中学生の悩み

 娘が中学生になってもう半年以上経ちました。授業や部活、友達との付き合いなど、終わってしまったこちらからしてみれば、青春真っ盛りが眩しく見えるのですが、渦中にいる本人にとっては、何かと悩むこともあるようです。

 成績をひけらかす人、行事に真剣に取り組んでくれない人、生徒に対して威圧的な態度をとる先生など、「いたなあ、私の時にも・・」と聞きながら思い出がフラッシュバックしてきます。状況は違えど、人間関係が悩みの比重として一番大きいということは、大人も子供も変わりはないようです。

 

 私は周囲にそういった悶々とした悩みを話せる大人がいなかったので、 大概、内にこもって本や空想の世界に逃げ込んでいました。

 娘は今の所はまだ私に話してくれるのですが、その時には決して上から目線にならないように、最初はただひたすら聞き役に徹するようにしています。子供でも大人でも、まず最初は自分の気持ちを聞いてもらいたいものです。気持ちを洗いざらい吐き出せば、スッキリして、思考もクリアーになり、自分の今の状況を客観的に眺めるゆとりができます。

 そうして落ち着いたら、アドバイスというか、「こんな考え方をしてみたら?」といった、別の視点からの物の見方をちょっと教えてあげます。例えば、いつも威張っている人がいたとしたら、「どうしてその人はそのようなことをしているんだろうね」と聞きます。その人のとっている言動そのものではなく、その言動を引き起こしている要因に目を向けるためです。その人がとっている行動や、その人の口から出ている言葉というのは、その人の心の状態の表れです。

 

 威張っているということは、自分を大きく見せたい、自分という存在を認めてほしい、という思いがあるからです。そしてそのような願望があるということは、裏を返せば心の奥底では、自分は「認められていない」と感じているのです。頑張って大きく見せて、自分の実力以上のものになろうとしてやっと、自分という存在が価値あるものになれるような気がしているのです。今の自分に満足できておらず、不満なわけです。そして、何とかして他人に自分の言うことを聞かせたいと思います。自分が正しい、間違っていないということを、他人をねじ伏せることで納得させたいのです。

 「他人に対して威張る」という言動の裏には、そんな心の状態が伺えます。そういう話をしていると、娘も次第にその人を責める気持ちがなくなっていくようです。周囲に威張ることで、目に見える形で自分を承認してもらいたいのだ、という陰の願望がわかってくると、その人の心の苦しみが理解できてきます。心が満たされていないために、他人を巻き込んでその苦しみを埋めようとしているわけです。悲しい、つらい、やりきれない思いが根底にあるのです。そこに気づくと、ただ威張っている嫌な人、という見方が変わってきます。

 

 威圧的な態度、理不尽な態度で生徒に接する先生も同じです。満たされない心を、自分1人で解決できるゆとりがないから、自分より弱い立場の人間を使って、何とかバランスをとろうとしているのです。

 

 私は、「先生だから」とか「大人だから」という理由で、理不尽な態度が許されるとは思いませんし、そのために弱い立場の人間が傷つく必要もないと思います。とはいえ、学校という状況では、一生徒が先生に面と向かって立ち向かっていくことは難しいでしょうし、いろんな支障が出てきます。

 だから娘には、「その人を変えようとするのではなくて、今の状況を理解して受け入れられるように自分が変わればいい」と言っています。他人を変えることはできなくても、自分を変えることはできます。その人がなぜそのようなことをしているのか、今目に見えている状況から一歩深い視点で眺めるようにします。否定するのではなくて、理解して受け入れようとします。そして何より、このことが自分にとってどんなレッスンになっているのか、自分にどんなことを教えてくれているのか、謙虚に受け止めます。自分が見ていることは、自分の心の表れです。特に怒りの矛先が他人に向かっている時はその視点から離れがちですが、最終的には、ベクトルを自分に向けることで、本当の意味での解決になっていきます。