「今」にいること

 娘の中学の入学式に出席してきました。満開の桜が窓の外で揺らめく中、吹奏楽部の部員達が奏でる音楽と一緒に、赤い絨毯の上を緊張した面持ちで歩く新一年生。その横顔を見ながら、私はふと、自分が中学生だった時の入学式はどうだったかな、と思いました。

 ところがどんなに思い出そうとしても、そのたった一場面さえも記憶に残っていないことに気づき、愕然としました。果たして入学式なるものがあったのかどうかさえわからないくらい記憶がないのです。おそらくちゃんと普通にあったはずなのですが。

 今私が出席している娘の中学の入学式のように、先生方や在校生、保護者、来賓の方々が見守る中、はじめの言葉とか祝辞とか校歌斉唱などを聞き、吹奏楽の演奏も見ただろうし、真新しい制服に身を包んで緊張と不安を抱きながら出席していたはずなのに。それなのに微塵の記憶もないとはなんということでしょう。入学式のためにいろいろ準備もしただろうし、様々な思いを抱いていたはずのに・・

 

 人の記憶とは、かくもはかないものなのだなと思います。中学の入学式に限らず、人生で起きるほとんどの出来事は記憶に残りません。今こうしてパソコンの前に座ってブログを書いている瞬間だって、あと数時間もすればきれいさっぱり記憶からなくなっているに違いありません。

 

 記憶に残る、残らない、なんて、執着する意味がないのかもしれないな、と思いました。私たちはとても嫌な出来事があると、「早く記憶がなくなってしまえばいいのに」とか、「早く忘れてしまいたい」と思い、反対にとても楽しい出来事や幸せなことがあると、「この思い出がずっと残りますように」とか「忘れたくない」と考えます。

 けれど私達の記憶に残るか残らないかの取捨選択は、えてして私達の意図するところと異なる形で行われるようです。意識的にコントロールしたくても、できないのです。それに、記憶というのは水物で、時間がたつにつれ色付けされたり、省かれたり、都合の良いように加工されたりしていきますし、とても流動的で不安定なものです。

 そもそも、私達の今生での記憶は、あの世で一度リセットされますから、最初から消えていく運命にあります。

 

 そんな流動的で不安定なものにしがみついていたら、「今」を集中して生きることができなくなるような気がします。意識が必要以上に過去に引っ張られたり、まだ起きてもいない未来に飛んでしまうと、「今」にいることができません。

 人が不安になる時というのは、過去に起きた嫌な出来事の記憶にどっぷり浸っているか、未来の出来事をネガティブに想像してしまっている時で、「今」この瞬間にしっかり地に足をつけていられる時は、不安は起こらないものです。「今」この瞬間には、何も恐れることがないからです。そして、人生は数限りない「今」の連続で、目の前にあるなすべきことを一つ一つこなしていくプロセスそのものです。

 

 常にどんな時でも、「今」に集中して生きていくことができれば、その瞬間の出来事が記憶に残ろうが残るまいが、悔いは残らないのではないかと思います。「今」に感謝して、瞬間瞬間を楽しみながら、愛おしみながら過ごしていれば、過去や未来に浸る必要もないし、不安や後悔とも無縁でいられます。

 

 

 

☆「今」にいることをサポートしてくれるエッセンス☆

 

Being in the Present』(ビーイングインザプレゼント)・・・アンジェリック

 

 ”今、この瞬間にいるということは人生に立ち向かう用意があるということです。人生の全ては、今この瞬間に起きていますが、多くの時間を私たちは未来や過去に意識を向けていて、現在を完全に体験する機会を逃しています。現在のみが人生に影響を与えます。現在においてのみ、明らかにすることができるのです。私たちは今にだけ生きることができます。このエッセンスは今この瞬間に生きること、完全に私たちの人生を生きることをサポートします。”