愛を求める行為

 人の行動は、大きなくくりでいうと、『愛を表現する行動』か、『愛を求める行動』に分けられると思います。犬をなでる、優しい言葉をかける、誰かを笑わせる、体をいたわる・・こういった行動は、『愛を表現する行動』です。映画を観て泣く、というのも、愛の表現になると思います。

 

 誰かに怒りをぶつける、どなる、ねたむ、恨む、ひがむ、憎む・・・こういった行動は、大元では、愛を求めているから起こっていることです。

 

 よく、人とぶつかって、キレたりどなったりしている人がいます。そういう場面をみると私は、「ああこの人は、愛を求めているんだな」と思います。その人は恐らく、自分が大切にされなかったように感じて、怒りが生じているのです。

 

 仲違いしている人達の様子をみても、結局は、両者とも愛を求めているだけなんだなと思います。お互いが、お互いから、大事にされていないと感じてしまい、悲しくなったり、怒りが湧いてきたりしているのです。

 その証拠に、どちらか一方が、「ごめんなさい。私が悪かったわ」と一言発しただけで、そこに愛が流れ、怒りが消え、仲が戻ったりします。もしくは、何らかの形で「あなたのことを大切に思っている」という思いが伝わったことで、雪解けが起こることもあります。解決するには、愛が必要なのです。

 

 SNSなどでの中傷が社会問題となっていますが、会ったこともない人に対して辛辣な言葉を吐くという行為も、愛が足りていない、愛がもっと欲しいと感じていることから生じていると思います。内側が愛で満たされている人は、他人に意地悪なことをしたり言ったりなどしません。愛で満たされていれば、愛を表現する行動にエネルギーを注ぐでしょう。愛の大きさと、愛の強さ、何かを変えるには愛するしかないということを、体感として理解したなら、愛を求めて誰かを傷つけるより、愛を表現する方を選ぶはずです。

 

 

 そうはいっても人間は人間。そんなに常に完璧に愛だけを表現できるとも限りません。うまく愛を表現できなかったからといって、自分を責めずに、そんな完璧ではない自分を愛してあげてください。自分を責めている間は、内側から愛が広がっていきません。萎縮してしまいます。そうすると結局、他人に優しくすることも難しくなるのです。

 

 最近殺伐としているなと感じたら、温かいお風呂にお気に入りのバスソルトを入れてゆっくり浸かるとか、好きなドラマや映画をみるとか、お笑いをみてたくさん笑うとか、大好きな食べ物を食べるとかして、自分に優しくしてあげてください。バランスが大事です。「してあげたい」「やらなきゃ」という思いだけが先行していても、エネルギーが枯渇していたら動けないのです。

 

 どうしても体が動かなかったら、少し休んで、パワーチャージして、自分を大切にして、それから愛を表現してみてください。

 

 

 愛を感じることができずに、愛してもらいたくて、ネガティブな行動に走っている人たちに対して、非難することだけではなく、その人がなぜそのような行為をするのか、背景にも目が向けられ、理解するということにもっと力が注がれるといいなと思います。先日、19歳の少年が人を刺して逃亡するという事件がありました。彼は捕まったあと、「自分は愛されていないと感じていた」と述べたそうです。

 世の中で、凄惨な事件を起こした人の生い立ちをきくと、大概は、聞くだけで身も凍るような、愛に飢えた幼少期を送っています。どこかで、たっぷりの愛が注がれていれば、ハートがシャットアウトすることもなかったかもしれません。もちろん、人を傷つける行為は認められないことですが、ただ責めて罰しているだけでは、癒しが起こることは難しいのではないかと思います。どこかの段階で癒しと浄化が起こらなければ、次にまた同じことが繰り返されることになります。

 

 

 私たちが、お互いを理解して、赦し合い、罰ではなく愛で解決できるようになる日が、いつか来ると思っています。