光と闇Ⅵ

 イエス・キリストが荒野で断食をしていた際、語り掛けてきた悪魔の言葉の一つは、

 

「もしお前が私にひれ伏して拝めば、この世の国々とその栄華を全てお前にくれてやろう」

 

というものでした。イエスはこれに対し、

 

主である汝の神を拝し、ただこれにのみ仕えなければいけない

 

という聖典の言葉をもって悪魔(サタン)を退けます。

 

 

 人が魂の修行を重ね、ある程度の智慧と経験がつき、現世において何らかの分野で他者に教えるレベルの技術なり知識なりがついてきた頃。情熱をもってその業に励めば、それなりに人がついてきます。事業も成功し、金銭も潤い、人気はますます上がるでしょう。フォロワーも増え、知名度が増し、仕事の依頼が次から次へと舞い込みます。こうした、現世的な”成功”を手に入れた段階で、イエスにも囁いた悪魔の誘惑に負け、虚栄心の罠にはまっていく人の姿を、私はこれまでたくさん見てきました。

 

 人を癒す仕事や、元気づけるような仕事に就いている人でさえ、この悪魔の囁きをきいてしまっていることがあります。初めは純粋な気持ちで、人を助けたい、癒したい、誰かの役に立ちたい、と始めたはずなのに、世間の賞賛や認知を手に入れ始めると、次第に最初のピュアな動機を忘れ、もっと認められたい、もっと支持者を集めたい、もっと儲けたいという欲へと駆り立てられて、あちら側の誘惑に屈してしまう。

 うまくいっている時こそ、悪魔の囁きに気を付けて、自分が一体何のためにこれをやっているのか、冷静に見つめなおす必要があるように思います。うまくいっているかのように見えても、その人を動かしている原動力が”欲”なのであれば、エネルギーが濁り、波長が乱れるので、結局はどこかの段階でうまくまわらなくなるものです。集まってくる人も、それなりの人がくるようになります。

 

 かつて、少しの間だけですが通っていたヨガ教室があります。そこのオーナー(兼インストラクター)は、とてもエネルギッシュな人で、人を引き付ける魅力がありました。スタジオはできたばかりで綺麗で、雰囲気も明るかったので、たくさんお客さんが集まってきていました。レッスンの内容も工夫を凝らして飽きないようにしていましたし、口コミで人気が更に高まり、一時は人数制限をしなければいけないほどレッスンもいっぱいでした。

 そんな状況に、オーナーは非常に満足している様子でした。何人もの弟子がいて、その弟子たちは皆、カリスマ的オーラを放つオーナーに心酔しているのがわかりました。オーナーが言うことは絶対で、意見を述べることや、オーナーより目立つことは許されていないようでした。技術を高めるために外部のレッスンを受けることも禁止されている、とそのうちの一人は言っていました。

 

 ある時、私はたまたまそのオーナーと話をする機会がありました。スタジオの隣にある事務所のような場所に、レッスン後にお茶を自由に飲んで良いスペースがあり、そこで話していました。その部屋の壁には、古事記に出てくるような時代の衣装を着た女性が描かれた、大きくて派手な絵が飾られていました。

「あの絵の女性は誰ですか?」

と私が聞くと、オーナーは、突然黙り、私の目をじっと見つめると、声を潜めるようにしてこう言いました。

 

「あの絵はね、私よ。私。あの絵に描かれているのはね、天照大神(あまてらすおおみかみ)。私はね、こうして人間の姿をしているけどね、本当はあれが私の姿なの」

 

 何と答えたらいいかわからず絶句している私をしり目に、その人は満足そうな表情を浮かべていました。

 

 その後すぐ、私はそのスタジオを辞めました。辞めてから数年程経った頃、ふと、あのスタジオはどうなっているのだろうと気になり、久しぶりにホームページを覗いてみたことがあります。すると、一時の権勢は見るからになくなっているのが、ホームページを見ただけでも明らかでした。2桁はいたであろうインストラクター達のほとんどが、いなくなっていました(特にオーナーに心酔していた人達が辞めていました)。レッスンの数もごっそりと減り、スケジュールはすかすかでした。あれほど頻繁に開催されていたイベントの類も、全てなくなっていました。強気の値段設定だった単発レッスンの値段も大幅に下がり、人が来ていないのがみてとれました。

 

 私は、自分が天照大神だと述べた時のオーナーの顔が思い浮かびました。あの人気絶頂だった時、彼女は悪魔の囁きをきいてしまったのだなと思いました。

 

 神様は、私達にたくさんのものを与えてくれます。求めれば、特にです。与えられた贈り物をどのように活かすかは、私達の選択に任されています。

 

 そして、悪魔の囁きは、狡猾で、人間の耳には甘いものです。力を手に入れ始めた人間に、それはますます強く語りかけます。なぜなら、あちらの存在は自分たちのパワーを高めたいからです。力を持っている人間を動かしたがるのは、そのためです。光の領域にいる(もしくはそこに向かって努力をしている)人は妨害しようとし、闇に足を踏み入れた人は更に引きずり落そうとします。闇に引っ張られて堕ちていく人の姿を見るのは悲しいことです。

 

 現世的な成功を手に入れた時ほど、気を引き締めていかなければいけないのだと思います。