魂レベルで過去から自由になる

 今現在、自分の中で浮上している問題や悩みの根源をさぐっていくと、これまであまり関連付けてこなかった自分の『生い立ち』と深く関係していることに、多くの方が気づき始めているようです。

 

 育った家庭などの生育環境や、成長過程で経験したことや見聞きしたことが、自分の価値観や人生観を形作っていきます。特に幼少期、なんでも素直に吸収していた頃の影響が、今の自分の物事の捉え方や生き方などに大きく影響しています。この時期に、父親や母親によって多くの価値観の刷り込みを受け、それが大きくなった今でも自分の中で呪縛となり、行動を起こす足かせとなっている場合があります。そもそも、自分がそのように洗脳された状態であることに気づくこともないまま過ごしている方も多いと思います。

 

 私はもしかしたら、親の影響からいまだに抜け出せずにいるかもしれない、私が本当に幸せになるためには、親の呪縛から逃れることがカギだ、ということに気づかれた方は、その気づきが大きな原動力となって、人生の洗い直し作業を始められるようです。フラワーエッセンスのような浄化をサポートしてくれるツールに出会うのも、その流れだと思います。

 

 このように、ご自身の過去に向き合い、両親(特に母親)から受けた価値観の制約から逃れたい、その時からずっと抱えてきた鬱屈した感情を解放したい、と強く望まれる方に、たくさんお会いしてきました。

 フラワーエッセンスは、そうした感情の解放をスムーズに行うことを助け、浄化の過程で味わう苦しみを和らげてくれるものです。気づきも促してくれるので、心の幅も広がり、人間として一段と大きくなれるチャンスを与えてくれます。

 

 『過去からの呪縛』という課題を抱える方は、多くの場合、初めはご両親を責める気持ちが強く出るようです。あの時親からあのようなことを言われなければ、あのような対応をされていなければ、今私は苦しまずにいられたのに。あのような環境の家庭で育っていなければ、私はもっと自分らしく生きてこられたはずなのに。あのように親の都合で道を強要されなければ、今とは違う人生を歩むことができたのに。

・・過去を振り返って、「あの時~であれば」のような捉え方で人生を眺めてしまうと、そこに絡んでいた親の存在を責めたくなり、親を恨んだり憎んだりしてしまうものなのかもしれません。私がこうなったのはぜんぶ親のせいだ、と思ってしまうのかもしれません。

 

 確かに、物心ついた時から自分の価値観に大きな影響を与えてきた親の責任は大きく、自分の基盤を作ってきた存在であることに違いありません。私自身も、かつては自分の苦しみを親のせいにしたこともありました。

 

 けれど私は最近思うのです。周囲の大人達によるコントロールや価値観の刷り込みを経て、その後の人生で自分らしさを失い苦しむ。しかしそこで大きな気づきを得、過去から解放される道を選び、価値観の呪縛を自らの力で解く。過去から抜け出して自由と解放感を味わう。何ものからも縛られない、完全に自由で純粋な自分の姿に戻り、そこから再スタートを切り、人生を再び生きはじめる。今度は喜びと共に。

 こうした一連の流れを、予め選択してこの世に生まれてきたのは、他でもなく自分なのではないかと。

 

 束縛から自力で這い出し、呪縛から解放される喜びを知り、己の力の強さに気づき、人生を望むものに造り直していく。その過程そのものを、初めから望んで生まれてきたのではないかと思うのです。『とらわれから自由になること』が、人生の課題の1つだったということです。そのためには、まず最初に『とらわれている自分』を造り出す必要がありました。親との契約で、ある一定期間、自分を価値観で縛ることを望んだのです。「望んだ」というと、「そんなこと私は望んでいない!」思われるかもしれませんが、ここでは魂レベルでのことをいっています。

 

 また、様々な価値観を子供に押し付けた親自身の学びもあったと思います。意識的に押し付けたわけでなくても、親としての行動や子供に対する対応、発した言葉などで、子供の感情面・精神面に与えた影響は大きいです。そのことによって、自分に何かしらの形で返ってきたことがあると思います。良いことも悪いことも含め、そうした経験から学ぶことが、親自身の課題でもあったのです。

