エンパスとしての変遷

 エネルギーに敏感で繊細な気質の人を、”HSP"(Highly Sensitive Personの略)とか”エンパス”等と呼んでいます。こうした呼称ができたこと自体がそもそも割と最近のことで、それ以前には今ほど広く世間でも認知されていなかったというか、認識はされていたかもしれないけれどさほど注意を払われてこなかった、といえると思います。

 10人に1人とか、日本人は割合が多くて5人に1人はいるともいわれています。HSPやエンパスのセルフチェックなどをやってみると、例えば20個の質問のうち19個くらいがヒットし、様々な人が挙げている定義の大方の項目に当てはまるので、私自身もいわゆるHSP、エンパスなのだろうと思います。

 エンパス(とここでは呼びます)というのは持って生まれた気質なので、基本的には一生変わることがありません。しんどいからもうエンパスやーめた、と脱ぎ捨てることはできないのです。しかし本来エンパスであるということは、とても貴重なギフトであり、実りある人生を送ることを可能にするツールでもあります。

 私がエンパスであるという状況は生まれた時から今に至るまで全く変わっていませんし、むしろエネルギーを感じる力は昔より高まっていて、感覚もより敏感になっていると思います。かつては、自分の敏感気質がしんどくて、どちらかというと厄介なものだと思っていました。けれど、私が自分自身のエンパスという気質に対する認識を変え、ギフトの使い方、そして対処方法を学び、実践していくにつれて、エンパスという気質とうまく付き合えるようになっていきました。今では、エンパスであるということはなんてありがたいことなんだろうと感謝していますし、エンパスであることを自分なりに生かして、より豊かで喜びの多い日々を送れていると思います。本当にちょっとしたコツというか、意識と習慣次第で、エンパスをプラスにもマイナスにも利用することができます。

 私の個人的な、エンパスであることでどちらかというと苦しみ、きつい思いをしていた日々から、エンパスを受け入れ、上手に付き合えるようになるまでの変遷を、簡単に書いていきます。

 

〈エンパスであるということをそもそも明確に認識していなかった時代〉

 言葉をしゃべる以前から、そもそも言葉そのものを理解していなかったからこそかもしれませんが、周囲の大人たちがどういったことを話しているのか、それがどういうニュアンスを含み、裏にどんな感情が隠れているのか、ということを”感じて”いました。言葉を理解するようになってからも、話している大人が言葉とは裏腹に実際はそうは思っていないんだろうなとか、この人は本当はこういうことを望んでいるんだろうな、といった、人の本心や感情を感じ取っていました。そのことで、大人たちが時には本心とは異なることを話したり、時には嘘をついたりすることにショックを受け、また、人が内面に抱える感情のパワー(特にネガティブなもの)に圧倒されてしまうことがよくありました。

 また、幼い頃は特に、テレビや本などから放出されるエネルギーにとても敏感に反応していました。悲しいお話であればその悲しみにどっぷりと浸かり、まるで自分がそのお話の世界と一体化したような感覚になり、しばらく引きずってなかなかその感覚から抜け出せないことがありました。もちろん、楽しいアニメや本に触れた時は自分も楽しい気分になったりしていたのですが、どちらかというと、怒りや悲しみ、苦しみといったネガティブなエネルギーにより敏感に反応していたように思います。とにかく、一度圧倒されてしまうと、しばらく引きずるのがしんどかったです。この時期に目にしてしまった残酷なシーンや暴力的なシーンなどは、しばらくどころかその後何年もトラウマとなり、繰り返しそのシーンが思い出され、その影響からくる恐怖心から抜けだすことができませんでした。

 

〈エンパスであるということに気づき始めたものの、それを上手く使いこなせていなかった時代〉

 小学生になった辺りから、自分が何となく他の人に比べて、モノや場所や人のエネルギーに敏感に反応しているということに気づき始めました。他の人は感じていなかったり、気にしていないことを、自分は感じ取り、気にしていることがよくありました。相手が、自分と同じように感じていないことを知った時にはなんとなく寂しい気持ちになり、分かり合えないような、孤独感がありました。共鳴し合える人は周囲にいないと思い込んでいたので、その時の私は、本の世界に居場所を追い求めました。

 思春期になった頃からは特に、自分の感じていることを率直に語ることで、嘲笑されたり、引かれてしまうことが嫌で、本当に思っていることや、感じていることなどを、口に出すことをためらうようになっていきました。この状態は、だいぶ大人になるまで続きました。どうせ共感されないだろうから、話しても自分が悲しくなるだけだと思い、話すことを躊躇していました。

 相変わらず、人の感情や思いに敏感に反応し、その重みに圧倒されることは日常茶飯事でした。この頃は、周囲のエネルギーをそのままスポンジのように吸収しており、それを意識的に浄化する術を知らなかったので、しんどかったのも当たり前だと思います。また、幼少期からの癖で、ポジティブなエネルギーよりネガティブなエネルギーに容易に波長を合わせてしまい、ネガティブエネルギーにより敏感に反応するようになっていったため、自分のエネルギーフィールドがネガティブで充満してしまうことがよくありました。当然ですが大変キツかったです。おかしなことに、このしんどさを和らげてくれたのは、明るく楽しい本や音楽などではなく、人間の内面のダークな一面を表現した本や音楽などでした。こうしたものに触れていると、不思議と気持ちが和らぐのを感じたものです。

