路地裏の少年が教えてくれること

 ヴィクトリア時代のジャーナリストであった、ヘンリー・メイヒューという人は、産業革命下に生きるロンドンの貧しい民衆の生活を、一冊の本にまとめました。綿密な取材と鋭い観察による詳細な記述は、そこに描かれた人々がまるで今でも生きているかのように思われるほど克明で、当時の庶民の生活と環境が生き生きと伝わってきます。

 当時イギリスは、産業革命と植民地支配によって『世界の工場』と言われる程の経済的繁栄を築き上げていましたが、社会の底辺に生きる貧しい労働者たちの生活は、本当に悲惨なものでした。

 ロンドンの中心部を流れるテムズ川周辺には、潮が引いた後、川が運んできた数々のゴミやがらくたの中から金目の物を探して見つける「泥ひばり」と呼ばれる少年少女たちの姿が見られました。少しでも売れそうな物を見つけると、それを拾い、わずかなお金に換えてその日の食べ物を買うのです。彼らは、浪費もしくは災難によって極貧状態に陥った親の子供達か、孤児でした。6歳にも満たない子供達もたくさんいたそうです。

 メイヒューは、その中の1人の少年に目をかけ、話を聞きます。その少年は14歳で、泥ひばりの生活を3年ほど続けていました。父親は事故で何年も前に亡くなっていました。母親は小さな八百屋を営んでいましたが、ジャガイモが腐る病気が流行ったために店が立ち行かなくなり、更に熱病にも罹って働ける状態ではなくなったため、息子の収入に頼らざるを得なくなってしまったのです。メイヒューが少年に出会ったのは真冬でしたが、まるで裸同然の恰好で、裸足の足はしもやけだらけでした。ボロボロのズボンをたくし上げて泥の中を歩き回る日々で、時々ガラスの破片や釘が足に突き刺さるのですが、そんな時は家に帰って怪我の手当をし、またすぐに仕事に戻るのでした。何も拾えなかったら、その日の食事にありつけないからです。

 メイヒューの胸を打ったのは、その少年の真摯で素直な態度でした。そんな極貧でみじめな生活を送りながらも、少年は誠実さと、希望を失っていなかったのです。少年の母親に話を聞きに行くと、涙を流しながらこのように語りました。

 

 

「あの子はあれだけのお金を稼ぐのに大変な目にあっていたのに、いっさい文句も言わず、それどころか少し肉を買えるくらいのお金を持って帰ってきた時には、自慢げにしていたくらいですよ。わたしが落ち込んでいると、時々それを見て、あの子は私の首にまとわりついて、ぼくが神様を信じていれば、きっといつか神様がぼくたちに目をかけてくれるよ、と慰めてくれるのです」

 

 

 メイヒューは、少年に次のように質問しました。君は本当に違った生き方をするつもりがあるのか、と。すると少年は、きっとそうするつもりです、だからぜひとも自分を試して下さいと答えました。

 その話をメイヒューの知り合いにしたところ、その人がある有名な印刷屋に勤め口を見つけてくれ、少年はそこで働くことになります。非常に真面目に良く働いたので、少年はたった数週間で賃金を上げてもらい、息子の努力のおかげで母親も小さな店を持つことができたとのことです。

 

 今から150年ほども昔の出来事ですが、少年の純粋な魂と希望の持つ力が、時空を超えて胸に訴えてくるかのようです。

 

 

 この話を読んだ時、私は福音書に出てくる、ある言葉を思い出しました。

 

 イエスが群衆の前に行くと、ある人がイエスに近づいて跪きました。息子の癲癇を治してもらいたかったのです。以前、イエスの弟子たちの所に連れて行ったのですが、息子の癲癇は治りませんでした。するとイエスは次のように答えます。

「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、私はいつまであなた達と一緒におればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をここに連れてきなさい」

 そしてイエスが悪鬼を𠮟りつけると、悪鬼が出て行き、その子は治ります。弟子たちは後でイエスに質問します。

「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか」

 イエスは答えます。

 

「信仰がないからだ。アーメン、私は言う、もしあなた達にからし粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない」

(マタイ17.14-21)

 

 

 イエス様が言っていた「信仰」というのは、”信じる”心のことを言っているのではないかと私は思っています。信じるということは、自分と神様との太いパイプを築き上げることです。

 そして、信じる気持ちというのは、人が困難な状況にいる時ほど、抱きづらくなるものです。信じる気持ちがなくなった時、人は希望を失い、絶望と悲しみの中で身動きが取れなくなります。やる気も行動する気力も低下するので、不幸のドツボにハマり込んだような錯覚に陥ったまま、何かを変えようとする努力さえしなくなります。

 私達が試されるのは、こんな時なのかもしれません。希望の光が全く見えないような環境の中にいながらも、いかに自分を保ち、希望を抱き続けることができるか。信じる気持ちをどれだけ強く持つことができるか。周りの環境に惑わされず、自分と神様との関係を強く感じていれば、迷うことも諦めることも、自分にはできないと決めつけることも、なくなるのかもしれません。

 

(参考文献:『ロンドン路地裏の生活誌』ヘンリー・メイヒュー著、原書房)