2018年

9月

04日

愛VS恐れと我欲

 ここ最近、世の中の動きを観察していると、以前にも増して、不正やごまかしなど、今まで埋もれていた隠し事が表面に出てくる事例が立て続けに起こっていると感じます。地球全体のエネルギー(波動)が上がってきているので、愛と対局にある、恐れや我欲に基づいた人々の動きがどんどん表面化し、禊が行われているようです。浄化のために、自然とあぶり出されてきているのでしょう。

 この傾向は、この先ますます大きくなると思われます。そういう流れのようです。

 

 これは、世の中全体の動きだけではなく、個人的な出来事としても起こっています。今まで自分の奥底にしまい込まれていた、恐れや不安、怒り、悲しみなどが、パカッと蓋が空いたかのように表に出てきている方が増えています。それは全て浄化のために出てきていることなので、これを機にしっかりと向き合い、自分を癒し、解放していくのが良いかと思います。一度そうなったら、もう元には戻れない(”気づかなかった”ことにはできない)ので、再び無理やり封印しようとしても、ものすごい抵抗が戻ってくるだけです。

 こうなった時に、自分の中から湧き出てくる諸々の感情を他人にぶつけようとしても、うまくいかないどころか、出したエネルギーが自分に戻ってくるだけなので、お勧めしません。「こうなったのは〇〇のせい」と、起こった出来事を自分以外の誰かのせいや、環境のせいにしたところで、本当の癒しは起こりません。一方で、もう自分に嘘をついて生きていくのはやめようと腹をくくり、今まで見ないようにしていた心の内面にきちんと向き合う勇気が持てた人には、見える世界&見えない世界からの強力な応援やサポートもやってきます。

 

 何かを始めようとする時、何かを決断する時にも、それが愛に基づいた選択であれば、たくさんのサポートがやってきて、まるで波に乗るかのようにスムーズに事が進んでいく、ということが起こりやすくなっています。反対に、恐れや我欲に基づいた選択であれば、上手くいかなかったり、妨害が入ったり、どんどん空回りして前に進めない状態が続いたり、場合によってはこっぴどいお仕置きが待っていたり、という状況が起こりがちです。このことは、何となく自覚されている方も多いのではないかと思います。

 私自身も、特に最近、このような「愛VS恐れ・我欲」の構造を目の当たりにする出来事が増えていて、結局根底に愛さえあれば、何も怖くないんだなという確信に至っています。例えば最近の例で言うと、娘の部活問題。本当に生徒のことを思いやったやり方ではなく、己のエゴを満たすために生徒を利用するような部活の運営は、結局うまく回らなくなるのだな、と感じています。そして、そんな部活で苦しんでいる中学生達を助けたい、何かできることがあったらしてあげたい、と望んでいたら、あちこちからたくさんの助けがやってきて、動かされるようにして動く流れになり、改善の方向に進んでいます。

 こんな風に、愛に基づいた願いを宇宙に放出していれば、パーフェクトなタイミングでチャンスがやってくるので、それが来たら(ピンときたら)すかさず行動に起こす。これを繰り返していれば、どんどん波に乗れて、どんどん望む方向に導かれていきます。ただし、何度も言いますが、恐れや我欲に基づいた願いは、大きな痛手を食らうことになりますので、十分気を付けてください。巷で売られている「引き寄せ」のツールを書いた本にも、そもそも我欲に基づいた内容のものが数多く含まれていますので、本物か嘘かを見極める眼力を持っていなければ、そちらに引っ張られて堕ちていく可能性があります。

 愛に基づいた引き寄せは、お金や名誉を求める引き寄せとはベクトルが違います。恐れや我欲に基づいた引き寄せは、いずれ必ず立ち行かなくなり、将来的に破滅の方向に向かっていくはずです。表面上のきらびやかな世界に惑わされることなく、芯をしっかり保って、自分の選択が愛からくるものなのか、それとも恐れや我欲からくるものなのか、どうぞご自身に問いかけながら進んで行ってください。

 

2018年

8月

30日

チャレンジを助けてくれるエッセンス

 長かった夏休みが終わりました。静かな家で、1人静かに過ごす時間がとても久しぶりな感じです。

 

 この夏休みは、子供関係のお仕事がいろいろとありました。今年は、上の子の学校のPTAや部活の保護者役員をやることになったため、何となくせわしなく動いています。中学校になったら、PTA活動や保護者の仕事は小学校と比べて減るのかなと勝手に思っていましたが、意外とそんなことはありませんでした。PTAの組織はむしろ小学校より堅固だし(これは学校によるのかもしれませんが)、活動している方達はとても熱心です。また、中学校になると仕事をしているお母さんの割合が一段と増えるため、私のような、日中比較的動ける人の負担が自然と増えることになるのは致し方ないことなのかもしれませんが、保護者の負担の不公平感は小学校よりも増えているように感じます。

 PTAのお仕事というのは、一体どこまで携わったら良いのか、今でもよくわからないなと思います。関わり方の度合いが、その人のやる気と状況と考え方等によって大きく変わってきますし、「ここまでやったら合格」といった明確な目標があるわけではありません。そもそも、任期は基本は1年間なので、なんだかよくわからないうちに気づいたら1年が経ってしまった、という感じでいつも終わってしまうように思います。

 

 ちなみに私はPTAのお仕事というのは決して嫌いではないのですが、いつもこの「どこまでやったらいいのか」という加減の部分でよくわからなくなり、引き受けた仕事をいい加減にできない性格も相まって、任期中は何となく気ぜわしくなり、心身ともに疲弊してしまうパターンがこれまでは多かったです。

 ただ今年は、やるからには楽しんでやろう、そして誰も責めないようにしよう、と心に決めているので、あまり心理的にモヤモヤすることなく、ポジティブに頑張れています。PTAのお仕事というのは、何をやるかということよりも(もちろんやっている内容も大切なことですが)、PTAに関わることによって得られる、先生や他の保護者とのコミュニケーションや情報の方が大きいような気がします。PTAを引き受けた年は何かと負担が増えるものですが、その分、やらなかったら得られなかったであろう目に見えない報酬がたくさんあります。それに気づいてからは、他の人に代わって仕事を引き受けることも全く苦にならなくなりましたし、自分の時間と労力を提供できることにありがたさを感じるようにもなりました。

 

 そんなわけで、自分のできる範囲で頑張ろうと決めたために今年はあれやこれやとやることが増えてしまったわけなのですが、結局増やしているのは自分なんじゃないかとも思いつつ、あと約半年だし後悔しないようにやりきろうと自分にはっぱをかけている状態です。

 特に部活に関しては、例年にない酷暑だった今年の夏、そのことでいろいろと心配している保護者の声が聞こえてきたこともあり、先生に対して保護者としての意見・要望を代表して伝えるようなこともありました。ただ感情的に訴えるだけでは効果がないかもしれないと思ったので、保護者のLINEグループをまず作り、ちょっと一体感を出してから、そこで皆さんの声を集めて、それをまとめて先生に提出するという形をとりました。やはり集団の声は強いです。保護者が1人でワーワー言っても、うるさい親だなで済まされてしまったかもしれませんが、保護者全体としての意見です、という形できちんとした書面で提出した所、訴えがきちんと通りました。

 今年になって、スポーツ庁から新しい部活のガイドラインが出されましたが、今部活というものが大きく見直される流れになってきています。かつては当たり前だったスポ根気質のやり方も、今のご時世と、今の子供達にはフィットしていないなと感じますし、そういう昔風の威圧的な指導法をごり押ししている先生方は、子供達の心が離れ、どんどん空回りしていっているように見えます。

 私が中学生だった頃も、部活という狭い世界の中で自分の持てる権威を最大限に振りかざし、ピュアで力のない中学生の心と体を傷つけている教師はいましたが、その頃は部活とはそういうものだと思っていたし、親が助けてくれるという発想もありませんでしたから、黙って耐えるしかありませんでした。

 しかし自分が親になって、自分の子供や他の子供達が似たようなシチュエーションの下、教師の一方的な(時には理不尽な)指令に歯向かうこともできず従っている姿をみると、大人としてできることがあれば助けてあげたい、という気持ちが湧いてきます。たまたま今年は役員という立場になったこともあり、いろいろと工夫しながらチャレンジしています。今自分がやっているやり方が正しいのかどうかもわかりませんが、理不尽なことを黙って見過ごすことができない性格なため、直観を信じて、他の保護者の方達の協力も仰ぎつつ、時代に合った部活の指導方法を模索して頂くよう、これからも訴えていこうと思います。

 

 

 とこんな状況ですが、フラワーエッセンスにもたくさん助けてもらっています。特に心から感謝したいのが、アンジェリックの「Archangel Michael(大天使ミカエル)」。時には先生に面と向かって意見を伝えなければいけないシチュエーションもあるのですが、そんな時に勇気と力を与えてもらっている気がします。自分でも話しながら、「あれ、私よくこんなことが言えるな」と驚くことがあります。こんな時は、バックで自分を支えてくれる存在を感じますし、言っているのが自分であって自分ではないような感覚があります(言わされているような感じ)。うぶすなでのセッション中でもよくあることなのですが、この”言わされている感じ”になっている時は、自分の口から言葉が自然に出てくるに任せていると、相手の心にスーッと響いていくのがわかります。

 それから、意思をもって行動する時には、周りの反応とか、自分に返ってくる否定的な念などが気になって不安に陥ってしまうものですが、そういう不安も払拭してもらっている感じがします。不安があると、ともすればその裏返しで攻撃的になってしまう危険性があります。決して自分自身もモンスターになってしまわないよう、細心の注意を払って、冷静な判断と行動を心がけていこうと思っています。

 

2018年

8月

19日

恥とフラワーエッセンス

 アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは、著書『菊と刀』において、日本は「恥の文化」であると述べました。キリスト教世界である西欧が「罪の文化」(個々人の内面に”神”がいて、良心に逸れた行動を”罪”と考える)であるのに対し、多神教がベースである日本は、絶対的な”神”より、世間からどう見られるか、という周囲の目を気にしている、とのことです。

 確かに日本人は、個人的にどうしたいか、どう思うかよりも、周囲が自分に何を求めているか、何を期待しているかを気にして、それを行動のベースにしていることが多いような気がします。周囲の期待に背いた行動をとっている人が批判され、世間一般的な常識から外れた考え方を持つ人が異端視されることが多いのも、日本人は個性を前面に出すより、協調性を重視する傾向があるからかもしれません。

 そんな社会的風潮がある中で、周囲の目を気にして生きることが当たり前として育った人が、オリジナリティを発揮して自分独自の個性を花開かせることは至難の業ともいえます。よほどの強い意志と、逆風が吹いても負けない根気強さが必要です。また、ある程度「鈍感力」もあった方が助けになるのかなとも思います。誰がこう言った、ああ言われた、非難された、よく見られていない、云々を気にしていると、やりたいことにも思い切ってチャレンジできませんし、たくさんの制限をつくることになります。制限は、周囲からやってくるようで、実は自分がつくりだしているものです。意思と決意さえしっかり持っていれば、周囲の目や声というものは、実はたいした力を持つものではないことに気づきます。

 

 

 我が家には思春期の女子がいるのですが、思春期というのは特に、この「周りからどう見られているか」という感覚が強くなる時期のようです。周囲から浮くことや孤立することを極端に恐れており、そうならないために、個人的な主張を極力抑え、周りの友達に合わせることにかなりのエネルギーを注いでいます(個人差はありますが)。

 当然、日本人特有の”恥”の感覚も持ち合わせているので、「そんな恥ずかしい事はできない」とか、「そんなことしたら変な目で見られる」、「そんなことは誰もしてない」等々、”恥”をかかないための気遣いも大変そうです。

 

 娘もご多分に漏れず、一般的な思春期女子の感覚の持ち主なので、今現在は、あれこれと制限があるやや不自由な環境の中に生きているようにみえます。思い返せば自分もかつてはそういう時期があったし、今でも全く周囲の目を気にしないかと言うとそんなことはないので、ある程度縛られて生きるのは人間の性なのかなとも思います。

 ただ、必要以上に周りの目を意識し過ぎるのは窮屈ですし、ともすれば自意識過剰に傾きがちなこの時期、フラワーエッセンスにも何かとお世話になっています。例えば今、娘のトリートメントボトルにはオーストラリアンブッシュの「ビリーゴウトプラム」とアンジェリックの「Shame Free」を入れています。前者は、自分の肉体や容姿を嫌悪する人のためのエッセンスで、後者はその名の通り、「恥ずかしい」という感覚を癒すものです。これを飲むようになって、だいぶ細かいことであれこれと気にすることが減ったな、と感じます。例えば、ものすごく近くに寄ってジーっと見ない限り気づかない程度の小さな傷跡やできものなどを、必要以上に気にして「これどうしよう」と言ってくることがなくなりましたし、日焼けの線が恥ずかしくてサンダルが履けなかったのが履けるようになったり、着る服を気にし過ぎて何を着たら良いかわからなくなってしまうことも減り、着たい服を好きなように着るようになりました。

 また、今度英語の弁論大会に出ることになったのですが、その練習の時に、恥ずかしくてパッションを全面に出して表現することができなかったのが、思い切って表現することができるようになりました。

 

 日本人は特に、DNAの中に”恥”の意識が刷り込まれている民族なので、自分の中にどれだけこの”恥”の感覚が住み着いているのか、一度客観的に見てみるといいかもしれません。冷静に眺めてみると、”恥”とは実体のない魔物であり、周囲の目も周囲の期待も、全て幻であることがわかります。

 

 ところで、冒頭で紹介した文化人類学上の名著『菊と刀』を書きあげたルース・ベネディクトさんですが、なんと日本には一度も行ったことがなかったのだそうで、それを知った時に私は卒倒しそうなくらい驚いたものです。日本を訪れたことがない人に、なぜこれほどまで深い洞察の日本人論が書けるのか・・チャネリングでもしていたのでしょうか。

 それはさておき、日本人の民族的特性を調べる研究は、第二次世界大戦中に行われました。敵国である日本を知り、終戦後に占領下に置いた際、日本人をどのように扱うかという計画の参考にするためだったそうです。こう聞くと、完全に日本は手玉に取られていたようで悲しいものがあります。

 ただ日本や日本人も、第二次世界大戦の時代と比べると大きく変わってきていますし、多様性や個性もかなり尊重されるようになってきたように感じています。元々柔軟性もある日本人なので、より多くの人が生きやすい世の中になっていってほしいなと思います。

 

2018年

7月

30日

自己犠牲タイプの方は

 先日、残り少なくなってきたエッセンスを何本かまとめて発注しました。その中に、オーストラリアンブッシュの「アルパインミントブッシュ」というエッセンスがあります。

 

 到着してからエッセンス棚に並べようとしたら、なんと既に在庫として陳列していたことに気づきました。少し前に発注していたことをすっかり忘れていたのです。よほど私に必要なエッセンスなのでしょうか。

 

 アルパインミントブッシュは、他者のケアを優先させるあまり、自分のケアがおろそかになったり、バーンアウトしてしまったりしがちな人を癒すエッセンスです。ヒーリングや福祉関係のお仕事に就いている方や、育児や介護、看病などに時間と労力をとられている人など、他者への責任を負うことが多い人に最適です。

