百害あって一利なし

 「後悔役に立たず」という諺が示す通り、自分の行いや過去の出来事を悔やんだところで、誰も得をしないどころか、過去にばかり目が向いている状態は、せっかく未来に控えている輝かしい道筋を阻み、私たちを”今”にいることから遠ざけます。

 

 そんなことを十分わかってはいるはずなのだけれど、なぜ人はこうも頻繁に過去を振り返り、あれやこれやと人を責めたり、自分を責めたりという非生産的なことに莫大な時間を費やしてしまうのでしょうか。

 

 「後悔」の念を抱くということは、起こったことに対してそもそも「起こるべきでなかった」という認識でいます。あんなことが起こらなければよかった、あれさえなければ今私はこうだったのに、あの人はあのような言動をとるべきではなかった、あのようにすべきだった、私はあの時あのようなことを言うべきでなかった、やるべきでなかった、このようにすればよかった、etc...

 

 けれどあらゆる出来事は、一つの例外もなく、皆起こるべくして起こっています。それは、自分1人だけの問題ではなく、その出来事に関わった全ての人にとっても同じです。

 

 頭の中で「起こるべきでなかった」と位置付けているあの出来事。本当にそれは、起こるべきではなかったのでしょうか。その出来事があったおかげで、何か大きな気づきを得たことはありませんか。そのために、以前の私よりも強くなれた部分はありませんか。同じことを繰り返さないようになったのではないですか。他人と感情や経験を分かち合える(共感)ようになりませんでしたか。人の痛みを知るきっかけとなったのではないですか。謙虚さを学んだのではないですか。そして、相手がいる問題だったとしたら、その出来事は自分だけでなく相手にとっても、大きな教訓となっているのではないでしょうか。

 

 

 アンジェリックエッセンスに、『Releasing Regret』(後悔を手放す)というエッセンスがあります。このエッセンスを飲んでいると、特に最初の頃、一時的に後悔が強く出てくることがあります。あれ、後悔を消してくれるエッセンスのはずなのに、どうして強くなってるの、と疑問に思うかもしれません。

 それは、”過去を拒絶し、否定している”状態に気づかせるために、自分の中にある後悔の念をより明確に教えてくれているのだと思います。手放すためには、それが”ある”ということを一度はっきり認識しなければいけません。そして、自分がどのようにその問題に向き合えば後悔の念がなくなるのか、気づきが得られた時に、もうそれは否定的な出来事でなくなり、自分を成長させてくれる学びだったと思えるようになります。

 

 「起こるべきでなかった」から「起こるべくして起こったのだ」と心底から受け入れることができたら、もう誰も責めようと思わなくなります。感謝の念さえ湧いてきます。成長できた自分を認めてあげられるようになります。