子離れと断捨離

 断捨離をすることになったきっかけの1つとして、子供の成長もあるような気がします。上が中1、下が小4になり、だいぶ手がかからなくなってきました。基本自分のことは自分でできますし、親といるよりお友達と過ごす方が楽しくなってきています。特に上は部活が忙しいこともあって、中学に入ってから、家にいる時間がめっきりと減りました。家にいる間も、習い事の練習や宿題などで慌ただしく、私とゆっくり話す時間もないくらいです。あんなに私にべったりだった下の子も、最近は周りの目が気になるようで、一緒にお買い物もしたがらなくなりました。学校から帰ると、ランドセルを置いた瞬間外に飛び出し、真っ暗になるまでお友達と遊ぶ毎日です。男の子なので、思春期にでもなれば、私とは口もきかなくなるかもしれません。

 

 子供がこのように、やがて来るであろう本格的な自立に向けて着実に変化を遂げつつあるのだから、私自身も内面で子離れをしていかなければ、釣り合いが取れません。

 最初にこのことを受け入れなければいけないことに気づいた時は、やはり寂しさを感じました。子供が少しずつ親を離れていく話は、先輩ママ達からたくさん聞いてきたにもかかわらず、いざ自分のこととなると、何となく認めたくないような気持になっていたのでした。

 

 とはいえ、いくら本音では認めたくないからといって、いつまでも小さな子供のままであるような錯覚を覚えたまま接していたいわけでもないのです。そんなことをすれば、お互いにとって害になります。親のエゴで子供に接してはいけないし、したくありません。その弊害はこれまでたくさんみてきました。

 ということは、私が認めるしかないのです。今後、子供が自分からどんどん離れていくことになるという事実を、まずはちゃんと受け入れなければいけないのです。

 

 頭ではこのことを理解してはいましたが、心の底からそれを実行するには、ある程度の時間と、”儀式”が必要でした。

 

 家の2階のクローゼットの中に、子供達が幼稚園で使っていた、カバンやら制服やらをずっとしまっていました。私は今回、これらを一気に処分することにしました。

 少し前までは、こうした昔の思い出が詰まった品々に手を付けることができませんでした。眺めていると、あの頃の無邪気だった子供達の姿が浮かんでくるからです。けれど私の中で、何かが変わっていました。心のケリが付いたのです。過去への執着を捨てて、次へ進む。そのように気持ちが切り替わってきたのです。

 

 細々したものも含め、もう使うことはない、子供達の小さい頃のグッズを一気に捨てました。さよならありがとう、と言いながら次々にゴミ袋に入れていきました。過去は過去。物は関係ない。今とこれからのためにスペースを作る。優先させたいのはこっちです。

 

 断捨離がひと段落して、家の中がスッキリと片付いた時、心の中で、ぽっかりと大きな空間ができたような感覚になりました。それまでごちゃごちゃと詰まっていたものが、一気に噴き出してなくなったような感じです。それは意外にも、寂しいとか悲しいとかいう負の感覚ではありませんでした。キレイに空いた分、これからこの中に何かが入ってくる、という、ワクワクするような嬉しさを含んだものでした。

 子育ての区切りを迎えているんだな、と思いました。まだ自分1人では生きていけないけれど、親にべったりでもいたくない。そんな時期を子供が迎え、それに対応して親としても接し方や心構えを変えていかなければいけない。寂しい面もあるかもしれないけれど、同時に親自身が新しい生き方をスタートする時期でもあります。これまで全面的に子供にベクトルを向けて過ごしてきた生き方から、少しベクトルの方向性を変えていく。時間や心のゆとりが生まれた分、何か別のことに注力することができます。

 

 求められていることや自分の役割は、少しずつ形を変え、いつまでも同じであるということはありません。その変化を正面から受け止め、自分の役割を理解し、その時にするべき仕事をただやっていけばいいのだなと思います。あらゆる物事は変化していきます。宇宙の真理なのでこれは絶対です。変化に対して柔軟でいることは、相手にとってだけでなく、自分の人生をスムーズに乗りこなしていくためにも、大きな助けとなってくれることだと感じます。