 お世話を必要としている人を助けることや、困っている人の役に立つことはとても尊い仕事ですが、やり過ぎて自分のエネルギーが枯渇してしまったり、気力や体力の限界まで頑張って参ってしまっては、元も子もありません。時には休んでリチャージすることも大切ですし、バランスをとりながら自分のケアもきちんと行っていくのが、長続きする秘訣かと思います。

 

 特に、人の役に立ちたいという思いが強い方は、できるだけ多くの人を助けようとするあまり、どんどん忙しくなり、プライベートの時間を犠牲にするような状況に陥ってしまうことがあります。癒しのお仕事に就いている方であれば、クライアントさんが必要以上に依存してきたりといった、共依存の関係にはまってしまう危険性もあります。

 また、「人に頼られている=自分が存在している価値がある」という無意識の思い込みがある場合、自分の価値を確認する手段として、”私がいなければだめ”という状況を創り出していることもあります。

 休む間もない程スケジュールがびっちりで、休むことに罪悪感があったり、忙しいということはそれだけ世の中から求められている証拠だという思いがあるような方は、少し立ち止まって、今の状況が本当に自分が望んでいる状況なのかどうか、問いかけてみると良いかもしれません(アルパインミントブッシュを飲みながら)。

 

 

 ちなみに私がこのエッセンスを飲んでみたところ、夏休み中、息子の友人達が遊びにきた時、家のリビングを使ってもいいけど1時間までにしてね、と言うことができました。今流行りのゲームを、テレビの大画面を使って遊びたがるのですが、テレビはリビングにあるので、息子達が遊んでいる間、私は別の部屋でしか作業ができません(とてもうるさいので・・)。アルパインミントブッシュを飲んでいたところ、ふと、「あれ、なんで今まで息子達にこんなに気を遣って遠慮していたんだろう」という思いが湧いてきました。考えてみたら、彼らがゲームをやるために、私が何時間もリビングを明け渡す必要もないわけです。

 提案してみると、案外息子もすんなり了承し、約束の時間になったらさっさと二階へ移動してくれました。

 

 無意識に抱いている思い込みというのは、その思い込みがあるということに客観的に気づいてみると、「どうしてあんな風に思っていたんだろう」と不思議に思うものです。人は、とらわれている間は、とらわれているという事実になかなか気が付かないのです。フラワーエッセンスは、こんな風に、人がとらわれている状況から抜け出すお手伝いをしてくれます。

 

2018年

7月

18日

酷暑のさなかのエッセンス

 フラワーエッセンスをご愛用の方は、エネルギーに敏感なタイプが多いようです。そのためか、”バリアー・プロテクション系”や”浄化・クリアリング系”のエッセンスが自然と人気になっています。うぶすなでも、よくそういったエッセンスのリクエストを頂きます。

 様々なメーカーさんが、バリアー系、浄化系エッセンスを扱っています。単品のエッセンスもありますし、数種類がミックスされているコンビネーションタイプもあります。

 それぞれ好みや相性などもあると思いますので、ピンときたものや、一度使ってみて効果を体感したものなどを選ぶといいかもしれません。

 

 私も、個人的にブレンドしたバリアー系のエッセンス、浄化系のエッセンスを常備しているのですが、両方共ほぼ毎日のようにお世話になっています。どこかに出かける前は、必ずバリアー系エッセンスを飲みます。これを飲んで行った日と飲まなかった日とでは、帰ってきてからの自分の状態がが全く異なります。フラワーエッセンスに出会う前は、人混みや様々な人が交わる場所に行った後には、必ずと言ってよいほど体が重くなったり、頭痛がしたり、気分が悪くなったりしていたのですが、バリアーのエッセンスを飲んで行くとそういうことがありません。自分がエネルギーフィールドの中で守られている感覚があります。

 また、バリアー系を飲んで行くのを忘れて出かけた際、少し重たいエネルギーがついてしまったなと感じても、浄化系のエッセンスを飲むとスーッと軽くなって、気分がスッキリします。何かショッキングな体験をしたり、見たり聞いたりした時、頭の中に焼き付いた映像が離れなかったり、誰かの言葉や念などが突き刺さって取れていないように感じる時などにも、浄化系のエッセンスは助けてくれます。

 

 最近は酷暑が続いているので、新しく作ったバリアー系のトリートメントボトルに、オーストラリアンブッシュの「ムラムラ」を入れています。これは、”火”にまつわるトラウマや、火傷、日焼け、ほてりなどに対応してくれるエッセンスで、強い日ざしを受ける前に飲んで行くと、そのダメージを直で受けるのを防いでくれる感覚があります。ワークショップの時にも、フィールドワークに出かける直前、イアンさんが参加者たちに、「皆さん、今日は暑いので”ムラムラ”を飲んで行くのを忘れないで!」とおっしゃっていました。

 私は暑さが苦手で、例年この季節になると外出するのが億劫になっていたのですが、ムラムラを飲むようになったら、不思議とこの猛暑のさなかでも、外に出るのがさほど苦痛ではなくなりました。強い日差しを浴びても、なぜか耐えられるというか、ダメージが少ない感覚があるのです。苦痛が軽減されている感じです。そのためか、最近会う人会う人に、「日焼けしましたね」と言われます。「綺麗に焼けていますね」とも言われます。そういえば、日焼けで赤く腫れることもなくなりました。(一応日焼け止めは塗っていますが)

 また、中学生の娘はとてもハードな運動部に入っているので、親としては熱中症にならないか心配です。一日中外で試合がある日などには、必ず水筒にムラムラを入れるようにしています。本人に「最近暑いけど大丈夫?」と聞いてみたら、「そんなに暑いっけ?」との答え。暑さの影響を和らげてくれるエッセンスを入れていることを伝えたら、「そういえば、暑いは暑いんだけど、辛いとかもう嫌だとかは思わない」とのことです。

 エネルギーフィールドでバリアーが張られていると、肉体レベルでもダメージが少なくなるのだなと思います。

 

 ちなみに浄化系のエッセンスは、家族全員のトリートメントボトルにそれぞれ必ず入れています。仕事や学校などで、日々様々な人と関わっていろんな経験をしていると思いますが、家に帰ってきた時は一度リフレッシュして、また次の日へのエネルギーをチャージしてほしいなと思うからです。ただいまと帰ってきた時に、少しキツイ目をしているなと感じた時でも、エッセンスを飲んでしばらくすると、少しずつ表情が和らいでいくのがわかります。

 

2018年

7月

15日

オーストラリアンブッシュワークショップ報告②

 ワークショップ二日目には、屋外に出て自然を感じるフィールドワークも行いました。ワークショップの主催者ネイチャーワールドさんの建物から歩いて数分の所にある、とても気持ちの良い緑道です。

 そこでしばらくお散歩(?)をした後、涼しい木陰がある場所で、イアンさんが自然界と自然霊の話をしてくださいました。

 

 イアンさんによると、数年前くらいから、自然界と人間界との間にあったヴェールが薄らいできているのだそうです。今の時代に生きている私たちは、数十年前と比べると格段に自然界(霊)とのコンタクトがとりやすくなっているとのこと。

 庭仕事の途中に精霊に出会ったという、イアンさんの友人の話など興味深かったです。その友人は、下半身が獣で上半身が人間の姿をした精霊が歩いているのを見たそうなのですが、その精霊と目が合った時、向こうは自分の姿が見えていることに驚き、一度通り過ぎようとしたけれど再び戻ってきて、『オレの姿が見えるのか?』と聞いてきたのだそうです。

 

 イアンさん自身も、たくさんの自然霊の協力を得てエッセンス作りをしています。諸々の自然霊を引き連れて歩いているような人なので、フィールドワークの時にもそうした存在が背後で協力してくれているのを感じました。

 フィールドワークの最後の方で、”スピリチュアル・グリーティング”という祈りの言葉を全員で唱えたのですが、その祈りを唱えた後、自然界や精霊界との境界線がフワッと薄れたのを感じました。各々の木には精霊が宿り、鳥たちの鳴き声にはメッセージが込められ、風は何かを運んできてくれている・・・そんな自然界が発しているバイブレーションを、感じようとしてこなかったのは人間の方であって、あちらの世界が拒絶していたわけではないんだな、と思いました。壁を作っているのは、私達の意識でしかないのかもしれません。

 このフィールドワーク以降、日々の生活の中でも、できるだけ”自然”にふれあい、そこに宿るスピリットの存在を感じるようにしています。こういう感性というのは、スピリチュアルマッスルなどと言ったりもしますが、筋肉と一緒で、鍛えれば鍛える程強化されていきます。「自分にはそういう能力がないから」などと思い込んで感性をフルに使う努力をしないのはもったいないです。スピリチュアリティ(霊性)は本来誰にでも備わっているものなので、感性を磨いていこうという意識を強くもっていれば、時代のエネルギーも手伝って、どんどん開花されていくと思います。

 

2018年

7月

04日

オーストラリアンブッシュワークショップ報告①

 オーストラリアンブッシュフラワーエッセンスのワークショップ「レベル2」を受けてきました。

 

 相変わらず目の覚めるようなカラーのスーツに身を包んだイアンさん。今回もたくさん深淵な知識を授けてくださいました。大変濃密な2日間でした。

 

 オーストラリアンブッシュ(AB)のエッセンスは、飲んだ方がエネルギーを感じやすいようで、具体的な変化も起こりやすく、ファンがとても多いです。スピリチュアルな変容をもたらしつつ、現実的な問題解決にもわかりやすく繋げてくれますし、エッセンスを飲んだからといってフワフワと地に足がつかない状態が続くようなことはまず起こりません。

 

 エッセンスは、作り手さんの個性が反映されるものですが、ABエッセンスがこのように堅実な変化をもたらしてくれるのは、作り手であるイアンさんのキャラクターが強く影響しているような気がします。イアンさんは、スピリチュアルな深い知識をお持ちで、見えない世界とも強く繋がっていらっしゃる方ですが、同時にしっかりと地に足をつけた、現実的な考え方をなさる方でもあります。話は非常にわかりやすく、筋道が通って論理的ですし、地球や自然界との繋がりもとても大切になさっています。スピリチュアリティを高めながら、しっかりとグラウンディングして生きるとは、こういうことなんだなと思います。

 スピリチュアルに興味があり、見えない世界との繋がりが元々強いタイプの方は、ともすればそちらの世界に引っ張られ過ぎてしまい、現実との折り合いをつけて生きるのが難しくなることがあります。スピリチュアルな世界は美しく、パワーも強いですし、惹かれるのは当然かもしれません。けれど私達は意味あって今こちらの世界にやってきているので、あまりスピスピし過ぎて現実が嫌になってしまうと、こちらでのミッションになかなか辿り着けなくなってしまいます。なんでもバランスが大事なので、スピリチュアリティとグラウンディング、この二つを同時に意識して、極端な方向に偏り過ぎないように気を付けた方が、いろいろとうまく回っていきます。

 

 イアンさんはアボリジニの方々とも深い繋がりを持っていらっしゃるのですが、元々アボリジニというのは、しっかりグラウンディングをしている人々なのだそうです。地に足をつけつつ、スピリチュアリティを追求しているというわけです。ABエッセンスは、そのエネルギーを持っているとの話に、納得がいきました。

 

 

 足場が不安定な崖の上の花を採取したり、ワニやヒルがうようよいる池に入っていったり、トゲのある花で怪我をしそうになったりと、エッセンス作りも楽ではありません、とおっしゃっていました。今でも個々の花からエッセンスを作るのはイアンさんだけなのだそうですが、広いオーストラリアの大地をあちこち駆け回ってエッセンス作りをやりつつ、毎年世界各地でワークショップを開いているだなんて、そのバイタリティに頭が下がります。

 スーパーマンのようなイアンさんですが、数年前に車の事故に遭った時の話をしてくださった時には、”裁判のことを考えていたら頭の中でいろいろなことがグルグルまわってしまい、それを鎮めるエッセンスをとった”とおっしゃっていました。イアンさんほどの方でも、そんなことがあるんだな、と少しホッとしたりしました。

 最初は意外だったのですが、イアンさんはジョークもお好きで、たまにきわどい冗談を真顔でとばすお茶目な一面もお持ちです。スピリチュアルに生きるといっても、人間らしさってやっぱり大事だよなあ、と思います。

 

 今回のワークショップでは、ここに書ききれない程多くの貴重な話を聞いてきましたが、中でも"The power of prayer"(祈りの力)を強く私が確信することになった、ある女性の話が印象的でした。

 

 ある女性が高速道路を運転していると、前の方で事故があったようで、車が渋滞でとまりました。その女性は、事故に巻き込まれた方々のために、運転席で癒しの祈りをしました。

 6週間後、その女性の家のドアをノックする音がしました。ドアを開けてみると、見知らぬ女の人が花束を抱えて立っていました。そしてこのように言いました。

 

『私は交通事故でひどい怪我を負ったものです。意識が抜けていた(体外離脱をしていた)際、あなたの車の中から、癒しの白い光がとんでくるのがわかりました』

 

 その方は、ヒーリングエネルギーを送ってくれたことに感謝をしに来たのです。意識が宙を飛んでいる時、ナンバープレートも目に入ったため、病院にいる間、どの方が自分にヒーリングエネルギーを送ってくれたのかが分かったのだそうです。

 

・・・イアンさんはこの話を、強い肉体的・精神的ショックを経験した時に人は体外離脱をすることがある、という説明の一環で話してくださったのですが、私は祈りの力って本当に具体的に存在しているんだな、と強く思いました。体感的に感じてはいましたが、こういう話を聞くと、それが確信に変わります。

 

 これまでもうぶすなのセッションでABエッセンスは使ってきましたが、ワークショップで1つ1つの花とそのエッセンスのディープな説明を受けたことで、また更に理解が深まったように感じます。今回のワークショップで得られた知識と経験を活かしつつ、私自身が向上していく努力を続け、皆さんに還元していけたらと思っています。

 

 

2018年

6月

28日

思春期って

 先日、娘が通う中学校の体育祭がありました。小学生とは体格も異なり、中学生が本気で走る姿は、近くで見ていてとても迫力がありました。毎日部活で鍛えているだけあって、娘の同級生達が中学校に入学してからどんどん顔つきや体つきが精悍になっていく様は、傍目で見ていても頼もしく感じます。中2になった娘も最近は身長がちょうど私と同じくらいになり、本気でかかってこられたら負けそうです。食事も私の二倍くらいの量を食べるので、それだけエネルギーを使っているのだろうなと思います。

 そんな風に見た目では逞しくなっているように見える中学生ですが、やはり中身はというと「まだまだ子供なんだな」と感じることも多いです。肉体的にも内面的にも大人と子供の狭間にいて、その間を迷い悩みながら行ったり来たりしているのが中学生のように思います。

 

