助っ人として、エッセンスを利用されています。

 

 

 こうしたことは、私自身も、フラワーエッセンスを使いながら、様々な気づきを経てわかってきたことで、最初からちゃんとできていたわけではありませんでした。今も、毎日様々な気づきがあり、反省があり、お客様にも教えられ、日々学んでいます。

 

 謙虚さといえば、若い頃の私は謙虚とは程遠い状態でした。思い出すのも恥ずかしいほど、謙虚ではありませんでした。その頃と比べると、今はだいぶ謙虚になったとは思いますが、それでもまだまだです。ただ、以前よりは謙虚になったことでわかったのは、人は謙虚になった方が実は楽だということです。それから、謙虚になればなる程、サポートがやってくるということも知りました。物理的なサポートに限らず、見えない世界からのサポートも、謙虚な人の所へやってきます。謙虚になるのは難しいことですが、それだけの価値があります。

 

 今年も謙虚さに磨きをかけるべく、日々邁進していこうと思います。