アクシデントはありがたい!?

 数日前、携帯(スマホ)が突然壊れました。画面が真っ暗で、うんともすんともいいません。携帯が突然使えなくなると、今までいかに携帯に頼った生活を送っていたかということに気づかされます。朝起きたらお天気のチェックにニュースチェック、バスの到着時刻を調べたり、晩御飯のレシピを調べたり、ふとした疑問を感じた時に検索してみたり・・家族や友人との連絡も、ほとんど携帯に頼っているので、それが全く使えないとなると恐怖すら感じます。

 壊れてしばらくの間は動揺していたのですが、ふと、「これは、普段あまりに携帯に依存しすぎていることへの警告メッセージなのではないか」という思いが湧きあがってきました。実は少し前に、私は自分が「最近携帯ばかりいじってるかも」ということをうっすら感じていたのです。スマホは大変便利であるがゆえに、使いすぎるとどんどん依存してしまう魔力があります。子どもが話しかけている時にも携帯をいじりながら聞いてしまったり、一日に何度も何度も画面を見る癖がついてしまったり・・そうした状況が、自分でも「これはあまり良いことではないな」と感じていたのです。

 そのように感じた時に、行動を改めていたら、もしかしたら今回の”故障”という現象はおきなかったかもしれません。

 

 私たちに何かを訴えるメッセージとしてこういった”現象”がやってくることは、普段気づかないことが多いのですが、実際にはよく起こっていることです。今から何年も前のことですが、私は自分の自我意識の声を聞いてしまい、自分本来の人生から逸れそうになったことがありました。心の奥では、『これは本当に自分が望んでいる道ではない』ということが解っていたのですが、その時には自我(エゴともいいます)の声を優先させてしまったのです。最初のメッセージは、”お皿を割る”という形で現れました。洗い物をしていた時に、手が滑って大切なお皿を割ってしまったのです。パリーンという音と共に、「あ、これは、このままでは良いことがないというお知らせかな」と直観で思いました。それでも私は、せっかくやってきたメッセージを無視して自我意識を優先してしまいました。すると次に何が起こったかと言うと、”車をぶつける”という現象を引き起こしてしまいました。さすがにその時点で、「これはこのままいったらもっと良くないことがおこるな・・」と察し、やっとエゴの声をかき消して本来自分が進むべき道を選ぶ決心をしたのでした。

 

 自分にとって望ましくない、ネガティブな現象というものは、ある時突然大きな出来事として起こる前に、実はもっと小さな「ちょっとした警告」程度のレベルから先に起こり、私たちが早い段階で軌道修正できるよう、繰り返しお知らせしてくれているものです。それはちょっとした体調不良であったり、物が壊れるという事象であったり、怪我をすることだったり、時には子どものアクシデントという形で現れることもあります。子どもは時として自分が身代わりとなり、親に大切な学びを伝えることがあるのです。

 そういった形で何かが起こった時に、「ハッ」としてメッセージに気づき、今自分が歩んでいる道が果たして本当に自分の為になることなのかどうか、心の声に従っていることなのか、考えを改めて行動を変えていけば、こうした警告の意味をもつネガティブな出来事というものは、もう起こらなくなります。反対に、そうしたメッセージを無視し続け、自我の声を優先させた言動を取り続けていると、こうした”警告”はどんどん大きな事象となって現れるようになっていきます(大きな怪我や大きな事故、大病など)。今回携帯が壊れた後に、私が考えと行動を改めずにそれまでと同じことをしていたら、もっと大きなアクシデントが身に降りかかっていたかもしれません。

 

 ネガティブな現象というものは、一見自分にとって好ましくない、できれば避けたい出来事であるように見えますが(もちろん、起こらないに越したことはありませんが)、実はその裏側にある本来の意味に気づいた時、人生をより輝かせる為の最善の道を教えてくれる、愛のあるメッセージであることがわかるのです。

 

 ちなみに携帯は無事新しいものと交換できましたが、今後は依存傾向に陥らないよう、適度な距離を置いて付き合っていこうと思っています。