 大変盛り上がった体育祭でしたが、その余韻はまだ続いているようで、クラスの子達と今度打ち上げをやることになったから行ってもいい?と聞かれました。中学生で打ち上げとは・・時代が違うからなのか、私が育った田舎とは環境が異なるからなのかはわかりませんが、私が「打ち上げ」なるものの存在を知ったのは高校生になってからだったように思うので、カルチャーショックを受けました。

 こういう質問をされてとっさにどう答えたら良いのか、こちらも初めての経験なので少し迷います。とりあえず、お店の場所を教えることと、帰ってくる時間ををきちんと守ること、などを約束させてOKしました。

 その答えを聞くや否や、携帯の所にダッシュして何やらお友達に報告をしていました。普段は反抗的態度が多く、こちらが何か言えば条件反射的に反発してくる娘ですが、こういう時は一応「母親の了承」がものをいうのだなとおかしくなります。

 

 打ち上げに行くことが決まったら、次は「何を着ていくか」でひと騒動。お風呂に一緒に入っている間、上はどのTシャツを着て、下は何を合わせたらいいのか、あれは合わないこれは生地がダメ、これはいいけどちょっとガーリー過ぎるかも、髪型はどうしよう、どのヘアバンドが合うか、etc... ずっとしゃべり続けていました。

 一応基準があるようで、ガーリー過ぎるものは(ぶりっこだと思われるので)だめ。無難なカジュアル路線を採用しつつ、かつおしゃれで流行もさりげなく取り入れたい様子。イヤリングはつけていきたいけど、誰もつけてなかったらまずいから、お店に行って様子を見てからつけるとのこと。自分1人が浮いてしまうことと、おしゃれじゃない人のレッテルを貼られることを極度に恐れているようです。

 そんなに他人の目を気にしないで自分が着たい服を着たらいいんじゃないの。自分が思っている程他人は気にしてないと思うけど・・などと間違っても口に出してはいけません。自分の立ち位置と、周りからどう見られているかを極端に気にするのが思春期というものです。

 

 今、娘が思春期を謳歌していることで、私自身もなんだか青春を再び味わっているような気持ちになることがあります。大人の冷めた目で見れば、そんな服装1つで大騒ぎしている状況なんて、一笑に付す程度のものかもしれません。けれど自分の若かりし頃を思い返してみても、渦中にいる時というのは、不安と自信のなさに圧倒されながらも、何とか無難にこなそうと1つ1つが真剣勝負です。

 いろいろとツッコミを入れたくなることは多々ありますが、二度とやってこないと思っていた青春を、間接的にだけれどもう一度楽しませてもらっていることには、感謝しなければいけません。私は自分の時は思春期を全く楽しんでいなかったので、特にそこに関しては少し後悔があります。「こんな時期早く終わればいい」とずっと思っていました。純粋に、もっとエンジョイしていればよかったな、と思います。

 

2018年

6月

13日

ミュージカル

 小学生の頃、初めて福島から上京して家族とミュージカルを観に行って以来、ミュージカルは私の心のエネルギー源となっています。学生時代や独身の若い頃はお金もなかったのに、よくもあんなにたくさん観劇に行けたなあと思うくらい、足繁く劇場に通っていました。少しでもお金があったらチケットを買っていたので、毎月ギリギリの生活をしていました。それでも心は満足でした。

 人気の作品は何度も再演されるので、同じ作品を別のキャストで繰り返し観たりもします。良い作品は何度観ても感動しますし、演者によって表現の仕方が異なるので、その違いを感じるのもまた楽しいです。また、年月を経て私自身の内面が変わっていったことにより、同じ作品でも昔と違った視点で眺めている自分に気づいたりもします。

 

 若い頃とてもとても大好きで、観る度に深く感動していた、とある有名作品があります。主人公は、純粋でひたむきな心の持ち主の女性。愛する男性のために身を捧げ、子供も宿しますが、社会的な事情から恋人と引き裂かれてしまいます。会うことが叶わなかった何年もの間、女性はいつか恋人と再会できることを夢見て忠実に待ち続けます。ところが、男性側は途中であきらめてしまい、別の女性と結ばれてしまうのです。主人公がその事実を知り、自分の想いがもはや叶わないことを知った時、絶望して自ら命を絶ってしまいます。

 

 10~20代の頃の私は、主人公の熱いパッションに共感し、純粋でひたむきな思いに心を打たれて毎回涙して観ていました。自分の命をかけてまで愛を貫くって美しい、などと感じていました。

 

 数年前、久しぶりにその作品が上演されることになり、私はチケットを購入しました。またあの感動を味わえる、とワクワク楽しみにしていました。

 ところが、いざ観劇してみると、以前とは感じ方が全く異なっている自分がいました。若かりし頃のように心が動かされていないことに、少なからずショックを受けました。私は鈍感になってしまったのだろうか・・

 主人公がひたむきに1人の男性を愛し、引き離されている間も諦めることなく、熱い情熱を保ち続ける姿に、かつての私は胸を打たれていました。けれどその時の私はふと、

 

――――― あれ、これって、”執着”なんじゃないのかな ―――――――

 

 と思ってしまったのです。現実を受け入れられず、1人の異性に固執し、周りを見ず、更に更に自らの命まで絶ってしまうとは。他にも男性は星の数ほどいるわけだし、1人の人にこだわる必要はないし、もっと広い視野で人生を眺めれば、一度思うようにいかなかったからといってそこでリセットすることもないのでは・・しかも子供もいるのに。現実を見るべきなのではないだろうか。本当の愛って、相手を思いやることではないだろうか。そして人生の流れを受け入れてそれに身を任せることではないだろうか。子供と相手のことを本当に思うなら、自分は潔く身を引いて、その先の人生を前向きに生きればいいんじゃないだろうか。それを拒んで人生を終わりにしようだなんて、自分中心の欲に負けたっていうことじゃないだろうか。

 観ている間にモヤモヤとそんなことを思ってしまっていました。そんな冷めた視点で眺めてしまっている自分が、なんだかすごく年をとってしまったかのように感じました。

 

 同じように、その後間もなく娘と一緒に観に行った「ロミオとジュリエット」も、悲劇の展開にハラハラと涙する娘の隣でやはり、

 

―――――ー あれ、これも”執着”なんじゃないのかな ―――――――

 

 と引いて観てしまった自分がいて愕然としました。恋愛って一見美しいけど、実の所執着なんじゃないか・・周りが見えなくなって盲目になり、1人の人に異常にこだわることは執着というのではないか。恋愛に夢中になっている人って、浮足立って地に足がついていない、冷静さを欠いた視野狭窄状態なんだな・・そんな風に思ってしまいました。もはや、恋愛ものや悲劇を純粋に感動できないのだろうか。私はもう感動する心をなくしてしまったのだろうか、とかなり焦りました。

 

 

 その時から数年経った今、よくあるラブストーリーなどを、それはそれでエンターテイメントとして受け入れられるようになってきたので、ちょっと安心しています。一周回って純粋に楽しめるようになってきた感じです。一度ものすごく冷めた視点で眺めた後、それを普通に楽しもうというゆとりが生まれたような気がします。人間なんだから、この世で生きているんだから、ドラマがあっていい。

 

 ミュージカルを観た後の自分が、若い頃と違うことがもう1つあります。それは、舞台のエネルギーに圧倒され、その波にしばらく飲まれた生活を送ることがなくなったことです。観劇の後、フワフワと別の世界に漂って現実生活にうまく対処できなくなるようなことはなくなり、きちんと地に足の着いた状態に切り替えることができています。

 年をとったせいなのか、自分がエネルギースポンジになることをやめたからなのか、もしくはその両方なのかもしれません。

 

2018年

5月

29日

悩みを捨てたかったら

 フラワーエッセンスの売れ筋商品としては、「豊かさ」や「女子力アップ」「恋愛成就」をテーマにしたものが多いです。それと同時に、「浄化」や「手放し」系も根強い人気があります。

 

 何かを手に入れようともがくより、まずは必要のない心の重り(トラウマ、思い込み、とらわれ、執着、恐れ等)を外した方が、より心は軽くなり、本当の幸せに繋がりやすくなります。

 

 人が悩んでいる時というのは、何かに縛られている時です。何かを失うのが怖かったり、何かが手に入らないのではないかと不安になるから、自分の中で矛盾が生じてその葛藤に悩むのです。悩みから解放されたかったら、自分の中にある「縛り」を捨てると、悩みそのものが生じなくなります。外的な要因は、実はあまり関係がありません。不思議なことに、自分が内側で縛りから解放されると、今まで自分を散々悩ませてきた外的な要因がなくなったりします。周りの人や環境が自然と変わっていくのです。まずは内側で変化が起こり、その後外側に変化が起こります。

 

 フラワーエッセンスには、その人が何かに固執している時、そのとらわれを剥がしてくれる作用があります。何かにとらわれている状態というのは、その人にとって理想の状態ではありません。フラワーエッセンスは、その人がその人らしく輝いている姿に導いてくれるものです。

 

 

 自分が一度根本からクリアーになりたいという方は、2017年に新しく出た、アンジェリックの『Cosmic Reset』というエッセンスがお勧めです。とらわれている時というのは、とらわれているという事実にすら気づかないものです。こうしたものを飲んでいると、まずは自分が「とらわれている」「とらわれていた」という現実に気づかされます。そして、その後不必要な執着やら思い込みを手放すプロセスが始まります。エッセンスは、そのプロセスさえも助けてくれます。

 

(Cosmic Resetの解説です↓)

全てがふさわしい場と状態にあり、私たちは新たな人生に向けてリセットする準備ができました。コンピューターや電話等がさらによく機能できるよう時折リセットする必要があるように、私達も人生を時にはリセットする必要があります。リセットを行うと秩序が戻り、役に立たなくなった古いエネルギーが解消されて、私達のエネルギーや人生が洗練されて、新鮮さと明確さをもって進むことができます

~ネイチャーワールド㈱ホームページより引用

 

 

 私が浄化・手放し系のエッセンスを飲んでいた時のこと。ボーっとテレビを見ていた時、ふと

 

「今回できなかったら、次(の人生)でまたチャレンジすればいいんじゃない」

 

 という言葉が内側から響いてきました。いきなり響いてきた言葉には力があり、深い部分から強く訴えるパワーがありました。

 そっか、それもそうだ。何も今回の人生で、やりたいことを全て成し遂げようとむきになる必要はないんだ。できなかったら、また次の人生でやればいい。全然焦らなくていいんだ。

 

 そんな風に自然と思えました。あれもこれもやらなきゃ、やり遂げなきゃ、と少々気負い気味だった私は、なんだか肩の荷がスーッと下りたような感じがしました。案外、人生で成し遂げるべき課題は、実はそんなに数多くあるわけではないのかもしれません。神様は、一度にそうたくさんの宿題は与えないものです。その時その瞬間、自分の目の前にある課題を1つ1つこなしていけばいいのであって、結果や遠い未来のことは思い案じる必要はないような気がします。1つ1つこなしていったその先に、自然と道が拓いていきますし、学ぶべき課題は必ず学ぶことになっているから、環境や物質的な状況も自然と整います。

 

 長年しがみついていた心の縛りを取り外していくと、憑き物が取れたように心が軽くなっていきます。自分の外側でどんな嵐が吹き荒れていようと、内側が穏やかな状態であれば、苦ではなくなります。心さえ平穏を保っていれば何が起こっても大丈夫なんだとわかれば、外的な要因を怖がることもなくなっていきます。

 

2018年

5月

24日

アファメーション

 昨年8月に91歳で亡くなったルイーズ・ヘイさんといえば、アファメーションの力を世界中に広めた先駆者として、自己啓発・スピリチュアル界では知らない人はいない存在です。

 私も、彼女の著書を何冊も読み、その生き方を含めた力強い前向きパワーにだいぶ助けられました。

 

 ルイーズさんの本に出合った頃、はっきり言って私はネガティブまみれでした。昔から批判精神が旺盛で、何事も最初から疑ってかかる所がありました。物事を斜めから見る習慣がいつの間にかついてしまい、若い頃はそんな皮肉屋である自分を、性分なのだから一生変わることはないだろうと考えていました。

 けれど心のどこかでは、そんなひねくれた自分に違和感を感じ、このままでは嫌だ、このままでいてはいけない、という思いがありました。本当は、私は人を信じたいし、人を愛したい。思えば、とても小さかった頃の私は、それができていました。自分で言うのもおかしいですが、ストレートでピュアで、人が言うことは何でも信じてしまうような子供でした。それが、世の中の汚い部分や人のダークな一面を垣間見ていくうちに、次第に変わっていきました。いちいちショックを受けてへこむのが苦しくなっていったのです。それで私は、防御策として、逐一裏切られて嫌な思いをするくらいなら、最初から世の中は汚いものだと思うことにしよう、人は信じられないものだと思うことにしよう、と自分自身を納得させるようになっていきました。

 そんなこんなで、ナイーブな内面を抱えながらもひねくれた少女に育っていった私は、すっかりネガティブ思考が身につき、でも本質的にはピュアな部分も併せ持つために、違和感と自己嫌悪感も同時に抱いているという、自己矛盾した心の状態が続いていました。

 

 ルイーズ・ヘイさんの本と出合った頃は、そんな自分にほとほと嫌気がさし、また自分自身の内面を揺さぶるようなウェイクアップ・コールが起こっていた時期だったので、読みながらとても共鳴する感覚がありました。

 けれど、ルイーズさんの本にもたくさん書かれていて、彼女自身がずっと実践してきたポジティブなアファメーションに関しては、なぜかその時には実践する気持ちになれませんでした。思うに、ずっとネガティブ優勢の心理状態で生きてきた人が、いきなり180度ポジティブにシフトすることはちょっと難しいというか、無理があります。ルイーズさんのように、自分のダークサイドを克服してポジティブに自己変革しながら理想の人生を生きられたら幸せなのだろうな、とは思いつつも、ちょっとその時の自分にはその道のりが遠すぎて、いきなりポジティブ全開にはなれないし、拒否反応が出てしまったのだと思います。

 

 その後私は長い時間をかけて1つ1つ心のお荷物を外していき、かつての自分とは比べものにならないくらい内面がクリアーになりました(まだ完璧ではありませんが)。ネガティブ思考の餌食になることも減り、ともすればダークサイドに偏りがちだった自分が、気づいたらポジティブ優勢になっていました。その状態になって初めて、私は改めてルース・ヘイさんのポジティブアファメーションを具体的に実行してみようという気持ちになりました。「これを実践すれば自分は更に変われる」という確信のようなものがありました。

 実践してみると、アファメーションというのは本当にパワフルで、思ったより即効性があって驚きました。言葉の力というのは、私達が考えている以上に影響力があります。そして、心の中で唱えるより、実際口に出して言った方が絶対に効果があります。

 

 最近わかったのですが、ポジティブアファメーションというのは、心の中で信じていようがいまいが、とりあえず口に出して言ってみることに意味があります。自分自身が疑っていても、信じることができなくても、とりあえず”言葉”に出して言うことで何かが変わるのです。ネガティブまみれだったかつての私は、そのことさえ信じることができず、実践するまでにかなり遠回りをしてしまいました。その効果を実感した今となっては、ネガティブまみれであっても、信じられなくても、とにかく騙されたと思ってブツブツ唱えていればもっと早く楽になれたかもしれない、と思います。

