とらわれない生き方を選ぶ

 一体いつから、私達はすっかり自信を失ってしまったのでしょうか。

 

 『自分は非力で価値がなく、弱い存在である。運命には逆らえず、本当の望みなんて叶いっこない。世の中で成功している人は特別に選ばれた人で、自分は成功とは無縁である。満たされていない状態が当たり前で、全てを手に入れることなんてありえない。もしくは、何かを手に入れたら、何かを失うものだから、多くを望んではいけない。』

 

 このような思い込みはありませんか。もしあるとしたら、それはなぜそう思うのでしょうか。それは確かな事実ですか。

 本当かどうかよりも、ただそのように教えられたから、そう信じているだけではないでしょうか。疑ってみたことさえもないかもしれません。

 

『だってそういうものだから』と思うかもしれません。

 

本当にそうなのでしょうか。

 

 私達は幼い頃から、様々な人や媒体から、絶え間なく情報を得てきました。幼い子供ほど柔軟なので、まるでスポンジのように周囲の大人達が言うことを無条件で受け入れてしまいます。そういった情報が真実かどうかはともかく。

 そして、世の中で何となく作られてきた常識や暗黙のルール、決まり事などに縛られてきました。それが本当に私達のためになるものかどうかはともかく。

 更に、常識やルールから外れることは、「罪」や「恥」だという認識を刷り込まれてきました。それが真理かどうかはともかく。

 

 こうしたことを繰り返すことで、制限される感覚が当たり前になっていき、私達の中に恐れや不安が蓄積され、本来持っている無限の力を信じることができなくなっていきました。いつの間にか、自分は非力でか弱い存在だという認識が出来上がってしまいました。

 

 そろそろ、そのような縛りから自由になってもいいのではないでしょうか。もう薄々気づいている人たちがいます。そうした方々は、世の中の一般的な常識にとらわれない生き方を選び、真の幸せとは何かということを実感しています。ほしいものは手に入れても良いのだ、望みは叶えられるものなのだということを確信できています。何より、自分の力を信頼できています。

 それは、そういう方々が特別なわけではありません。誰でも、そのように生きられるのです。ただ、そういう生き方を選ぶかどうか、それぞれが決めているだけです。

 

 今まで教えられたこと、周りの大人達が言っていたこと、どこかで読んだこと、テレビが言っている事、インターネットに流れていること、友達が言っていること、こうしたことにいちいち翻弄される生き方は窮屈です(参考にすることはポジティブな学びだと思いますが)。自分が何をするべきかは自分の内側が知っています。外からの情報に必要以上に振り回され、全面的に判断を委ねてしまえば、自分の本当の望みがみえなくなってしまいます。

 私達は一人一人が個性を持ち、それぞれ異なる目的や使命を抱いてこの世に生まれてきたのですから、自分以外の誰かと同じように生きようとすること自体が不自然で、ストレスを作り出す要因となります。

 誰かが言ってくるかもしれません。「こうした方がいいよ」「ああした方があなたのためだよ」。

 その人は、”私”のことをどれだけ知っているのでしょうか。”私”のことを一番よくわかっているのは、”私”なのではないでしょうか。だとしたら、自分以外の誰かが言っていることよりも、私が感じていること、私の心の声を何よりも大事にして、信じることが、その人本来の生き方といえるのではないでしょうか。そもそも、自分で自分の無限の力を信頼することができなかったら、一体誰が代わりに信頼してくれるでしょう。大抵は、それぞれが自身の抱える事で手一杯です。私以上に、私の力を信じてあげられる人は、他にいません。

 

 自分の心が素直に感じたことを、どれだけ信頼し、貫き通せるか。その勇気と意思力が、運命を切り拓いていくパワーになるのだと思います。