理解と受け入れ

 もうすぐ中学生になる娘。今でも時間が合えば私と一緒にお風呂に入るのですが、そんな時には気持ちがほぐれるのか、普段話さないような学校の話をいろいろしてくれます。

 

 6年生の後半となってくると、受験や卒業準備などで何かと気ぜわしくなってくるので、先生も若干カリカリしているのかな?と感じる発言が増えたり、クラスの雰囲気がギクシャクするようなことも度々あるようです。

 

 お友達に辛辣な言葉を投げかけたり、かけられたり、仲間割れをしたり、もめごとがあったり、先生が感情的になったり・・子供なりに「どうしてこんなことをするんだろう」と信じられない思いでモヤモヤすることもあるようです。

 

 だいたいは、お風呂の中でポツポツとそういう話をしてくれるのですが、話しているうちにだんだんヒートアップしてくるらしく、「もう、ホントなんでああなんだろう!」とか「みんなやめてほしいって思ってるんだけど、本人は気づいてないんだよね!」といった感じで次第に怒り文句に変わっていきます。

 そんな時にはとりあえず、最初に吐き出すだけ吐き出させておきます。相槌も、「ふんふん」「えー、そうなんだ」「そっか~」程度で、特に何も意見めいたことは言いません。娘もしばらく話していると、次第に落ち着いてきて、トーンが穏やかになっていきます。感情が吐き出されて、スッキリするのです。

 

 だいぶ感情が落ち着いて表情が柔らかくなってきたくらいのタイミングで、私はいつも、

 

「○○ちゃんは、どうしてそういうことをするんだろうね?」

 

 といった質問を投げかけます。誰かに怒りを感じている時、許せないと思っている時は、その人本人の心の内側にまで目がいっていないことが多いです。なぜその人がそのような行為をするのか、何がそうさせているのかがわからない上に、自分の感覚や常識で当てはめてみているから、怒りや信じられないという思いが湧き出てくるのです。

 

 自分の感覚ではとても考えられないようなタイプの人がいたとしたら、一度落ち着いて(怒りなどの感情は抑え込まず、素直に吐き出してしまった方が冷静になれます)、その人の立場になって考えてみます。その人の事情や置かれている状況を察します。その上で、その人の心の内側を感じてみます。その人の心には、どのような思いがあるんだろう。どんな苦しみがあるんだろう。そして今私たちの目に触れている姿や行動は、その人の中の一体何が表に出てきたものなのだろうか。

 

 

 娘にも、そういった見方に切り替えて考えてもらうために、少し手助けをします。「○○ちゃんは、どんな気持ちでいるんだろうね」とか、「○○ちゃんは、本当はどうなりたいんだろう」といった質問を投げかけます。そして、学校の中でしか見えていないその子の姿だけでなく、お家の事情や、お父さんお母さんとの関係、塾や習い事のことなど、少しでも知っていることがあれば、そういった情報も取り入れながら、できるだけその子の”全体像”をとらえるように促します。

 すると、しばらく考えた後、いろんなことに気づいていきます。そういえば、○○ちゃんはお父さんがいないって言ってた。寂しいのかもしれない。△△君は夜中まで毎日パソコンゲームをやってるって言ってた。睡眠不足でイライラしてるのかもしれない。□□先生、私たちがあんまり言うことをきかないから、焦ってるのかもしれない。etc...

 私が特に大人目線の意見を言わなくても、本人の口からいろいろな気づきが出てきます。視点を変えただけで、驚くほどその人の心の内を慮ることができるのだなと思います。その推察がどれだけ合っているかはわかりませんが、少なくとも、一度「相手の気持ちになって考えてみる」ということをしてみると、その人はもう以前のような理解不能な人物ではなくなっています。自分と同じように、悩み、苦しみ、様々な葛藤と戦っている人間、になるのです。嫌悪が理解へと変わり、そして拒絶から受け入れへと変わっていくのは、そんな時です。