 

 

2018年

5月

22日

怒りの大元

 フラワーエッセンスを使い始めた頃、個人的に使用頻度が高く、大変お世話になっていたのが、バッチの『ホリー』というレメディでした。これは、イライラ・むしゃくしゃ・怒り・嫉妬・妬みといった、他人に対する攻撃的な感情を和らげてくれるものです。思えば若かりし頃の私は、”怒り”を原動力に生きてきたような所がありました。世の中でゆるせないこと、ゆるせない人がたくさんいて、そういう不満や疑心を糧に、反抗心や反発心をエネルギーにして、頑張っていたような感じです。

 若かりし頃は、そのおかげでいろいろなことに挑戦することができましたし、ある程度プラスに働いていた部分もあるとは思います。けれど、そういう生き方をずっと続けるのは疲れるし、とてもしんどいです。怒りのエネルギーは、相手に向かっているようで、そのベクトルは必ず自分の方にも向かっています。怒りの感情に苛まされると、まず自分の内面が爆発して、その余波でしばらくどす黒い燻煙がたち続けます。この余波によって、自分の内面が汚されていく感じがずっとありました。簡単に言うと、怒りを抱いている間は、まったく気分が良くないのです。

 結局、怒りの感情は、他人にとってだけでなく自分にとっても、良い事なんか何もないということに気づき、私は自分の中の”怒り”と対峙することに決めました。

 

 ちょうどその頃、「怒りに向き合う方法」や「アンガーマネジメント」といったテクニックが巷で紹介され始め、いくつか試してみたりもしました。けれど私の感覚として思うのは、そういったテクニックは、一時的に怒りを鎮めてくれるかもしれませんが、結局は対処療法に過ぎないということです。怒りの根本原因が癒されないままであれば、次に似たようなシチュエーションが起こった時、怒りは再びやってきます。そして、その状況は何度も繰り返されます。

 

 この根本原因を突き止める努力を避け続けていれば、どれだけアンガーマネジメントを実践しても、何十本ものフラワーエッセンスを飲んでも、怒りは生じ続け、その感情に苦しみ続けると思います。

 

 この先の人生、怒りに支配されて生きるのはまっぴらごめんだと決心し、”怒り”が生じる度に、徹底的に自分の内面に向き合い、一体私の中の何がこの怒りを生じさせているのか、自分に問い続けました。自分が本気で知りたいと願ったことは、必ず答えが返ってきます。勇気を出して己の内面に向き合ってみると、今まで気づかないフリをしていた、たくさんの”思い”や”信念”や”恐れ”が出てきました。私はその1つ1つに向き合い、受け入れ、そして手放していきました。

 

 

 ふと気づいたら、私はすっかり、「ホリー」のお世話になることが減っていました。今でも時々飲むことはありますが、大体は日々の生活で起こるかすり傷程度の感情です。私が私に正直に向き合うようになったら、怒りで自分をごまかすのではなく、あるがままの在り方を受け入れられるようになってきました。怒りは、何かを受け入れることを拒絶している、抵抗の証です。自分の中の許容が深まれば深まる程、抵抗が減り、結果怒りが生じることも減っていきます。

 

2018年

5月

16日

Turst(信頼)

 最近セッションでよく出るのが、アンジェリックの『Trust』。

 自分の中の、”信頼”を高めてくれるエッセンスです。

 

 本当はこうしたい。本当はこっちに進みたい。本当はこうありたい。今目にしている現実や状況とは別に、自分の本質的な部分が望んでいる状態が他にある場合。そんな自分になることを本心では望んでいるのに、なぜか一歩が踏み出せなかったり、現状に甘んじてしまったり。人間は変化を起こすよりも、現状を維持することに安心感を覚えるものなので、どうしても前に進むことに躊躇しがちです。

 

 セッションでいろいろな方とお話していても、皆さん本当は、自分が「どうしたいか」「どうありたいか」という心の奥底にある願望には、ちゃんと気づいています。気づいてはいるんだけれど、それが「正しい」のかどうか、そっちに進んで大丈夫なのかどうか、少し不安を抱いてしまうことが多いようです。特に、今までの人生で、自分の本質的な望みより周囲の願望に合わせることが多かった場合、自分の気持ちより周囲の望みを優先する方が、何となくしっくりきてしまうのです。その場合、自分が本当に望んでいることを優先させることに対して、罪悪感があったり、批判されるのではないかという恐れが湧いてきたりします。

 

 自分の本当の気持ちに忠実に生きる、自分の本心が望んでいる選択をする、と決めた時、重要になってくるのが、”信頼”です。自分の思い、直観、能力、導き、そういったものに全幅の信頼を置けるかどうか。誰がああ言っているとか、あの人がこうしてるとか、一般的にはこうだとかいう固定概念に縛られず、次々と沸き起こってくる疑念や恐れに惑わされず、そして何より自分が自分に対してずっと抱いてきた不信感に負けることなく、進むべき道をただ進む。

 アンジェリックの『Trust』は、そんな状況にある人に、自分を信じる気持ちを高めるサポートをしてくれます。深い部分から、「あ、これで大丈夫なんだな」と思えるようになるエッセンスです。そして、自分の元にやってくるガイダンスに対する信頼感も高めてくれるので、たとえ現実世界で孤立無援であっても、自分は1人ではない、守られている、導かれている、という感覚がもたらされ、深い安心感に包まれます。

 

 

2018年

5月

07日

タロットのこと

 うぶすなでは、ご希望されたお客様には、無料でタロットセッションをしています。私が行うタロットは、いわゆる”占い”としてのものではありません。人の未来など、その人次第で一瞬先の出来事も、いくらでも変わる可能性があります。そのような未知数の出来事を、まるでその通りのことが起こるかのように決めつけてしまうのはとても危険なことだ、と強く思うようになってから、未来予測のようなことはしないように気を付けています。

 

 私は、タロットとは、その方の潜在意識を映し出すもの、と思っています。不思議なことに、タロットのカードを広げていると、カード(なのかそのカードがもつエネルギーなのか)がメッセージを発しているように感じます。カードの出たポジションや向き、隣り合うカードとの関連性などを読み解いていくと、その方がどのような流れで今の状況に至り、本質的には何を望んでいるのか、そして何を恐れているのか、手放すべきことは何か、逆にどんどん開発していくべきことは何か、ということがみえてきます。その方の高次の意識が、カードを使ってメッセージを送っているのだと思います。私はただ、感じ取り、読み取った内容をそのままお伝えします。その時、個人的な感情や思い込みはできるだけ排除し、メッセージを伝える媒体に徹するようにしています。

 

 リーディングを無料にすることに決めたのも、そこにお金のやり取りが入ることで、どうしてもエネルギーが濁ってしまうように感じたからです。お金を頂かなくなってから、より、メッセージがクリアーで力強いものになったような気がします。初めてお会いした方でも、「どうしてそんなことがわかるんですか」と驚かれることがあります。「どうして」と言われても、私自身にもわかりません。どうしてこのようなことがわかるのか、私にも毎回わからないのです。ただ、その時に感じることを言っているだけです。

 

 タロットは、私たちが日常の様々な出来事に忙殺され、本当の自分、本当の自分の望みを忘れてしまっているような時、あなたが進むべき道はこちらですよ、と、高い次元から改めて導いてもらうためのツールのような気がします。私自身も、迷ったり悩んだりして行き詰った時は、無心でタロットを広げます。そしていつも、ハッとさせられたり、勇気づけられたリ、自信をもらったりしています。何より大きいのは、私はたった1人ではない、どんな存在かはわからないけれど、私を応援して、導いてくれる頼もしい存在がいる、という確信を得ることができ、大きな安心感に包まることです。

 

2018年

4月

27日

フラワーエッセンスの恩恵

 学年が変わり、新しいクラスになった娘。新しい先生に新しい友人、新しく入ってきた部活の後輩・・この時期特有の、緊張感と期待感で入り混じった気持ちで過ごしているようです。

 

 ここしばらく、娘用のトリートメントボトルの中身を変えていなかったのですが、数日前、「ねえねえ、今の私に合うエッセンスない?」と聞いてきました。”今の私”の状態を聞き、合いそうなエッセンスの名前を挙げようとすると、すかさず

 

「あ!言わないで!私が選ぶから」

 

 と言われました。娘はこれまで何度も、インスピレーションで今の自分にドンピシャなエッセンスを選んできました。そのためか、エッセンスの直観選びには自信があるようです。そんなわけで、私は候補になりそうなエッセンスをテーブルに並べました。娘はエッセンスの知識はほぼありません。テーブルに並んでいるエッセンスを眺め、「うーん、これかな」と言いながら、あっという間に6種類のエッセンスを選びました。

 それらのエッセンスは、『苦手な人や嫌いな人が周りにいてストレスを感じている時や、新しい環境にいて新しい概念を取り入れる必要がある時』『自分の中で長年培われてきた偏見を癒したい時』『ネガティブエネルギーから身を守り、自分にとって何が真実かを見極める』『オーラについた傷を癒す』『周囲で嵐が吹き荒れているような状況の時、周りの喧噪から離れた、自分だけの聖域をつくる』・・・といったテーマのものでした。まさに今の娘にぴったりな内容です。自分でも「すごーい!」と感心していました。

 

 選んだエッセンスでトリートメントボトルを作っている間、娘はしみじみと、

 

「あー、エッセンスがあって良かった。私、こういうのがなかったら今みたいにはなっていない気がする」

 

 と言いました。あ、そんな風に思ってくれているんだなと私は少し嬉しくなりました。小さい頃からずっと、当たり前のようにエッセンスを飲んできたので、エッセンスが本当に自分の役に立っているのか、どれだけの恩恵を受けているのか、よくわかっていないのではないかと思っていたからです。

 

 パワーオブフラワーの作り手であるイーシャさんが、ワークショップの時に教えてくれた話を思い出しました。イーシャさんの娘さんが結婚することになった時、結婚に向けての準備でとても忙しい日々を送っていたそうです。あまりにも目まぐるしい毎日を送っていて、精神的にも疲れ果てている様子の娘さんに、イーシャさんはフラワーエッセンスを飲ませてあげたそうです。すると、それを飲んで気持ちが落ち着いた娘さんが一言、「ママ、フラワーエッセンスって本当に効くのね」と言ったとのこと。

 イーシャさんは、娘さんが幼い頃からずっとフラワーエッセンスを飲ませてきて、彼女はフラワーエッセンスを飲んで育ったようなものなのに、その時になるまでその恩恵に気づいていなかったの、と驚いたとおっしゃっていました。

 

 

 ちなみに、私は息子と夫にも同じようにエッセンスを毎日飲んでもらっていますが、こちらの二人もおそらくいまいちピンときていないのだろうなという感じがします。ただ、何となく飲んでいると「良い感じ」というくらいの感覚はあるようで、エッセンスのボトルを片づけたりすると、「あれ、ぼくのエッセンスは?」と聞いてきたりします。

 

 

2018年

4月

17日

本当に私はゆるせたのか?

 ずっと、「ゆるす」ということについて熟考してきましたが、じゃあ果たして自分が誰かを完全に「ゆるす」ことができたかどうかは、どうやったらわかるのでしょうか。

 

 自分が本当にそのこと、その人のことを心からゆるせたのかどうか。私の中では、それを判断するための、ある明確な基準があります。

 

それは、

 

『自分が、無条件で、その人の健康と幸せを望めるかどうか』

 

です。

 

 心のどこかで、まだその人を恨んでいたり、ゆるせないと思っているうちは、なかなかその人の健康と幸せを祈る気持ちには至りません。しかも、「無条件で」というのがミソです。「あの人が~してくれたら」「あの人が変わったら」「謝ってくれたら」云々・・といった条件は一切なしです。ゆるすゆるさないというのは100%自分の問題なので、相手の今の状況や言動には、フォーカスする意味がありません。

 

 表面的に、「もうあのことは忘れたから」などと吹っ切れたかのように振る舞っていても、実のところは全くゆるせていないことも多々あります(考えた時に怒りが湧いてくるようなら、まだゆるせていないということです)。思い出さないようにしている、考えないようにしている、といった記憶の封印は、ゆるしのプロセスを避けている証拠でもあります。ゆるし、手放すことに抵抗している時、よくこのように「見ないように」しようとします。

 

 

 私は、過去においてゆるせないと思っていた人や出来事を思い返した際、心の底からその人の健康と幸せを望む気持ちを抱けているかどうかをまず確認します。それで、素直にそのような気持ちを抱けていない場合は、ああまだ自分の中で完全にはゆるせていないんだなと思います。そして、なぜ自分はまだその人のことをゆるせていないのだろうと考えます。私の中の何が抵抗しているのだろう。何にしがみついているのだろう。その人をみる際、自分の中の何を投影して見ているのだろう。

 そんなことを内省します。そして祈ります。私の中の抵抗を、執着を、すぐに剥がしてください、サポートしてください、力を授けてください、と。

 ゆるせない人がいるということは、自分の中に怒りを保持しているということで、その怒りが潜在意識を汚し続けているということです。そんな状況が嫌なので、私は自分がゆるせていないことを発見したら、すぐさま手放しのワークに取り掛かります。

 

 

 自分の中で、完全にゆるすことができると、記憶がよみがえった時の自分の反応が、かつてのそれとは全く違ったものになっていることに驚きます。起こった出来事は変わらないけれど、それに対する自分の見方が変わったので、反応が変わったのです。

 

 アンジェリックエッセンスに、「Unconditional Forgiveness(無条件の赦し)」という、そのものズバリのエッセンスがあります。 本気で「ゆるす」ことを決心した人には、強力な助っ人となってくれるエッセンスです。

 それ以外にも、手放しの過程をスムーズにしてくれるものや、手放しの過程で起こる感情的な葛藤をサポートしてくれるもの、怒りを和らげてくれるもの、等々、ゆるしのプロセスを楽に乗り切るために、助けとなってくれるフラワーエッセンスはたくさんあります。

 

 

2018年

4月

10日

ゆるすということ~その4~

 何年か前に私は、自分のそれまでの人生の中で出会った「ゆるせない」と思っている人(大小様々で何人かいました)や、「ゆるせない」と思っている出来事を、全てゆるしたいと強く思いました。というか、どんなことがあっても絶対にゆるそうと決心しました。なぜかというと、時々過去の記憶を思い出しては、怒りや憎しみの感情であふれかえるような経験に、もういい加減うんざりしていたからです。何かを恨むということは、自分の中でどす黒い爆弾を抱えているようなものです。その爆弾は時々くすぶり、燻煙を上げ、私の心の中を汚していました。

 確かにその人達は、ひどいことを言ったかもしれませんし、非難されてしかるべき行動をとったかもしれません。けれど、それはそれとして、私がその経験と記憶のために、この先もずっと苦しみ続けるなんてまっぴらごめんだと思いました。その苦しみから逃れるためには、私が、その人達と、起こった出来事と、そして私自身をゆるさなければいけないのだと、どこかで気づいていました。気づいていたけれど、それまでは、どこかでまだ、手放す準備ができていなかったのでした。自分が被害者であると思い、相手を悪者にし続ける方が、起こった出来事の責任は自分にあるという事実を認めるより、楽だったのだろうと思います。

