常に行動、常に前進

 物事が思うようにいかない時、自分が今置かれている環境が理想と全く異なるように感じる時、世の中がまるで敵だらけのように見える時、私たちは鬱屈した精神状態になりがちです。どうせ何をやっても無駄なように思えたり、自分がとっても無力な存在に感じられたり、世の中こんなものなんだろうと諦めモードに入ったり。

 そんな時こそ、たとえどんなに小さなことでも、どんな分野のことであっても、とにかく何かしら「行動を起こす」ということが、一見停滞したかのように見える現実を変えていくきっかけになっていくように思います。

 

 私が今よりもっと無力で小さな存在だった頃、世の中全てが灰色のように見えていました。聞こえてくるニュースは暗いものばかりだし、本当にわかりあえる友達もいないし、大人達は制限ばかりかけてくる存在だと思っていました。物質的に何の不自由もない環境で守られて育っていたのだから、感謝こそすれ文句など言ってはいけない状況だったと思うのですが、心の中には常に閉塞感があって、息苦しさを感じていました。一度制限にフォーカスしてしまうと、自分が与えられている恩恵にはなかなか目が向けられないものです。

 世の中とは理想とかけ離れた世界なのだと、自分自身で意味づけをしてしまっていたがために、本当にそのように見えてしまい、現実もそのようになっていったのだと思います。今となっては、自分がどれほど恵まれた環境で育ち、どれほどの愛が周りに溢れていたかということがわかるのですが、当時の私にはそれが見えていませんでした。

 

 とにかくそのような感じで閉塞感を抱きながらも、私は常に頭のどこかに「でもこの状況をいつか脱却したい」という思いを強く持っていました。そして、日常の行き詰った感覚が少しでも薄らいだのは、自分を向上させる『何か』を行っている時でした。習い事だったり、学校のお勉強だったり、少し難しい本を読むことだったり。そんなことをしている間は、自分が今しているこの行動が、いつかきっと何かの形になっていくであろうことがぼんやりと感じられ、心が落ち着いていくのでした。

 周囲とうまくいかずにつらい思いをしている時でも、自分の感覚では到底考えられないような誰かの行為を見てどうしようもない憤りを感じた時でも、世の中にうんざりしている時でも、とにかく心のモヤモヤを払拭するためには、文句を言うより何かしらの行動を起こした方がよっぽど楽になれたし、自分にも嫌にならずに済みました。誰かが言ったあの嫌な一言のことをいつまでも気にしているより、英語の単語の1つでも覚えていた方が、よほど自分の身にもなるし、世の中のためにも良いのではないかと思っていました。思えば、当時は思うようにならない状況に苛立っていたと同時に、そんな状況を何も変えられない自分の無力さにも怒りを感じていたように思います。

 そして私は、そんな怒りのエネルギーを、自分が行動を起こすための原動力に切り替えていたのでした。

 

 本当に無力で何も変えることなどできないと感じていた私ですが、取りあえず常に自分を向上させたいという強い思いのもとで、その時できることを少しずつでもやっていった結果、徐々に環境が変わり、チャンスが訪れるようになり、人とも出会い、自分が積み重ねてきた行動が形として表れるのを感じるようになっていきました。自分がしていることが今の環境と一見何の関係がないかのように見えても、後々思いもしなかった所で繋がったり、何年も前に撒いた種が忘れた頃に花開いたり、本当に人生とは自分の考えの及ばないことがたくさん起こります。

 

 そうは言っても私も特別超人的なことをやってきたわけではないですし、人としてもっともっと向上すべくこれからも努力が必要だと思っていますが、何事も最初は小さな一歩から始まるのものだし、その一歩から次の一歩、更にその次の一歩へと、少しずつ地道な努力をし続けることで、何かしらの道へと繋がっていくものだと感じています。

 将来どうなるかなんて考えない方が、かえって楽に今を生きられるようにも思います。実際、頭の中で思い描いていた予想通りに物事が進んだためしがありません。人生とは、人智を超えた大きな力の元で動いていくものなので、自分の力でなんとかしようとがむしゃらにもがくより、大きな力に委ねていた方が、よっぽどスムーズに導かれていきます。

 ただ、委ねるというのは何もせずにボーっと過ごすのではなく、目の前にある自分が今「やるべきこと」にフォーカスしてコツコツと体を動かすことでもあると思います。行動を起こさなければ次に進まないからです。今でも私は思うようにいかないことがあれば、とにかく何かしら行動を起こすことにしています。くよくよ悩むより、アクションを起こした方が気持ちが晴れますし、物事が動いていくからです。自分が力不足だと思ったら、技術を磨くために練習をするなり、本を読んで知識を増やすなり、詳しい人に話を聞くなり、何かできることが必ずあります。許しがたいと思うようなことが起こったとしても、怒りを誰かに向けるより、人のためになる何か別のことをしていた方が、よほど世の中に貢献できる気がします。

 後ろを向かず、結果も期待することなく、「今」なすべきことをなす。誰もが「今」なすべきことは常に目の前に置かれているものだと思います。