エゴと恐れの甘い罠

 目の前に広がっている現実が、自分が本当に望んでいるものとは違っている場合。

 現実は自分の内面を反映しているものなので、現実に満足できていないということは、今の自分が本当の自分にどこかで嘘をついているということです。本来の自分とは違う波動を発しているということです。

 

 私達は毎瞬毎瞬、一つ一つの動作をする際、いちいち意識はしていないかもしれませんが、「選択」をしています。朝何時に起きる、どの服を着る、朝食に何を食べる、髪をどのようにセットする、何時に家を出る、どの交通手段を使う、etc...日常的な動作はもちろんのこと、どんな仕事をするか、誰と会うか、何を話すか、どの本を読むか、何を聴くかといった一つ一つの行為も、全て自分が選んで行っています。「いや、人にそうしろと言われたからやっている」と言う場合でも、その人の口を通して言わせているのは自分であり、無意識レベルで「そうなる」ことを選択しています。(ですからどんなことでも、自分の身に起こったことは他人のせいにはできないのです)

 

 どんな選択をしようが、どんな人生を歩もうが完全にその人の自由なのですが、一つ一つの選択を行う際に、その選択がエゴ(自我意識)に基づいたものなのか、真我に基づいたものなのかという部分で、自分に跳ね返ってくる結果の満足度が全く違ってきます。 

 我欲に基づいた選択をすれば、それなりの結果が戻ってきます。エゴの虜になっている場合、大抵途中でそのことに気づかせる何かしらの出来事が起こるものですが、エゴが肥大化していると、そこにも気づかずスルーしてしまい、後々更に大きな事象として痛い思いをすることになります。そのような事例は世間を見ていたら枚挙にいとまがないので、わざわざ自分が体験しなくても教訓として見ることができます。

 

 一見エゴに基づいていないように思える選択でも、根底にあるものが「恐れ」である場合、やはりこちらも本当の意味で満足のいく結果は受け取らないようです。例えば、何を食べるかという選択をする場合、心と体の声を聴き、「本当に自分が必要としているもの」を食べるのが真我により近い選択となります。その一方で、「本当はこれが食べたいんだけれど、病気になるのが嫌だから、あれを食べる」といった選択は、順番としては恐れが先に来ているので、心と体が本当に必要としているものを選ぶ妨げになることがあります。自分の深い部分では、何を食べるべきか知っているのに、恐れが邪魔をしてその情報を遮断してしまうのです。

 そうした選択を積み重ねていけば、心と体が欲しているものとは違うものをどんどん取り込んでいくことになり、やがてそのような状態自体がストレスとなって病気を引き起こすという、本末転倒の結果になることもあります。今は栄養学と健康に関する情報が巷に溢れていますから、そうした情報に振り回されて、本来必要がないのに、無理な食事制限で自分を縛り、ストレスを抱えて幸せそうには見えない人を時々見かけます。もちろん、健康な食生活に気を配ることは大切かと思いますが、何事も過ぎたるは及ばざるが如し、自分に必要な情報は全て入ってくるものだと信じていれば、無理に頑張らなくても、その都度必要な食べ物が目の前に表れると思います。そして、何を食べるべきか直観が働き、満足度の高い選択が容易にできるはずです。

 恐れが強い時は頭で考えがちなので、何かを選択する時には、できるだけ頭は空っぽにしてハートで感じることを信じた方が良いです。

 

 家族や親しい友人を大事に思うあまり、過保護になり過ぎて共依存関係に陥ることがあります。こうしたことも、本当にその人を思いやっているというよりも、「その人を失いたくない」「その人に何かあったら嫌だ」「自分が責められたらどうしよう」といった恐れに基づいた感情が強いために起こります。その人を信頼する、という愛がベースになっていれば、家族であっても、その人が選んだ人生を尊重し、必要以上に手を出さず、温かく見守るという態度でいられるはずです。生きていく上で情は大事な部分でもありますが、あまりにも情の部分が大きくなり過ぎると、冷静さを失い、かえって他人を苦しめることもあるのです。

 「あなたのことが大事だから」と言ってあれこれ世話を焼き、かえってその人が自立する道を塞いでしまうことが、本当の愛とは思えません。時には突き放してみたり、厳しいことを言ったりして自分に依存させないようにすることが、その人の為になることもあると思います。

 

 

 ヒーリングやカウンセリング、コーチングといった仕事が今どんどん増えているようですが(私もその1人であるわけですが)、そうした仕事に就く人の中にも、愛ではなくエゴや恐れに基づいて仕事をしているように見える人がいます。100%エゴとまではいかなくても、かなりエゴの部分が強いな、と感じることがあります。私自身、これまで様々なセミナーを受けたりヒーリングを受けたりしてきましたが、本心から世の為人の為という純粋な思いでやっている人を見かけるのは稀です。私も気を付けなければいけないことなのですが、こうした仕事をしていると、共依存関係に陥りやすく、案外エゴの誘惑の罠にもハマりがちなのです。

 カルト宗教などを見ていると解り易いかと思いますが、誰かに精神的に依存したり洗脳されている時というのは、だいたいエネルギーも奪い取られています。ついでに、お金もその人の元に流れていくようになっています。お金もエネルギーなので、誰かに自分のエネルギーを奪われている時というのは、お金もその人に吸い取られていくのです。カルト宗教ではありませんが、私もこうした経験が過去に少しだけあります。

 また、一見癒しのヒーラーのように見えても、実は自分に依存させることが目的であったり、人にはない力を見せつけたい欲望があったり、お金に執着があったりと、邪心が強い人もいます。「私には〇〇という高次の存在がサポートしてくれています」といったセリフで自分を大きく見せたり、いかに自分が超能力を持っているかということを事細かく説明してきたり、必要以上に着飾ったり、法外な金額を設定して贅沢な暮らしに溺れていたり、自分の持っている知識を出し惜しみしてリピートさせることを半ば強制させたりといった姿をみれば、その人の邪心が透けて見えてきます。

 魂が高度に進化した人であれば、自身をひけらかすことに関心がありませんし、何事にも執着がないので、お金を儲けることにエネルギーを注ぐこともありません。そして『来るもの拒まず、去る者は追わず』というスタンスが徹底しています。

 

 私がいつも思い浮かべるのは、ボロを纏って金銭もとらず、見返りを求めることなく無償の愛で人々の覚醒を助けたイエス様やお釈迦様の姿です。

 なかなかその境地に行くことは至難の業かもしれませんが、本来の目的から外れないよう、日々内面の浄化を心がけ、道から外れていないか自分を戒める毎日です。