 

 けれど同時に、私は私の人生で起こる全てのことに責任があることにも気づいていました。誰か他の人のせいではなく、私が選んだから、この人生を歩んでいるのです。ということは、私の人生で起こった出来事も全て、私に責任があるということです。他の人を責める理由がありません。そもそも、責めたり怒ったりしている心の状態がとにかく嫌なのです。せっかく心の平安を望んでいるのに、時々古い記憶がよみがえり、それと共に、怒りや憤りの感情が湧き上がってくるのが、もう嫌で嫌で仕方なかったのです。こんな不毛なことをこの先の人生もやり続けるなんて、無駄どころか自分にとって損にしかならないだろうと思いました。

 

 

 そんなわけで、自分の中で「過去をゆるそう」と決心してから、いろいろなことがありました(内面での話です)。ある日突然、光が降りてきてパーッと視界が開け、瞬時にあらゆることがゆるせるようになった、なんてことは起こりませんでした(それができたら楽なのでしょうけれど)。地味な、地道な作業でした。一歩進んではまた戻り、また進んではまた戻り、をひたすら繰り返しました。もう自分の中で完全にゆるせただろうと思っていたのに、しばらくしたらまだゆるせていなかったことに気づいたり、なんていうこともよくありました。

 

 ゆるしというのは、プロセスなのだなと感じています。少しずつ、心の中のお掃除を進めていく作業です。一週間やそこらで終わる作業ではありません。謙虚に、忍耐強く、地道に進めていくしかありません。

 フラワーエッセンスにもたくさん助けてもらいました。必要な時に、必要な本だったり、誰かの言葉だったり、「あ、これはサポートだな」と思うような助けもありました。人が本心から望んだことは、必ず天が味方してくれるものなんだなと思いました。

 

 自分の中で少しずつ、過去をゆるし、受け入れ、手放すことができていくにつれ、心の中にあった重荷が外れ、軽く、楽になっていきました。数年前には怒りしか感じていなかった出来事でも、気づいたら、愛と感謝の目で眺められている自分がいました。この解放感は、言葉では言い表せられなくらい、自由で、楽です。

 それから面白い事に、ある出来事(や人)がゆるせるようになったら、同時に他の出来事も同レベルでゆるせるようになっていました。1つの記憶、1つの出来事にフォーカスして癒しを進めていったら、その他の記憶や出来事も同時に癒されていった感じです。おそらく、心の許容量が増えていったためだと思います。現実に起こる出来事や、出会う人々に対する自分の許容量も広がっていきました。数年前だと絶対に拒絶していたであろう出来事や人に対しても、寛容に見られている自分に驚きます。

 

 まだまだプロセスは進行中だし、学びの半ばにいる状態ですが、内側に多くの怒りを抱えていた過去の自分と比べて、だいぶ心が軽く、穏やかになりました。この先もどんどんお荷物を捨て続けたら、もっともっと軽くなれるのだろうと思います。

 

2018年

4月

06日

ゆるすということ~その3~

 ゆるしの第二段階として、私自身が学んだ、ある深淵な智慧があります。それは、

 

『どのような出来事であれ、その出来事やそれに関わった人をゆるしたいのであれば、まずは何よりも先に自分自身をゆるすこと』

 

 です。

 

 「ゆるす」というと、もしかしたら、相手をゆるすことにまずフォーカスしてしまうかもしれません。けれど、自分が過去に起こった出来事をゆるせていないということは、そもそも、その現実を自分の人生に引き起こした、私自身をゆるせていないということです。そういう人生を選択した私を、私がゆるせないのです。人生とは、選択です。こんな人生じゃなかったら、こういう親に生まれていたら、あんな環境で育っていれば、あの時ああしてれば、ああ言っていれば、云々、いろいろとたらればを考えてしまうものですが、全ての道と環境は自分が選んだものです。その事実を認めたくない思いが根底にあると、自分ではなく、他人を責めたくなります。

 

 自分の人生と、人生で起こった出来事全ては、私に責任がある。私が選んだものである。その事実を受け入れたくないがために、怒りのベクトルを外側に向け、過去を悔やみ、自分の身に起こった不幸を誰かのせいにしたがるのです。

 

 

 自分をゆるすというプロセスは、自分の身に起こった全ての出来事を、ギフトだと受け止めることでたやすくなります。それが起こった背景には、必ず深淵な意味があります。メッセージがあります。そこに気づくことで、受け入れやすくなります。過去を責め、悔やんでいる間は、学びはありません。ただいたずらにネガティブな感情を生み出し、その感情に自分自身が苦しみ続けるだけです。

 過去から学び、成長し、強くなった自分に気づくことで、どんな出来事でも、そこからポジティブな意味を見つけることができます。感謝することができます。

 

 過去に起こった出来事は事実として変わらなくても、それに対する自分の見方が変わることで、出来事そのものの意味が完全に変わります。自分を痛めつける悪しき記憶から、私を成長させてくれた深淵な経験、に変わります。とらえ方が変われば、感情も変わります。悩まされることもなくなります。記憶はなくならなくても、それに煩わされることがなくなるので、苦しみはありません。

 

 災いとみなすか、糧とみなすか。とらえ方ひとつで、過去に縛られ過去に苦しめられる生活から、過去を手放し、過去から学び、過去に感謝できる生活へと変わっていきます。

 

2018年

3月

27日

ゆるすということ~その2~

 ゆるしの第一段階として、自分の中で、その出来事(もしくは人物)を「ゆるす」と決心する、という大事なプロセスがあります。

 

 当たり前のことのようで、実はこの決心がなかなかできていないのが実情だと思います。自分は、本当に、心の底から、微塵の迷いもなく、その出来事(人)をゆるそうと思っているのか。

 

 微塵の迷いもなく、というのが難しいところかもしれません。心のどこかに、ゆるすことを妨げている思い(怒り)や恐れがあったりするものだからです。

 

 どこかに、相手に対する復讐心がないでしょうか。相手を傷つけたい、反省してほしい、自分に詫びてほしい、変わってほしい、そういった願望はないでしょうか。

 

 また、自分がもし、このことをゆるした場合、どんなことが起きるか。そのことが起きる、つまり”変化”が起こることに、不安や恐れを抱いてはいないでしょうか。葛藤を手放した時に、何かを失うのではないか。相手をゆるしたら、私が何かを失うのではないか。

 

 あまりにも長いこと、怒りを抱いて生きてきたから、怒りを保持しながら生活することに慣れてしまい、おかしなことに、怒りを抱いている状態に妙な安心感を抱いてしまうこともあります。怒りを抱えながら生きていくことは、本来窮屈で苦しいことであるはずなのに、変わることよりも、変わらずにいることの安心感の方に流れてしまうのです。これも、手放しを妨げている大きな要因の1つであることが多いです。ゆるすこと、怒りを手放すというプロセスは、強い意志とエネルギーが必要なので、それを行うだけの心のゆとりがないと、手放す覚悟がなかなかできないかもしれません。その場合、一見変わらないでいる方が、楽なように感じてしまいます。

 

 また、怒りを抱えて、不幸せな自分でいることが、相手に対する復讐だと(無意識下で)思っている場合もあります。特に、ゆるせない相手が親や身近な人であるケースに多いです。ハッピーな自分より、苦しんでいる自分をみせることで、相手にも苦しんでほしいのです。私が不幸なのはあなたのせいだと、身をもって見せつけたいのです。

 

 

 過去を引きずり、過去の記憶の中で生きることがあまりにも当たり前になり、それが自然なこととして疑うことすらしなくなっている、という状態が、もしかしたら最も一般的かもしれません。何度も何度もリピートしてくる過去の記憶と、その記憶に付随してくる感情に自分自身が慣れてしまい、疑問を抱くことすらない状態です。特に問題意識をもつこともなく、それがごく自然なこと、当たり前のこと、変わる必要がないことという認識になっているのです。

 変わる必要がないと思っている間は、手放そうという意識さえ生まれないかもしれません。それは、その人にとってまだそのタイミングではないということです。

 

 ただし、もし自分が気づいてしまったら、それはもう後戻りはできません。プロセスは始まってしまったのです。自分の中のどこかで、「ゆるしたい」「手放したい」という思いが芽生えてきたなら、それはもう、手放す時期に来ているということです。深い部分からやってくるウェイクアップコールは、無視しようと思ってもそうはいかないものです。聞こえないふり、気づかないふりをしても、繰り返し、その声はやってきます。

 

 

2018年

3月

22日

ゆるすということ

 しばらく前に、息子のクラスで喧嘩が起こり、ある男の子がもう1人の男の子の顔に軽い傷をつけてしまったことがありました。その出来事をその日の晩酌時に夫に話していたら、夫が子供の頃、友達同士で戯れていた時に負った傷の話になりました。夫は、その時のことをずっと忘れていたようなのですが、話しているうちにいろいろな記憶が蘇ってきたようでした。

 

「そういえばあの時、とばっちりをくらって怪我をしたのはオレの方なのに、先生は『ボーっとしていたお前が悪い』とかいってオレが叱られたんだ」

 

 と夫。そんなことを思い出したせいか、その時のやるせない、悔しい思いがふつふつと湧き出てきたようで、

 

「あー、いろいろ思い出したら腹が立ってきた!もうやめよう、この話」

 

となって、その話はおしまいになりました。

 

 それを聞いて私は、夫はまだその時のことをゆるせていないのだなと感じました。話している間、夫の怒りの感情がこちらにも伝わってきました。もうその出来事が起こってから30年以上も経っているにもかかわらず、根本的にその出来事をゆるせていないので、思い出すと怒りが湧いてくるのです。

 

 このような”ゆるせないこと”は、小さなものから大きなものまで、多くの人が未解決の問題として、内側に抱えているものです。もう還暦をとっくに過ぎた女性タレントが、とあるテレビ番組で、子供時代に父親から受けた心理的虐待の話をしながら泣いていたことがあります。過去を手放せているかいないかは、年齢や、起こった時期は関係ありません。その人が、自分の身に起こった出来事を受け入れ、ゆるせているかどうか次第です。

 

 夫は、少年時代に起こったある理不尽な出来事を、ゆるさないという選択肢をとりあえずとったようでした。今は彼の中でゆるすタイミングではなかったのかもしれません。まあ普段は忘れているようなので、日常生活に支障をきたすような深刻な問題にはなっていないようです。

 ただ、その人の中で、その出来事(やそれに関わった人物)のことを常に反芻し、その度に怒りや憤りや悲しみなどネガティブな感情に苛まれ、苦しみ続けているようであれば、それは確実に、その人のエネルギーレベルを下げ、幸せを阻害する要因となっています。相手を恨んでいるようで、実は、自分自身が、自分の思いによって不幸になっているのです。

 

 ゆるすゆるさないというのは、相手があるようで完全に自分自身の問題です。相手は関係ありません。自分を傷つけた人が反省していようといまいと、忘れていようと覚えていようと、生きていようと死んでいようと、相手の今現在のシチュエーションは全く、これっぽっちも、微塵も関係ありません。ゆるしというのは、100%自分の問題です。

 恨み、ゆるせないと思っている人がいたら、その人に報復したい、自分の思いを伝えたい、と考えるのは、人間としてごく自然なことなのかもしれません。けれど、仮にその人に復讐をしたり、自分の思いを伝えられたとして、それができたからじゃあその人をゆるせるかというと、そうとは限りません。自分の中でゆるせていなければ、相手に何をしたって、相手がどう変わったって、ゆるせないものはゆるせないままです。

 

 他人の問題は、他人が責任を負うもので、私ではありません。私は、私の問題の責任を負えばいいだけです。どうせ私の問題に相手は関係ないのだから、もうその人のことを考えるのはやめて、ベクトルを完全に自分に向けた方が、手放しがスムーズに進みます。

 

 

2018年

3月

14日

恐怖心

 昔、誰かの本の中で、

 

「怖がりな子供は将来有望」

 

と書かれていたのを目にした時、一瞬なぜだろうと思いましたが、その理由を読んで納得したことがあります。それは、

 

「怖がりということは、想像力が豊かであるということだから」

 

 ということでした。確かに、物事を怖がる背景には、イマジネーションの力が働いています。目には見えていないものを感じる力や、今後起こるかもしれない出来事を予測する力、そして、自分という存在よりも大きな、抗えない力が存在するという認識があるからこそ、得体のしれない恐怖というものを感じるのではないかと思います。それらは生きていく上で、助けとなってくれる要素でもあります。周りと調和しながら、謙虚に生きていくために、想像力と共感力は大きな力となってくれます。

 

 ただ、いたずらに恐怖心ばかりが刺激されたり、不安ばかりが肥大化していってしまうと、圧倒されて足がすくみ、望ましい行動がとれないという状況も起こり得ます。

 

 特に、敏感で想像力の豊かな子供は、恐怖心を覚えやすい傾向があります。そんな時に助けとなってくれるフラワーエッセンスといえば、アスペン、ミムラス、アンジェリカ、ダンデライオン、Freedom from Fearあたりでしょうか。こういった不安と緊張を癒すエッセンスに、プロテクション系のエッセンスなども入れてトリートメントボトルを作れば、怖がっている子供にぴったりのボトルができそうです。

 

 恐怖心というのは、人間の生存本能の一部だといわれます。自分の身を守るための、本能的な感情です。元々私達に備わっている感覚なのだから、恐怖心を感じること自体は責める必要はないと思います。実際、本能的に恐怖心を感じる時というのは、私達の第六感が、何かを伝えたい時だったりします。

 恐怖心をいたずらに悪者扱いするのではなくて、うまくバランスをとりながら、必要な時には活かしながら、付き合っていきたいものです。

 

 

2018年

3月

08日

愛と赦しと人間関係

 先日、4年生の息子のクラス懇談会に行ったら、女の子のお母さんが何人か、最近女子特有の人間関係問題が出てくるようになった、という話をされていました。そういえば娘の時も、大体4年生頃から友達同士でグループを作るようになって、その中でいざこざが起こったり、仲良くしていたはずの友達と突然口を利かなくなったり、かと思えば今まであまり話さなかった子に急接近するようになったり・・といった、面倒な”女の子問題”が出てきたように思います。

 男の子は、付き合い方があっさりしているので、気が合わない子とは最初から無理して付き合うことがないし、後腐れもありません。見ていると、思ったことはお互い率直に口に出していますし、時には激しく怒ったり文句を言ったりして、ある意味コミュニケーションがダイレクトにとれています。また、何となく仲のいいグループのようなものはあるようなのですが、女の子のように特定の人とひたすらベッタリ付き合うということがあまりなく、関係は割と淡泊です。そんな感じだから、女子のようにドロッとした問題が起こりにくいのかなと思います。

 

 女子特有の問題は、中学生になった娘も相変わらずちょくちょく悩まされていますが、小学生の頃と比べて、対処の仕方も多少は学んできたのかなと感じます。

 そういえば、娘が小学校高学年の時、例によって女の子問題が起こり、そのことで相談されたことがありましたが、その時に、

「こういう女の子特有の面倒な人間関係の問題は、大人になってからも続くよ」

と言ったところ、え、そうなの、と愕然とした表情をしていたのを思い出します。

 

