料理に「愛」を込めると美味しくなる

 「愛」とは目に見えないものですが、確実に存在しているのだなと実感することは日常でもよくあります。


 赤ちゃんは、「愛」がなければ成長できないのだそうです。


 「愛」を込めて花に水をあげると、花が生き生きします。


 手作りのプレゼントは、「愛」が入っているので暖かく感じます。


 人に淹れてもらったお茶は、自分で淹れるよりも美味しく感じます。(たとえ同じ急須で、同じ茶葉で淹れたとしても)


 「愛」のある眼差しを見ると心が温かくなりますが、「愛」のない眼差しを向けられると、背中が凍りつくような感じがします。



 先日、晩御飯のスープを作っている時に、ふと「この料理に、思いっきり『愛』を入れてみよう」と思いつきました。普段愛情を込めていないというわけではないのですが、今日は特別に「愛」を意識して入れてみようと思ったのです。

 スープに入れる食材を丁寧に扱い、丁寧に洗い、丁寧に切り、心を込めて一つ一つの作業をゆっくり行いました。かき混ぜる時も集中して愛を注ぎ、他のことは考えないようにしました。器によそう時も、愛を込めてよそいました。


 子供にそのスープを出した所、一口すすった息子が「あ、これ美味しい!」と言いました。息子は普段、何を食べても「美味しい」という言葉をほとんど言いません。特別な食材を使ったわけでも、特別な調理法で作ったわけでもありません。何ていうこともない、普段作っているようなシンプルなスープです。

 更に、実は息子はスープがあまり好きではなく、具は食べてもお汁の方はいつも残すのですが、その日のスープはお汁も残らず飲んでくれました。特別に「愛」が入っていると、人は美味しいと感じるものなのだなと思いました。

 

 佐藤初女さんの『おむすびの祈り(集英社文庫)』を以前読んだ時、おむすびを握る時には手から「愛」が出ると書いてあり、確かにその通りだと思いました。機械が作ったおにぎりには、何かが決定的に欠けている感じがします。初女さんは、料理を作る際ゆっくり丁寧に作るそうなのですが、それは「手間をかけるということは、心をかけるということ」だと感じているからなのだそうです。


 普段忙しい中料理の準備をしていると、じっくり心を込めて作ることがなかなか難しいものですが、できる限り「愛」を意識して作ろうと思います。「愛」エネルギーが料理に込められると、それを食べた人にもそのエネルギーが取り込まれるはずです。「愛」のエネルギーは無限なので、使っても使っても尽きることがありません。むしろ、使えば使う程ハートが広がり、自分もその分の「愛」を受け取ることができるようになっていきます。