ゆるすということ~その2~

 ゆるしの第一段階として、自分の中で、その出来事(もしくは人物)を「ゆるす」と決心する、という大事なプロセスがあります。

 

 当たり前のことのようで、実はこの決心がなかなかできていないのが実情だと思います。自分は、本当に、心の底から、微塵の迷いもなく、その出来事(人)をゆるそうと思っているのか。

 

 微塵の迷いもなく、というのが難しいところかもしれません。心のどこかに、ゆるすことを妨げている思い(怒り)や恐れがあったりするものだからです。

 

 どこかに、相手に対する復讐心がないでしょうか。相手を傷つけたい、反省してほしい、自分に詫びてほしい、変わってほしい、そういった願望はないでしょうか。

 

 また、自分がもし、このことをゆるした場合、どんなことが起きるか。そのことが起きる、つまり”変化”が起こることに、不安や恐れを抱いてはいないでしょうか。葛藤を手放した時に、何かを失うのではないか。相手をゆるしたら、私が何かを失うのではないか。

 

 あまりにも長いこと、怒りを抱いて生きてきたから、怒りを保持しながら生活することに慣れてしまい、おかしなことに、怒りを抱いている状態に妙な安心感を抱いてしまうこともあります。怒りを抱えながら生きていくことは、本来窮屈で苦しいことであるはずなのに、変わることよりも、変わらずにいることの安心感の方に流れてしまうのです。これも、手放しを妨げている大きな要因の1つであることが多いです。ゆるすこと、怒りを手放すというプロセスは、強い意志とエネルギーが必要なので、それを行うだけの心のゆとりがないと、手放す覚悟がなかなかできないかもしれません。その場合、一見変わらないでいる方が、楽なように感じてしまいます。

 

 また、怒りを抱えて、不幸せな自分でいることが、相手に対する復讐だと(無意識下で)思っている場合もあります。特に、ゆるせない相手が親や身近な人であるケースに多いです。ハッピーな自分より、苦しんでいる自分をみせることで、相手にも苦しんでほしいのです。私が不幸なのはあなたのせいだと、身をもって見せつけたいのです。

 

 

 過去を引きずり、過去の記憶の中で生きることがあまりにも当たり前になり、それが自然なこととして疑うことすらしなくなっている、という状態が、もしかしたら最も一般的かもしれません。何度も何度もリピートしてくる過去の記憶と、その記憶に付随してくる感情に自分自身が慣れてしまい、疑問を抱くことすらない状態です。特に問題意識をもつこともなく、それがごく自然なこと、当たり前のこと、変わる必要がないことという認識になっているのです。

 変わる必要がないと思っている間は、手放そうという意識さえ生まれないかもしれません。それは、その人にとってまだそのタイミングではないということです。

 

 ただし、もし自分が気づいてしまったら、それはもう後戻りはできません。プロセスは始まってしまったのです。自分の中のどこかで、「ゆるしたい」「手放したい」という思いが芽生えてきたなら、それはもう、手放す時期に来ているということです。深い部分からやってくるウェイクアップコールは、無視しようと思ってもそうはいかないものです。聞こえないふり、気づかないふりをしても、繰り返し、その声はやってきます。