「そうだよ。お母さん達だってPTAでそういうのあったよ。あ、そうそう、おばあちゃんも、習っている習字教室であったってこないだ言ってた。ってことは、一生続くってことだね。あははは、頑張ってね!」

 

「・・・・」

 

 大人になったらこういう面倒な問題には悩まされることがないだろうと思っていた娘にとっては、ショッキングな事実だったに違いありません。

 けれど私が言いたかったのは(その後ちゃんと話しました)、こういうことでした。世の中にはいろんな人がいるし、これからもそういう複雑な人間関係の中で生きていかなければいけない。自分と気が合わない人と出会わないようにするのは無理なことだし、これからだって面倒な関係性に巻き込まれることがきっとあると思う。どうせ避けて通れない問題なのであれば、それに対処できるスキルを身につければいい。今後、人間関係の問題が起こった時、相手を拒絶して腹を立てるのではなくて、その人を受け入れられるようになったら、悩みに苦しめられることなく、穏やかな心をキープしたままでいられるよ。今抱えている問題は、そういうスキルを身につけるためのレッスンだと思えばいいんじゃない。

 

 ・・話しながら自分で気づいたのですが、かつての私は、どうしても受け入れがたい人が目の前にいた時、完全に拒絶してシャットアウトしてしまっていました。嫌だなとか離れたいなとしか思っていなかったので、そういう人が身近にいるだけで苦痛でしたし、とんでもないストレスを抱えていました。今思えば、何て傲慢で失礼なことをしていたんだろうと恥ずかしくなります。

 娘にも偉そうなことを言えないくらい、かつての私は人づきあいがとても下手くそでした。それが、だいぶ最近、人を受け入れられるようになったのは、自分の内面が大きく変わってきたからだろうと思います。他人を変えようとするのではなくて、自分が変わること、このことにひたすら一点集中するようになってからです。

 

 「じゃあ、どうやったら受け入れられるようになるの?」

 

 と娘に聞かれた時、私はこう答えました。

 

「とにかく、その人のことを理解しようとするんだよ」

 

 私も完璧にできているわけではありませんが、否定しそうになる気持ちを抑えて、とにかくその人のことを理解するように努力する。努力、努力、努力。どうしてその人はそういう言動をとっているのか。どうしてそんな態度を私にとってくるのか。言葉や態度の裏にある、その人の事情や”思い”に目を向けるようにします。そして、更に大事なのが、どうして今その人は、自分の目の前に現れているのか、ということに気づくことです。その人は、私の中の何を鏡として見せてくれているのだろう。私に何を教えようとしているのだろう。私はこの出会い、そしてこの出来事から、何を学べるのだろう。完全にはできなくても、少しでも深く、理解できるように努めます。そして、その出会いを、自分自身の成長の糧となるように、感謝の気持ちで受け入れます。

 

 

 他人に対する理解を深めてくれるエッセンスもいろいろありますが、最近の一押しは、アンジェリックの「ホ・オポノポノ」。部活内での様々な問題に日々直面している娘も、今飲んでいます。だいぶ他者を受け入れる能力が高まっているようで、いろんな気づきも起こっているのがわかります。そして面白いのが、こういうエッセンスを飲んでいると、問題の解決、つまり自分の理解を深めてくれるような出来事が実際に起こるということです。全然関係のない友達からの助言だったり、今までとは全く異なる価値観との出会いだったり。視野が広がると、受け入れ能力も高まります。

 

 「ホ・オポノポノ」は愛と赦しの両方のエネルギーが入っているエッセンスだと感じます。自分の内面が、その二つのエネルギーで満たされていくので、拒絶そして怒りに苦しんでいる人には、お勧めのエッセンスです。

 

2018年

2月

28日

「ツリー・オブ・ライフ」にみる父親との問題

 何年か前に見た映画で、とても印象に残っているものがあります。テレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」。

 アメリカを舞台にした、ある一家の物語なのですが、全体を通して映像がとても美しく、人生と宇宙との繋がりが絵巻物のように壮大に描かれ、深く心に染み入ってきます。

 

 私は、主人公のとてもナイーブな少年は、テレンス・マリック監督自身なのではないかなと見ていて感じました。愛情豊かで穏やかな母親に対して、ブラッド・ピット演じる父親は、厳格かつ頑固。自分で作り上げた”強い”父親像を必死に演じているのですが、その息苦しさを主人公の少年は勘づいています(そして自分も苦しむ)。自分を大きく見せるための父の様々な言動が、実は内面に潜むコンプレックスの裏返しであることにも気づいているのですが、そこは実の息子にとって受け入れがたい複雑な現実でもあります。父親を受け入れたい気持ちと、拒絶する気持ちとの間で揺れ、葛藤を抱えたまま少年は大人になっていきます。

 家族が精神的に父親に支配されている閉塞感が伝わってくる映画で、見ていて正直苦しくなる部分もありました。誰でも、”父親”との問題は心のどこかに抱えているものなのではないでしょうか。

 

 中でも印象に残っているシーンがあります。それは、成人して立派な職業に就いている主人公が、電話で父親と話しているシーンです。ショーン・ペン演じる主人公は、もう50代くらいにはなっていると思われるのですが、電話で話す様子が、まるで少年なのです。

 

「うん、わかった父さん」

「父さんの言うとおりにするよ」

 

 といった(少々うろ覚えですみません)感じのセリフだったと思うのですが、その瞬間だけ、主人公の中年男性が、すっかり少年に戻っていました。

 

 

 こういうことは、映画の中だけでなく、実際にも起こっていることです。精神的に支配的な親の元で育った人が、大人になってもその支配から脱却できずにいる場合、親と対面した際、瞬間的に少年・少女の心理状態に戻ってしまうのです。ほとんどは無意識かもしれません。親自身も、自分が我が子を支配したつもりもないし、ましてや大人となった今でもその支配力が続いているなどという認識はないかもしれません。

 これは、親が変われば自分も変われるということではなく、完全に自分の問題です。自分が、かつて自分自身で作り上げた殻から自ら抜け出さなければ、本当の意味で自由にはなれません。

 

 もし、親と向き合っている時、自分が子供に戻っているなと感じているようだったら、自分の中でまだ親の呪縛を強く引きずっているのかもしれません。それは本来息詰まる状況なのですが、不思議なことに、「変わる」ということに対する恐怖心が強いと、そのままでいることに安堵感を覚えるものです。変わるよりは、今のままでいた方が、何となく安心してしまうのです。変化を起こすには、莫大なエネルギーがいるものです。

 

 

 

 ちなみにこの映画の父親役は、本来ブラッド・ピッドではなく他の役者さんが演じる予定だったのだそうです。私も、ブラッド・ピッドと言えば若かりし頃の王子様的なイメージが強かったのですが、この映画の、自ら作り上げた虚像ゆえに自ら苦悩する父親の姿は、本当に見ていて子憎たらしいほどリアルでした。この父親のいびつな行動の背景には、「息子たちに、自分のようになってほしくない」という本心が実はあって、愛情がないわけではなく、愛情が歪んだ形で表に出てきてしまっているだけなのです。自分の思いを、ストレートに出せない事情が、この父親なりにあるのです。そういった1人の男性としての不器用な生き方と、時折見せる弱さ、葛藤なども、ブラッド・ピッドは繊細に演じていました。

 おかげで、「愛情をストレートに出せない父親」に対する理解が、私の中でかなり進みました。

 

 

2018年

2月

20日

エッセンス選びは直観で

パープルクロッカス
パープルクロッカス

 今から数年前。その頃小学生だった娘が、学校から帰ると、フラワーエッセンスが並んでいる棚の前に行き、おもむろにあるボトルを指さして、

 

「お母さん、これ飲んでいい?ねえ、いい?」

 

と聞いてきました。今すぐに飲みたい、今飲まないと苦しい、といった息せき切っている様子でした。

 

 普段そんな風に飲みたいエッセンスを自分から指定してくることはありませんでしたし、そもそも数あるボトルの中でなぜそれを選んだのか(娘はエッセンスの知識がほとんどありませんし、ボトルに書かれている英語も読めていないはず)よくわかりませんでしたが、もちろん私はいいよと答えました。

 

 それから1週間くらい経ってから、私は担任の先生との面談で、娘がエッセンスを飲みたいと言ってきたあの日、クラスの中で娘がちょっとしたショックを受ける経験をしていたことを知ったのでした。それは、長い人生の中では誰しもが一度くらいは味わうであろう、ほろ苦い類のものです。

 

 その話を聞いて私は、娘がなぜあの日にあのエッセンスを欲していたのか、ようやく腑に落ちました。娘が選んだエッセンスは、パワーオブフラワーの「パープルクロッカス」。”悲しみ”に対応するエッセンスです。悲しみや恥辱感、罪の意識、批判的な思い、そういった胸に集まるネガティブなエネルギーを優しく緩和してくれます。作り手のイーシャさんは、この花の形は人間の肺に似ているといいます。

 人間の各感情は、諸臓器と繋がっているそうなのですが、悲しみは肺に集まるといわれています。長年深い悲しみを抱き続けていると、肺に不調が表れることがあります。そういえばオーストラリアンブッシュのイアンさんも、孤児院の子供は肺炎に罹る率がとても高いとおっしゃっていました。両親がいる子供より、悲しみや寂しさが強いからなのでしょうか。(ちなみにイアンさんは、そうした子供達に無償でエッセンスを送っているとのことで、エッセンスを飲むようになったら、子供達の罹患率が急速に下がったのだそうです)実際、悲しくつらい経験をした時に、肺がキューっと握られたような、物理的な痛みを感じることがあります。

 

 

 この出来事のことを随分忘れていたのですが、つい先日、中学生になった娘が再び、エッセンスの棚のじっと眺めながら、

 

「お母さん、この2つのエッセンスが気になる」

 

 と言ってきました。パシフィックの「ハートスピリット」と、コルテの「ピンクイルカ」。両方とも、ハートをオープンにし、感情や人間関係の問題を楽にしてくれるものです。中学校生活を送る中で、日々様々な人と接し、何かと胸に抱える思いなどもあることでしょう。父親にシャッフルしてもらい、目をつぶってどちらを飲むべきかを選び(ピンクイルカが選ばれました)、その日から毎日自ら水に入れて飲んでいます。なんとなく、表情が柔らかくなり、優しい雰囲気になってきました。緊張感が緩和されて、攻撃的な感情がほぐされてきている感じです。口ごたえや、私に突っかかってくることも減りました。

 

 そういえば、思春期の入り口に差し掛かったくらいの頃にも、いきなり「このエッセンスが飲みたい」といってきたことがありました。パワーオブフラワーの「ニューライフバランス」。変容の時期を迎えている人に良いエッセンスです。

 

 こんな風に、直観が命じるまま、どんぴしゃで自分が最も必要としているエッセンスを選ぶことができるなら、私のようなプラクティショナーなんて本当はいらないんじゃないかと思ってしまいます。子供は先入観が少ないので、特に迷いなく選べるものなのかもしれませんが、こうした能力は本来誰にでも備わっているものです。大人でも、エッセンスを選ぶのに迷ったら、自分の直観を信じて、その導きに従って決めるのが一番いいのかもしれません。

 

2018年

2月

15日

祈りのちから②

 ミッション系の幼稚園でいわゆるクリスチャンの”お祈り”を経験していた私ですが、家には神棚もありました。お墓参りをする際や、仏壇の前でも手を合わせます。なんとなく、キリスト教風の”お祈り”と、神棚や仏閣での”お参り”は別物、というイメージをずっと抱いていたのですが、次第に私の中で、これらの行為が共通するものとして感じられるようになってきました。

 祈りとは、高次のスピリットに畏敬と感謝の念を伝え、そして時には助力を願い、自分の意思を表明する。こうした、自分と”神”的な存在とのコミュニケーション手段であるような気がします。祈りとは相互の力が働くものだというのも、最近強く感じています。つまり、こちらから高次の存在に一方的に何かを伝えるだけでなくて、向こうからも何かしらフィードバックがもらえるものだということです。

 

 何年か前、実家に帰省した際、仏壇の前で手を合わせて拝んでいました。そこには亡くなった祖父母が祀られているのですが、私はその時、自分の両親(祖父母にとっては息子と嫁)をいつも守っていてください、とお祈りしていたのです。すると、全身がとても暖かいエネルギーで満たされていくのを感じました。物理的な熱を感じるほどの、ビリビリとした、力強いエネルギーでした。優しい愛のエネルギーに包まれながら、私はそれが祖父母からのメッセージであると感じました。

 特に仏壇がなくても、亡くなった人のことを思い、こちらからメッセージを送ると、何かしらの形で返答が返ってくることが多々あります。それは、温かいエネルギーだったり、パッと目に飛び込んできた文字だったり、音楽だったり、動物だったり、繰り返しやってくる単語だったりといろいろです。スピリットは、物理的な肉体を持たないので、こうした形で生きている人間とコミュニケーションをとろうとするようです。

 

 また私は普段から、何となく調子が悪いなとか、外部からあまり良くないエネルギーをもらってしまったなと感じる時は、今住んでいる家にある神棚に向かって手を合わせることにしています。そして神様に、私を苦しめている、私に属さないエネルギーを全て取り除いてください、とお願いします。すると、全身総毛だつような感覚と共に、私のエネルギーフィールドにあったネガティブなエネルギーがスーッと浄化されていくのを実感するのです。その後はきまって、スッキリと憑き物が取れたような感じがし、思考もクリアーになって体も軽く感じます。

 

 神棚にも大変お世話になっていますが、悩んでいることや疑問などがあると、私は場所や時間を問わず、とりあえず高次の存在に助けを求めます。教えてください、とか、助けてください、とメッセージを送るのです。そうすると、何らかの形で答えがもたらされたり、助けとなるようなヒントがやってきたりします。それも、具体的な言葉でやってくることもあれば、本や人を介してもたらされることもあれば、気づきという形でやってくることもあります。

 

 

 手を合わせて心静かに祈っていると、頭のおしゃべりが静かになり、高次の存在とのコミュニケーションがとりやすくなるように感じます。”繋がる”感覚がより得やすくなる感じです。様々な祈りの形がありますが、自分という存在を謙虚に受け止め、人知を超えた力の助けを借りることができる、宗教を超えて私達を助けてくれる手段だと思っています。

 

 

2018年

2月

05日

祈りの力

 私が通っていた幼稚園は、聖母マリア様を名前に抱くミッション系の幼稚園でした。家がクリスチャンだったというわけではないのですが、母は昔近所の教会に時々遊びに行っていた経験があるそうで、何となく良いイメージがあったようです。

 

 幼稚園では、朝の登園後すぐと帰る前に、きまってみんなでお祈りをするのが習いでした。そのお祈りの文句は、「天にまします我らが・・」で始まる文語調の内容で、出てくる単語も「おんみ(御身)」とか「おんな(御名)」といったちんぷんかんぷんなものばかり、幼稚園児には一体何の意味のお祈りなのかさっぱり理解できないまま、ただ呪文のような感覚で唱えていました。

