光と闇Ⅳ

 幼い頃、私は人の話をいとも簡単に信じてしまう子供でした。あまりにも疑いなく何でも信じてしまうため、ある時遊びに行った家にいた年上のお姉さん達が面白がって、「このぬいぐるみの犬は夜になると動くんだよ」とか「あそこにおばけがいてこっちを見ているよ」などと言って私を怖がらせ、すっかり信じている私を見て皆で笑っていたことがありました。

 

「この子は何でも信じちゃうから気をつけた方がいいよ」

 

と、その中の一人が誰かに耳打ちしているのも聞こえました。けれど私は、その人たちが話していることは全部本当だと心から信じていたのです。それはなぜかというと、その時はまだ、人が嘘をつくこともある、ということを知らなかったからです。

 

 成長するにつれ、さすがに人の言っていることの全てを丸々信じることは減っていきました。この人は本当のことを言っているのか、嘘を言っているのかの判別ができるようになっていきました。

 そして更に、たとえその人が心から信じて話していることだとしても、それは私にとっての真理とは限らない、ということもだんだんわかってきました。数々の失敗を重ねて感じるのは、世の真理というものは、思っている以上にひっそりと存在している、ということです。真理に到達した人ほど自己顕示欲がなくなるものですし、今の社会のシステムの中では、真理そのものが裏に隠れてしまうのも、無理のないことです。世界三大聖人といわれる釈迦・孔子・イエスキリストはどの人も、自分で書物を残していません。この三人が語った言葉が、伝聞で残っているだけです。

 一方で、「皆私の話を聞きなさい」と言わんばかりに自らをアピールしてきたり、自分の言っていることが他の情報より正しい、価値がある、といった傲慢さが感じられたり、売り上げを伸ばしたいという金銭欲が見え隠れするような存在には要注意です。

 

 世の中には、アピールがとても上手な人たちがいます。それは単なるテクニックの問題であり、その人自身の価値や、言っている内容の純粋性とは関係ありません。むしろ、必要以上にアピールに力を入れているということは欲の表れですから、そういった人の口から出てくる情報も、それ相応のものと考えた方が良いでしょう。

 

 欲というものは、その人が捨てようもしくは制御しようと決心しない限り、雪だるま式に大きくなり、やがてはその人自身もコントロール不能になるレベルにまで肥大化していくものです。小我の欲に基づいて手に入れたものは、それを手に入れた瞬間に魅力を失い、また次に欲しいものが現れます。その終わりのないサイクルに飲まれ、我を失い、道を踏み間違えたまま、力だけを蓄えていく為政者たちが、世の中に溢れかえっています。

 

 そうした強欲な人たちがなぜここまで権力を持ち得るのか、不思議に思うかもしれません。けれど、悲しいかな、そういう人たちにパワーを譲り渡してしまっている人々がそれだけたくさんいるということなのです。

 

 正義感ではなく、我欲に基づいて力を拡大しようとする人が、他の人々をコントロールする際に、共通して用いるツールがあります。それは、恐怖心です。