同じタイプの人を引き寄せてしまう時には

 ――相手の中に、自分をみる――

 

 最初は、この定義を受け入れることに抵抗を感じるかもしれません。誰もが、自分自身を知ることに対して恐れの気持ちがあるからです。自分の中の闇の部分に向き合うことは、尚更です。自分の弱い部分、足りない部分、学ぶべき課題には、なぜか顔をそむけたくなってしまうのです。

 自分が”完璧”な人間になろうとしている人や、ならなければならないという強い思い込みがある人ほど、自分の欠けている部分に向き合うことに抵抗を覚えるようです。

 

 他人を見る時には、その人が持っている「フィルター」を通して見ています。例えば、自慢話が大好きなAさんという人がいたとします。Bさんは、Aさんのことを「いつも自慢話ばかりして、まったく鼻につくわ」と感じています。一方Cさんは、Aさんのことを「自慢話ばかりしていて、子供みたいに無邪気でかわいいわ」と感じています。Aさんの同じ振る舞いを見ている2人ですが、BさんとCさんでは、持っている「フィルター」が違うので、捉え方や感じ方が違うのです。

 

 この「フィルター」の部分が、その人の持っている「思い込み」や「信念」ということになります。

 

 ですので、他人の言動や振る舞いに対して自分がどのように反応しているかを知ることは、つまりは自分の中にどのような思い込みや信念があるのかを知ることになるわけです。

 

 私達は、自分自身を知るという重要な課題を携えて、この世に生まれてきています。他者に対する自分の反応を感じ、自分を内観し、受け入れる。こうしたレッスンを一つ一つこなしていくことが、自分自身を知るためには最もわかりやすい方法で、また近道でもあると思うのです。ところが、多くの人が自分に向き合うこと自体に抵抗を抱いているので、自分が苦手だと感じる人に対してはひたすら拒絶したり、刺々しい感情を向け続け、自分を見つめることを避けようとしています。

 相手を拒絶し、認めないままでいることもできます。ただひたすら、嫌悪感を抱き続けることも可能です。けれど、もしその”受け入れない”でいる状態がいつまでも続いたとしたら、自分が”受け入れられない”と感じる人を、いつまでも引き寄せ続けることになるでしょう。自分自身の学ぶべきレッスンが終了しないうちは、繰り返し繰り返し、似たような人が自分に引き寄せられてくることになります。

 

 学生時代、とても苦手な先生がいたとします。細かなことにいちいち口うるさく注意をし、行動を縛ってくるようなタイプの先生です。嫌悪感を感じ、早くこの先生から離れたい、といつも願っていました。毎日耐え続け、ようやく学校を卒業することになりました。ああやっとあの嫌な先生から離れられた。ホッとして、自分がやっと自由になれたように思いました。

 それからしばらく経って、就職することになりました。新しい職場で自分の指導役に就いた先輩。細かいことに口うるさく注意をし、自分の言動を厳しくチェックをしてくる、何とも嫌な先輩でした。自分が縛られているような感じがして、一日でも早くこの先輩から離れたいと願いました。嫌悪感を抱きつつも一年耐え続け、ようやく異動のおかげで、この嫌な先輩から逃れることができました。羽が生えたように自由を感じました。

 結婚して会社を辞め、子供ができ、やがて子供が学校に通うようになった時。PTAの活動を引き受けることになりました。自分が引き受けることになった係の中に、とても嫌な人がいました。偉そうに、細かなことにいちいち口を挟んでくるような人でした。そんな権限もないはずなのに、同じ係をしている自分の言動に対し、威圧的な態度でいちいち批判してきます。自分がその人に縛られているような感じがし・・・

 

 この辺りで、ハッと気づくかもしれません。自分はこれまでの人生の中で、似たようなタイプの人を引き寄せ続けていたということに。

 

 この時に選択肢は二つあります。今までのようにその嫌な人をひたすら拒絶し、その人も、そしてその人を非難している自分も認めずにいるか。それとも、自分がなぜそのようなタイプの人を引き寄せてしまうのかを知るために、内観をするか。

 最初の選択肢をとれば、もうお分かりのように、たとえその人から離れられたとしても、近い将来また似たようなタイプの人がやってくるでしょう。今回は、勇気を出して二つ目の選択肢をとることにします。

 今まで自分が引き寄せてきた「嫌な人」のタイプを分析してみると、「自分の言動に細かく口出をし、縛ろうとする人」であることが解りました。自分は、そのような人に強い拒否反応を感じるようです。ここにある自分の信念や思い込みとはなんだろう。自分は、何を恐れているのだろう

 ハートに聴いてみたところ、自分の中に、「自分を縛り、監視されること」に対する恐れがあるということに気づきました。自分らしさを出して、自由に生きたとしたら、誰かに咎められるのではないか、非難されて傷つくのではないか。そのような思い込みがあることもわかりました。 

 

 まずは、そのような恐れを抱き、思い込みをしている自分に①気づく、というのが最初のステップです。そしてその次に、②そんな自分を認め、受け入れるというプロセスを踏みます。淡々と、その事実を受け入れます。決して、自分は弱い人間だなどと自分で自分を責めてはいけません。ただ、あるがままの自分の姿に気づき、受け入れ、そして③流します

 

 この、①気づき、②受け入れ、そして③流すというステップを、感情を交えずに淡々と行うということが大切になります。気づき、受け入れ、そして流す。この作業をひたすら続けていると、しばらくしてから不思議なことが起こります。以前あれほど嫌悪感を抱いていたタイプの人達に対して、全く嫌な気持ちを抱かなくなるのです。そして更に不思議なことに、あれほど自分に対して嫌な態度をとっていた人が、なぜか人が変わったように自分に対する接し方が優しくなったりします。

 そしてそのうち、今までパターン化していたある特定のタイプの人を身近に引き寄せることがなくなっていきます。自分が学ぶべきレッスンを終えたので、そのことに気づかせるような人が、もう自分の元にやってこなくなるのです。その頃には、過去に自分を傷つけた人達に対する恨みや憎しみが癒え、それどころか、自分に大切な気づきを与えてくれたその人達の役割に対し、感謝の気持ちさえも芽生えてくるかもしれません。そこには、以前の自分から一段高いステージに移れた、新しい自分の姿があるでしょう。

 

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