 

 とはいえ、そんな意味不明とも思われるお祈りの文句でしたが、唱えていると何となく厳かな気持ちになり、心が静まるような感覚があったのを覚えています。今でも、お友達や先生方と手を合わせて頭を垂れ、一緒に同じ祈りの文句を唱えているシーンが脳裏に浮かんできます。短い時間でしたが、あれは今思えば癒しの時間でした。

 

 その後、幼稚園を卒園してからはずっとお祈りとも遠ざかった生活を送り、やがて私は大学に入るために上京しました。大学3年生くらいの頃、クリスチャンでもない私は、ある時クリスチャンの友人に誘われたことをきっかけに、聖書研究会というサークルに顔を出すようになりました。そこでも、毎回必ず皆で行う「お祈り」がありました。それは、幼稚園の時に唱えていたような、決まった祈り文句ではなく、その時その時、牧師さんやメンバー達が即興(?)で唱える内容でした。例えば、その時風邪をひいている人がいたら、その人のために、「〇〇さんの風邪が早く治りますように」と言ったり、留年しそうな人がいたら、「△△さんが無事試験をパスできるようにお導き下さい」と言ったり。それは、お祈りといえば幼稚園時代のあの決まり文句しかイメージになかった私にとって、とても新鮮な経験でした。お祈りって、こんな風に自由に言ってよいものなのだということをそこで初めて知りました。

 そしてやはり、そこにいる人たちと一緒に手を合わせ、同じ空間の中で、1つのことを祈っていると、何ともいえない穏やかな、優しい、厳かな空気が場を満たすのを感じたものです。一度だけ、何のことを祈ってもらったのか今となっては全く覚えていないのですが、私のために皆が祈ってくれたことがありました。その時は、ビリビリと感じる程、力強い、暖かなエネルギーで自分が満たされていくのを感じました。それは未知の体験で、怖いくらいでした。祈りというものが、何か目に見えないパワーを引き起こすもので、本当に癒しの力があるのだということを、身をもって経験したのでした。

 

 大学卒業後、再び祈りとは無縁の生活に戻り、毎日が慌ただしく過ぎていきました。結婚して子供が生まれ、子育てがひと段落しつつあるのを感じ始めた頃、私はいろいろなきっかけがあって、また「祈り」という不思議な力に興味を抱くようになりました。祈りのことをいろいろと調べていくと、海外には、「祈り」の力を癒しのツールとして使っている人々がたくさんいるということを知りました(キリスト教系の団体が多いようです)。祈りの力だけで病気や怪我の人を治したり、精神的苦痛を和らげたりといった、具体的な実績がたくさんあり、祈りの力を科学的に証明する実験もあるそうです。

 とあるアメリカ人の神父さんの本を読んでいたら、次のようなことが書かれていました。

 

「イエス・キリストが始めたキリスト教が、短期間であっという間に全世界に広がっていったのは、イエス・キリストの教えた内容が人々の心を打ったからだけだろうか。イエス没後、弟子や教徒たちが行った癒しの力が本物で、強力だったからというのが、信者が一気に増えた大きな理由ではないだろうか」

 

 私はこれを読んでなるほどそうかもしれないなと思いました。宗教や教えが多くの人々に受け入れられていく理由は、やはりその宗教や教えによって、”実際に”癒されたり救われる人々が存在するからなのではないかと思うのです。

 そしてキリスト教の場合は、祈りの力というものがとても大きな影響力を持っていました。祈りのメカニズムに関してはよくわかりませんが、とにかく何かしらのパワーがあるものには間違いないようです。私自身は何の宗教にも属してはいませんし、これからもそういった団体に入ることはないだろうと思います。ただ、「祈り」の持つ力は実体験も含め確信しているので、宗教とは切り離して、この「祈り」の癒しパワーをもっと自由に、柔軟に、人々が使っていけたらいいんじゃないかなと思っています。

 

 

2018年

1月

30日

フラワーエッセンス依存にならないために

 年々新しいブランドが立ちあげられ、既存のメーカーでも次々とニューエッセンスが登場しているフラワーエッセンス業界。

 自分が一体どのフラワーエッセンスを飲んだらよいのか、迷われる方もいらっしゃることと思います。調べれば調べるほど、膨大なエッセンスの量と情報に圧倒され、あれもこれもほしくなってしまうかもしれません。

 

 最近は、「宇宙と繋がる」「魂と一体化する」「神意識と繋がる」「アセンションを加速させる」といった、壮大なスケールのエッセンスもいろいろと出ています。そういったエッセンスの説明を読んでいるとワクワクしますし、早く飲んで一気に変わりたい!と思うかもしれません。

 確かに、エッセンスによっては、宇宙規模の高次元のエネルギーを含んでいるものもあります。こうしたエッセンスは、飲む人が飲めば、意識が高まり、自己変革が起こったりします。ただ、この手のエッセンスが最も効果的に作用するのは、ある程度心のクリーニングが進んでいる方に限られるように思います。

 幻想をくじくように聞こえるかもしれませんが、潜在意識の中に、手放すべきお荷物がまだまだたくさんある人が、高波動のエッセンスを飲んだとしても、「それなりに」しか作用しないものです。宇宙と繋がるエッセンスを飲んだからといって、いきなりその人の波動がビューンと上がって、雷に打たれたように覚醒が起こる・・なんていうことはまずありません。むしろ、その人が抱えている心のお荷物を手放す方向に物事が動きます。その人が見ようとしてこなかった、ずっと避けてきた課題が浮上するかもしれません。”事件”が起こるかもしれません。別れがあるかもしれません。エッセンスとは、そのように作用するものです。

 それは別に、エッセンス(高次のエネルギー)が意地悪をしようとか、罰を与えようとしているわけでは決してなくて、むしろ、その人が真の幸せを得るために、手放すべき心のお荷物に気づかせようとしてくれているのです。

 

 潜在意識の中に、過去の癒されていないトラウマやら悪しき記憶やらネガティブな思い込み、信念、固定観念などがたくさん残っているのなら、まずはとにかく、それらを1つ1つ浄化していくのが先決です。その課題を見事にクリアーした暁に、ようやく真の覚醒へのスタートラインに立つことができます(そしてこれもまた果てしなく長い道のりになることでしょう)。頭のおしゃべりに日常的に強い影響を受けているなら、宇宙(ハイヤーセルフ、神、大いなる存在、etc..)と繋がりたいと望んでも、マインドに邪魔をされて宇宙からのメッセージが受け取りにくくなってしまいます。

 自分がそういう状態だと感じているのであれば、まずは「トラウマを癒す」「執着を手放す」「浄化を促す」といったテーマのエッセンスを飲むことをお勧めします。そして、気が遠くなるかもしれませんが、1つ1つ、意識的に、お荷物を手放していきましょう。感情に向き合うワークが有効です。フラワーエッセンスは、時として痛みを伴う浄化の過程を優しく、かつ強力にサポートしてくれます。浄化や気づきのスピードが高まり、殻が破れる行程をスムーズに導いてくれます。とらわれ、停滞している状態から、次の段階へと促してくれます。

 1つ1つ心のお荷物を手放し、殻を破っていくと、どんどん楽に、軽くなっていきます。そして何より、潜在意識のクリーニングが進んでいくと、目の前に広がる現実が変わっていきます。出会う人や、引き寄せる物事、現象が、より望ましいものになっていきます。たとえ問題が起こったとしても、もう以前の自分のようにとらわれた見方でみることがないので、大きなダメージを受けることなく、自然な形で解決へと導かれるようになります。物事をスケールの広い見方でみることができるようになれば、かつての自分であれば動揺していたような出来事が起こっても、動じることなく、落ち着いて対処できます。

 

 フラワーエッセンスは、あくまでサポーター、助けてくれる存在でしかなく、その人が変わるためには、意思の力と行動、努力そして忍耐がより重要な要素になります。ただ飲んでいれば変われるわけではないので、過剰に期待したり、全面的に依存してしまわないように、上手につきあっていくのが良いかと思います。

 

2018年

1月

23日

困ったらリラックス

 私は映画が好きで時間がある時によく観るのですが、いろいろ観ていると、演じている俳優さんには、主に二つのタイプがあるように思います。1つ目は、頭で考えて、緻密な計算をした上で演じるタイプ。もう1つは、頭で考えず、感覚的に演じるタイプ。憑依型と言われる俳優さんがこれです。憑依型のタイプの方は、演じている時に目が変わっていることが多いですが、オーラや、場合によっては体質まで変化することがあるそうです。霊的な世界で自分以外のものとシンクロしている状態、まさに憑依現象そのものです。

 私が大好きな、憑依型タイプのある女優さん(アメリカの方)がいるのですが、その方が以前、何かのインタビューで、難しい役を演じる時にはどのように役に取り組んでいるのですかと聞かれた時、次のように答えていました。

 

「何も考えず、何もしない。ただ、リラックスするのよ」

 

 本番前、緊張していたら、1人静かになれる場所に行って、深呼吸したりしてリラックスすることで、役にスッと入り込むことができるのだそうです。

 

 

 

 リラックスした状態というのは、緊張している状態より、高いバイブレーションの情報が入ってきやすくなります。高い次元の叡智と繋がるのも、こんな時です。

 ノーベル賞クラスの大きな発明をされた方が、決定的なアイディアを思い浮かんだ瞬間のことを聞かれると、似たようなことを述べていることが多く、興味深いです。実験に煮詰まって散歩に出た時にふとヒントがやってきた、お風呂に入ってボーっとしていたらアイディアが浮かんできた、夜布団の中で寝ようとしていたらいきなりひらめきが降りてきた、等々。研究に没頭している時ではなく、むしろ少し研究から離れた時に、アイディアが降りてくることが多いようです。

 夜眠りにつく前と、朝起きてすぐの半覚醒状態の時というのは特に、あちらの世界との繋がりが強くなり、この時に高い次元からの情報がやってくることが多いと言われています。いずれも、緊張していたり、頭のおしゃべりが鳴りやまない状態とは異なる、深いリラックス状態といえます。

 

 何か問題を抱えていたり、物事に煮詰まっている時、一度そこから離れてふっと一息つくことで、自然と解決法に導かれることが多いのは、心と頭がリラックス状態になり、高い次元とのアクセスが可能になるからです。物事は、より高い観点でとらえた時に、解決策が見えてきます。答えがほしかったら、まず自分のバイブレーションを上げるのがお勧めです。一生懸命頭で考えて、うーんうーんと唸って答えを絞り出そうとするより、思い切ってリラックスした方が、バイブレーションが上がるので、実はより簡単に答えを得やすくなります。

 どんな問題にも、必ず解決策はあります。それは、自分が予想したり期待していたやり方とは異なるかもしれません。けれどそもそも、私達が頭で考えることをはるかに凌駕しているのが、宇宙の叡智というものです。人知を超えた導きを信じて、そこに合わせていった方が、よりスムーズに、より楽に、望ましい方向に導かれていきます。

 

 

2018年

1月

19日

エンパスであるということ

 エネルギーに対して敏感体質な人のことを”エンパス”といいますが、日本人は特にこのエンパスの比率が高いといわれています。

 

 エンパスは、場所や他人の放つエネルギーに敏感で、放っておくと自然に、スポンジのように周囲のエネルギーを吸い取ってしまいます。

 

 自分がエンパスであるという自覚がなく、周囲のエネルギーを知らず知らずのうちに吸収していることにも気づかないままだと、なぜ自分が特定の場所に行ったり特定の人と会った後、特別疲れたり、頭が痛くなったり、体が重く感じたりするのか、よくわからないままかもしれません。

 

 うぶすなにも、エンパスの方がたくさん(というかほとんどの方がそう)いらっしゃるのですが、多くの方が、自分がエネルギーに敏感過ぎることを「面倒くさい」「疲れる」「損だ」といったようにネガティブにとらえていらっしゃるようです。

 

 けれど、何事にも意味があり、持って生まれた資質は全てがギフトだということを考えれば、自分がエンパスであるということも、天から授けられた貴重な贈り物であるといえます。エンパスであるということは生まれつき備わっている能力なので、後天的に身に着けることはなかなか難しいです。エンパスにしかできない役割や仕事というものがあり、1人1人にその道が与えられています。そうした役割を受け入れ、自分の力を最大限に開発させて、他者や世の中に何らかの形で貢献していくことが、エンパスとしての使命なのではないかなと思います。

 特別ビッグなことをするまでいかなくても、日常生活の中で、例えば他者に共感するとか(共感能力は、エンパスの最大の武器)、人の話をじっくり聴く(傾聴)とか、芸術的センスを生かして何かをする(エンパスはアーティスティックな能力が高い人が多い)とか、何かしら自分の能力を活かすツールはあると思います。

 

 エンパスであるという資質をプラスにとらえて、プラスに転じていく方法はいくらでもあります。周囲のマイナスエネルギーを簡単に吸収してしまうという側面に悩まされることも多いかもしれませんが、それを回避したり軽減する方法もいろいろあります。

 私が経験を踏まえてとても有効だと思った方法をいくつかご紹介します。

 

①自分のエネルギーと他人のエネルギーを明確にする

 これは、エンパスである人がまず最優先で身に着けた方が良い、とても強力な方法です。外部のエネルギーにあまりに無防備でいると、エンパスはいとも簡単に外部のエネルギーを自分のエネルギーフィールドに取り込んでしまいます。まず、自分のエネルギーフィールドを守るためにも、「どれが自分以外のエネルギーか」ということを常に意識していた方が良いです。どこかにでかけたり、誰かと会った後、自分のエネルギーフィールドに何か異質なものがまとわりついている感じがすることがあると思います。それが、他人のエネルギーです。こうしたことは、意識するようになればなるほど、どんどん敏感になっていきます。そのうち、人と話している間、その人の感情やマインドのエネルギーが自分のフィールドにやってきた瞬間がわかったり、それがどういうエネルギーで、どのように自分に影響を及ぼしているのかまでわかるようになります。

 少なくとも、それが”自分のものではない”という事実が理解できただけでも、そのエネルギーの影響を最小限に抑えることができます。何事も、気づくことが大事です。自分のものでなければ、すぐに手放せばよいのです。自分の元を去っていくイメージをするだけでも、だいぶ解放されていきます。

 こうしたトレーニングを積み重ねていくと、どんどんエネルギーに敏感になり、様々なエネルギーの種類を区別することができるようになっていきます。そうなってくると、もはやネガティブエネルギーの影響も不必要に受けることがなくなり(取り込んだままということがなくなる)、自信もついていきます。人を癒すお仕事に就いている方などは、こうした能力を研ぎ澄ませていけばいくほど、自分を守るだけでなく、他人にも大きく貢献していくことができるのではないでしょうか。

 

②自分のエネルギーフィールドをブロックする

 そもそも、ネガティブなエネルギーの影響を必要以上に受けないためにも、自分のエネルギーフィールドを最初から守ることも大切です。イメージトレーニングや祈祷、ストーン、護符など、様々なツールがあるかと思います。私は毎日、防御の力があるエッセンスの助けを借りています。電車に乗ってどこかに出かけた日や人が大勢いる場所に行った日など、これをちゃんと飲んで行った時と飲まずに行った時とでは、帰ってからの疲れ具合が全く違います。

