トラウマ解放はライフワーク

 数多くの固定観念やトラウマに縛られていると、そこから派生する膨大なネガティブ思考・感情によってその人のエネルギーレベルが下がります。悪しき観念にとらわれていれば、その人はそれだけネガティブな波長を帯びることになり、それ相応の現実を引き寄せます。今現在抱いている思考が少し先の未来の現実を形作っていくのです。

 多くの人が、わが身に降りかかっている望ましくない現状を嘆くだけで、なぜそうなっているのか、現実が自分に何を伝えているのか、どうしたら現状を打破することかできるのか、元凶を探ることないまま、ただ不満だけを抱いています。

 

 現実を変えたかったら、自分の内面を見つめて内側から変化を起こすしかありません。これ以外の方法はありません。

 

 ということを理屈でわかっていても、今起こっている現実が、実は自分の内側に原因があったなどと、なかなか納得できないのが人間というものなのかもしれません。

 

 それに、何年も何十年も抱き続けてきた信念や思い込みを外すには、結構大きなエネルギーがいります。そもそも、自分がどのような固定観念を抱いているか、客観的にわかっていない場合がほとんどかもしれません。他人に指摘されても、気づかないことが多いでしょう。気づかないふりをしているだけかもしれませんが。もしかしたら、今はまだその時期ではないのかもしれません。

 

 古い観念や悪しき思考パターンを解放するということは、実は私達は自然にやっていることでもあります。病気や怪我、事故、身近な人の死、といった「事件」が起こると、私達の中で何かが壊れたような感覚を味わうことがあります。衝撃的な出来事やショックには、私達のエネルギーフィールドに大きな変革を起こす力があるようです。

 大病や大きな怪我をした後に人が変わったり、人生が大きく動いたりすることがあるのは、こうした事故や事件がショック療法のように、私達の価値観や信念に影響を及ぼすからです。そもそも、病気や怪我などのアクシデントは、私達に古いパターンを手放すようにというメッセージとして起こる場合もあります。私達の内側で調和がとれていない部分があり、それが表面化したのです。私達に気づきを促すために、体が病気や怪我といった現象を起こすことは、実は頻繁に起こっています。

 

 けれど、何もわざわざ病気や怪我、事故といった現象を経験しなくても、ただ平和な日常を送りながら気づきが得られれば、それに越したことはないのではないでしょうか(少なくとも私はそう思います)。

 私は、瞑想を日課にするようになり、フラワーエッセンスなどの波動療法を試みつつ、自分の内面にひたすら向き合って必要のないものは次々に手放すという心のお掃除に従事するようになってから、気づくと病気や怪我、アクシデントなどに遭うことが減っていきました。何かがおかしいなと感じたら即瞑想をし、思考と感情から自分を切り離し、自分の中の何が表に出てきているのか、何に光を当てるべきなのか、どのように思考を変えていくべきなのか、謙虚に向き合います。

 

 アメリカの著名なスピリチュアリストで数多くの啓蒙的な著書があるルイーズ・ヘイさんは、御年90歳になられるそうですが、数年前に撮影されたインタビュー動画で、「今でも毎日過去のトラウマと向き合って手放す作業をしている」と言っていました。彼女は幼い頃は孤児院で過ごし、その後実の母親に引き取られますが、そこで母親や継父から肉体的・精神的虐待を受けるという過酷な少女時代を送っています。幼い頃のトラウマが元で、大人になってから人との関係性を築く際にトラブルが絶えず、大きな病気にも見舞われます。そうなってから自分の思考が現実を引き起こしていることに気づき、徹底的に自分の感情に向き合うという作業を行って、自己変革を起こしていきます。やがて病気も完治し、本の執筆や数々の講演会を開くなど積極的な活動を行うようになり、今では多くのスピリチュアリストやヒーラー達のメンターとしても活躍し、啓蒙世界の先駆者的な存在となっています。そんな彼女でも、未だに自身の遠い過去に受けた傷に向き合い、それを自分で癒す作業をコツコツと行っているのです。

 

 私はルイーズさんのような過酷な幼少時代を送ることなく、恵まれた環境で育ってきたことに感謝しなければいけません。とはいえ、エネルギー的に敏感体質で他人の感情に振り回されがちだった上に、確固たる信念が持てないまま、周りに合わせるように生きてきた時期が長かったために、かなり多くの固定観念や思考パターンに自分が縛られているな、と感じます。今までそれらを引き離す作業をやってきてだいぶクリアーになってきたとは思いますが、ルイーズさんのように、私も心のお掃除はライフワークとしてやっていくことになるのかもしれません。そのくらい、気長に向き合っていこうと思っています。