光と闇Ⅸ

 「光と闇」シリーズのブログの一番最初に、昔のアニメの話を書きました。昔のアニメや漫画にはよく、ダークヒーローが登場していました。主人公に敵対する、悪の権化のようなキャラクターです。嫉妬深く狡猾で、意地が悪く破壊的。常に主人公を陥れようと画策しています。

 

 なぜかダークヒーローには、必ずと言っていいほど取り巻きがいました。悪魔の子分達です。たいてい、子分達も意地悪で、卑屈です。それでいて、常に親分であるダークヒーローの顔色を窺っているような、小心者として描かれることが多かったように思います。

 

 人が人に惹かれる(異性の関係に関わらず)時。それは必ずしも、愛に基づいて惹かれているとは限りません。人は時として、相手の持つ”傷”に惹かれることがあるのです。光にはもちろんとてつもないパワーがありますが、闇にもパワーがあります。闇側も常に、パワーを拡大させそうとしているのです。

 闇のパワーの吸引力を侮っていると、痛い目にあいます。特に、自分の心の状態によって、はねつける力が弱まっていることがあります。判断力が鈍っている時は、相手の嘘やまやかしに簡単にひっかかりがちです。それはそれで経験であり学びなので、決して悪いことではないのですが、パターンやメカニズムを知っておくと、何度も同じ間違いを繰り返すことはなくなるかと思います。

 

 相手の傷に惹かれている時というのは、たいてい、惹かれる側も似たような傷を持っています。同じ学びを同時にさせられる目的で、引き寄せられる場合もあります。または、共依存の関係にありがちですが、自分の満たされない思いを満足させるため、敢えて被害者のような立場を選んでいることもあります(この場合は無意識下で行っていることが多い)。それから、ダークヒーローに付き従う子分達のように、自分には力がないと信じている人が、一見力がありそうな人につくことで、自分自身が大きくなったような気がして満足感を覚えていることもあります。

 闇の力が基盤となっている集団というのは、案外秩序を重んじます。細かいルールやヒエラルキーを構築することで、組織としての盤石性を維持しようとしているのです。誰が「ボス」かということにこだわるのは、権力に依存しているためです。また、恐怖心を抱かせるような「罰」をつくって、集団から逃れにくくしたりします。そして、一人一人には力がないと信じ込ませます。愛ではなく、恐怖で支配しているのです。

 

 集団に限らず個人と個人の関係でも、このようないびつなパワーバランスが存在していることもあります。自分がそのような関係性に陥っていると感じる時は、一度離れて冷静になり、そこで何が起こっているのか、深く洞察してみるといいです。

 

 自分のことだけではなく、相手のことを心から思っている人は、

 

☆自分のことを必要以上に大きく見せたりしません

☆相手が無力であるかのようなことを言ったりしませんし、そのように思わせるようなこともしません。

☆相手の恐れを助長するのではなく、「怖がらなくても大丈夫」だという言葉がけをします

☆自分の立場が上であるという態度をとりません

☆相手を利用して自分が得をするような姑息な手段をとりません

☆物理的な恩恵を相手から期待しません

☆自分の傷を、相手を傷つけることによって埋めようとしません

☆自分の傷を、相手に癒してもらおうと期待しません

☆相手が自分と違う意見だとしても、それを尊重します

☆相手の人生の選択を、尊重します

 

 これらのことはそのまま、自分が相手にしていないかどうかを確かめる指標にもなります。人と人との関係性は、一方通行ということは絶対にありえません。私たちはつい、相手のせいにしてしまいがちですが、その人に惹きつけられたということは、自分の中にも何かしらの理由、要素があったということです。愛に基づいた関係性はポジティブに拡大しますが、傷に基づいた関係性は、長続きしなかったり、ある時突然空中分解してしまったり、どちらかが病む結果になったりと、その人たちが本来の姿で生き生きと輝く妨げとなります。

 

「魅力」にも様々な種類があるということです。