被害者意識

 自分の身に起こったことや、人からされたことをいつまでも恨み続け、心の傷と共に怒りを保持したまま生きていくなんて、苦でしかありません。本当は赦したい、赦せたらどんなに楽になるか、そこに気づいた人はもうその段階から癒しが始まっています。

 

 まずは、自分が「被害者」であるという認識を取り去ることです。時として、人は自分を正当化したいがために、自分を被害者に仕立てることがあります。悪いのは「加害者」だと決めつけてしまえば、ただ相手を責めるだけで済みます。相手がこうしたから、私はこうなったのだと思った方が楽なのです。

 

 けれどそのように、起こった出来事を誰か他の人に責任転嫁しているうちは、古いパターンの中に居続け、不満と怒りと劣等感から逃れることができないまま人生が終わるでしょう。人生の舵取りをしているのは自分なのだという認識、人生の創造には自分の意思が大きく関わっているという認識、決定権を握っているのは実は私なのだという認識がありません。自分の人生で起こる出来事全てを引き受ける覚悟もありません。なにより、起こったことをあるがまま受け入れる謙虚さがありません。

 だから、思い通りにならないことが起こったら、何が悪いからこうなった、誰のせいでこうなったと、何かのせいや人のせいにします。もしくは、今は何がないからできないとか、こんな状況だからできないのだと、できない理由をあれこれ見つけて言い訳し続けます。

 

 悲劇の主人公を演じている方が、一見現実を受け入れやすく思えるかもしれません。けれど、自分を「被害者」だと思っている間は、自分の身に起こったこと全てを、本当の意味で受け入れることはできないままでしょう。

 

 そうした被害者意識の裏側には、自分にとって都合の良いことは受け入れて、都合が悪いことは受け入れたくないという、思いあがった人生観があるように感じます。そもそも、人生のあらゆることを「私」がコントロールできるなんてことは絶対にないのです。人生のある領域においては、個人の力が及ばないことがあります。この世界を1人の人間が動かせるはずがないように。私達が生きているこの世界は、人智を超えた大きな力で動かされているのだから、思い通りにならない領域は必ずあります。自分の身に起こることや、世の中で起こっていることをいちいち「良い」「悪い」でジャッジして、不満の行き所を見つけることに労力を注ぐよりも、あらゆる出来事を取りあえず一度受け入れてしまった方が、もっと楽に、柔軟に、しなやかに生きられます。

 

 なるようにならないこともある。けれど、なるようになることもある。私たちは、与えられた領域で、与えられたギフトをフルに使い、奉仕の精神を持ちながら人生を花開かせることだけに集中していればいいのかなと思います。