ネガティブな感情とのつき合い方

  日々の生活を送っていると、様々な出来事に遭遇します。自分が見ていることは、意識の反映であることは以前書きました。また一方で、自分の目にしていることに対して自分がどう反応しているかに注目することによって、自分の中にどのような信念があるかということを知ることができます。

 

 私たちは長い間、自分の身に起こることの原因全てが外側にあると思い込んできたので、何か不愉快なことが起こると、つい人のせいにしてしまったり、他人を責めてしまいます。

 例えば、お店で買い物をしている時。店員さんが自分に話しかけてきました。その物言いがとてもぶっきらぼうで、何となくイライラした気持ちになってしまいました。通常であれば、この「イライラ」の原因は不躾な店員にあると思い、店員に対して怒りの感情を抱きます。直接怒りの感情をぶつけてしまうかもしれません。

 でも、あらゆる事象は根本的にはニュートラル(中立)です。この場合も、ただ「店員がぶっきらぼうな物言いで話しかけてきた」という出来事が起こっただけです。そこに対して、「なんて失礼な」「信じられない」「許せない」といった様々な思いを発し、「非常に不愉快でいやな出来事」だと位置づけているのは、自分の反応の部分です。

 こうした時に、例えば怒りの感情が芽生えているのを感じたら、意識のベクトルを相手(店員)ではなく、自分の内側に向けてみます。・・・私は今、怒りの感情を生じている。この怒りは何から来ているのだろう。なぜ自分はこの人に対してイライラしているのか。そういったことを、自分に問いかけてみます。すると、何かしら”答え”が返ってくるはずです。もしかしたら、人から侮辱されることに恐れがあるのかもしれません。または、時々同じようにぶっきらぼうな物言いをしてしまう自分のことを、自分が許せていないのかもしれません。もしくは、幼い頃誰か身近な人に乱暴な物言いをされたことが、未だに心の傷として残っているのかもしれません。

 どのような原因があるにしろ、自分の中にまだ癒しきれていないネガティブな部分があるから、「怒り」といったネガティブな反応をしているのです。もし、自分の中が完全に癒されていたら、店員からぶっきらぼうな物言いをされたとしても、ただ「ああ、ぶっきらぼうな物言いをしているな」と中立に受け取り、そこに特別な反応をすることもなく、すぐに流して忘れてしまうはずです。

 

 日々の生活の中で次々と起こる出来事一つ一つにいちいち負の反応をしていたら、とても疲れてしまいます。マイナスの想念が自分の波動を下げ、更に悪い出来事が引き寄せられてくるという悪循環に陥ることにもなります。

 自分の中で湧き起ってくる感情は、全て自分が抱いている信念を受けての反応であると認識できれば、今度はネガティブな感情を客観的に観察することで、「感情」を自分の中にあるネガティブな想念を特定するためのツールとして用いることができます。怒り、憤り、不信感、悲しみ、嫉妬、恐れ、etc..あらゆる負の感情が出てきた時、そこに関わった人はその感情を与えるきっかけを作ったに過ぎません。そのきっかけを作った相手に向けて怒りの感情をぶつけるのではなく、感情の湧き出ている源に目を向けるのです。例え相手に怒りをぶつけたとしても、一時的に気分はスッキリしたかのように感じるかもしれません。けれど根本的な心は癒されないままなので、何となくモヤモヤしたまま、その後も似たような事象を引き寄せることになるでしょう。そして、他人に怒りをぶつけたという行為が『自分が出した波長は必ず自分の元に戻ってくる』というブーメランの法則の働きにより、いずれ何らかの形で自分に跳ね返ってくるでしょう。

 「感情」を自分の内面を浮き出してくれる便利なツールと捉え、感情が湧き起る度に自分の中にある想念をあぶり出すという作業を何度も繰り返していくと、ネガティブな感情に向き合うことも全く怖くなくなります。最初は抵抗があるかもしれませんが、次第に慣れてくると、ネガティブな感情が出てきた時に「ラッキー!また自分の殻が破れるチャンスがきた」と喜びさえ感じられるようになっていきます。実際、このようにしてどんどん自分にとって必要のない想念が剥がれていくと、心も体も軽くなり、とても生きやすくなります。感情の支配から逃れ、感情を使いこなせるようになるのです。そして殻がどんどん破れて素の自分に戻っていくことによって、次第にネガティブな感情そのものが湧き起らなくなっていきます。また更に、ポジティブでいられる状態が長く続くようになればなる程、自分にとって不都合な行為をしてくる人が寄って来なくなり、ますますポジティブな循環が生まれることになります。