「嫌な相手」に出会ったら

 自分の知っている人が、ある人を非難しているのを耳にしたとします。話を聞いているうちに、その知り合いが怒りを抱いているある人のある一面について、実はその知り合いにも似たような部分があるなと感じたことはないでしょうか。

 

 「あの人はだらしがない」「あの人は八方美人だ」「あの人は時間にルーズだ」「あの人はきどっている」・・・人のある一面がどうしてもネガティブに強調されて見えてしまうのは、自分自身にも同じような側面があり、そのことを自分で認めたくない状況だということです。

  大抵、自分が目にして不快に思う人や、イライラしたり文句を言いたくなったり、「変わってほしい」と願う相手というのは、自分の内面で自分が許せないと感じている部分を、極端な形で見せてくれています。

 お金にだらしがない人を見るとイライラするとしたら、自分にも実はお金に無頓着な所があって、本当はそこを何とかしたいけれど、敢えて向き合わないようにしていたりします。いつも威張っていて偉そうな人を許せないと感じているとしたら、自分も家では家族に対してそのような態度でいることがあり、それをどこかで感じているのだけれど、そこもまた見ないようにしていたりします。

 

 もし、自分の中に同じような側面がなかったり、あったとしても自分でそれを受け入れられているのであれば、そのような人にお目にかかることがないか、出会ったとしても全く気にならないはずです。

 誰か他の人を強烈に非難している人がいたとしても、自分はその人が思うように批判的に見ていなかったり、「なぜそのように悪く見えるのだろう」と疑問に思ったりすることがあると思います。それは、他人のことは、人それぞれ自分の内面というフィルターを通した目で見ているからです。人それぞれ異なる内面を持っているので、誰かを見る時にそれぞれ違った観点で見ることになり、その結果様々な評価や判断がなされるわけです。ある人がAさんのことを「冷たい人だ」とネガティブに評価しているとしても、あなたにとってはAさんが「落ち着いている人だ」と肯定的に見えたりします。

 

 自分の身に降りかかる事は全て、起こるべくして起こり、出会う人は全て、出会うべくして出会っています。

 

 自分に不快感を与える人が身近にいる場合、イライラが募ったり、相手に何とか変わってほしいとか、早く離れたいと願うものです。けれど、そのような相手こそ、意味あって自分の近辺に引き寄せられていることが多いです。ある特徴的な性格やパターンをその人が表面化して見せることで、そのような一面が自分にもあることに気づかせてもらえるのです。

 相手をネガティブに見ている時に、自分が相手のどの部分に最も反応しているかということを分析してみると、自分でも気づかなかった自分の一側面が見えてくると思います。本当は自分自身が最も手放したいと願っている、けれどずっと認めることを阻んできた、内面のある部分に気づいたりします。そこを手放せばもっと楽になりますよ、もっとあなたらしく伸び伸び生きることができますよ、とお知らせしてくれるシグナルが、”他人を見て湧き上がるネガティブな感情”なのです。