 つまり、お互いがお互いの学びとなるために、親として、子供として生まれることを選んだわけです。自分の深い部分では、そのことを知っているはずです。これは、ご自身とお子さんとの関係でも同じことです。

 

 更に、物事を魂レベルでみるようにすると、自分が抱えている課題や問題の原因を、今回の人生で生まれてから自分が経験したことだけに限って探ろうとしなくなるので、特定の人や出来事だけをずっと責め続けることもなくなっていくと思います。

 例えば私の例でいいますと、私は長年、「自分が本当にやりたいことや伝えたいことを、権力を握っている人に頭から非難されたりして妨害され、そこでひるんでしまい、意思を貫けなくなる」というパターンを繰り返してきました。幼い頃は、両親が自分にとっての権力者でした。学校に行ってからは、強い威圧的な先生がそうでした。更に、学生時代も、自分より弁が立って意思表示がハッキリとしている人が苦手で、そうした人によく論破されては落ち込んでいました。就職してからは、カリスマ性があってお局的な権力を握っている人に目をつけられ、自分の言うことをきかせようと今でいうパワハラのような扱いを受けたことが複数ありました。笑ってしまうようですが、子供の学校のPTA活動でも、このような強いタイプの人の攻撃のターゲットとなってしまったことがあります・・数を挙げればキリがない似たようなパターンが、つい最近まで続いていました。

 まるで自分が被害者であるような書き方をしてしまいましたが、根本では、自分の奥深い部分に刷り込まれている思いグセのようなものが、パターン化した現象を引き起こしてきたということを、今となっては100%確信しています。誰のせいでもなく、私自身がそのような体験を自ら引き寄せたのです。(私が自分というものを過信しておごり高ぶることがないよう、常に謙虚さを持って他人の意見を大事にするよう、戒める意味もあったと思います)

 そして、そのような魂の思いグセのようなものは、今世に限らず、数々の転生を繰り返す中で刷り込まれていったように感じています。そもそも、今世に生まれてからの出来事は、生まれる前から自分が持っていた魂のパターンや、DNAに染み込まれた先祖代々からの伝達事項のようなものの影響を強く受けています。また、同じ時代を生きている人々が共有している、集団意識の影響もあります。自分が生まれた家庭や生育環境は、このパターン化したループから抜け出すという学びを得るために自ら選んだ、最適な環境だったはずです。

 

 今の私は、両親を含め今まで出会った人々の誰1人をも責めていません。全ての人との関わりが、魂を成長させるため、学びを得るためのものであったのだなと、心から思えるからです。かつては両親のことを責め、厳しい言葉で過去の恨みを吐き出したこともありましたが、今となっては両親のことを非難した自分の行動を反省しています。自分が選んだ人生なのに、人のせいにするなんておかしいことです。そして、親を責めていた頃には気づかなかった、親が与えてくれた愛に目を向けられるようになりました。きれいごとではなく、感謝の気持ちで満たされています。何かの原因を自分ではなく他者のせいにしている間は、その人の良い面には目がいきにくいようです。

 

 人との関わりの中で自分の内面を見つめ、気づき、成長するという学びは、今現在も進行中です。けれど、心の浄化をどんどん進めていったおかげか、最近は自分が苦痛を感じるような人とは、だいぶ出会わなくなってきました。出会ったとしても、すぐに去っていきます。または、そうした人を見た時にも、かつての自分のように動揺しなくなってきたので、感情的に楽です。

 何年もエネルギー的なヒーリングを受けたり、過去の深い部分から癒し、浄化してくれるエッセンスをいろいろ飲んだことも大きかったかもしれません。魂のクリーニングが行われたのだと思います。人生の苦しみや悲しみ、恨みや憤りも、根底にある「愛」に気づけば、全て許せるようになるのだということを、私は自分の経験を通して教えてもらいました。