集団意識に潜む暗い闇

 悪しき思考や感情の出処となっている、私達の細胞に染み付いた古い価値観や固定観念、偏見、思い込みといったものの多くは、実は遺伝的に代々受け継がれてきたものでもあります。私達が親や先祖から受け継いできたのは、肉体的な要素だけではないのです。価値観や偏見といった、生まれながらにして備わっているスイッチが、物心ついてから経験した出来事や見聞きした情報などの刺激によって「ON」モードになり、より強固な価値観として私達の思考回路に影響を及ぼすようになっていきます。

 

 わかりやすい例でいえば、民族意識や性差別的な思考、人種間の偏見、エリート主義、等々。これらの歪んだ認識は、私達の集合意識の中に存在する暗い一面ですが、長い事世代間で受け継がれてきました。また、その土地固有のエネルギーの影響を受けている場合もあります。直接これらの価値観を「教えられた」わけではなくても、物心ついた頃から自然に共鳴し、引っ張られ、次第に内面深くにまで植え付けられていく、という経験はないでしょうか。自分が抱いている数々の思い込みや偏見が、一体どこからやってきているものなのか、大元を突き止めるのは結構難しいものです。あの時の経験がそうだとか、あの日あの時あの人に言われたから、と思い浮かぶ出来事はあるかもしれませんが、それらはあくまできっかけであって、元々私達の中にあった要素が、そうした出来事によって刺激を受けて表面化した、という感覚がよりしっくりきたりします。

 

 

 我が家の子供たちが小さい頃、昔懐かしいテレビアニメの『世界名作劇場』の再放送がテレビで流れていた時期がありました。かの有名な『母をたずねて三千里』を見ていたある日のこと(懐かしいので私も一緒に見ていました)。主人公のマルコが、電車に乗って移動する場面がありました。その時マルコが乗り込んだ車両は、当時で言う貴族もしくは富裕層専用の豪華な車両。マルコは、自分が乗るべき三等車両ではなく、別の車両に間違えて乗り込んでしまったのです。マルコは、その車両の豪奢な作りや、乗っている人々のリッチな服装、雰囲気などで、自分がいるべきではない車両に来てしまったことに気づくのですが、今でもハッキリと覚えてますが、その場面では一切のセリフもナレーションもなく、マルコが豪華な車両に間違えて乗り込んで、そして「あ、間違えた」という表情を浮かべた、というただそれだけのシーンでした。私は、子供向けのアニメなのに、よくこのような大人の事情ともいえる複雑なシーンを描いたなあ、しかも一切の説明もなしに・・子供が見てこの状況を理解できるのだろうか、と思いました。けれどのその瞬間、隣で見ていた息子(当時3歳になったかならないか位でした)が、なんとその無声のシーンを見て、パッと両手で顔を覆ったのです。彼は、この場面で主人公マルコが身分的に自分が「いるべきでない」車両に来てしまったということを理解し、そしてそれが気まずい状況である、という感覚まで反射的に抱いたようでした。

 まだ言葉もきちんと話せないくらい幼い子供が、誰からも教えられていない、この世に生まれてから実体験をしたわけでもない、「身分」「貧富の差」「階層」といった認識を、一体どうして抱いているのでしょうか。私はその時、子供には生まれながらにして備わっている感覚があるのだ、そして今この場面を見て、その感覚が刺激されたのだな、と思いました。

 

 

 私自身、自分の中にはたくさんの偏見や思い込みがあることに昔から気づいてはいました。本心とは裏腹に、集合意識の暗い部分の影響を少なからず受けてしまっていることもわかっていました。望むと望まざるとにかかわらず、無意識レベルで先祖から受け継いでしまっている傷があれば、それはいずれ何らかの形で表面化してしまうものです。自分本来のものではない、歪んだ認識から早く解放されたいと願うのであれば、それなりのプロセスを踏む必要があります。私の経験から言うと、偏見や思い込みといった不必要な観念は、その出処を探るよりも、ただそこにそれが「ある」ということを認め、そこに光を当てることでより速く解放されていきます。それがあることで自分がどのような痛みを引き起こしているか、素直に感じてみるのです。そして、肝心なのは、そうしたネガティブな観念を抱いている自分を無条件で受け入れること。決して罪悪感を抱いたり、自分を責めたりしてはいけません。それは何のプラス効果も生まない行為です。あらゆる心の傷は、そこに傷があることを認識することから癒しが始まります。気づいたというだけで、もう癒しのプロセスは半分以上終わっているのです。

 

 

 個人的な意識改革は、孤独な作業ではあります。けれど、私達の意識は深い部分でつながっているので、たった一人が起こした意識の変革は、まるで大きな池に投じた小石のように、全体に波紋が広がり、他の人々にも同時に影響を与えていきます。見えないレベルで起こっていることの方が、目に見えている現実よりも大きな力を持っています。

 世界中のほんのわずかな人々が毎日瞑想をするようになれば、この世から戦争がなくなる、といいます。ポジティブなエネルギーはネガティブなエネルギーを凌駕するので、数が少ないからといって希望がないわけではありません。

 個人が起こした内面的な変革が、やがて集団意識をクリアーにするまで広がり、世界全体が浄化されていく日も夢ではないのです。