 

〈エネルギーの浄化という術を知り、実行するも、エンパスであることを真からは受け入れられていなかった時代〉

 大人になり、家庭を持った辺りから、エネルギーヒーリングの世界を知るようになりました。自分の中に取り込んでしまったネガティブエネルギーを浄化するツールや方法を学ぶようになり、だいぶ楽にはなっていきました。ただ、このことであるジレンマが生じました。それは、エネルギーの世界により意識的になることで、今まで以上に様々なエネルギーに対して敏感になってしまったことです。それまでも、集団や様々な人がいる場所がどちらかというと苦手というか、身構えてしまってはいたのですが、こうなってくると、必要以上に意識してしまうようになり、人込みに行ったり満員電車などに乗った日には、家に帰るまでに激しい頭痛に襲われたり、気分が悪くなったり、体が重くなったりしていました。プロテクションや浄化のフラワーエッセンスが手放せませんでしたし、飲み忘れたりした時には軽いパニックになっていました。

 誰かと話していて、その人の思い(特にネガティブなもの)を感じ取ったりした時も、そのエネルギーを吸収してしまい、具合が悪くなったりしていました。あまり良い気を放っていない場所に行った時も、それを感じた瞬間にそのことを意識してしまい、肩が重くなったり頭痛がしたり、何らかのマイナスの影響を受けてしまうことが多かったです。自分で自分のエネルギーフィールドをコントロールできると信じていなかったので(無力だと思っていた)、フラワーエッセンスやエネルギーヒーリングなどのツールに頼りっぱなしでした。

 この頃は、周囲の様々なエネルギーに翻弄され、きつい思いをすることが多く、エンパスであることをポジティブに活かす余裕はありませんでした。エンパスというのは、脆く、弱い存在だと思っていました。

 

〈エネルギーフィールドをコントロールしているのは自分自身であると気づき、ツールに頼らず周囲の様々なエネルギーの影響を必要以上に受けなくなってから〉

 

 それまでは、エネルギーというものに対する自分の姿勢は、どちらかというと受け身でした。やってくるものは避けられないし、受けてしまったものは何かの助けを借りて取り除くしかない。そのように考えていました。しかし、あれこれとツールを試したり、個人的に様々な経験と学びを深めていくにつれ、ある時から、結局は人のエネルギーフィールドを全面的にコントロールしているのは、その人自身ではないのだろうか、と思うようになりました。一見無力で周囲の影響を避けられないように感じていたとしても、そもそもそのように定義づけしているのはその人自身です。その状態を変えたければ、定義づけそのものを変えればいいわけです。「私は無力である」から、「私が望めば何でも可能である」と認識を変えるのです。そして、「どのようなエネルギーに対しても、私は自分の力で対処できる」と信じていれば、そのようになります。

 この事実に気づいてから、実際にツールに頼らずエネルギーをコントロールできるようになるまで、しばらく時間はかかりました。頭ではわかっているけれど、本当にできることを心から信じ切れていない、中途半端な時期がだいぶ続きました。今現在も、完璧にコントロールできているわけではありません。けれど、かつての無力だった自分と比べて、だいぶ主体的に自分のエネルギーを扱えるようになりました。

 

 こうなってから気づいた大きな事実があります。それは、外部からやってくるエネルギーをたとえ”受けた”としても、そこに自分が反応さえしなければ、それは私のエネルギーフィールドを素通りして去っていく、ということです。確かに、私たちの周囲には、多種多様なバイブレーションのエネルギーが充満しています。そんな世界に身を置いているのですから、その一つ一つに逐一反応をし、その都度自分のフィールドに取り込んでいたら、身が持ちません。かつての私は、逐一反応して疲れていました。今は、意識とイメージワークで、どのようなエネルギーがやってきたとしても、それをスッと浄化し、流すことができるようになりました。エネルギーに対処できるということは、他人の影響を必要以上に受けないということでもあります。どんなネガティブエネルギーを放出している人と接したとしても、そのエネルギーの影響を受けない術はあります。ヒーリンググッズなどのツールの助けを借りなくても、本来は私たち全てに、そうしたことができる力が備わっているのです。もちろん、そのことを心の底から信じることができるようになるまで、一時的にツールの力に頼っても良いと思います。私も、自分に備わっている力を信頼できるようになるまでは、そうしたものにたくさん助けられ、守ってもらいました。そのような過程も必要だったと思います。

 また、自分の意識が大きく変わっていったのは、長年続けてきた瞑想の効果がとても大きいと思います。これをやっていなかったら(今も毎日続けています)、今現在このような状態にはなっていなかっただろうと断言できます。

 

 エネルギーに意識的になり、それに振り回されるのではなく、上手に付き合えるようになっていけば、自分がエンパスであることもプラスに活かせるようになります。エンパスだからこそ得られる感動や知識、体験があります。また、紆余曲折を経たことでパワーアップした自分をいかして、何かを生みだすことも、他者に貢献することもできます。本来そこを目的としているエンパスも少なくないのではないかと思います。まずは、自分は「弱い」のではなく「強い」のだということに、認識を改めること。そこから全てはスタートします。