怒りについてⅠ

 敏感で繊細なタイプの人というのは、人の思いや場の雰囲気を感じやすく、尚且つ「相手を喜ばせたい」という奉仕の精神を持ち合わせていることが多いです。ですから、様々な場面で、相手の希望や期待を敏感に察知し、自分の本当の思いを押し殺してでも、相手が喜ぶ道を選びがちです。

 物心がつく頃から自然とそのような習慣が身についている場合、あまりにもその生き方がなじみ過ぎて、選択の判断基準が「自分の思い」ではなく、「家族の希望」や「一般常識」「風習」「伝統」はたまた「自分に強い影響力を持つ人の生き方」等に自然となってしまっているかもしれません。自分がその状態であることに気づいていないこともありますし、気づいていたとしても、今更根本的な生き方を変えられないと思っていたり、これが自分なんだ、とか仕方ない、とあきらめてしまっていることも多いです。いつの間にか、本当の自分の思いに従って突き進むより、相手や周囲に合わせていくことに安心感を抱くようになり、それが本来の自然な生き方であると、自分で自分に言い聞かせるようになっていったりします。

 

 こうした生き方を長らく続けていくと、一見周囲と軋轢もなく平和に暮らしているように見えるかもしれませんが、本当の自分の思いは成し遂げられていないままなので、心のどこかに違和感を覚えるようになります。

 

 そしてその違和感が、「怒り」という形で、表面化してくることがあります。