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 子供を育てていると、自分が子供だった頃に抱えていた問題に再び向き合わされることがたくさんあります。自分の中で未解決だった問題、きちんと消化できていなかった出来事を、子供がまるで再現するかのように、物事が起こるのです。子供が抱える友達同士のトラブルは、まるで二十数年前の自分を見ているかのようです。子供が苦手な先生の話をしているのを聞くと、あの時私が大嫌いだった先生にそっくりで、様々な記憶が蘇ってきます。

 

 先日娘の部活のことを書きましたが、やはり娘と部活の関係も、かつての私と部活の関係を映し出しているかのようなのです。特に、勝つことにしか関心がなく、部員をまるで駒のようにしか捉えていない顧問の先生などは、もしかして私の時の顧問と親類なのではないかと思ってしまう程タイプが一緒です。

 

 最初は張り切って始めた部活も、だんだんしんどくなり、そのうち「部活行きたくない・・」という言葉が娘の口から出てくるようになった時、私は、こういう事態を招いたのは、私が過去の問題を解決していなかったからだろうか、と自分を責めました。親子間では、未解決の課題がまるでリレーのように受け継がれていくことがあります。

 

 とりあえず大人で親となった私ができることは、あの時の自分だったらどうしてほしかったかを考えること。あの時私は、部活が嫌で嫌で仕方なかったけれど、周りに相談できる大人がいませんでした。親にも軽く話したことがありましたが、そのくらい我慢しなさい、程度の答えで終わってしまいました。その反応をみて、もうこれ以上話すのをやめよう、と思ったのでした。

 ですから私は、とりあえず娘が部活の愚痴を言った時は、とことん聞くことにしました。軽くあしらわず、”ちゃんと”聴きました。嫌だという気持ちを否定せず、同調するようにしました(実際、自分の時と状況が似ているので、全く私も共感できる内容なのです)。そして一緒に愚痴りました。それはひどいね、それは嫌だよね、本当はこうだったら良いのにね・・・

 あの時の私だったら、大人にそう言ってもらいたかったであろう言葉をかけました。一通り吐き出すと、人はある程度スッキリして冷静になるので、さてこの状態で自分は一体どうしたら良いのだろう、という見通しが立つようになります。

 娘には、何度も「部活は義務のようであるけれど、本当は義務ではない。辞めたかったらいつでも辞めて良い。無理やり続けて精神を病むくらいなら、辞めた方がよっぽどマシだ」という話をしました。実際、娘と仲が良かった同じ部活の友達が1人、辞めています。けれど娘の答えはいつも、「先生は嫌だけれど、部活の友達とは仲が良いので、辞めたくはない」というものでした。そして、「このまま辞めるのは悔しい。負けたくない」とも。そういう負けん気の強い所も、かつての私と似ています。

 その意志は固いようなので、それは尊重することにしました。そして、親としてできることをやることにしました。”部活”というものはそもそも一体何なのか、どういう位置づけになっているのか、文科省のサイトなどを調べたり、専門家の本を読んだり、教育委員会の担当部門に問い合わせをしたりして、詳しく調べることから始めました。ある程度知識を付けたら、他の部員の保護者の意見も収集して(アンケートを取りました)、それをまとめ、意見書として顧問の先生に提出しました。そして、それを元に先生に交渉しました。いろいろ調べていくうちに、本来部活というものは、顧問が好き勝手に決めてやって良いものではない、生徒の意思を尊重するべき、という定義がなされていることを知ったので、ここはかなり強気でいきました(教育委員会の方のアドバイスも心強かったです)。

 

 そのようにして、変わったこともありましたが、変わらないままのこともありました。それはそれで仕方がないことです。でもひとまず、休みを取ることもままならない状況は改善されました。娘のように、部活以外にもやりたい活動がある子供のことも、尊重してもらえるようになりました。今までのように、休みを申請しようとすると、呼び出されて脅しをかけるようなことはしなくなりました。

 

 まだ完全に部活から解放されたわけではありませんが、一連の動きが落ち着いてみると、私の中でも何かが変わりました。部活にがんじがらめにされていた娘が、少し解放されてホッとしている姿を見て、部活に苦しんでいた過去の私も、同時に解放されていくような感覚を味わいました。そして、部活に悩んだこと、辛かったこと、嫌な思いをずっと持ち続けてきたことも、ここに繋がっていたのかと思うと、全てが「あって良かったこと」だと思えるようになりました。

 

 

 部活の出来事はほんの一例で、こういうことが小さい頃から本当にたくさんあります。どちらかというと、息子より娘の方が、共有している課題が多いような気がします。きっとこれからもそう感じることはあるのだろうなあと思います。その都度、自分に与えられた課題に目を背けず、きちんと向き合っていこうと思います。