人生のかじ取りは自分で

 私がフラワーエッセンスを使い始めた頃と今とでは、エッセンスに対する認識が少し変わったように思います。

 

 初めの頃は、エッセンスのことを、どんな願いでもかなえてくれる、魔法のツールのように感じていました。エッセンスに頼り、エッセンスをあてにし、エッセンスに委ねていました。

 実際、エッセンスを飲んできたおかげで様々な気づきが起こり、浄化も行われましたし、意識が変わったことで人生も良い方向に進んでいったことは確かです。けれどそういった一連の流れが起こったことの大元の原動力となっているものは、エッセンスの力というよりも、私の生命を保持し、絶え間ないエネルギーを注ぎ込んでくれている、根源的なパワーであるように感じています。自我意識からのとらわれから解放されたい、宇宙の真理に目覚めて意識の覚醒を目指したいという私の深い部分からやってくる願いが、意思の力となって人生を動かし、不要なものを振り落していったのだと思います。エッセンスのようなツールを手繰り寄せたのも、この意思のパワーがさせたことなのでしょう。

 

 エッセンスは、執着から解放されて本物の自由を得たいと望む人にとっては、大変頼もしいサポートツールです。なぜなら、自分本来のものではない、自我や執着心をどんどん剥がしていってくれるからです。エッセンスを飲んで人生が良い方向に変わるというのは、今までとらわれていた心の重荷がなくなり、意識が浄化されるために、意識の投影である現実世界に変化が表れたということです。無意識レベルで浄化が起こることもありますし、一つ一つ気づかせる場合もあります。

 エッセンスを飲んでいる方々を見ていて感じるのは、エッセンスが何とかしてくれるだろう、とエッセンスに頼りきってしまい、自分の意思の力で変わろうとする力が弱い人は、あれこれといろいろなエッセンスを飲んでいても、根本的な意識の変化が起こりにくい、ということです。(そしてそのような方は、フラワーエッセンス以外にも様々なグッズやヒーリングをあれこれ試される傾向があるようです)

 そして、思うような”結果”が出なかった時に、エッセンスのせいにしたり、自分以外の誰かのことを責めたりします。

 

 その一方で、エッセンスには助けてもらうけれども、私の人生を動かしているのは私自身である、という認識をもっている人は、謙虚で気づきのスピードも速く、意識の変化が起こりやすいです。そして不思議なことに、エッセンスもそのような方により大きな恩恵を与えてくれるように感じています。

 

 そもそも自分の人生を創造しているのは自分自身なのですから、変わりたかったら自分が本気で変わろうと決心しない限り、いつまでも同じパターンを繰り返すことになります。それは、エッセンスを何百本飲んでも同じだと思います。逆に、エッセンスの力を借りなくても、意思の力で人生を変えていくことも当然可能です。エッセンス以外のサポートを受ける場合もあるでしょうし、とにかく使うツールは二次的なものでしかありません。

 

 意識の覚醒を本気で目指すのであれば、あらゆる執着を手放す覚悟が必要です。その根本的な覚悟の部分で、まだそのタイミングではなかったり、勇気がなかったり、未練があったりすると、どんなサポートツールを使ったとしても、本当の意味での変革は起こらないと思います。自分の内側に目を向け、内側をきれいにしていくこと以外本質的な幸せの道はないのに、自分を変えてくれる存在を外側に求め続けていると、占いやチャネリングやヒーリングを渡り歩く、”スピリチュアル難民”になりかねません。表面的な変化は起こるかもしれませんが、深い部分では何かがくすぶり続けると思います。心の中に執着がある限り、真の幸福感というものは得られないからです。イエス様やお釈迦様のような覚者は、執着心から解放されていたからこそ、あそこまでのエネルギーを放ち、常に至福の状態でいることができました。

 

 この世道場は、一つ一つ執着をはがし、意識を高めて真理に気づいていく道のりそのものであるようです。執着から解放されていくと、心が軽くなり、自由を得、迷ったり恐れたりすることがなくなっていきます。エッセンスは、そのような覚醒の道をサポートしてくれる頼もしいツールではありますが、根本的に『己』を動かしているエネルギーはまた別のもの、と私はとらえています。