 

③ネガティブエネルギーにできるだけ近づかない

 どんなにプロテクトしても、どうしても周囲のエネルギーの影響は受けてしまうものです。何か嫌な感じがしたり、ざわざわするような場所や人からは、できる限り遠ざかった方が良いです。最初から近づかないのが身のためです。エンパスの人は優しい人が多いので、他人の愚痴や悩みを聴いてあげるシチュエーションが自然と多くなるかもしれません。それも、自分ができる範囲で、自分がつらくならない程度に、を心がけた方が良いかと思います。世の中には、ネガティブエネルギーが確かに存在しています。ネガティブエネルギーを纏った人も存在しています。そういうネガティブ全てを、自分1人が何とかしようなんて思わない方が良いです。自分が求められている場所で、自分の能力の範囲内で、できることをすればいいと思います。その人が倒れてしまう程は、天も仕事を与えないものです。時には、逃げることも大事です。それは罪ではありません。

 気が進まないけどどうしても行かなくてはいけなかったり、会わなくてはならない人がいる場合は、まず最初にしっかりと自分のエネルギーフィールドを守った上で、「私はこの場所(人)のエネルギーを受けません」「私は守られています」といった意識を強く持ち、①のような、自分と他人との境界線をしっかりとキープしましょう。

 

④毎日エネルギークリアリングを行う

 エンパスの人は、プロテクションと同時に、日常的に浄化をした方が良いです。浄化の方法も様々ですが、私がいろいろ試した結果、習慣づいたものは以下の方法です。

 

 ★浄化のフラワーエッセンスを飲む

 ★浄化のフラワーエッセンスや、海塩を入れたお風呂につかる

 ★神棚に手を合わせる

 ★瞑想をする

 

 これをやっているだけで、まずどんな強いネガティブエネルギーをもらってしまった時でも、しばらくするとスーッと浄化されていきます。神棚は、なければ自分だけの神聖な空間を作り、そこを高い次元の存在と繋がる場所にしていけば良いかと思います。私が感じるに、浄化というものは、何か高い次元の存在の力が働いて行われているようです。自分で何とかしようと思うのではなくて、素直にスピリット界に助けを求めて、浄化してくださいとお願い(お祈り)すると、助けてもらえます。どこでもどんな場所でもそれはできると思いますが、例えば神棚や祈りの場所など、”繋がる場所”を決めてしまった方が、より簡単に、そして強力に繋がれる感覚があります。

 また、こうした場所を作っておくと、モヤモヤしている時に尋ねると答えが返ってきたり、前へ進むための大きなヒントをもらえたりするので、日常的に手を合わせてスピリット界と繋がる習慣をつけておくと、浄化の意味だけでなくても大きな助けとなってくれます。

 

 

2018年

1月

16日

完璧ではない自分

 今から80年程前、バッチ博士が作ったフラワーエッセンス(バッチ博士は”レメディ”と呼んでいました)は、38種類でした。その後、次々と新しいフラワーエッセンスが世界中で作られ、今現在は数千種類かそれよりもっと多くのフラワーエッセンスが存在しています。更にその数は年々増えており、そのすべてを把握するのは難しいくらいです。うぶすなでも200種類ほどのエッセンスを取り揃えていますが、中でも人気が高かったり、使用頻度が高いものは、20種類前後です。

 

 よく出るのは、「ネガティブな感情を浄化する」「自尊心を高める」「罪悪感を弱める」「自分の思いに素直になり、本当の望みに気づく」「古い殻を脱ぎ捨て、新しいスタートを切るのを後押しする」「あるがままを受け入れる」といったテーマのものです。

 繊細で敏感な方というのは、周囲の期待や思いをくみ取るのが得意なので、知らず知らずのうちに、自分の願望よりも他人に合わせた選択をする習慣が身についていることが多いです。また、エネルギーに敏感なため、特に他者の怒りや悲しみなどのネガティブな思いに過敏に反応してしまい、それを避けるためにも、自分を押し殺す癖がつきがちです。

 そうした習慣が長く続くと、 自然と「自分」がおろそかになり、「自分」が価値ある存在であるという認識が低く(自尊心の低下)なっていきます。また、周囲の期待に完璧に応えられない自分を責めたり、物事がうまく進まないことを自分のせいにしてしまうことも多く、常に「罪悪感」を抱き続けることにもなります。本来、その人が最も輝いて幸せを感じるためには、他人ではなく自分自身の本当の気持ちに素直になるしか道はありません。それが宇宙と調和する唯一の方法だからです。物事の多くはそのことに気づかせるために起こるので、自分の気持ちに素直にならない限りは、何かがしっくりいかないまま、空回りしたり、満足のいかない状況がずっと続いていくことになります。

 何かが違う、私の人生うまくいかないのは、私が悪いからだ。あの時こうしなかったからだ、あの時あんなことをしてしまったからだ。そんな風に自分を責めている方が多いように感じます。

 

 私は、繊細で敏感タイプの方には、案外”完璧主義”が潜んでいることが多いということにも気づきました。自分自身のあるべき姿や、人生のあるべき形、または社会や世界の理想の在り方など、あらゆる物事に対して、崇高な理想を抱いていることが多いのです。理想を抱くこと自体は悪い事ではないと思うのですが、あまりそこに縛られ過ぎてしまうと、そうでない自分や、そこに至っていない「今」に満足できなくなります。そして、そこにたどり着いていない自分や周囲を無意識的に責めてしまうのです。

 

 「あるがままを受け入れる」エッセンスが必要なのは、理想や高い目標を抱きつつも、「今」を大事にし、物事のプロセスに価値を見出しやすくするためです。また、完璧ではない自分や他人の姿を、欠けているとみなすのではなくて、学びの途中であると認めて、そのままの姿を受け入れることを助けるためです。

 そもそも、人は完璧ではないからこそ、この世に生まれてきているわけです。この世に生きているということは、完璧ではないのです。学ぶことがあるから、今ここにいます。最初から、自分は完璧ではないこと、完璧でないことは当たり前であること、全く責める必要なんかないことを、素直に受け入れてしまった方が楽だと思います。ネガティブな思いが湧き出ることもあるし、嫌な自分が表に出てくることもあるでしょう。それでいいんです。それがこの世に生きる人間の普通の姿だからです。みんな同じです。もし、完璧に悟りを開いていたら、この世に来る必要がなかったでしょう。仏様やその他多くのマスター達と共に、あちらの世界でサポート役に回っていたはずです。

 完璧ではない自分に気づいた時に、「そんなことない、そんなのは自分ではない」と否定するのではなくて、「それも自分の一部だ」と認めた方が、自分を受け入れやすくなります。そして、自分を受け入れることができたら、今度は他人を受け入れるのも容易になっていきます。

 

 

2018年

1月

12日

涙と決別

 うぶすなに来てくださったお客様が、お心の内側を話されているうちに、堰を切ったように涙が出てくることがあります。私たち日本人の意識の中に自然と埋め込まれている、”人前で涙を流すのは恥”という概念のためか、そんな時はたいていの方が「ごめんなさい」という言葉を口にします。泣いてしまって恥ずかしい、とお感じになるのかもしれません。

 私としては、そもそも全く謝る必要のないことだと思っていますし、逆に涙が出たのをみると、「ああ良かったな」と思います。なぜかというと、涙が出るということは、1つの区切りだからです。自分の中で、何かを手放した時、そして気づきを得た時、過去にため込んでいたものを浄化し、次に進むために、人は時として涙を流す必要があるのです。

 

 何事も、高い次元でまずことが起こります。その後で、肉体に反応が表れます。人が深い部分で癒されたり、浄化が起こると、それが肉体次元にまで降りてきて、涙という反応として出ることがあります(ヒーリングの最中に自然と涙が出るのはよくあることです)。なので、自然な形で涙が出てきたのであれば、それは手放しのプロセスなので、無理やり止める必要などなく、むしろ流れるがままに流した方が良いです。

 

 ひとしきり泣いた後、スッキリするのは、自分の中にあった古いものを手放したからです。次のステップへと進む心の状態が整ったわけです。涙というのは物理現象なので、古い自分を脱ぎ捨てたことを自分自身が知るためにも、わかりやすい反応といえます。自分で納得しやすいのです。

 

 

 このことで思い出すのは、かなり前の若かりし独身時代に味わった、手痛い失恋時の記憶です。その人と自分は決してうまくいかない、何もかもが合わないことがわかっていたし、幸せになるどころか辛くなるだけ(もう既に十分ツライ思いを味わっていた)だということも知っていたのに、それでも、いざ別れを決意した時、涙がとめどもなく出てきたのです。それはもう、おかしいくらい勝手に出てきて、止めようもありませんでした。泣きながら、「別れた方がいいし、早めにわかって良かったと思っているのに、なんで私泣いているんだろう」と、不思議に思ったものです。

 

 また、これは少し前の話ですが、娘が中学に入ってからというもの、中学生とはこんなにも忙しいものかというほど忙しい毎日を送る娘を、私は頼もしく思ってみていました。朝早く出て行って夕方暗くなってから帰る日々で、土日も部活やら何やらであまり家にいません。親よりもだんだん友達との関係が大事になり、時には私の言うことに激しく反抗することもあります。そんな毎日を本人は生き生きと楽しくやっているし、私もよくここまで成長したなあ、と喜ばしく感じていました。

 けれど、そんな生活が1か月ほど続いた頃。私の中に、何か吹っ切れていないものがある感じがしました。娘の成長と、人生のターニングポイントを喜ばしく思う一方で、新しい段階に進むことに若干抵抗している、何かがあるなと思いました。

 そこで私は、深く長く瞑想をしてみました。私の中にある、このモヤモヤは何ですか、と問いかけながら。

 すると、しばらくしてから、思ってもいなかったことに、涙がスーっと出てきたのです。意外な反応に自分でも驚きました。それは自然に出てきました。そしてその瞬間、

 

「あ、私、寂しかったんだ」

 

 と思いました。

 

 子供の成長を喜ぶ自分がいる一方で、どんどん自分の手から離れていく状況に対して、本当は少し、寂しかったのです。私はそのことを素直に受け入れていませんでした。もうかつてのような、お母さんを全面的に頼って、信頼しきっている小さな女の子ではなくなったことを、心の底から認めることにどこかで抵抗していたのです。親離れしていく子供を無理に引き留めてはいけない、という自分を諫める思いもありました。嬉しいけど少し寂しい、がホントのところだったのに、”寂しい”を否定していたわけです。だからモヤモヤと引っかかっていたのです。

 

 そのことに気づいたら、涙と共に、自分の中にあった抵抗も出て行きました。寂しい思いにきちんと向き合ったら、それはもう抵抗ではなくなりました。そして、気持ちがスッキリして、自分と娘との関係が新しいステージに移ったことを、心の底から受け入れることができました。後ろに引っ張られる気持ちや、モヤモヤがなくなったのです。

 

 

 

 この二つの経験で、どちらとも、私は進むべき道を進んでいることがわかっていたし、自分の選択は間違っていないことも知っていました。だから、なぜ自分が泣いているのかが最初はよくわかりませんでした。これでいいはずなんだから、泣くことなんかないのに。

 けれどやはり、”物理的に”、私は泣く必要があったのだと思います。肉体次元で最後に反応して、はい終了、だったのです。それがあったからこそ、気持ち新たに次の段階へと進むことができました。きっぱりと割り切る決意ができました。

 そういう部分で、涙を流すという行為は、儀式のようなものなのかもしれません。終業式や卒業式をしなかったら、「終わった」気分にそう簡単には切り替わらないことでしょう。頭でわかっているだけでは、人間どこかで納得がいかないものなのかもしれません。

 

 

2018年

1月

07日

粛々と

 新しい年になりました。

 

 去年は、振り返ってみれば、古いもの、自分にとって必要のないもの(物理的なものに限らず)を一気に手放した年でした。

 

 いざ手放してみると、なぜ今まで自分はこれに縛られていたのだろうと不思議に思います。何かに縛られている間は、なかなか自分が縛られている、執着しているという事実に気が付かないものです。そして、一度執着が外れると、もうそれまでと同じような付き合い方ができなくなります。

 

 思い返すと、ここ数年で随分、人間関係の変化もあったなあと思います。本当は楽しくないのに楽しいフリをしたり、義務感や相手に気を遣って望まないお付き合いをするのをやめることにしたからです。

 

 また、かつての私は、何かを決める際に、誰かの同意や後押しがなければ何となく不安でした。自分が信頼している人に、「それでいいんじゃない」とか、「やってみたら」と言ってもらい、背中を押してもらうことで、自分でも納得して進めることができたのです。なので、相談する人が何人か必要でした。

 けれど最近は、全ての答えは自分の中にあること、自分の人生の舵取りをするのは自分でしかないこと、私の本当の望みは私にしかわからないこと、他人の意見は関係ないこと・・・こうしたことが明確になってきたので、いちいち誰かの反応を気にしたり、人の意見を求める必要がなくなってきました。そのため、相手を頼り頼られといった共依存の関係に陥ることもなくなりました。

 

  最近、自分の内なる声に従って人生に変化を起こそうとしているのだけれど、いまいち自信が持てずにいる人達をターゲットにした、各種セミナーなどの自己啓発商法が巷に溢れています。私もかつて、うっかりそうした商法に乗っかりそうになった経験があります。自ら「先生」であろうとする人々の本質を見抜く眼力を養うのも、これからの世の中大切かと思います。

 ポイントは、その人の目的がエゴによるものか、それとも純粋な魂の望みからきているものか、という部分です。人間はいとも簡単に、金銭欲、名誉欲、自己顕示欲といった誘惑に引っ張られ、エゴの罠にハマってしまうものですが、純粋な目的を維持する強い意志力があれば、そうした欲望の道に簡単に堕ちていくことはありません。例えば、本がどれだけ売れたとか、何千人もの教え子がいるとか、有名セレブも通っているとか、そんな表面的なことばかりを自慢げにアピールしているのであれば、その人はエゴの罠に引っ張られている証拠です。そして、似たようなエゴの誘惑に惹かれて寄ってくる人達が、次々と餌食になっていくことになります。

 

 私自身もこれまでに散々迷い、あちこち彷徨い歩いてきた経験からいうと、世の中で本当に純粋な目的を抱いて活動している導師というのは、ごくごく希少な存在です。人生で一度でも出会えるかどうかさえわかりません。だいたい、そういった純粋で高次の目的の元に活動している人は、自己アピールをしないので、人目に触れることがあまりありません。本もやたら出しませんし、セミナーの類もほとんどしません。必要な時に、必要な人がやってくることを知っているので、自分からむやみに動かず、人目につかない場所でひっそりと暮らしていたりします。

 

 

 とにかく、邪の道に陥ることは簡単でも、純粋な意思を貫き通すことは至難の業です。今年も、周りに必要以上に振り回されず、淡々と、謙虚に、己の信じる道を一歩ずつ歩んでいこうと思っています。