言葉の毒

 時々テレビなどに、「毒舌タレント」「毒舌芸人」なる人たちが登場し、しばらく面白がられては消えていきます。これまで、ただ毒舌だけを売りにして、長く人気を保つことができた人はいないように思います。一言で毒舌といっても、厳しい言葉の裏に愛が感じられる場合もあります。それとは違って、ただ誰かの悪口を言ったり、物事を罵倒する言葉を吐くだけの毒舌は、一時的にウケることがあっても、やがて飽きられ、本人もだんだん行き詰まっていくようにみえます。

 

 そういった芸能人や有名人に限らず、毒を吐いてばかりいる方々をみていると、次第に顔相や、纏う雰囲気も変わっていくのを感じます。言葉もエネルギーなので、口から出た毒によって、自分のオーラ層もどんどん汚れていくのでしょう。

 

 「呪詛」というのは、言葉の力でもって他人を呪うことです。言葉は、魔力を持ち得るほどパワフルなものなのです。エネルギーフィールドに、呪いからくるブロックがある場合は、本格的な浄化が必要な場合もあります。

 

 遠い昔、誰かからかけられた言葉に、長年苦しむこともあります。多くの場合、言った本人より、言われた方がいつまでも覚えています。そもそも、その言葉に執着し、手放さずにいるのは、言われた本人の意思がそうさせているからです。よく、「あの人があの時私に言ったことは、一生忘れない」といったことを言っている人がいますが、それは、その言葉によって今後も呪縛され続けることを自ら宣言しているようなものです。

 赦し、手放すことによって、言葉によって受けた心の傷は癒すことができます。本人が心の底から望みさえすれば。言った本人も忘れているような言葉をいつまでも引きずり、思い出しては怒りに燃え立たされるより、理解をもって赦し、愛と共に手放した方が、千倍楽です。人生のどこかでそれをやらない限り、残りの人生をずっと、言葉の毒に侵されたまま、恨みと共に生きることになります。

 何度も言いますが、この世で一番強いのは愛のエネルギーです。自分を苦しめてきた言葉に、今後も苦しみ続けたくなければ、愛の力で浄化するしかありません。憎しみが解決してくれることは絶対にありません。

 

 

 そもそも言葉の毒に侵されたくなかったら、毒々しい言葉を吐く人を見ない、聞かない、距離を置く。もし、不可抗力で言葉の毒を浴びてしまったとしても、それを自分の中にとどめておかない。その人が吐いた言葉は、その人の内側を反映したものです。たとえ自分に向けられたとしても、個人的に受け取らないことです。自分はたまたまそこにいただけです。