祈りのちから②

 ミッション系の幼稚園でいわゆるクリスチャンの”お祈り”を経験していた私ですが、家には神棚もありました。お墓参りをする際や、仏壇の前でも手を合わせます。なんとなく、キリスト教風の”お祈り”と、神棚や仏閣での”お参り”は別物、というイメージをずっと抱いていたのですが、次第に私の中で、これらの行為が共通するものとして感じられるようになってきました。

 祈りとは、高次のスピリットに畏敬と感謝の念を伝え、そして時には助力を願い、自分の意思を表明する。こうした、自分と”神”的な存在とのコミュニケーション手段であるような気がします。祈りとは相互の力が働くものだというのも、最近強く感じています。つまり、こちらから高次の存在に一方的に何かを伝えるだけでなくて、向こうからも何かしらフィードバックがもらえるものだということです。

 

 何年か前、実家に帰省した際、仏壇の前で手を合わせて拝んでいました。そこには亡くなった祖父母が祀られているのですが、私はその時、自分の両親(祖父母にとっては息子と嫁)をいつも守っていてください、とお祈りしていたのです。すると、全身がとても暖かいエネルギーで満たされていくのを感じました。物理的な熱を感じるほどの、ビリビリとした、力強いエネルギーでした。優しい愛のエネルギーに包まれながら、私はそれが祖父母からのメッセージであると感じました。

 特に仏壇がなくても、亡くなった人のことを思い、こちらからメッセージを送ると、何かしらの形で返答が返ってくることが多々あります。それは、温かいエネルギーだったり、パッと目に飛び込んできた文字だったり、音楽だったり、動物だったり、繰り返しやってくる単語だったりといろいろです。スピリットは、物理的な肉体を持たないので、こうした形で生きている人間とコミュニケーションをとろうとするようです。

 

 また私は普段から、何となく調子が悪いなとか、外部からあまり良くないエネルギーをもらってしまったなと感じる時は、今住んでいる家にある神棚に向かって手を合わせることにしています。そして神様に、私を苦しめている、私に属さないエネルギーを全て取り除いてください、とお願いします。すると、全身総毛だつような感覚と共に、私のエネルギーフィールドにあったネガティブなエネルギーがスーッと浄化されていくのを実感するのです。その後はきまって、スッキリと憑き物が取れたような感じがし、思考もクリアーになって体も軽く感じます。

 

 神棚にも大変お世話になっていますが、悩んでいることや疑問などがあると、私は場所や時間を問わず、とりあえず高次の存在に助けを求めます。教えてください、とか、助けてください、とメッセージを送るのです。そうすると、何らかの形で答えがもたらされたり、助けとなるようなヒントがやってきたりします。それも、具体的な言葉でやってくることもあれば、本や人を介してもたらされることもあれば、気づきという形でやってくることもあります。

 

 

 手を合わせて心静かに祈っていると、頭のおしゃべりが静かになり、高次の存在とのコミュニケーションがとりやすくなるように感じます。”繋がる”感覚がより得やすくなる感じです。様々な祈りの形がありますが、自分という存在を謙虚に受け止め、人知を超えた力の助けを借りることができる、宗教を超えて私達を助けてくれる手段だと思っています。