地に足をつけて生きる

 幼い頃の私は、夢見がちで、理想が高く、頭の中で空想の世界を創り上げ、そこで1人遊んでいるような、妄想少女でした。朝起きると、目の前に広がる現実の世界に違和感を感じ、悲しい気持ちになったものです。

 『どうして自分はここにいるんだろう』という思いがずっとありました。本当はもっと美しくて愛に溢れていて嫌なことが何一つない世界がどこかにあることを知っていたので、そこを懐かしむ気持ちと憧れる気持ちが強くありました。そしてそんな美しい世界とはかけ離れた現実世界とのギャップに失望していました。自分が今いる世界は、嘘や悪意やその他汚いものだらけで、自分が理想とする世界とは全然違ってみえました。

 

 現実を見ていると気分が沈んでしまうので、私はよく空想の世界に逃げていました。夢中になる絵や本は、私が夢見ているファンタジーの世界をよく表しているものでした。そうしたものに没頭している間は、現実を忘れていることができたので、束の間の安らぎを感じることができました。

 

 そのような現実逃避的な過ごし方は、だいぶ大きくなるまで続いていました。特に、制限だらけで窮屈な生活が辛くなればなる程(学校生活が苦しい時など)、そのような夢の世界に逃げる傾向が強くなり、周りの世界と自分との間に見えない壁を作って、内なる世界に籠って自分をシャットアウトしていました。表向きはお友達と仲良く遊んでいるようでも、心の中ではずっと孤独感を抱えていました。

 

 大人になり、結婚して子供もできて、だいぶ空想世界に逃げることもなくなっていきましたが、相変わらずこの世での現実に対しては幻滅を感じ、目を背けたいような、受け入れがたい気持ちがありました。別の世界、ここではなくもっと美しい世界に行きたい、という気持ちがどこかにありました。

 もともと夢見がちな私にとって、フラワーエッセンスとの出会いは、ついに憧れていたファンタジーの世界に連れて行ってくれる夢のツールが目の前に現れた!と思わせるものでした。期待に胸ふくらみ、天使や妖精たちの甘いささやきが聞こえる夢の世界を想像し、私は浮かれ喜びました。

 いくつか講習会も受け、そこで、私と同じようにファンタジーの世界が大好きで、現実生活に苦しみを感じている方々にも出会いました。今まで出会った誰とも、自分の描いていた空想世界の話をすることができなかったので、そうした方々と天使や妖精、魔法の話などをするのは楽しかったです。

 けれど、そのような現実とはかけ離れた別の世界の話に夢中になればなるほど、そして自分自身が『そこ』への憧れが強くなればなるほど、私は現実に目を向けるのがますます辛くなっていくのでした。いくら空想話に花が咲いても、理想の世界を熱く語っても、目を開ければそこにあるのは現実の世界です。天使や妖精がいる世界も確かにあるのでしょうけれど、今自分がいるのはこの三次元の地球です。そこで生きているのです。空想の世界、理想の世界に心が引っ張られ過ぎると、現実世界とのギャップに心が苦しくなり、虚しさも広がっていくことがわかりました。

 やはり、軸にするのは今自分がいるこの世界であるべきなんだな、とようやく気付いたのでした。

 

 現実に根を下ろして生きようと心が変わり始め、地に足を付けて生きる決心をすると、それまで気づかなかったこの現象世界での楽しみや喜び、美しいもの、楽しみ、などに目がいくようになりました。今まではとにかく現象世界をなんでも否定する考え方だったので、美しいものがあったとしても、気が付かなかったのだと思います。相変わらず地球には戦争や犯罪や虚偽や悪意がたくさんありますが、それらを目にしても、以前ほどネガティブに自分が反応しなくなっていきました。そうした現象もひっくるめて、この世界を受け入れられるようになりました。地に足をつけて生きるということは、こういうことなのだなと思います。

 

 今目にしている現象を、否定も肯定もしない。ただ受け入れる。まずそれができることが、理想の社会を作っていく上で最も必要な、初めに行うべきステップなのではないかと思います。ジャッジをしない、目をそむけない。それができて初めて、そこから自分の理想とする現実を築き上げていけるような気がします。なぜなら、何かを否定してしまうと、そこにネガティブな念が生まれて、そのエネルギーが心を汚し、行く手を阻むからです。また、肯定しすぎることも、慢心や傲慢さを生みます。執着となることもあります。

 己を見つめ、成長し、現実を切り拓いていく学びを体験しようと、この地球を選んで生まれてきたのですから、今ある現実を否定することは、自分の学びの機会を否定することになります。かつての私がそうだったように、つらい時は空想の世界に逃げたくもなるかもしれません。こことは違う世界を夢見てしまうかもしれません。けれど、束の間の逃避行から戻れば、そこには現実があります。現実を受け入れ、己を見つめることをしないで魂の成長はありえません。

 現実を受け入れ、向き合うことができるようになっていけば、長年の垢も剥がれて、素直な自分になっていきます。曇りがなくなれば、目の前に広がる世界を、自分の好きなように味付けするゆとりが生まれます。そうなったら、この世で生きることが苦行ではなくなり、遊びとなるでしょう。生きることが喜びになるのです。

 今は、このように人生を遊んでいる人がたくさんいます。軽やかに人生を歩んでいる方ほど、心の内がきれいで、何にもとらわれていません。自分も他人も否定していません。余計なことにエネルギーを注いでいないので、軽やかでいられるのです。心の身軽さ、これが人生を楽しむ秘訣です。

 全てを受け入れ、地に足をつけて、与えられた場所で目いっぱい楽しんで生きる人が増えたら、地球はもっともっと楽しい星になるのではないかと思います。