光と闇Ⅱ

 ~下なるものは、上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし~

 

 

 聖書によると、イエス・キリストは、群衆の前に出て教え導く前、荒野にて40日間の断食修行を行ったとあります。そこでイエスは、悪魔(イエスは「サタン」と呼んでいます)にそそのかされ、試されますが、どの誘惑にのることもなく、これを退けます。悪魔は離れ去り、代わりに神の使い(天使?)達がやってきてイエスに仕えた、とあります。

 

 私たちは多かれ少なかれ、日々、この「悪魔」との闘い、葛藤を繰り返しながら生きているのではないでしょうか。

 

 「悪魔の囁き」は本当に存在するのです。というのは、悪魔そのものが存在するからです。私はこの事実を自分の中ではっきりと認めるようになってから、何が光で何が闇なのか、自分の中のこの声は光から来ているものなのか、それとも闇からきているものなのか、判別しやすくなりました。それと同時に、世の中の人々の言動を駆り立てているものが、光を目指してのものなのか、それとも闇の誘惑に負けてのものなのかということも、よりわかるようになりました。

 

 闇―――悪、悪魔、敵、サタン、ネガティビティ、Dark Entity, etc... 様々な呼び方があると思いますが、こうした言葉を、「あちら側」にいる存在・エネルギーの総称として使おうと思います。

 

 おそらくこの文章を読まれている方は、目に見えない存在、見えない世界の存在を信じ、同時にそれらの存在を日常的に感じておられることと思います。フラワーエッセンスやアンジェリックエッセンスは、高い波長の善なるエネルギーでできていますが、光の存在の助けを借りてつくられています。私たちがエッセンスを取り入れると、そのバイブレーションの影響を受け、私たちの光の部分が刺激を受けたり、増幅されたりします。

 

 高い波長が存在するということは、その逆の低い波長も存在するということで、低い波長を放つ存在もいるということになります。

 

 光の世界の中には、当然ですが様々な存在がいて、役割分担があったり、なかなかにシビアなヒエラルキーがあったりするようです。

 

 そう、そしてそれは闇の世界にも当てはまります。様々な存在、役割分担、ヒエラルキー。闇の世界の手下のような存在から大ボスまで、ありとあらゆる形態、力をもった存在達が跋扈しています。

 

 精神世界やスピリチュアリズムに関心がある人の多くは、光の世界に惹かれ、また自分自身も光であろうと努力していたり、光でありたいと望んでいると思います。けれど、残念ながら必ずしも全員が光の影響を多く受けているとは限りません。中には自ら望んで闇の存在に焦点を当て、そうした存在とコンタクトをとったり、それらの力を借りることによって人間世界での勢力を拡大しようと目論んでいる人もいます。

 または、本人が気づかないうちに、闇の存在の影響を強く受けてしまっていることもあります。相手は非常に狡猾で巧妙な手口を使ってきます。あたかも光の存在であるかのように人間に近づき、囁き、惑わせ、道に迷わせたりもします。”恐れ”のもつパワーを用いて人をコントロールするやり口は、そうした存在の常套手段です。特に人間が弱っている時や、困難な状況に陥っている時、欲にまみれている時など、ターゲットになりやすいです。そうした時は、私たちの波長も乱れがちで、ネガティブな存在と波長が合いやすくなるからです。

 

 

 見えない世界には、光だけではなく闇も確かに存在していること、そしてそうした存在は常に、あの手この手を使って私たちを罠に陥れようとしていること。そうしたことに意識的でいるだけで、誘惑の落とし穴に落とされることがだいぶ回避されるのではないでしょうか。敵から身を守るためには、相手をまず知ることが大事です。恐れるのではなく、落ち着いて向き合うこと。そして必要な手段をとること。

 

 何より、どのような存在がやってきても常に軸がぶれない真の自分自身でいること。そのような強い存在になるために、どんな努力も惜しまないでください。結局、究極的にはそれしか自分の身を守る手段はないのですから。